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October 04, 2017

選挙互助会化した日本の政党

 日本の政党の変質、すなわち「政党の選挙互助会化」が著しい。それは、小選挙区制が始まり、いずれの候補者も、いわゆる理念や政策による選択よりも、自分の選挙区事情や政治環境から当選可能性が高い政党を選択する、ということが一般化されてきたためである。また、かつてのように、左右のイデオロギー対立が激しかった頃では、政党の理念や政策の違いというものが明確であった。だが、現在のように、イデオロギーの違いによる幅のある対立というのは影を潜め、狭い範囲での理念や政策の選択による対立の構造へと変化してきたことも、政党が「選挙互助会化」してきた背景にあろう。

 いまや理念型の政党というのを厳密に解釈すれば、現存する中では日本共産党ぐらいのものであろうか。民進党から希望の党に流れた候補者をみても、自民党との理念や政策の違いというものを前面に押し出す割には、それほどの違いも無い。ましてや民進党からの合流組が、希望の党の理念や政策に賛同したというわけではない。早い話が、東京都議会議員選挙の余波を受けて、もはや民進党では当選可能性が無く、より当選可能性が高いと思われる希望の党を選択したに過ぎない。前原氏の言った「名を捨てて、実を取る」というのは、そういうことである。

 枝野氏がしきりに「理念と政策の一致」を主張して、民進党候補者で希望の党から排除された「リベラル派」を終結した立憲民主党を立ち上げたが、それすらも一時の雨露を凌ぐための「宿り木政党」のように思われる。「リベラル派」というだけで、その中身や政策は「反安倍政権」というぐらいで後は曖昧だからである。

このように、希望の党も立憲民主党も、とりあえず目前に迫った選挙での当選を最大の目標にした「選挙互助会」であり、選挙後の野党再編成を睨んだ動きであることに変わりはない。

一方、もともと自民党は理念型政党というよりも、選挙互助会型政党の色彩が強い。しばしば指摘されるように、自民党は派閥集合型政党であり、その派閥の理念や政策は野党並みに保守からリベラルに至るまで実に幅広いからである。自民党は政権というものを求心力にして集まっている、歴史的かつ伝統的に形成された強力な「選挙互助会」なのである。

つまり、現在の日本の政界における政党というものは、もはや理念型というものは姿を消し、伝統的に基盤が強固だが古臭い選挙互助会(自民党)なのか、それに反発する目新しいものの脆弱な選挙互助会(共産党を除く野党)なのかの違いに過ぎないようである。

では、今日の国民は果たして古臭い理念型政党の復活を望んでいるのだろうか、それとも目新しい選挙互助会型政党を期待しているのだろうか。実は、そのどちらでもないようである。古臭い理念型政党は退場していてもらいたいし、選挙の度に泡のように表れたり消えたりする目新しさばかりが目立つ選挙互助会型政党も御免被りたいというところだろう。国民は政党の選択肢を広げてもらいたいというよりも、基盤のしっかりとした選挙互助会型政党の登場を期待し、それを選択枝の一つとしたいということではないのだろうか。それはつまり、ぐちゃぐちゃになっている選挙互助会化した現在の野党が、再び古臭い理念や政策を訴える理念型政党に戻ることを期待しているというよりも、自民党並みに基盤が強固であり、継続的な活動を続けていくことができる、新しい選挙互助会型政党の登場を期待しているように思われるのである。

ゆえに、小池都知事の排除の論理は、こうした期待に反するものと見れば失敗であったと言えるし、排除の論理の結果生まれてきた立憲民主党の側にしても、「理念や政策の一致」ということを声高にしていくと、それがまた排除の論理となり、自らを凝り固まった理念型政党へと向かわせていくことになりかねないだろう。


October 02, 2017

「しがらみ」のない政治はない

 小池都知事の「希望の党」のモットーは「しがらみのない政治」とのことである。そのため「しがらみ」がある民進党の元閣僚・幹部は排除の対象とされた。おまけに護憲・リベラル派も「しがらみのある政治家」ということで、同様に排除された。要するに、「しがらみのない政治」とは、初代女性首相になることが目標の彼女にとっての「お邪魔虫」を排除するためのスローガンということだ。それはそれで彼女の当面の戦略としては十分に理解できる。
だが、もともと政治とは「しがらみ」の世界である。「しがらみ」の中で生きるのが、政治家の宿命である。仮に「しがらみ」をすべて切ってしまうと、残るのは「わが身」のみである。

 例えば、今回の排除の論理では安保、憲法改正、外国人参政権という三つの政策課題がその判断基準とされたようだが、他にも政策課題は無数にある。仮にこの三点をクリアしたとしても、次から次へと出てくる重要政策課題、例えば消費税値上げ問題についての各候補者の考え方には幅があるだろう。だとすれば、小池都知事と異なる意見を持つ者は、消費税問題に判断が迫られた時点で排除されなくてはならないはずである。つまり排除の論理で行けば、判断基準が示される毎に、自分の意見と異なる者を切り捨てていくことになる。

多数派を形成していくことが、政権を奪取して、自分が総理大臣になるための必要十分条件であることは重々承知の上での排除だろうから、要は「好き嫌い」とか「自分の配下に収まるか否か」が判断基準なのだろう。その表向きの表現として「しがらみ」を挙げているのではないだろうか。

国民にとっては「しがらみのない政治を造る」というスローガンはもっともらしく聞こえるし、新しい政党への期待感を高揚させる効果がある。だが、もともと政治は「しがらみ」によって成立する世界だから、選挙の騒ぎが収まり、ぼんやりとしていた新しい政党の姿がはっきりとしてくると、そのスローガンとはまったく異なる姿を現してくる。そして、国民にとっては、その姿が「希望」の対象から「絶望」へと簡単に変わってしまうことは、これまでの政界再編でしばしば現れた現象である。だから、おそらく今回も同様のプロセスを辿ることは、民進党から移る政治家たちは百も承知である。彼らは彼らで「希望の党」を、雨露を凌ぐための当面の「宿り木」としか考えてはいない。それはそれで、彼らの「しがらみ」でもある。

このように、政治家は「しがらみ」の呪縛から逃れることはできない。その「しがらみ」を排除するのではなく、どのように自分の政治権力を強めていくために活用するかが、一国の首相にもなろうかという政治家にとっては、最も重要な資質の一つなのである。

地方自治は国政の「踏み台」ではない

 これまでも国政への「踏み台」として地方自治を利用してきた政治家は多い。首長選挙に出馬して話題を作り、数年首長を続けるが、そのうち国政へ進出を果たしてきた政治家である。端的な例が、出雲市長を務めた岩国哲人である。彼は、米国のメリルリンチ副社長だった経歴をフルに利用し、「行政は最大のサービス産業」というスローガンを前面に出し、全国的な話題をかっさらうようにして一挙に市長となった。

その当時、全国の地方議会議員たちが出雲市に行政視察に集まった。視察の最大の目的は、「出雲ドーム」である。彼が建設を提唱した全国初の木造ドームということで、全国的な話題となったからである。そして、彼は地方行政革を進める首長のシンボルにもなった。たがその後、彼は2期の途中で市長を辞職し、東京都知事選挙に出馬するも落選した後に、国政に進出して衆議院議員を4期務めることになった。華やかな経歴だが、出雲市に残されたのは、使いにくい中途半端な「出雲ドーム」という財政的な「お荷物」であった。

国会議員を目指すとき、地方自治体の首長や地方議員を経験しておくことは大切である。地方の政治や行政を知らないままで国会議員になられても困るからである。だが、一方で、地方自治を単なる国政への「踏み台」としてだけ考えてもらうのも困る。そのような政治家が地方自治体に残すのは、中途半端に進められた政策による残された者たちへの負担だけだからである。だから、国政に進出しようとする地方自治体の首長や議員に求められるのは、地方自治体の政策などを中途半端に終わらせないで、きれいに片づけてもらうことである。

小池都知事が国政にカムバックするかもしれないと、取りざたされている。「希望の党」の党首にもなり、日本初の女性総理大臣を狙っているわけだから、当然のように国政へのカムバックを、彼女を取り巻く政治家も、またご本人も考えていることだろう。もちろん、ご本人がカムバックされるかどうかは自由である。だが、現在のようなゴチャゴチャになっている東京の状況を無視して、国政へカムバックしていくということは、一言でいうと、あまりにも「無責任」という感を否めない。「都民ファースト」を公約にしていた割には、結局のところ「自分ファースト」だったということになるからだ。

「政界渡り鳥」を繰り返してきた彼女は、選挙に勝つための方法論を見つける千里眼はかなり優れているようである。だが、ご本人の当選のための千里眼は有効であっても、足元にある肝腎要の東京都政を、「自分ファースト」のための「踏み台」にしか考えないようでは困るのである。最低限、都政の最大の「難物」の一つである築地・豊洲問題を奇麗に片づけてから国政にカムバックすることが大切であろう。つまり、「跳ぶ鳥跡を濁さず」ということだ。

 いずれにせよ、地方自治の存在意義は、国政を夢見る政治家のためにあるのではない。地方自治を「踏み台」としか考えず、ないがしろにする政治家ばかりとなっては、国全体の基盤が揺らぐことになるのである。

September 08, 2017

町村総会の源流としてのカール・ルードルフ

                    
                                                   拓殖大学政経学部 眞鍋貞樹

 高知県大川村が村議会を廃止して、村民総会(町村総会)に代えることを議論している。地方自治体の関係者にとっては、賛否を含めてその行方が注目されている。
 町村総会は地方自治法第94条で、「町村は、条例で、第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」とされている。実際に、この規定によって町村総会を設けたのは東京都宇津木村(現、八丈町)だけであり、戦後の地方自治法以前の明治憲法下において、神奈川県芦の湯村(現、箱根町)が町民総会を設けていたことも知られている。
 では、明治憲法下においてどのような経過から町村総会が規定されていたのだろうか。明治初期の制定過程で注目すべき点は、町村総会を起草した一人が、当時の明治政府の「お雇い外国人」のカール・ルードルフ(Karl Rudolph)であったことである。同時期に来日していた「お雇い外国人」であるアルベルト・モッセについては、後の地方自治制度関連の整備への貢献度の高さから十分な研究がされてきているが、モッセに先だって地方自治関連法を起草したルードルフについては、地方自治研究者からそれほど強い関心が示されることはないままにある(高校の参考書でもモッセの記述はあるが、ルードルフについてはない)。
税務大学校の牛米努は「カール・ルードルフは1841 年プロシア生まれのドイツ人で、行政官補や郡長として地方行政に携わり、内閣顧問として招聘された。明治17 年から同20 年まで滞在し、帰国後は県参事官や県知事を歴任した。ドイツで人選にあたった公使の青木周蔵は、彼を評して「稍々リベラールにしてoptimistに見え、内政治務的之見込は七独三仏之思想」であると書き送っている(『伊藤博文関係文書』1、63頁)。若干フランス流の思想を有している点が、ややリベラルということなのであろう」(「明治20 年所得税法導入の歴史的考察」p.453:一部筆者修正)と紹介している。
 一方のモッセは、彼の師が当時のドイツにおける国家学の権威者であったローレンツ・フォン・シュタインであったためか、明治政府の関係者たち、特に山県有朋はモッセを重用し、地方自治関連法の草案から制定に至るまで、モッセによる提案を受けながら制定していった。そのモッセはルードルフの案に対して、批判すべき点を批判すると同時に、評価すべき点は評価していた。その評価の中に、ルードルフの「町村総会」が含まれていた。だが、モッセがその後長く日本に滞在し、政権に重用されて地方自治制度の整備に組み込まれた一方、この地方自治制度の起草の後に税制改革案として「収入税」を提案したことを最後に、ルードルフはドイツに帰国した。その後は評価されることもないままである。
ルードルフによる地方自治制度への貢献への評価が消えていった背景は定かではないが、ルードルフは伊藤博文との関係性が強かったようであり、実際に地方自治制度を整備していった責任者は山県有朋が、ルードルフではなくモッセを重用したことがあるかもしれない。また、ルードルフは地方自治制度というよりも、警察制度や税制の整備に重点を置いたからかも知れない。いずれにせよ、ルードルフは明治初期において、日本の地方自治制度の整備に貢献したドイツ人の一人であったことにはかわりはない。
 さて、そのルードルフの草案で注目すべき点が、町村の有権者が20名に満たない場合には、町村会に代えて町村総会とすることができる、とした点である。その後の明治政府内での議論により、20名が15名になったものの、その案は残った。当時の議会や選挙についての議論は、国政も地方も制限選挙を前提としていたため、一定の資産を持つ裕福な住民にしか投票権を与えなかった。そのことからも、町村においてはごく少数の「投票権を有する住民」による「総会」が実施可能と想定されていたのだろう。ただし、こうした制度は当時としては斬新すぎるものである。それが、なぜ近代国家に向けて走り始めたばかりの日本で提案され、しかも採択されたのだろうか。
 ルードルフやモッセたちは、ドイツ人でありながらも、英国型立憲君主制、フランス型共和制に関心を持っていた。それは明治初期に伊藤博文がベルリンやウィーンに留学して憲政の講義を受けたローレンツ・フォン・シュタインやグナイストも同様だった。彼らはプロイセン型立憲君主国を擁護する国家学者であるため、自国の歴史や制度を尊重しながらも、英国やフランスに芽吹いていたキリスト教的人道主義に基づく初期社会主義に思想的な影響を受けていた。それはすなわち、ロバート・オーウェンの「ニューハーモニー村」、サン=シモン、フーリエの「ファランジュ」あるいはルイ=ブランの「作業所」などの、理想主義的な地域における「共同体思想」であるし、住民レベルでの「自治の精神」の発露でもある。
 ルードルフやモッセは近代国家として歩みを始めた日本に対して、プロイセン型の天皇を中心とした立憲国家体制(プロイセン型社会国家)の整備を勧めていたと同時に、国家における統治の最小単位である「町村」においては、議会ではなくとも「町村総会」に代えることができるという「自治の精神」の涵養を目指した理想的な地域社会の創造を期待していた。モッセはその点を明確に記している。その「自治の精神」については、当時の明治の政治家や官僚たちがドイツだけではなく、英国やフランス、そしてアメリカなどへ留学することによって、当時の日本においてはあまりにも過激すぎる思想として警戒する一方で、近代国家の基礎を担う思想としてその重要性を感じ取っていたのだろう。
 だが、日本では残念ながら、そうした期待とは裏腹な歴史を辿っていく。中央集権化にまい進した明治では、ドイツ人たちが勧めた天皇を中心とした立憲体制が、天皇親政体制へと変化していったし、「町村総会」が実施された例は神奈川県芦の湯村だけに終わった。ルードルフやモッセたちが期待した、日本の地域における「自治の精神」の涵養というのは、法令の条文上にのみ残り、政治の現場では忘れ去られてしまったのであった。
 冒頭に触れたように、大川村の問題提起によって、今日、地方自治関係者が大いに関心を寄せているのが、「町村総会」である。これから大川村だけではなく、政府を含めて検討がされていくことになっている。まずは、日本における「町村総会」の源流となったルードルフやモッセが、日本に何を期待していたのかを探ることから検討を始めることが大切ではないだろうか。

August 29, 2017

「忖度政治」の問題

「忖度政治」の問題

 森友学園問題で一躍有名になった言葉が「忖度(そんたく)」である。事案は、安倍首相夫人の奔放な言動を財務官僚などが「忖度」し、森友学園に有利になるように土地譲渡などが進められたのではないかということだ。その真実がいかなるものかは不明だが、「忖度」がまかり通っている政治の世界だけに、実しやかに語られるわけである。
 「忖度」は政治の世界では「当たり前」の行為である。逆に「忖度」がなければ政治は回らない。というのも、政権に就いている政治家たち特に閣僚が、担当する政策のすべてを理解したうえで、決済するわけではない。石原慎太郎がいみじくも語ったように、実態では「司司(つかさつかさ)」で判断し、政策の執行を積み重ねているのが政治の世界である。政治家や閣僚は、その政策が失敗したときに責任をとるために存在するようなものである。その際、政治家や閣僚の部下たち(官僚)は、イチイチすべてを政治家や閣僚に説明し、決済を求めるというよりも、政治家や閣僚の意思を「忖度」し、政治家や閣僚の意に沿うように手続を進めていく。こうした方法論を身に着けている者が、優れた官僚であると、政治家や閣僚によって評価されるのである。もちろん、こうした「忖度政治」が果たして妥当性を持っているかどうかは別問題である。
 「忖度」というものが現実の政治の世界でマイナスに作用しているという事実に関する研究では、政治哲学者のハンナ・アレントの『全体主義の起源』と『エルサレムのアイヒマン』が優れたものの筆頭であろう。彼女は全体主義やナチズムが席巻した背景について、政治家とりわけヒットラーのような独裁的な権力者に対する部下たちの迎合や、無批判的な追従にあることを示したのだった。独裁者はすべての案件について決済をするのではない。部下たちが独裁者に対して反対論を唱えることはないどころか、もっぱら独裁者に気に入られるような政策を「忖度」して、実行に移すわけである。そして、その関係性は部下たちからさらに下級官僚たちへと移行し、国民の末端に至るまでその構造が作られることによって全体主義が完成するのである。
 もちろん「忖度」だけが全体主義を完成させるのではなく、独裁者に楯突く者たちが制裁措置(サンクション)として送り込まれる「強制収用所」が必要である。「強制収用所」に送られたくない部下たちは、独裁者の意に沿うように行動するのである。この部下による「忖度」と「強制収用所」が全体主義を完成させる。一方、民主的国家においても、たとえ「強制収用所」がなくても、権力者の部下たちは、権力者による「処分」(左遷や降格)を恐れて、その意に沿うように「忖度」を実行するのである。
 つまり、「忖度」とは、部下たちにとって自己の立場の保全という最大の目的のために、権力者の利益になるような政策を自らの意思で選択し、実行することである。権力者にとっては、面倒な指示をする必要もなく、また、場合によっては責任をとる必要もないと抗弁できる(「司司で案件を処理したから自分は知らなかった」という石原元都知事の発言がそれを物語る)から、部下に対して暗黙の了解として「忖度」を求めるのである。
 この「忖度政治」の何が問題なのだろうか。手続き的には問題がないように進まれるから、仮に法律違反や倫理違反が問われたとしても、官僚による「忖度」があったかどうかを証明することは困難である。「忖度」した事実は「忖度」した官僚の頭の中にだけに記録があるから、当該の官僚が自白しない限り、不明のままで残される。つまり、「忖度」による政策決定は藪の中に納まるのである。この政策選択と決定の過程に不明瞭さが残ることが問題の第一である。
 第二に、「忖度」は、政治家や閣僚そして官僚たちの自己の利益の保全を最大の目的とする手続であるから、たとえ合法的であっても妥当性に疑問が残る。逆に、合法的な手続さえ踏めば、どのように捻じ曲げられた政策選択と決定であっても、法律違反や倫理違反に問われることはないのである。これが「忖度政治」の一番厄介な点である。
 では、こうした「忖度政治」を防ぐ方法論はあるのだろうか。すべての政策決定過程における官僚の判断や決済を透明化し、第三者による厳しい評価を受けるようにすれば解決するだろうか。理論的には有りえても、現実的には難しいだろう。そもそも何万という膨大な政策に関する判断や決済を透明化したとしても、それらを検証していく術はない。今回の森友事件のように、関係者からの指摘を受けなければ、手続き上合法的であれば、そこに「忖度」があったかどうかを発見し、検証することなど不可能である。
 ハンナ・アレントの分析のように、権力者とその部下との間の権力関係から出される政策決定と執行には、常に、権力によるサンクションとそれを回避しようとする動きが付いて回る。そこに「忖度政治」が生まれる要因がある。したがって、「忖度政治」の回避の術について強いて言うならば、政治家や閣僚たちの部下である官僚が、自己の立場の保全を第一の価値におくのではなく、常に国民全般の利益を優先することに心がけてもらうことだ。場合によっては、政治家や閣僚に対して、追従することなく真っ向から楯突くような「骨のある官僚」になることである。そしてなによりも、政治家や閣僚はそうした「骨のある閣僚」こそ自らの傍らに置き、その意見を尊重することに心がけることである。だが、現実の政治ではそれは簡単なことではないことは指摘するまでもないだろう。

May 06, 2016

ミャンマー事業の終了

 3年間にわたり外務省のN蓮事業として進めてきたNGOタイ日教育開発によるミャンマー少数民族への農業支援事業は、2016年4月をもって終了となりました。4月以降の事業は、別のNGOに引き継ぐことになりました。この場をお借りして、お世話になった方がたに対しまして、これまでのご支援・ご協力に感謝申し上げます。
 3年間の事業そのものは農業研修の基盤整備のようなものであり、それは順調に進みました。別の団体への移行とは3年間でできた基盤を基に、農産物の生産と流通という事業に移行していくものです。より高度な事業へと進んでいくというものです。
 この3年間では、ミャンマーの山間部を訪問したり、少数民族の人たちとの交流などもでき、思ってもいなかったような体験を得ることが出来ました。ミャンマーとタイとの国力の違いや、住民の生活環境のレベルの違いに、愕然としたときもありました。なにせ、ミャンマーの山奥では、電気、水道、ガスといったライフ・ラインはほとんど整備されていませんから・・・。
 事業の最大の目的は、ミャンマー政府と少数民族との和解を促進する、というものでした。この点については、その成果がどうなるのかは、現状では何とも言えません。ミャンマーの政権が交代したとしても、歴史的な対立の構造はそう簡単には溶解しないようです。
 ともあれ、この貴重な体験を、また次のプロジェクトに活かしてまいりたいと思っています。


 
 

December 03, 2015

シミュラクラ その2

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衝撃の中世の戦士。
実は家にあるコーヒーメーカーの蓋。

シミュラクラ その1

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かつて人気を博したことがあった「顔に見える物」の写真を私も撮ってみた。
専門用語では錯視(シミュラクラ)というのだそうだ。
ともあれ何気ない日々の生活の中でも面白いことがある。

第一回は、帰りの駅のホームで見つけたもの。
ホクロと目の400円がカワイイ。

August 05, 2015

ミャンマー軍人幹部ご一行への不機嫌

 ミャンマーが民主化し始めたころ、ミャンマーの地方都市を旅したことがある。ホテルから空港にタクシーで向かっていたところ、やたら多くの軍人や警察官が沿道で道路交通規制を始めて、私が乗っていたタクシーも検問で止められた。止められていたタクシーの隣を、パトカーを先頭にして黒塗り高級車が数台列をなして高速で通り過ぎて行った。
 タクシーの運転手によれば、軍の幹部たちが、軍専用のゴルフ場に来た帰りだとのことであった。確かに、ホテルから空港に向かう途中に、高級リゾートホテルを思わせる広大な敷地の軍専用ゴルフ場があった。
 空港に着くと、大勢の軍人たちがゴルフバッグを担いで、飛行場のVIP入り口に向かっていた。それを見ながら、たばこでも吸おうと待合室の外にある喫煙場に出たところ、私服の警察官に止められた。「煙草を吸いたいだけだ」と言ったところ、「座れ、そこを動くな」とのこと。しかたなく、座っていたら、件の軍人たちが、軍専用機だと思われる飛行機に、ゴルフバックを積み込んでいた。そしてその飛行機が離陸するまで、民間飛行機は待機させられたままであった。
 軍の重要な会議とか緊急事態であるならば、それぐらいの規制とかは当然我慢しようと思う。しかし、ゴルフを楽しんで帰る軍人のご一行のために、そこまで民間人を規制する必要はまったくないであろう。特権階級化した軍人たちご一行によってもたらされた不機嫌である。ミャンマーの民主化というのも、所詮軍人が制服を脱いでいるだけである。事実上の軍政は続いている。軍政の方が統治をしっかりとする、という評価をする人もいないではない。だが、ゴルフをするために軍専用機を使う軍人を見ても、そう思うのだろうか。

やたら国民を管理強化するタイ軍政

 タイが軍政になって、やたら国民を管理統制したがっているようである。これまでも何度か軍によるクーデターがあり、そのたびに軍政になっていたが、国民を縛ることはあまり強くなかった。タイ軍政の独特のものだった。ところが、今回の軍政はこれまでとは違って、やたら規制を厳しくしている。

 例をあげると、

・「仏陀感謝の日」に禁酒とすることを法律で定めた。全国的な禁酒の強制である。ホテル、レストランやバーといったところはもとより、コンビニでの酒の販売も禁止した。これまでも、禁酒の日にはレストランが自主的に禁酒にしていたが、それはタイの宗教的慣習だった。だから、外国人が多い店などでは、酒を飲ませてくれていたが、今回からは全面的に禁酒。バーは仕方なく臨時休業を余儀なくされていた。

・全国的な禁煙。ホテルやレストランでも、室内では全面禁煙。これで喜んでいる嫌煙家も多いだろうが、愛煙家にとっては地獄である。

・飲酒運転の厳罰化。これは歓迎すべきことだろうが、措置がすごい。取締りでつかまると、そのまま留置所に一泊。高額の保釈金を支払い仮出所。その後で、裁判所に出廷して、罰金の支払いとなる。外国人もまったく同様の措置。

・外国人の携帯電話SIMカードの登録制の導入。SIMカードを買っても、登録しなくては、受信できても、発信できない。これは私も困った。何度かけてもつながらないので、電話機が壊れたと思っていたが、実は登録をしなくてはならないという法律ができだばかりだということが判明。ただし、不思議なことに、タイ国内には発信できないが、海外には発信できた。変な話である。

・タイとミャンマーとの国境の規制。国境沿いに住む地元の人たちは、正規の出入国管理もなくタイとミャンマーの間を日常的に往復しているが、それも場所によって規制を強化。規制された場所では、地元の人も逮捕されるという。

 良いような悪いような規制の強化だが、基本的にはあまり嬉しくない。軍政の方が治安が良くなるから歓迎する、という声を聞かないわけではない。だが、軍政というのはやはり国民への管理監督を強化をすることが好きな体制なのであるということを改めて感じた次第である。

August 04, 2015

ミャンマーの小学校に文房具支援

 タイとの国境沿いにあるミャンマー・カレン州ミャワディの小学校に、文房具を支援。
 今年の春に、トイレ建設の支援をした小学校。その後の確認という意味もあって、再び訪問。
 ミャワディ市内からは車で1時間程度。雨季で道路は水浸しだし、もともと道路は舗装されておらずボロボロだし・・・。市内からわずか数キロしかないのに、とてつもなく遠い感じがする。 正直、タイ側に戻るとホットする。
 小学校の校長先生によれば、この地域は若い女性の出産が多くて、生徒数が激増するとのこと。日本から見ると羨ましい話だが、校長先生にとっては先生の確保、施設の確保、教材の確保で頭が痛いようだ。
 この小学校には、今後、トイレ建設を支援したグループによる再支援も計画されている。


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March 09, 2015

バンコックの象

 最近はバンコックで街中を歩き回る象をまったく見なくなった。
 数年前に国際的な動物保護団体から、「象を観光客相手にバンコックの街中を連れまわすのは、動物虐待に該当する」という指摘を受けたため、タイ政府が禁止したようだ。
 確かにそうかもしれないが、街を歩いていると後ろから象の鼻で頭を突かれるという、日本では絶対に味わえない「風情」もあったのだが・・・。
 ということで、結構さみしい感じだったのだが、今回、定宿にしているバンコックのホテルの部屋に入ると、ベッドの上に象が二頭いた。それがこの写真。タオルで作った象。
 ここまで来ると、芸術的である。使うのがもったいないという感じであった。
 

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 このホテルはBTSの駅からも近い割には奥まったところにあって、とても静かなことが気に入っている。ホテルの隣の家の大きな木には、毎朝リスが走り回っているのが見えるのも楽しみの一つ。

March 03, 2015

ミャンマーの小学校訪問

 2月に、ミャンマーの小学校を訪問。
 場所は、タイと国境を接しているミャワディーから数キロの地区。
 地元の人たちが運営しているいわゆる「コミュニティ・スクール」である。
 政府からの支援は、教員を派遣するぐらいで、後は、住民の負担や海外からの支援金で運営されている。
 児童数は130名ほど。
 現地の友人から、「トイレが足りなくて困っている」という話を聞き、日本の支援者の人たちと一緒にトイレを二つ建設することになったもので、その現場を訪問するのが今回の目的。
 この小学校は、かつて政府軍と戦闘をしていたカレン族の部隊の基地だったもの。軍の施設をそのまま小学校に転用したようである。
 ミャワディーの周辺は、戦闘も収まり、徐々にこうした小学校の運営が始まっているのだが、施設や文房具そして教員の慢性的な不足に悩んでいるとのこと。日本からも支援が送られているが、十分とは言えない状態であるとのことである。
 同行した日本の支援者の人たちは、「今後とも継続して支援をしたい」と言われていたのが心強い。

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小学校に行くためには、川を利用するのが一番便利。
小学校にプレゼントするお菓子などを持参。

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みんなで船に乗って、小学校まで。


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小学校の正面


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学校のグランドではあるが・・・。


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教室なのだが・・・。壁もなし。白い服を着た左の男性が、校長先生。

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支援者からのサッカーボールのプレゼント。


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トイレの建設の様子。

March 02, 2015

不思議なジャンボ機

 タイのピサヌローク空港に降り立った。今回で2回目。
 前回のときも驚いたけれど、今回も。
 巨大なジャンボ機が2機、ピサヌローク空港に停まったままである。
 一体これは何のために置いてあるのか、まったく不明。
 エンジンは取り外されているので、飛ばないはず。
 北朝鮮では空軍力を誇示するために、衛星写真にわざわざ映るようにダミーの戦闘機を空港においているけれど、タイ空軍がそんなことをする必要もないし、だいいち、観光客にも見えるような場所である。
 乗員の訓練用かと思ったけれど、遠目でも内部はボロボロだから、訓練にも使えそうにない。
タイを旅していると、「何これ?」というものが結構あるけれど、これはその中でもトップクラス。
 一体何なのだろうか???

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February 28, 2015

地方議会の不始末? コンパニオンの公費負担

 下記の記事は、共同通信発。
 コンパニオンを呼ぶこと自体はそんなに目くじらを立てて問題にすることではない。宴会にはつき物だから。
 懇親会にせよ、宴会にせよ、コンパニオンにせよ、公費負担ではなく、自分たちの財布の中から費用を支払えばよろしい。
 ただ、議員活動の公費負担をどこまでするかについて、明確な線引きをすることは難しいことなのだ。議長あるいは議員としての公務であれば、当然公費で支払うべきものだが、公務の延長にある夕食はグレー・ゾーン。出張旅費規程などで明確に夕食費などの支払いを決めていれば、公費負担はホワイトであろう。だが、それが夕食を超えて、宴会となり、コンパニオンまで呼ぶとなれば、それはもう公務ではなく、公務の後の私的行為になるだろう。
 では夕食と宴会の違いということになれば、またグレー・ゾーンとなる。「酒を伴わないのが夕食で、酒を出すのが宴会」といったように細かく規定で決めることもバカバカしい話である。夕食にビールを飲まないというのも、いくら公務といっても寂しいものである。ビールも自費でだせば良い、ということも考えられるが、実にアホくさい話である。
 大切なことは、議員間だけの交流や懇親と、議員も参列する様々な国内・国際交流事業として、夕食というか、歓迎セレモニーあるいはパーティといった大切な懇親の場合もあることと分けて考えることだ。大きな交流事業だと、当然、ビールぐらいは用意しなくてはならないだろうし、コンパニオンの女性の協力がなければ、パーティそのものも成り立たないことだってある。そのときに、出席した議員に、自費でビール代を負担してください、というようなことになってもおかしなものである。
 「膾に懲りて羹を吹く」というようなことは避けなくてはならない。要は、ケース・バイ・ケースで判断しなくてはならないし、微妙なものは議員としての良識に委ねるしかないことになる。だが、今回のケースは、ますます地方議員の活動に対して、住民の目が厳しくなっているということを、議員は認識しておかなくてはならないという警告なのだろう。
 

2015/2/28(土)11:38 共同通信社

 奈良県内の9町村議会の議長でつくる「吉野郡町村議長会」が懇親会に女性コンパニオンを呼び、費用を公費から支出していた問題で、議長会は28日までに臨時総会を開き、今後はコンパニオンを呼ばず、会費を自費で払うことを決めた。
 2014年度の懇親会費総額のうち公費から支出していた約37万円分は参加者が返還する。懇親会には各町村の議会事務局職員も参加したため、職員も返還分の一部を負担するという。
 議長会会長の橋本史郎・東吉野村議会議長によると、27日の臨時総会に出席した6人の議長の全員一致で決まった。「不適切だった。この取り決めは議長会の規約に盛り込む」と話した。
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January 12, 2015

風刺画はユーモアとエスプリが大切だ

 フランスでの凄惨なテロ事件を受けて、300万人もの市民が抗議デモを行った。日本では、ごく一部の在日フランス人を中心に抗議活動が行われたようだ。ネットでは、日本で大きな抗議活動になっていない状況を嘆く意見も見られる。
 私はもちろん表現の自由を尊重するし、テロ行為を容認するつもりはない。ただ、「私はシャルリー」というプラカードを持つつもりはない。なぜなら、シャルリー・エブドの風刺画は、ユーモアやエスプリというよりも、おちょくりや侮蔑あるいは愚弄だからである。ネットでも見られるから、ぜひ見てもらいたい。とても、女性に向かってコメントできるようなものではない。
 文化や価値観の異なる他者を批判するときに、おちょくりや侮蔑あるいは愚弄では、他者との間で起こっている紛争や対立を解消するという方向には進まない。相互不信や怒りを助長するだけである。
 そんなことを考えている時、1月12日付けの読売新聞に、フランスの歴史人類学者であるエマニュエル・ドッドのコメントがあった。彼は次のように記している。

「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。ところが、フランスは今、誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者たちと共にある。私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、「テロリストにくみする」と受けとめられて、袋だだきに逢うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」

 私も同感である。だから、「私はエマニュエル・ドットだ」というプラカードを掲げたいと思う。
 海外の新聞といってもニューヨーク・タイムズぐらいしか読んでいないが、毎日掲載される風刺画にはおちょくりや侮蔑あるいは愚弄は見られない。ユーモアとエスプリである。たった一枚の絵だけで、社会に起こっている状況や問題を鋭く描き出している。同じように風刺画で社会を批判する時に、ユーモアやエスプリと愚弄や侮蔑のどちらが社会を良くして方法かは明らかだろう。
 風刺画一枚が、何万という言説よりも、社会に与える影響は大きい。だから、風刺画はユーモアとエスプリが大切だと思う。ユーモアとエスプリは批判する相手と問題を共有することができるが、おちょくりや侮蔑あるいは愚弄では、相手との問題の共有はできないからである。

October 29, 2014

栁澤寿男さんの「春祭」コンサートに出演します


栁澤寿男さん指揮のコンサートに出演します。
私の担当は、ストラビンスキー「春の祭典」の4番ホルン。
大学生の時に吹いて以来、実に、40年ぶりの「春祭」です。
変拍子に体がついていくかどうか・・・。

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[日時]   2014年12月7日(日) 14:00
[場所]   東京都八王子市:オリンパスホール八王子 八王子駅直結
[お話]   山田五郎、柳澤寿男
[ピアノ]  吉村美華子
[管弦楽] 世界平和コンサートへの道管弦楽団(プロ・アマ合同オーケストラ) 
[曲目]
  ベチリ:  スピリット・オブ・トラディションより
  リスト:  ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
  ストラヴィンスキー:  バレエ「春の祭典」

October 08, 2014

日下部政三さんへの追悼

 バンコクに長期滞在していたフリー・ジャーナリストの日下部政三さんが先日ガンで亡くなった。バンコクの友人からの連絡で知った。今年は、日下部さんとバンコクの屋台で痛飲することがなかったが、昨年までは、私がバンコクに行った際には必ず安い店で杯を交わしていた。
 酒に誘う時の合言葉は「日下部さん、生きてますかぁ」。彼からの返事は、「なんとか生きてますよぉ。一杯行きますかぁ」。
 日下部さんと知り合ったのは、某テレビ局のバンコク支局長の紹介だった。すくさま意気投合して、飲み明かす日々。果てはタイ北部の黄金の三角地帯まで一緒に調査に行ったことが懐かしく思い出される。
 日下部さんのタイ情報は奥が深く、また鋭かった。頑固一徹なところもあって、飲んでいると持論の展開で終わりがなかった。
 日下部さんとの会話の中で、実に興味深い話があった。彼がまだ大学生のころ、スペインを貧乏旅行していた時のことだったそうだ。安宿には多くの日本人の学生も泊まっていた。その安宿で日本人学生から、「北朝鮮に行くつもりだ。君も一緒に行かないか」と誘われたそうだ。今から思えば、欧州での日本人の拉致事件が発生していたころのこと。日下部さんはそんな危ない話には乗れないと、断ったそうだ。日下部さんは、「当時の日本人学生は北朝鮮に関する知識をほとんど持っていなかった。そんな話に簡単に乗って、実際に北朝鮮に行って帰ってこれなくなった人もいるかもしれない」と言っていた。 もうこの話を確認する術もないが、もしかするとそんな人も実際にいるのかもしれない。
 そんな日下部さんだったから、世界中の危ない話をよく知っていた。しかも、現場の生々しい話ばかりだった。たとえば、タイの赤シャツ隊が町を占拠していた時のことだ。赤シャツ隊の司令官に日下部さんがインタビュー中、銃弾が司令官の頭に命中し、その血がカメラや日下部さんの顔に飛んできたそうだ。それをなんの興奮もなく淡々と話してくれる日下部さんは、尋常な人ではなかったのだろう。
 私にも少なからず知り合いのジャーナリストがいるが、これほどディープな人は少ない。またディープなだけに、寿命を自ら縮めてしまったのだと思う。
 また、お金には頓着しない人だった。私がタイでの携帯電話の購入を思案していた時、日下部さんが「いくつかいらない電話があるから、あげるよ。ただというわけにはいかないから、ビール代を出してくれればそれでいいよ」ということになり、1000バーツぐらいのビール代で、携帯電話を譲ってもらった。その携帯電話は私の机の中にあって、タイでは愛用している。だが、これは日下部さんの形見となってしまった。いささか古いものだが、これからも大切に使っていきたいと思う。

June 20, 2013

新座交響楽団 第32回定期演奏会のご案内

 来る7月21日日曜日に私の所属する新座交響楽団の定期演奏会があります。

日時
7月21日 日曜日
午後2時開演

曲目
ロッシーニ   喜歌劇「セビリアの理髪師」序曲
シューベルト  交響曲第7番 「未完成」
ブラームス   交響曲第4番

会場
新座市民会館大ホール

入場料
800円

駐車場は無料です。

私の出番は、ロッシーニの太鼓とブラームスのトップです。気合いを入れてがんばります。

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拙論が出ました 「ミャンマーの少数民族による高度な自治

 拓殖大学日本文化研究所発行の『新日本学』(平成25年夏号 季刊29)に、私の拙論が出ました。
 題して「ミャンマーの少数民族による高度な自治」です。
 一言で内容を言いますと、「ミャンマーの少数民族による高度な自治の形成は、ミャンマー政府との軋轢を産むが、高度な自治を形成していかなければミャンマー国内の民主化も安定も実現できない」というものです。
 ぜひご一読願います。

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May 27, 2013

ミャンマー版 民族浄化政策?

 本日のHerald Tribuneの報道によると、ミャンマー西部のラカイン州で、ミャンマー版民族浄化策が進められるという。それは、ミャンマーにおける仏教徒とイスラム教徒の間での宗教対立が背景にある。
 5月25日にミャンマー・ラカイン州が発表した内容は、ラカイン州の街であるButhidaung とMaundawにだけ適応される政策として、イスラム教徒は子供を二人までに制限するというもの。それらの街は、イスラム教徒が95%を占めるという。同地区は他の地域と比べて、10倍以上のスピードでイスラム教徒が増え続けており、その対策に郷を煮やした同州政府の苦肉の策とのことである。
 世界で有名な出産制限は、言うまでもなく中国の「一人っ子政策」であるが、中国の少数民族は適用が除外されている。中国政府としても、少数民族の「懐柔」のためには、そうした制限は好ましくないとの判断をしたためなのだろう。それとは、逆に、ミャンマーでは少数民族を増加させないための産児制限である。
 ただでさえ、このラカイン州の民族対立が激化して、ミャンマーの民主化の足かせともなりかねない地域で、こうした手法の「民族浄化政策」は、新たな対立の火種ともなりかねない。

May 26, 2013

小平市の住民投票・不成立で開票されず

  東京都で初の住民投票ということで、マスコミで話題に上った小平市の住民投票だったが、投票率50%の要件を満たさなかったため、不成立となり、開票されないことになった。
 下記は、それを速報した読売新聞。
 マスコミではもっぱら、「日本の民主政の成熟度が試される」とか、「50%の是非」ということが、議論の俎上にのぼっていたのだが、この都市計画道路の建設の実態というのはそれほど奇麗なものではない。
 この路線の建設は、長年、地域住民や小平市・市議会の関係者の頭を痛めさせていた問題だった。
 確かに、貴重な公園の緑地の半分を削ってしまうし、玉川上水の緑道を削ってしまうことは、本当に残念なものだ。それは建設に賛成の立場であっても、心苦しいし、残念なものだ。
 だが、この公園の緑地は、もともと都市計画道路予定地だからこそ、残っていたものであった。もし、都市計画道路でなければ、とっくに住宅になっていたかもしれない。
 それに、反対運動を繰り広げていた住民の中には、道路建設予定地と知りながら住宅を購入した人たちもいた。どのように考えても、彼らの建設中止の主張には妥当性はない。
 あるいは、「緑地を守れ」と建設に反対を主張する立場の人たちは、自分達も緑地を削って住んでいることには思いおよばないらしい。道路渋滞に文句を言っているドライバーと同じで、文句をいう人たちが渋滞の原因を作っているのと同じである。
 一方で、建設に賛成する立場にも、都市における緑地の保全というものに、消極的か、まったく関心を持たない人達もいる。彼らにとっては、開発利益しか念頭にない。つまり、道路建設にともなって、沿道に出店する商業による利益の獲得である。
 そもそも、都市計画道路の路線の引き方は、相当に乱暴な話だった。計画策定当時の市役所の職員が、鉛筆と定規を持って、地図上に線を引いただけで「計画」ができたのだった。住民との事前の協議だとか、合意といったものはまったく考慮されていない時代の話である。しかも、「計画」というものを乱暴に作って、いったん決定した「計画」に一切変更を認めない、という非常に権威的で、形式的なものである。さすがに、今日では、東京都も路線の変更はしないが、道路形態を環境に配慮する「見直し」をしているが、「計画」そのものの見直しはしない。
 こうした賛否のみならずそれぞれの立場の込み入った事情を考慮した解決策が、一時、小平市議会で盛り上がった道路の「地下化・半地下化」であった。緑地や玉川上水の削減を最低限にとどめる方法として、関係者が知恵を絞った「見直し案」だった。この「見直し案」を東京都はいったん受け入れたのだが、その後、東京都が撤回した。理由は、建設コストが高くなりすぎるということと、沿道の地権者が「地下化・半地下化」すると、開発利益を獲得できなるために、その「見直し案」に反対したのだった。その後、急速に「地下化・半地下化」構想はしぼんでしまったのだった。誠に残念である。その時にできた「見直し案」で行っていれば、こんな住民投票と言うことにもならなかっただろうと思う。
 今日の住民投票の不成立を受けて、東京都では測量や用地買収、あるいは地元説明会を開催していくことになる。混乱は予想されるが、いずれは道路は建設されるだろう。
 その時、私が訴えたいのは、失った緑地の分だけ、他の場所に緑地を確保するという政策の実行である。現在の環境政策で取り入れ始められた、ミチゲージョンという環境保全のための考え方を、この道路建設にも適応させることである。先日、ばったりと小平市長に会った時にも、この点を訴えておいた。ぜひ、小平市がこの環境政策を実行してもらいたいと思う。


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投票率50%に達せず不成立…小平市の住民投票

 東京都小平市で26日、雑木林を通過する形で計画された道路建設計画の是非を市民に問う住民投票が実施された。
 住民の直接請求に基づく住民投票は、都内では初めて。市選管によると投票率は35・17%で、市条例で定めた成立要件「投票率50%」に達しなかったため、投票は不成立、開票は行われない。
 住民投票の対象になったのは、1963年に東京都が都市計画決定した都道「3・2・8号線」(府中市―東村山市間)13・6キロのうち、小平市内の五日市街道と青梅街道を南北に結ぶ1・4キロ区間について。
 自然環境が悪化するなどとして、計画に異議を唱えた市民団体が今年2月、7183人分の署名と共に住民投票条例の制定を直接請求し、条例は3月の市議会で可決。これに対し、小林正則市長が「投票は市民の総意であるべきだ」などと訴え、その後の改正で「投票資格者の総数の2分の1に満たないときは、成立しないものとする」との条項が追加された。

(2013年5月26日21時44分 読売新聞)

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May 25, 2013

マイナンバー・・・そんなに監視したいのか、監視されたいのか

 昨日の参議院にて「マイナンバー」が可決したとのこと。
 政府は「これで便利になりますよぉ」というキャンペーンに忙しい。
 マスコミは、かつての国民総背番号制度、グリーンカードそして個人情報保護法の時に展開したような反対論も強くない。「まあ、いいか」というところだろうか。もっぱらの懸念は、政府が管理する個人データの漏えいだとのこと。私の個人データなどが漏えいしたところで大したことはないため、私にとってそれが最も懸念されることとも思えない。
 私が最も「嫌」なことは、政府はそんなに国民を監視したいのか、ということ。続いて、国民はそんなに政府に監視してもらいたいのか、ということである。どうやら監視社会を作っていくことが、最も人々に平穏や安定を与えることと思っているらしい。政府が国民を監視すれば幸せになり、国民は政府に監視されれば安心なのだろうか。
 とても気味が悪い。
 新宿や池袋といった繁華街はもとより、どんなに小さな街でも、「監視カメラ」が張り巡らされている。犯罪防止、あるいは犯罪の抑止が目的とのことだ。犯罪の捜査に役立つだろうが、それと同時に、私たちの日常生活が、どこかのビルの一室で、誰かもわからない人物によって監視され、記録されていることを気味悪いとは思わないのだろうか。
 韓国では、ついに大学の教員の研究室まで、監視カメラが設置されるようになったという。パワハラあるいはアカハラの防止ということよりも、パワハラあるいはアカハラ疑惑で学生から教員が「告発」されたときに、教員自らが無罪を証明するためのものだ。
 こうした個人の生活全般を政府が管理・監視する社会や、監視カメラが蔓延する社会を、むしろ異常だとは思わないのだろうか。もっぱら「皆さん、便利になりますよぉ」という、政府のやさしい指導に従っているにしか感じない。
 これはミシェル・フーコーの「牧人型権力による統治」(司祭型権力)の何物でもない。やさしい牧人に飼われている羊たちは、牧人の監視の下で幸せに暮らすのだが、いずれ羊たちは食べられてしまうのである。
 監視社会を幸せだと思っている人たちは、いずれ監視社会に食べられてしまうのである。それは誰だって?それは、監視社会を作ったあなた、あるいは作るのを黙って見ていたあたな、そしてそれを幸せな社会だと思っているあなたが、監視社会に食べられるのである。
 
 
 

May 23, 2013

古臭い「二元外交批判」への批判

 岡田克也さんが下記のようなコメントを出している。
 古臭い「二元外交批判」である。この「二元外交批判」は、民主党政権時代に、野党だった自民党などが民主党政権を批判していた文脈とまったく同じである。つまり、どっちもどっち。立場が変われば、同じ行動をとるし、同じ文脈の批判を繰り返すということである。
 これではまったく生産的ではない。
 現代の国際政治・国際関係の複雑性の中では、困難な問題の解決のためには「二元外交」どころか「多元外交」で対処していかなくてはならない。様々なレベルでの様々なチャンネルを駆使して、相手国と対峙しなくては勝負にならないのである。こうしたことは、永田町に住んでいる政治家ではもはや「常識」だろう。しかし、その「常識」が互いの批判合戦の中で埋没してしまうということは、彼らにとっての外交は国内向けのものであって、対外的に問題解決を進めようという意図のものではないことの証明になる。
 野党である民主党が自民党政権を批判するなら、「二元外交どころか、多元外交を駆使して、拉致問題の解決をせよ」ということになるのではないだろうか。そして自民党政権側も、こうした古臭い「二元外交批判」に対して、「二元外交にあたらない」というような反論ではなく、「多元外交でこそ問題の解決が図れる」というように反論してもらいたい。

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飯島内閣参与は訪朝の理由説明すべき 二元外交なら許されない
2013.05.23
連載:岡田克也のズバリ直球

北朝鮮訪問を終え、北京国際空港から日本に向け出発する飯島勲内閣官房参与=18日(共同)【拡大】
 飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問は極めて疑問というしかない。
 まず、どういう立場で訪朝したのか。内閣官房参与であるため、政府を代表して訪朝したとしか考えられないが、安倍晋三首相らの説明はあいまいだ。
 関係国が歩調を合わせて北朝鮮に経済制裁を科すなか、抜け駆け的に訪朝した点も説明がない。飯島氏は北朝鮮幹部に対し、「日本は拉致問題で妥協しない」などと伝えたとされるが、それは従来の政府方針だ。それ以外にどういう話し合いがあったのか。岸田文雄外相や外務省は事前に承知していたのか。通訳や同行者はいたのか。いずれもはっきりとしない。
 万が一、飯島氏が個人的立場で行ったとすれば、まさに「二元外交」であり、飯島氏の行動は許されるものでない。それを許した安倍首相や菅義偉官房長官の責任も問われることになる。
 ともかく、北朝鮮の核・ミサイル問題は日本と日本国民の安全に関わり、拉致問題は日本の主権、被害者の方々の人権に関わる。ともに極めて重要な問題だ。米国や韓国、中国など関係国の理解と協力も欠かせない。飯島氏は国会に出てきて、きちんと説明することが求められると思う。

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April 05, 2013

犯罪収益移転防止法の改正の不快

 犯罪収益移転防止法が改正されて、平成25年4月1日から施行された。 取引時の確認事項が増え、特定事業者が新たに追加され、ハイリスクの取引時の確認に注意が必要というのが、警察庁や金融庁のお達しである。
 この法律の趣旨であるテロ資金流用の防止、そして「なりすまし」やら「オレオレ詐欺」などの犯罪に金融機関が警戒をすることは大いに賛成する。
 しかし、物事には「過ぎたるは及ばざるが如し」とか「羹に懲りて膾を吹く」という言葉があるように、金融機関の窓口では、あまりにもやりすぎである。
 というのも、今日、子どもの大学の学費を振り込むために、某銀行の窓口を訪れた。窓口の素敵なお嬢さんから、次のように言われた。
 「法律が改正されて、お客様の本人確認をさせていただきます」
 ふむふむ。それは結構です・・・。
 「お客様は、娘さんの父親ですか」
 当たり前だろ。誰が娘の学費を父親の替わりに払うんだ!
 「娘さんには銀行口座はありますか」
 そんなの知るか!
「この書類に必要事項をお書きください」
 なにを書くの?
「お客様の氏名、生年月日、住所、職業そして払い込みの目的、さらにお客様の職業です」
 ふざけんな! なんで、学費を振り込むのにそんなものを書かなくてはならないんだ!!
「それに、お客様の銀行口座は何を目的に作られていますか?」
なんなんだそれは!!!!
誰がそんなことを指示している??
「法律の改正でそのように指導されています」

 ということで、窓口のお嬢さんに文句を言っても仕方がないので、さっそく金融庁に確認の電話。
 担当の職員の弁では
 「法律の趣旨をご理解ください」
 はいはい。十分に理解しています。
 で、大学の学費を振り込むのに、そんなことまでさせるように指導しているの?
「金融庁ではそこまでは指導していません」
 金融庁では同法にそって、疑わしい取引というものが示されているけれど、学費の納入と言うのはそれに該当するの?
「まったく該当しません」

 ということで、銀行協会が法律の趣旨に従って、独自のガイドライン・フォーマットを設定して、各銀行にまったくつまらない指導を行ったというわけである。
 ということで、さっそく、某国会議員に改善を求める抗議の電話。

 こんなことでは、自由な商取引を規制するに等しい。もちろん、不正な取引を防止することは必要だが、明々白々なる正当な商取引まで規制をかけることになる。それに、銀行窓口での職員の負担の増加、利用客の精神的ストレスの増加をもたらしてしまう。まったく無駄なものである。

 似たような話が、個人情報保護法でもある。法律の施行にともなって、何が起こったか。
 不動産取引協会が独自のガイドラインを作り、全国のアパートやマンションの個人の表札を撤去してしまったのである。プライバシーの侵害を未然に防止するというのである。
 個人の表札までプライバシーの侵害にあたるとは到底法律の適用外なのに、客とのトラブルを回避するために、すべて撤去してしまった方が無難と言うわけである。その結果は、隣同志でも名前も知らないし、誰だかわからない寒々とした地域社会を作ってしまうのである。

 徳川家康公の家訓に、「過ぎたるは及ばざるがごとし。及ばざるは、過ぎたるに勝る」という趣旨の言葉がある。
 このやりすぎの窓口指導は即刻やめにするべきであろう。


 



 

April 03, 2013

ミャンマー 懸念される仏教徒とイスラム教徒との対立

 本日のヘラルド・トリビューンに大きくヤンゴンでのイスラム教寺院の火災について報道された。
 その寺院では子どもたちが多く犠牲になった。報道では中で睡眠をしていた15人の子どもたちが死亡した模様である。
 火災の原因は電気系統のショートということだが、関係者の中では電気系統に異常はなかったことから、何らかの事件だという見方もあるようだ。
 この火災が大きく取り上げられたのは、昨年からミャンマーの各地で、仏教徒とイスラム教徒との間で、深刻な対立が発生しているからである。ラカイン州のイスラム教ロヒンギャ族の人たちが、仏教徒によって数百人が殺害され、10万人近くが家を追われるという事件があった。そして、3月にはミャンマーの中央部のMeiktilaでも、イスラム教徒の住居地が焼き討ちにあって、数10人が死亡した。この二つの事件も、ささいな住民同士のトラブルが発端だった。小さなトラブルが大きな被害を生むような、民族対立の土壌が広がっているのである。
 ミャンマーは非常に複雑な民族構成になっている国である。だから、民主化を歩み始めたミャンマーにとっては、平和と発展を実現するために、民族間の融和と共存をどのように進めていくかが最大の政治課題であると言えよう。

March 16, 2013

ミャンマーで「そば焼酎」を飲んだ

 ヤンゴンのアウン・サン博物館を尋ねた帰りの坂道の途中に、とてもお洒落なB&B(英国式のゲストハウス)があったので、ちょっと覗いていると、マネージャーか゜出てきて、「どうぞコーヒーを」と招き入れてくれた。
 コーヒーを飲みながら、マネージャーと話をしていると、彼は「日本のそば焼酎がある。とてもおいしい」というので、一杯ロックで飲ませてくれた(マネージャーの奢り)。
 これが噂の「そば焼酎」かと思って飲んでみると、とてもまろやかないい感じ。レモンスライスととても合う。
 この焼酎は、JICAのプロジェクトによる、ミャンマー・シャン州でのケシ栽培からの転作事業。「地球の歩き方」にも紹介されている。
 このプロジェクトには色々な苦労話やら、裏話があるのだが、ともあれ、こうしたケシ栽培からの転作事業の推進は、ミャンマーの少数民族問題を解決していくうえで、非常に重要なプロジェクトである。
 タイ日教育開発では、麻の繊維づくりと楮による紙生産を計画しているのだが、これから苦労が絶えないだろうと、飲みながら考えた次第。

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B&Bのマネージャーのウィリアムさん
とても気さくな人で、しかも完璧な英語。
酒類の研究家でもあるらしく、とても詳しい。
このB&Bは開店して、まだ四か月とのこと。
GARDEN HOME
WWW.gardenhomebnb.asia
料金は、一泊シングル75ドル。ダブル85ドルとのこと。
ホテル需要が高いヤンゴンでは、まあ仕方ないかという料金。


ミャンマー・ベグーにある旧日本軍の慰霊碑

 ヤンゴンから北に、車で1時間30分ぐらいのところにペグー(パゴー)という古都がある。
 そこには、有名なシュエターリャウン寝仏がある。その寝仏の入り口から少し北にいったところの突き当りを右に少し行くと、チェニガン寺院とその学校がある。その寺院の最も奥に、旧日本軍第55師団の慰霊碑がある。寺院の協力によって建立されたもので、もともとは1979年に別のところにあったものが、1997年に同所に移設されたとのことである。
 第55師団は第18師団とともに、インパール作戦に投入された部隊。戦史を紐解くと、凄惨な戦いと撤退の際の悲惨な状況が記されている。
 日本人も結構尋ねる場所のようだが、ペグーを訪れた際には、少し足を延ばしてその碑にもお参りされてはいかがだろうか。

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アウン・サン将軍の言葉

ヤンゴンでミャンマーの建国の父であるアウン・サン将軍の足跡を訪ねた。ヤンゴンの中心部にある有名な寺院であるジュエダゴン・パヤーの奥には、将軍らがヤンゴン大学の学生の時に、英国の支配下にあった大学の方針に抵抗するために集まった11人の人物の名をを刻んだ碑が遺されていた。そして、日本大使館のすぐ裏手には、アウン・サン将軍の家がそのまま残されていて、アウン・サン博物館になっている。
そのアウン・サン博物館にある書籍の中に、アウン・サン将軍が遺した、少数民族問題についての言葉があることを見つけた。それは、英国の植民地支配から独立を目指していた時のものである。ミャンマーの自由と独立を勝ち取り、そしてミャンマーの統合のために、愛国主義を訴えながらも偏狭な民族主義を排するというもので、特にミャンマー国内の少数民族との協調を訴えたものである。
当時の英国の植民地統治の手法は、どこでも同じだが、その国の中で対立する民族間の分裂を図りながら、間接的に統治するという狡猾なものだった。その影響が今日でもミャンマーの国内に強く残っているのである。それが、今日のミャンマーの民主化の最大の足かせになっているというわけである。
この言葉を、ミャンマー政府も各少数民族も重く受け止めてもらいたいものである。

「自由のために戦うとき、諸民族と諸階級はともに手を携えていかなくてはならない。そして、分裂をたくらむ大英帝国主義に細心の注意を払わなくてはならない。私たちは性急になりすぎてもならないし、躊躇してもならない。それで、私たちは究極の勝利を確信する。」

出典 MYA HAN edit., The Writngs of General Aung San, 出版社、発行年不明

そして、博物館には将軍が遺した以下のような素晴らしい言葉がパネルに遺されていた。

「政治的概念の意味からすれば、民主政とはただ単に公衆のために、公衆によって選ばれただけの政府があれば完成するというものではない。政府が平等的な環境による公衆の経済的状況を進捗させる時にのみ、本当の民主政が進歩のために機能しえるのである」

この言葉は、現在でも有効な名言だと思う。


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ジュエダゴン・パヤーにある石碑


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アウン・サン博物館

March 01, 2013

ミャンマー カチンとの和平交渉が不透明に

 以下は、カチンの反政府組織(KIO)の議長であるZawng Hra氏が、政府との今週の和平交渉を保留にしたという現地のKACHIN NEWSによる報道。
 先日、日本財団の仲介によって、チェンマイにて和平交渉が始まったばかりだった。三月の早い段階での再開を目指すようだが、先行きは不透明である。
 問題の焦点は、少数民族側からの主張として、かつてミャンマーが独立した時に、アウン・サン将軍が少数民族に「高度な自治」を約束したのだが、それが新憲法でも保障されていない点をどうするかということ。そして、少数民族の武装解除すなわち国軍への編入問題である。
 それに加えて、特にカチン州は中国との国境にあることから、物流の一大ルートになっており、その物流にかける税金(通行料?)の帰属問題がある。いわば、政府にとっても、カチン族にとっても、貴重な財源であり、その権利を巡っての闘争という面もある。

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KIO not ready for peace talks this week, as army resupplies frontline
Thursday, 28 February 2013 10:00
Report by Kachin News Group

Senior representatives of the Kachin Independence Organization (KIO) have told their counterparts from the government's negotiations team that they are not ready to meet this week for further peace talks, the Kachin News Group has learned.

The next round of peace talks which were supposed to take place before the end of February are now expected to happen sometime in early March but it remains unclear where the talks will take place. Government officials are known to want the talks on Burmese soil something that the KIO has so far resisted.

Last week government representatives met senior KIO officials in the northern Thai city of Chiang Mai during as part of talks between the government and the United Nationalities Federal Council (UNFC), an alliance of Burma's armed ethnic groups which includes the KIO.

The government's peace team led by the President's Chief negotiator Aung Min has met their KIO counterparts more than a dozen times for formal and informal talks since the Kachin conflict began in June 2011. While many of the sessions have involved representatives of Burma's military during the army has not participated during the most recent rounds of talks. A major sticking point in the negotiations is the government's refusal to recognize a 1947 agreement signed between General Aung San and ethnic leaders including the Kachin that granted Burma's ethnic minorities a fair amount of autonomy. The Panglong agreement reached just months before Burma got independence was never fully implemented after the death of Aung San.

Another point of contention is the army's refusal to withdraw troops from territory recently captured during the fighting. The army has so far declined to reduce its presence along the front line leaving many Kachin with the suspicion that despite a recent slowdown in the fighting a new offensive on the KIO may be imminent.

Reports from the field indicate that the army has used the slowdown in fighting to send more reinforcements to front line positions. On February 24 the Burma army commandeered trucks from civilians in eastern Kachin state to send arms and food supplies to troops stationed near Loije according to reports from the field. Situated on the Kachin Burma border Loije, is close to the KIO's second largest town Mai Ja Yang. This week also saw the army send more troops and supplies to reinforce government positions at La Ja Yang, a village recently captured by the army that is close to the Laiza the KIO's de facto capital.

Despite the recent slowdown some fighting continues. On February 25 Kachin Independence Army troops led by Lieutenant Dai Mau Muk Lung exchanged fire with army units from Infantry Battalion 200. The firefight took place north of Lawk Hkawng, in the Pangwa region located near the China Burma border. During the fighting government troops were supported by members of the Border Guard Force 1002 (formerly part of New Democratic Army - Kachin). According to information provided by KIO staff the army side lost at least 8 men including 2 lieutenants.

タイにおけるイスラム系武装勢力との和平交渉

 以下の記事は、CNNが報道した、タイ政府とタイ南部のイスラム系武装勢力との和平交渉が始まったというもの。
 マレーシアのクアラルンプールで、次回が開催される模様。
 これまで、軍人や警察官のみならず学校の教師などもテロの標的になって犠牲者になっていたのだが、何とか和平へ向かってもらいたいものである。学校の教師が標的になっていたのは、学校がイスラム系住民を同化させていく政策をになっているという見方からである。
 タイの国内の少数民族も複雑だが、多くの少数民族はすでにタイ人として同化しているのだが、タイ南部のパッターニ県などでは、多くの住民がイスラム教系のために、分離独立を目指した武力闘争が続いていたものである。
 同様の報道が、本日付読売新聞の朝刊にも出ている。(読売新聞バンコック支局長の深沢記者は、こうした問題をよくレポートされるので感心してます)

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(CNN) -- A little reported insurgency that has claimed the lives of more than 5,000 people in the last decade showed signs of moving towards a peaceful resolution Thursday, as Thai authorities agreed to hold talks with Muslim rebels in the restive south of the country.

The head of Thailand's National Security Council, Lt. General Paradon Phatthanatabutr, told CNN "a general consensus on the peace dialogue process" had been agreed with Hassan Taib, the leader of separatist group Barisan Revolusi Nasional (BRN), following a meeting in Malaysia -- which is playing the role of "facilitator" in the discussions, he added.

"It is a good start, at least we can now talk," said Paradon. "It will certainly open doors to those who don't always share the extreme ideology to come out and start talking with us. Then we can build understanding with each other."

EXPLAINER: Thailand's deadly southern insurgency

Paradon said the talks could begin in Malaysia within two weeks, and that they will show the international community that the Thai government is trying to solve the conflict by peaceful means, respecting due process.

Nine years of drive-by shootings, bomb blasts and beheadings have left thousands dead or maimed in Thailand's southern provinces of Pattani, Yala, Narathiwat, Satun and Songkhla, as insurgents fight for a separate Islamic state for the region's 1.8 million Muslim ethnic Malays -- a demand that Bangkok has so far rejected.

Insurgents have withstood and adapted to the military's tactics, growing more proficient and daring in the process.

International Crisis GroupAs a result, the Thai government has sent more than 150,000 soldiers to the region -- which was once part of an independent Malay Muslim sultanate until it was annexed by Thailand, then known as Siam, in 1909 -- to protect it from the estimated 3,000 to 9,000 rebel fighters, according to estimates from human rights groups.

But analysts say the Thai military has struggled to deal with the militants.

"Insurgents have withstood and adapted to the military's tactics, growing more proficient and daring in the process," the International Crisis Group, a nonprofit organization that provides analysis and advocacy on conflicts around the world, said in December.

Successive Thai governments "have opted to muddle through South East Asia's most violent internal conflict," the group added in a report on the conflict, citing "bureaucratic turf battles and a bitter national-level political struggle."

The region has seen a recent upsurge in violence, with increasingly bold attacks by rebels. Last month, 16 insurgents armed with laser-guided rifles and hand grenades were killed during a night assault on a military base in Narathiwat. The military managed to repel the attackers after receiving a tip about the raid, a spokesman for the Thai military told CNN.

The military was not so fortunate days earlier when five soldiers were killed by a roadside bomb in neighboring Yala province.

However, Thursday's agreement in Kuala Lumpur was met with cautious optimism.

"It shows that this government is not only using the military but also engaging with insurgent leaders," said Sunai Phasuk, a senior researcher with Human Rights Watch.

But he warned that Thai authorities must also address important grievances on the ground, including accusations of security forces acting with impunity, for talks to be meaningful.

February 27, 2013

タイ日教育開発 井本勝幸副理事長が表彰を受ける

 タイ日教育開発井本勝幸副理事長がタイにて表彰を受けたので、そのニュースを報道した読売新聞を転載させていただきます。なお、表彰ではタイ政府認可タイ日教育開発財団の井本氏として表彰されています。


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February 25, 2013

Andy Chan氏の尖閣諸島についての論評

 下記は、Andy Chan氏の尖閣諸島問題についての論評。
 非常に重要な視点だと思いますので、転載します。
 (転載については、Chan氏のいずれの論評でも了解済み)。

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[AC通信:No.435]Andy Chang (2013/02/24)
[AC論説] No.435 台湾人の尖閣諸島認識

阿部首相が訪米したら、ロスの台湾同郷連誼會という組織が「尖閣
諸島は中華民国の領土だ」と言うデモを行った。この組織は台湾同
郷会ではなく、中華民国国民党が作ったニセ組織である。デモに参
加した台湾人や台湾から来た中国人は国民党の恩恵に与かっている
者どもだが、本物の台湾同郷会では尖閣諸島問題に対する意見がな
かった。台湾人の尖閣諸島に対する認識が統一していない。

台湾人の尖閣諸島認識は、(1)以前は台湾の領土だったが今は日本
領だから取り戻すべきが多数、(2)もともと日本領が少数で、(3)
残りは古代から中国の領土と思っている。

間違った認識が多いのは国民党メディアの洗脳によるが、民進党も
公式に尖閣諸島は台湾領であると主張している。民進党の党首・蘇
貞昌が日本を訪問したときも、尖閣諸島は台湾の領土だったから、
台湾に漁業権を与えるべきだと述べた。こんな間違った認識で日本
を訪問して漁業権交渉に云云するのは無知をさらけ出すだけだ。

だいたい、民進党は国家意識、つまり中華民国と台湾の区別や台湾
人と中国人の違いすら明確でない。尖閣諸島を台湾領と主張するの
は中国の勝手な主張を助けるだけである。

中国は台湾を領土の一部を主張しているが、尖閣諸島が台湾の一部
なら最終的に中国の一部になるのか。台湾に漁業権を与えれば中国
の漁船も侵入するだろう。日本は台湾人の政治オンチに注意すべき
である。

●台湾人の尖閣諸島に対する認識

私は1969年にアメリカの石油探鉱会社を代表して台湾の中国石油
公司の石油探鉱処にデータプロセスの一式を売り込もうとしたこと
があった。この時から尖閣諸島が中国人の垂涎の的だと知っている
ので、尖閣問題ついては一般人より詳しく知っている。

私が石油探鉱処でから聞かされた政策は、尖閣諸島は日本領だが、
中華民国がアメリカの石油会社と開発契約を結べば台湾領(中華民
国領)と認識されるという意図があった。中国はこの1971年12月に
尖閣諸島は中国の領土であると声明したが、勝手な行動はしなかっ
た。

台湾の新聞は尖閣諸島の記述は古い宜蘭県誌に出ている、だから宜
蘭県の管轄であったと主張していた。その後、私が調べたところで
は宜蘭県誌の第何号にどのような記録があったと言う新聞発表は皆
無である。つまり台湾領であるという証拠はない。

だが度重なる新聞記事は台湾人に対し、尖閣諸島は昔は台湾の宜蘭
県の管轄だったと思わせている。そして多くの人が証拠もないのに
これを信じている。

過去のことは別として、私が去年10月に台湾で会った政治家や民間
人は、尖閣諸島が台湾の領土だと言い、日本領だと答えたのは一人
だけだった。尖閣諸島が台湾の領土である証拠はないと答えたら、
みんな意外だといった顔をしていた。政治家ともあろうものが証拠
もなく台湾領だと主張するのはおかしい。

彼らは尖閣諸島が台湾領であるのか、中華民国の領土かも知らない。
ある人は昔から中国領だったと答えたが、尖閣諸島が中国の領土だ
った記録はあるかと聞いたら誰も答えられなかった。魚釣島の附近
を通ったとか、島の所在を書いた記録があったとしても中国の王朝
が領土として記載していた事実はない。

●中国の尖閣諸島と台湾の領土主張

台湾の漁船が魚釣島附近で抗議運動をしていたことで、多くの人は
蔡衍明という旺旺集団の社長が漁船の船長に金を払っていたことに
反感を持っている。資金が中国の裏金でないかという噂もある。中
国が台湾の漁船を使って日本に尖閣諸島近海の漁業権交渉を進める
ようにしているらしい。

日本が台湾(中華民国)に漁業権を与えたら中国の漁船が大挙してや
ってくるかもしれない。台湾の漁船か中国の漁船か区別をつけるこ
とが出来ないかも知れず、馬英九政権が中国漁船に漁業ライセンス
を付与する可能性もある。

中国が尖閣諸島主権を主張する原因は漁業や海底資源だけでなく、
主要目的は中国が太平洋に進出することにある。台湾統一は難しい
から、尖閣諸島の主権問題で日本と交渉を続ける策を取っていると
思える。尖閣諸島の主権問題で日本と談判を続けている間は領海侵
入も領海通過も頻繁に起きる。交渉しない方針を採るべきだ。

中国と日本の交渉が難航すれば台湾と日本の友好関係を利用して政
治オンチな野党の民進党に日本と交渉させる。民進党は台湾のため
と思いながら中国の陰謀に嵌められているのではないか。

民進党の許信良や謝長廷をはじめ、数人の幹部連中が中国を訪問し、
中国の要人と接触している。台湾を代表する政党を名乗っても民進
党内部には中国や国民党のスパイが多数いるという噂もある。民進
党の目標は中華民国の政権を取る事だが、中国に買収された党員が
いるのは間違いのないことだ。

台湾の民間人は尖閣諸島の主権が日本にあるとわかっている人は少
ない。日本の記者が台湾を訪問しても接触する人は限られていて、
接触した人の尖閣諸島認識は確かかもしれないが、彼らの意見が民
進党の幹部や民間人と同じとは限らない。台湾人の政治意識は国民
党メディアによって捻じ曲げられているから、民間人に統一した意
見はなく、正確な意見は民間に行き渡っていない。

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February 22, 2013

ミャンマー政府と少数民族との和平交渉の模様

 2月21日読売新聞朝刊にて報道されたミャンマー政府と11少数民族との和平交渉について、現地のKachin Newsが詳しく報道した。率直かつ和やかに和平交渉が進められたとのことである。
 そして、読売新聞には書かれていないものの、Kachin Newsによれば、今回の和平交渉は日本財団によるサポートとのことである。
 和平の焦点は、ミャンマー新憲法に規定されているものの、実際には少数民族の「高度な自治」というものが盛り込まれていない点について、憲法改正への協議が進むかどうかということのようである。
 


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UNFC talks with Aung Min “frank and friendly”

Thursday, 21 February 2013 09:22 Written by Kachin News Group


UNFC held a meeting in Chiang Mai in last year.
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Talks in the northern Thai city of Chiang Mai on Wednesday between representatives of a coalition of Burma's armed rebel groups Union National Federal Council (UNFC) and a team led by the Burmese government's chief peace negotiator Aung Min were “frank and friendly”, according to a joint statement issued after the meeting's conclusion. Both the UNFC delegation and the government side agreed to take part in a further series of meetings expected to be held in two months’ time.

The UNFC is a 11 member grouping consisting of most of Burma's armed ethnic rebel groups including the Kachin Independence Organization (KIO) who have been engaged in heavy fighting with Burma's military for the last 20 months. While Nai Hong Sar, general secretary of New Mon State Party (NMSP) officially led the UNFC delegation yesterday, the KIO is widely seen as the leading force in the UNFC which was formed 2 years ago.

During a brief press conference held after the meeting Aung Min suggested that tensions with the KIO had been reduced significantly over the past three weeks. "It is an indicator of the success we have achieved since we have released a joint statement on Feb. 4 and since then all the fighting has stopped. We plan a follow-up meeting in the near future," said the former general turned civilian politician. Aung Min made these comments while sitting next to the KIO’s General Secretary Dr. Lahkyen La Ja.

Despite Aung Min's optimistic outlook some fighting between the KIO and the army has continued over the past weeks and it remains uncertain how much influence Aung Min and his superior President Thein Sein actually command over the army, which did not send representatives to take part in the meeting.

The talks held at Chiang Mai's Holiday Inn hotel were financially supported by the Nippon Foundation, a conservative group often described as Japan's largest charitable organization. The group's multimillionaire chief Yohei Sasakawa, who also serves as Japan's goodwill Ambassador to Burma's ethnic people attended the meeting along with several of his aides. For many years Sasakawa, whose controversial father Ryoichi Sasakawa founded the foundation, was a leading a proponent of engagement with Burma's military regime.

February 08, 2013

タイ日教育開発・京都研修の模様

 タイ政府認可タイ日教育開発財団では、タイの少数民族の農業支援プロジェクトとして、現地での伝統工芸である麻織物の技術研修を実施しました。
 タイ国ターク県プロプラに建設予定の研修センターで、現地の人たちの指導員を養成し、世界にも通用する麻織物の製造・販売をしていこうという趣旨です。
 指導の協力をしていただいたのは、京都府宇治市の有限会社アオニの皆さんです。同社は、日本の伝統工芸でもある麻織物の製造販売をしておられます。


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熱心に指導を聞く、参加者の皆さん。


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机の上にある緑色の麻が、タイの現地で栽培される麻。
白いのは中国で栽培された麻で脱色されたもの。
タイの緑色の麻は特徴的なので、自然の色を活かした製品ができるかもしれないとのこと。


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麻から、一本一本手作業で繊維を取り出していきます。
その一本の繊維をより細くしていく技術と、均等な太さにしていくことが大切なポイントとのこと。
現地の女性たちは、農作業の合間をぬって、こうした肩の凝る作業をしています。
その糸で作られた製品は現地の人たちで使われているのですが、それを世界にも通用する麻織物にしていきたいと、彼らのモチベーションは高くなっています。


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有限会社アオニで扱われているインドの麻織物。
絹のような素晴らしい出来上がりです。
それを作れるのは、インドでもたった一人の女性だけだとのことです。


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有限会社アオニで現在使われている伝統的な麻織り機。
左は韓国のもの。右は中国のもの。同じ麻織り機でも微妙に違います。


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有限会社アオニの建物です。


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 私とのお別れの記念写真。


January 31, 2013

ミャンマー少数民族地域の旧日本兵遺骨調査で記者会見

 2013年1月31日午前、厚生労働省記者クラブにて、ミャンマー少数民族地域の旧日本兵遺骨調査について記者会見が行われた。
 下記はその模様を伝えた読売新聞の記事。

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ミャンマーの少数民族勢力地域で今月始まった日本人戦没者の遺骨調査に協力する少数民族勢力の連合組織「統一民族連邦評議会(UNFC)」のクン・オカー共同書記長が来日し、31日、厚生労働省で記者会見した。
 クン・オカー氏は、地元での言い伝えから、少数民族勢力地域には多数の旧日本兵の遺骨が残っているとの見方を示した。
 クン・オカー氏は「(第2次大戦中に)少数民族勢力地域を通って退却した日本人は多い。『村で動けなくなり、亡くなった日本人がいる』といったお年寄りの話が脈々と受け継がれている」と指摘。「遺骨を日本に帰国させようという運動に大いに共感している」と述べ、調査に全面的に協力する意向を示した。

(2013年1月31日 読売新聞)

January 30, 2013

ミャンマーの旧日本兵遺骨帰国運動の幹部が拓大を表敬訪問

 1月29日午後、ミャンマーの旧日本兵遺骨帰国運動の幹部が拓殖大学の渡辺総長を表敬訪問。
 渡辺総長の右側で茶色の服を着た方が、ミャンマーの統一民族解放機構第2書記長、パオー民族解放機構議長のMr. Hkun Okkar。
 一行は、31日に厚生労働省記者クラブにて、ミャンマーの少数民族地域に遺されたままにある45000柱にものぼる旧日本兵の御遺骨の基礎調査について報告する予定。

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 渡辺拓大総長は、本件に関して民間支援を求める呼びかけ人。

ミャンマーにおける少数民族地域の旧日本兵情報

下記は、ミャンマーにおける少数民族地域の旧日本兵情報についての、読売新聞記事。
 先月のUNFCでの会議の場でも、この記事のような情報が多く語られていた。その情報を検証していく作業が、これから少数民族の関係者によって進められていくことになる。彼らの協力に心から感謝したい。

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【バンコク=深沢淳一】ミャンマーの少数民族勢力地域での旧日本兵の遺骨調査に関し、一部勢力が支配下の集落で聞き取り調査を始めたことが28日、関係者の話でわかった。
 戦後も帰国しなかった旧日本兵が数年前まで生存していたという情報も2件寄せられたという。
 調査には計14勢力が参加し、ミャンマー政府の管轄地域以外の全地域で行う。
 このうち東部シャン州などの一部を支配するパローン州自由戦線(PSLF)、パオ民族解放機構(PNLO)、西部ラカイン州のアラカン解放党(ALP)などが予備的な聞き取り調査を開始した。
 関係者によると、PNLOとALPの支配地域でそれぞれ「旧日本兵が村で家庭を築き、数年前に亡くなった」との証言が寄せられた。各勢力は、旧日本兵の家族とされる人々への接触を試みている。
 PSLF地域では、中国国境近くの村で日本兵2人が戦死したとの証言があった。

(2013年1月29日 読売新聞)

January 15, 2013

米軍もミャンマーにおける不明米軍兵の遺骨調査へ

 下記は、ミャンマーのカチン州における不明米軍兵の遺骨調査再開の記事。
 この種の米軍の活動で、ミャンマー政府軍とKIA側との和平仲介に道筋ができればいいのだが・・・。

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ミャンマーの不明米兵…遺骨調査9年ぶり再開へ

. 【バンコク=石崎伸生】第2次大戦中にミャンマーで行方不明になった米兵の遺骨調査に向けて、米政府は21日に予備調査団をミャンマーに派遣する。
 AP通信によると、大戦中の不明米兵は現時点で約730人。両国関係の改善で、9年ぶりに調査が再開されることになった。
 米軍は当時、主に北部カチン州で参戦しており、前回2003~04年の調査では、日本軍に撃墜された米軍機の搭乗員とみられる7人の遺骨を同州で収集した。
 米政府は、軍事政権当時のミャンマーとの関係悪化で04年以降、遺骨調査を中断したが、クリントン国務長官が民政移管後の11年12月に同国を訪問した際、テイン・セイン政権に再開の協力を要請していた。米政府は予備調査に続いて、2月に約10人の調査団を最大都市ヤンゴンなどに派遣し、住民など当時の関係者から詳細な情報を集める。

(2013年1月14日 読売新聞)

ミャンマーのカチン州での戦闘が激化

 昨年末以来、カチン州へのミャンマー政府軍の攻撃が続いており、次第に激化しつつある。
 下記は、その状況についての読売新聞の報道。
  KIA側も政府軍への不信を強めているようで、よほど強力な和平に向けての仲介役が現れない限り、この状況は好転しないのではないだろうか。
 この戦闘が激化すると、他の少数民族への影響も強くなるだろう。そうすると、ミャンマー政府と他の少数民族との和平プロセスも困難な壁にぶち当たる。
 なお、本日のHerald Tribuneにも大きく報道され、「政府軍の決定は大変なリスクである」と懸念を記している。
  


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ミャンマー、カチン独立軍拠点に砲撃…3人死亡

. 【バンコク=深沢淳一】AFP通信などによると、ミャンマーの少数民族武装勢力「カチン独立軍」(KIA)が拠点を置く北部カチン州のライザ中心部に14日朝、政府軍が砲弾2発を撃ち込み、市民3人が死亡、6人が負傷した。
 政府軍は昨年12月以降、ライザから約10キロ・メートル離れたKIAの陣地にヘリなどで攻撃を続けてきたが、ライザ中心部に着弾したのは初めて。KIAとの停戦に動かないテイン・セイン政権に対して、国際社会の批判が強まる可能性がある。
 ライザの人口は約2万人とされ、KIAによると男性の約6割はKIA兵士だが、農業や隣接する中国・雲南省側と貿易業を営む一般住民も多数いる。最近の戦闘で近郊から約1万5000人がライザに逃げ込んだが、中国へ避難する動きが出ているという。

(2013年1月14日 読売新聞)

January 11, 2013

ミャンマーの少数民族の会見模様 

 本日、2013年1月10日に、タイ北部都市にて、ミャンマーの少数民族、11グループ(UNFC)とオブザーバー参加の3団体が一堂に集まって、会議と記者会見を開催しました。
 私も会議の一部と、記者会見に参加しました。
 様々な問題が議論されたようですが、記者会見ではもっぱら、現在深刻な状況になっているカチン州への政府軍の攻撃に対するUNFCの対応が中心になりました。
 少数民族間でも政府に対する意見が微妙に異なるのですが、それを何とか各派間での合意に向けて努力していくとのコメントが出されました。
 意見の相違というのは、政府軍の攻撃に対して、武力で対抗していくという姿勢と、あくまでも平和的な対話で解決していくという意見の対立のようです。
 カチン州から参加した大佐ともいろいろ議論できましたが、彼の意見では「政府は少数民族を制御するために、各派の分断工作を歴史的に続けている。現政権をなかなか信頼出来ない」というコメントをしてくれました。
 現在の深刻なカチン州と政府軍の戦闘が続けば、政府と少数民族各派との和平プロセスも壊れてしまいかねません。それは、彼らにとって重要な問題であるとともに、東アジアにおいて日本が経済的にも政治的にもプレゼンスを発揮しようとしている最中において、冷や水をかけられることになりかねません。
 日本では、ミャンマーの現政権とアウンサンスーチー氏との和解が進んだことで、ミャンマーの国内が民主化に進んでいくという見方が主流だと思います。しかし、こと、少数民族に対するミャンマー政府の対応は、表向きの和平工作とは別に、少数民族を武力で制御しようという姿勢が強く出されており、そう簡単に国内の民主化の進展を期待できない模様です。
 日本もミャンマーの少数民族の動向に、もっと関心を持ったほうがよいと思います。

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January 10, 2013

チェンマイの旧日本軍人墓地をお参り

 タイのチェンマイには第二次世界大戦時に、タイにて戦死した旧日本軍人をお祀りするムーンサーン寺院があります。
 今日は、その寺院を在タイの友人たちとお参りしました。
 読経されているのは、法華宗僧侶の林考瑞さんです。
 博物館になっていますが、中に入るためには、寺院の人に鍵を開けていただく必要があります。
 もしお参りされるときには、いつもその人がいるわけではないので、ご注意ください。

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January 08, 2013

ナレースワン大学での講義

 本日(2013年1月8日)に、恒例になったタイのピサヌロク市にあるタイ国立ナレースワン大学大学院日本語研究科で講義をしました。
 昨年も同様に講義をしましたが、今回の講義のテーマは「東アジア共同体」についてでした。
 その後には、院生による研究発表と討論をしました。
 朝9時から、夕方の5時までというハードな時間でしたが、院生の皆さんの面白い日本研究を聞いて、とても嬉しく感じました。院生の皆さんはとても日本語が上手で、感心しました。
 特に印象に残った院生の研究テーマでは、「山田長政研究」と「美空ひばり研究」でした。うまく研究できるかどうかは別にしても、面白い研究テーマに取り組んでいることに、とても感心しました。
 ナレースワン大学では、日本との関係をもっと深くしていきたいという希望があるとのことです。研究者のみならず、企業家、行政関係者、NPOなど、もしタイとピサヌロクに関心を持っている方は、ぜひ、ナレースワン大学の日本語研究科と連絡を取り合っていただければ、とてもよい日タイ関係が作れていけると思います。


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January 02, 2013

ミャンマーにおける日本人戦没者の遺骨分布調査が始まる

下記の読売新聞記事が、元旦の一面に掲載された。
 記事中にある「タイ日教育開発財団」が、日本でNPO法人化を進めている「タイ日教育開発」の兄弟団体。
 日本に先行してタイにて法人化したもの。
 これで戦後すでに70年近くなろうとしている現在でもミャンマーの山岳地帯に残されたままにある、旧日本軍人の御遺骨の収容がようやく始まることになる。まだまだミャンマーの中央政府と少数民族の間の和解が完全とは言えない中で、こうした事業を着実に進めていくことで、和解と平和構築ができあがっていくことを期待したい。

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2013年1月1日読売新聞
【バンコク=深沢淳一】第2次大戦中のインパール作戦などにより多くの日本兵が戦死したミャンマー(旧ビルマ)で1月上旬、14の少数民族武装勢力が支配する全地域を対象とした日本人戦没者の遺骨分布調査が始まる。
 同国の民主化と並行して、60年以上内戦を続けた政府軍と各勢力の停戦が進み、これまでは極めて難しかった同地域での全面調査が可能になった。同国にはなお推定4万5000柱以上の日本軍人や軍属の遺骨が残るとみられ、厚生労働省は有力情報が得られ次第、遺骨収集に乗り出す方針だ。
 調査は、武装勢力地域で農業、教育などの民生支援を昨年から手がける「タイ日教育開発財団」(本部・タイ北部チェンマイ)と、11武装勢力の連合組織である統一民族連邦評議会(UNFC)、さらにUNFC未加盟の3勢力が共同で行い、日本の支援団体が資金面などで協力する。同財団とUNFCは12月中旬、調査協力の覚書を交わした。


December 22, 2012

スペイン カタルーニャ州における独立派の動き

 下記は、ロイター発、11月25日の記事。バスク州と並んで、カタルーニャ州でもスペインからの独立志向が強まっている。
 今後、欧州各地での分離独立の運動が強まっていくような気配である。

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[バルセロナ(スペイン) 25日 ロイター]

 25日投票のスペイン・カタルーニャ州議会選(定数:135)は、開票率50%の段階で、スペインからの独立を主張する4政党が過半数を占める見通しとなった。しかし、事前の世論調査とは異なり、独立派で議会第1党の「カタルーニャ集中と統一(CiU)」は議席を減らす公算で、同党が目指す独立の是非を問う住民投票が実施されるかどうか微妙だ。
開票率50%時点は、CiUの獲得議席は48議席。改選前の62議席を大きく下回っている。
独立派では、左派共和党(ERC)が20議席、その他少数政党が16議席を獲得し、CiUと合計して全体の60%を確保した。
世論調査では、CiUが改選前の62議席を維持し、独立派4党で3分の2以上の議席を獲得すると予想されていた。
投票率は68%で、2年前の前回選挙より10%ポイント高くなった。
カタルーニャ州は、デンマークより多い人口とポルトガル並みの経済規模、独自の言語を持ち、バスク州と同様、独立意識が高い。
CiUに所属するマス州首相は、財政危機に陥ったスペインからの独立の是非を問う住民投票を実施すると公約。
アナリストは、3分の2の議席を確保しなければ、憲法や中央政府を無視して住民投票を実施するのは困難との見方を示していた。
スペインでは、各州が納める税収を中央政府が再配分しているが、カタルーニャ州の場合、州内総生産の約8%相当が還元されていないとの試算がある。ラホイ首相が税制見直しをめぐる交渉に応じようとしないことに対する不満が強い。

November 27, 2012

スペインにおける少数民族の独立の気運

 スペインにおけるバスク州やカタルーニャ州といった、少数民族自治州の独立の気運が高まっている。
 下記は、スペインにおいて実施されたカタルーニャ州議会議員選挙の結果についての読売新聞の記事。
 カタルーニャ州は、その西部にあるバスク州と同様に、スペインの少数民族による自治州である。両州とも経済的には裕福で、財政破綻寸前のスペインにとどまることより、自州の経済的利益を確保するために独立しようとする機運が高まっている。もちろん、経済的利益の確保のためのみならず、彼らにとっての「独立」は長年の悲願でもある。
 両州の今後の動き次第で、欧州における少数民族(必ずしも少数ではないものの)の「独立」が加速するかもしれない。独立への熱い思いは、英国のイングランド、ベルギーの北部オランダ語圏といった、メジャーな国にも及んでいる。EUという巨大な超国家が行き詰っている時に、逆に少数民族の独立が活性化しているということである。
 日本のような「大阪都」といった話とは別次元の、もっと大きな地方自治の動きである。今後の推移が注目される。


【バルセロナ(スペイン東部)=三井美奈】スペイン17自治州で経済規模が最大のカタルーニャ州の議会選(定数135)が25日行われ、州の独立を支持する勢力が過半数を占めた。
 開票結果によると、アルトゥール・マス州首相が率いる独立支持派「集中と統一(CiU)」(改選前62議席)は50議席と大きく退潮しながら、第1党を維持。急進独立派のカタルーニャ左翼共和党(同10議席)が21議席で第2党に躍り出た。
 一方、中央政府のラホイ首相が率いる国民党(同18議席)は19議席を獲得。第2党だった社会労働党系のカタルーニャ社会党(同28議席)は20議席に後退した。
 マス氏は「独立を問う住民投票の実施」を公約。選挙では、住民投票を支持する4党で合計87議席を占めたが、マス氏は同日夜、「単独過半数の目標には程遠い結果となった。今後の政策を考える時間が必要」と述べ、投票について明言を避けた。

(2012年11月26日11時10分 読売新聞)

November 11, 2012

ミャンマーの少数民族による自治に向けて

 永く軍事政権が続いたミャンマーにおいて、アウンサンスーチー氏の「解放」に象徴されるように、国内の民主化と少数民族との和解のプロセスに入った。この民主化と和解のプロセスには当初は疑念の声、すなわち軍事政権によるポーズだけではないのかという見方が強かった。しかし、一連の動きを見れば、ポーズではなく、ミャンマーなりの方法論とペースで、国内の民主化と少数民族との和解を進めていることが判る。

 さて、ミャンマーの少数民族の問題は、私たち日本人からみると、実に複雑であり、理解が容易ではない。少数民族の実情を、本稿のわずかな字数で記すことは困難だが、かいつまんで説明しておこう。
 ミャンマーの少数民族の特徴は、多様性である。政府の統計によれば、少数民族は国内に135ほど存在していることになっている。しかし、一つの少数民族でも言語、宗教などに多様性があり、歴史的経過が複雑なことからさらに細分化されていく。果たしていくつの少数民族が存在するのかは、まだ学術的な研究が十分にされていないのではっきりと判らない。

 少数民族とミャンマー政府との間の紛争はよく知られていることだ。だが、日本ではその紛争はミャンマー政府対共産ゲリラの戦いであるかのように認識されていた。つまり、「少数民族=共産ゲリラ」の構造である。共産ゲリラが中国の支援を受けてミャンマー政府軍と戦っていたのは歴史的事実だが、それは一部の少数民族であり、しかも中国の「心変わり」によって、いまやほとんどその姿を消している。
一方で、少数民族間の紛争というものは、あまり知られていない。歴史的な複雑性から、ミャンマーの少数民族間の紛争の歴史は長い。近代以前には彼らは「首狩り族」と呼ばれていたように、同じ少数民族間でも、村落が隣接していると互いの権益を巡る争いから、「首狩り」を行っていたぐらいである。その少数民族間の対立構造は、現在でも残っている。

 ミャンマーの少数民族が暮らす地域は、山岳地帯であり、道路などの交通網も十分に整備されていない。未開とまでは言えないまでも、昔ながらの生活を続けており、近代文明の恩恵(それが善いか悪いかは別の議論だが)を受けていない地域である。
 加えて、地政学的な背景から、中国からの政治的、経済的影響が強い。少数民族にとっては中国からの政治的圧力をかわしながら、中国との経済的共存を図るという難しい政治的判断が常に求められてきた。
 そして、彼らの軍事費の原資は主にアヘンや宝石であった。国連による麻薬撲滅活動によって、徐々にケシ栽培から他の農産物への転作が行われているのだが、アヘンは彼らの生活に不可欠な医薬品でもあるため、簡単には転作できない。だから、他の農作物への転作と流通・販売をいかに進めていくかという問題は、少数民族が自治を形成するための原資の確保という観点からも、非常に重要な課題である。

 以上のような環境の中で、ミャンマー政府と少数民族との和解の進展により、少数民族の高度な自治をどのように進めていくか、という重要な課題が表れているのである。
 政府も少数民族も高度な自治というものは未経験である。少数民族の行政も基本的には軍政であるから、軍政から民政へと転換を図るとしても、未体験ゾーンである。あまり適切な表現ではないだろうが、彼らの社会は原始共産制にも近いもので、村落単位で互いに助け合い、そして農作物などの生産物を平等に再配分して生活する非近代的社会である。非近代的社会に、いきなり高度な近代的自治というものを持ち込むことは、彼らにとっても戸惑うことだ。
 高度な自治を形成するためには、行政機構、官僚機構、税制度、警察機構、教育、保健・福祉といった基本的な自治制度作りが必要であり、何よりも住民意思の調達と行政機構の制御のための議会をどのように作っていくか、という難しい問題がある。行政機構は軍政のものを徐々に衣替えしていくことはできるとしても、議会は簡単ではない。選挙制度一つにしても、山岳地帯で村落が分断されている地域で、そう簡単に選挙がスムーズに実施されるとは思えない。何よりも、住民が選挙によって自分たちの政治的代表を選出するという意味も、最初から十分に彼らに理解されるとは思えない。
 したがって、ミャンマーが民主化と和解のプロセスに入ったとしても、少数民族の高度な自治の実現を、短編急に進めていってはならない。彼らのペースに合わせて、徐々に進めていくことが大切である。そして、最初に行うべき事業は、小学校・中学校といった初等教育制度の整備と、保健衛生事業を各地の村落に展開していくことだろう。
 それらが整備されていくと同時に、行政機構の整備が進んでいくであろう。そして、自分たちの代表を自分たちで選ぶことの意義や重要性への認識が彼らの中に浸透してくことによって、議会制度ができていくだろう。
 つまり、西欧合理主義的に自治とはまず議会を作ることである、といった観点からではなく、地域の伝統や文化との整合性を持たせた自治制度を検討してくことである。まずは自治の環境づくりを始めてから、自治制度についての認識をもたせていくことだろう。
 
 こうした少数民族の高度な自治の形成のために、日本がどのように支援すべきだろうか。日本はこれまで民間レベルでかろうじて少数民族への「支援」を行っていたのが実態である。ミャンマー政府との関係性もあるし、また、もともと山岳地帯での武装闘争地域であるから、「支援」も容易なことではない。しかし、和解のプロセスに入った今、日本側は政府も民間も、彼らの高度な自治の形成のための支援を惜しむべき時期ではない。むしろ、他国に先駆けて、彼らへの支援を進めることが必要である。
 そして、その支援とは食料や医薬品といった物資の供給だけではなく、彼らが高度な自治を形成していくための人的、学術的、技術的支援を惜しむべきではない。彼らの伝統的な生活・文化を損なわないように、彼らのペースに合わせながらも、彼らを高度な自治へと導くための支援である。それは生活物資の供給と合わせて、気の遠くなるような作業だが、それが最も彼らに必要な支援であろう。
 そして、なによりも日本にとっての少数民族支援の意義を再確認することが大切である。それは、少数民族の地域が、地政学的に中国とミャンマー、タイとの中間点にあることである。今日における中国の「覇権拡大」を、ミャンマーを含めた東アジア全域で対処していくことの政治的意義は実に大きいのである。


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本稿は公益財団法人富士社会教育センター刊の『自治レポート』、第38号(2012年)に寄稿したものを、一部修正したものである。

November 10, 2012

少数民族と自治

 少数民族の自治について、日本国内ではさほど深刻に考えられることはない。だが、世界に目を転じると、少数民族の自治というのは、その国にとっては深刻な政治問題である。アジアでも、中国、台湾、フィリピン、タイそしてミャンマーなどの国々では、現在でも少数民族の自治について頭を痛めていることに変わりはない。
 この少数民族の自治とは、近代以降の国民国家の生成と発展の経過と無縁ではない。むしろ、少数民族の自治とは、近代における国民国家を形成しようとする大きなうねりの中に生まれた、最もやっかいな政治問題の一つなのである。

 国民国家とは近代以降の領土をめぐる諸国家間の抗争すなわち国境の確定による国家の組織化と、民族自決という二つの大きな流れで生まれてきた。多数民族が国民国家を形成しようとすれば、その領域に内在していた少数民族はその抵抗勢力になったのである。
 近代化にまい進した民主的な先進諸国は、国内に内在している少数民族を上手く民主的な枠組みの中に組み込むことに成功した。同化政策としての批判はあるにしても、国内での政治問題化は沈静したのだった。それは米国を例に見れば理解できよう。
 だが、民主化に後れをとった、あるいは失敗した諸国における国民国家は、少数民族を民主的な枠組みの中に組み込むことに失敗したのであった。中国がその端的な例である。国民国家に民主的な枠組みが無ければ、少数民族を民主的な枠組みに組み込むことは、土台無理な話である。そのため、武力を使った少数民族の抑圧しか方法はなかった。

 このように、近代以降の国民国家の形成という大きな動きの中で、諸国家は少数民族の組み込みに腐心したのであった。それが少数民族の自治という言葉で表された。もちろん、中国の例を見ても、少数民族による自治とは表向きの看板だけであって、中央あるいは多数派、中国でいえば、共産党と華人が自治政府を制御していることに変わりはない。そのため、数や政治力で劣位に立たされる少数民族の側は、その支配構造に甘んじるか、それとも民族の自決あるいは高度な自治の獲得を目指して抗争するか、という選択しか残されないのである。
 この多数派によって少数民族が支配される構造も、少数民族が多数派に抗争する構造も、互いの利益にはならない。だから、両者が国民国家の枠の中で平和共存することが望ましい。そして、そのための必要不可欠な条件は、国民国家が自由で民主的な政治体制を維持していることである。現在において少数民族問題に悩んでいる諸国家を見れば、多くが権威主義的かつ中央集権的であり、さらに腐敗の構造を引きずっているために、両者が平和共存できるような環境に至っていないのである。

 たとえ、世界が経済的、社会的にグローバル化しても、国民国家を再組織化、再秩序化していこうという政治的動きはグローバル化に対抗するようにして強まっている。この国民国家の再編成というのは、遠い将来についての予想は不可能だが、当面の間は続いていくことだろう。したがって、国民国家の中に組み込まれている少数民族の自治という問題は、国民国家の再組織化と再秩序化という動きで決まっていくことになる。
その国民国家の再編成は、中国のように国内的な抑圧的方向への動きと、民主化の動きという二つの方向性がある。後者の端的な例がミャンマーということになる。
 ミャンマーは1948年の英国からの独立以降、国民国家の形成と少数民族の問題に頭を痛めてきた。国民国家の形成のためには、軍事政権による中央集権的かつ権威主義的な組織化を必要とした。だが、そのために自由化と民主化が犠牲となり、少数民族との政治的、軍事的軋轢を繰り返していたのであった。そのミャンマーも軍事政権による国民国家の再編成に一定の決着を見た段階となったことから、少数民族との和解と民主化のプロセスにようやく入ってきたのであった。

 国民国家に内在する少数民族の問題は、国民国家の民主化というプロセスがない限り、頭の痛い政治問題として続いていく。非民主的な国民国家においては、少数民族の自治とは常に紛争要因なのである。ただ、逆に見れば、非民主的な国民国家において少数民族の高度な自治を実現させていくことは、非民主的な国民国家の民主化を促進するという重要な意味を持つことになるのである。
 したがって、民主的な国民国家群が、こうした非民主的国民国家における少数民族の自治を促進させていくことで、国民国家の民主化を促すという重要な役割を果たすことになる。もちろん、国内政治への介入は内政干渉による主権侵害として当事国政府が拒否することは目に見えている。しかしながら、そこが工夫のしどころである。他国が非民主的国民国家の内政に手を突っ込むことを避けることは賢明ではあるものの、それでは何も変わらない。だが、非民主的国民国家に組み込まれている少数民族へ人道的支援を行うことと、非民主的国民国家の政府側と少数民族側との和解と民主化のプロセスに介入することは可能である。それは、内政干渉でも主権侵害でもなんでもない。つまり、よく言われる「民主主義の介入」の一つの手法である。
 そこに、少数民族の非民主的国民国家における高度な自治を実現させていくことの重要な二つの戦略的意味が表れる。一つは、少数民族による自治を実現させていくことで国内の紛争要因を軽減させていくこと。そして、二つは、少数民族の自治を実現させていくプロセスで、非民主的国民国家の民主化のプロセスを促進していくということである。

 このように、少数民族の自治の問題を扱うことは、国民国家を民主的にしていくための有効なツールであり、民主化のバロメーターとなる。中国のように権威主義的かつ全体主義的政治体制を維持している非民主的国民国家では、国内の少数民族の「高度な自治」はなく、自治とは名ばかりのものである。そして、ミャンマーがこれから取り組むように、少数民族の「高度な自治」が達成できれば、国民国家の民主化が本物であることの証明になるのである。

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本稿は『自治レポート』、公益財団法人富士社会教育センター、第38号、2012年に寄稿したもので、一部修正を加えた。

November 09, 2012

ミャンマーのロヒンギャ族

朝日新聞 2012年11月8日 報道

ロヒンギャ族の船沈没 バングラデシュ沖、50人不明

 バングラデシュ南東部のテクナフ沖のベンガル湾で7日、ミャンマー国境付近からマレーシアに向かっていた多数のイスラム教徒のロヒンギャ族らを乗せた船が沈没した。ロイター通信によると、バングラデシュの国境警備隊などが約70人を救出したが、残りの約50人が行方不明。ミャンマーでは、仏教徒との衝突で多数の死傷者が出たロヒンギャ族が国外に逃げる動きが続いており、こうした人々が乗船していたとみられている。
 ベンガル湾では10月28日にも、ロヒンギャ族ら約130人を乗せた船が沈没し、大半が行方不明になっている。

<コメント>
 最低でも80万にのぼるとされるミャンマー西部のラハイン州に住むイスラム教徒のロヒンギャ族は、ミャンマー国内ではバングラディシュからの経済的難民と認識されている。そのため、少数民族の自治という観点からは、ミャンマー国内ではそれを認めようとしない意見が強い。
 この問題は、ミャンマー国内でも政治問題化する火種ともなっており、ミャンマー政府が対応を誤ると、他の少数民族との和解のプロセスにも障害を与えかねない深刻な問題である。

November 07, 2012

ブログを全面的に改訂します

長らくお休みしていたこのブログですが、全面的に改訂して、再スタートいたします。
改訂の趣旨は、私の研究と私が関わるNGO活動についての情報発信の場とすることです。

研究活動

 アジア諸国の民主化と地方自治に関する研究と情報を記載していきます。
 おもに、ミャンマー、タイ、韓国、台湾そして北朝鮮が当面の研究領域となります。
 その研究を進める「アジア地方政治社会研究会」(仮称)の発表の場とします。
 メンバーは、拓殖大学の教員や他大学の教員、アジア地域のNGOメンバーなどです。

NGO活動

 おもにミャンマーに関わるNGO活動についての情報発信の場とします。
 そのNGO活動は、すでにタイにて政府認可を得ている「タイ日教育開発財団」の兄弟組織であり、日本でNPO法人として設立を目指す「タイ日教育開発」を中心に展開していきます。近々、日本で法人化する予定で、現在、手続き中です。
 タイ日教育開発の主な活動は次のようなものです。

1. タイ人と日本人の間に生まれた児童の教育支援
2. ミャンマーの少数民族地域における農業支援と就労支援
3. ミャンマーの少数民族の児童の教育支援
4. ミャンマーの少数民族地域における旧日本軍人の遺骨収集

以上の事業を、タイにおいて先行している「タイ政府認可タイ日教育開発財団」とともに進めていく予定です。

 中心メンバー
 理事長   眞鍋貞樹
 副理事長 海老原智治
 副理事長 井本勝幸
 事務局長 中本稔

 タイ人と日本人の間に生まれた児童への教育支援については、2年間の実績があります。児童が再会を望む日本人の父親との面会や、連絡の橋渡しなどの活動を展開しています。
 そして、ミャンマーの少数民族間での和解のプロセスを進めた井本勝幸副理事長を中心として、ミャンマーの少数民族地域に5か所の農園を設立しています。これから、具体的に農産物の生産と流通、そして少数民族の人たちに農業技術を身につけてもらうための就労支援事業を展開していきます。
 ミャンマーの少数民族地域における旧日本軍人の遺骨収集は、戦後からこれまでまったく手つかずのままでした。ミャンマー政府と少数民族との間の紛争がその原因です。両者の和解が進んでいることから、こうした日本にとって大切な戦後処理を進めていくことができそうな段階になっています。 遺骨収集には政府間の協議が不可欠ですが、私たちとしては、どの地域にどれだけの御遺体が埋葬されているかの、基礎調査を担当する予定です。

これから、こうした研究と活動についての発表の場としていきます。

 
 
 

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