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January 13, 2005

地方自治とは何か 3

「市民」とは何か


 地方自治を語る時、「市民」という言葉は非常に重要である。ところが、「市民」とは何か、ということになると混乱をきたすのだ。市民自治あるいは市民参加を主張する革新的立場からは、市民こそが地域の主役であるから、市民が地域行政を直接担う主体でなければならない、と説く。保守派からは、こうした市民を権利ばかり主張する胡散臭いものとして冷ややかに眺める。また、官僚の立場からは、市民とは○○市に居住する者として、統治の対象あるいは行政サービスの受益者としてしか見ない。こうした市民の定義を巡っての混乱は、日本の地方自治の発展にとって障害となっている。日本を地方分権型国家に転換させていく上で、「市民」とは何かという問題を避けては通れないのである。そこで、今回は「市民とは何か」を考えてみたい。

「市民」の定義

 「市民」(citizen)という言葉が実態的な意味を持つようになったのはギリシャ時代を除けば18世紀のフランス革命と言って良い。もちろん、それまでも「都市」(city;cité)に居住する者が「市民」と呼ばれていた。しかし、フランス革命において、ただ都市の住民という意味だけではなく、都市を王権の支配から独立させようとした住民がシティズンと呼ばれるに至った。このように「市民」を定義したのがルソーである。ルソーは、その著『社会契約論』において、「市民とは他人を守るため生命を投げ出さねばならない」とさえ言い切っている。ルソーに従えば、個人の自由な意思に基づいて、自らが国家という共同体を構成する一員となり、国家を守ることに命を捧げる存在が「市民」なのである。ルソーの言う社会契約とは、諸個人が自由で平等的な関係に基づいて、国家を共同して担おうとする「血の盟約」である。この過激な共和主義に基づいて、フランス革命が進められ、「市民」の手による多くの騒乱と血の粛清によって成立したのがフランス型民主主義だと言えよう。
 フランス型の「市民革命」を経ていない日本の歴史では、ルソーの言うような王権からの脱却を目指した共和主義的市民という意味での「市民」の存在は見当たらない。強いて言えば、共産党などのプロパガンダにおける「主役としての市民」というものになるかもしれない。しかし、こうしたプロパガンダによる「市民」とは、自らの命を国家のために捧げようとするものではない。実際、日本共産党や市民派などが標榜する「市民」とは、税金を滞納しても自己の権利を主張する「私民」である。ましてや、彼らは、命を張ってでも国家を守ろうとする気概を持つ者が「市民」である、というような指摘は一切しない。彼らの標榜する「市民」とは、「市民」の重要性を隠蔽する偽りの「市民」なのである。

日本の地方自治と「市民」

 一方、現在の保守派の論客である佐伯啓思などは、こうしたルソー流の共和主義的あるいは共産主義的な立場からの定義に基づく「市民」の両方を忌避し、日本の伝統文化を検討する中から「市民」の再定義を試みている。それは、「公に身を尽くす存在としての個人」である。戦後民主主義に派生した個人の権利のみを追及する「私民」ではなく、「祖国のために死ぬ存在=公民」としての市民である。こうした定義からすれば、日本の近代化の歴史上、多くの「公民=市民」が存在したことになる。明治維新以降の封建制度の崩壊は、個人の自由意志に基づいて公に身を尽くす存在としての「公民=市民」を確実に育ててきたからである。
 ところが、明治以降は、「公」とは「国家」のみを意味し、地方自治という場所にも公があることが忘れ去られてしまった(前述の佐伯啓思は依然として公を国家としてのみとらえている。ルソーの定義には、国家の中に都市という自治体が含まれていることに留意すべきである)。中央集権的な国家こそが近代的国家であるとされ、富国強兵政策がそれに輪をかけたのであった。その結果、江戸期における地方自治の萌芽(堺などがその例)は摘み取られてしまい、第二次世界大戦後まで地方自治が語られることはほとんど無かったのであった。
 こうした日本の近代史を振り返ったとき、日本の地方自治という「公」を担う主体であるはずの「市民」が育たなかったことが、日本の地方自治の未成熟さを如実に表している。ルソー流の地方自治の理想は、自由で平等的関係にある諸個人としての「市民」が、自ら主体的に、自律・自立し、地域の「公」を担っていくことを前提としているが、日本にはそうした意味の「市民」は名実ともに忘れ去られたのであった。せいぜい納税者と有権者、そしてサービスの受給者という意味での「市民」にとどまったのであった。

終わりに

 今日、地方分権型国家への再生が大きな課題となっている。ところが、地方分権を担う肝心の「市民」の意義が混乱している。反面、地方分権型国家という理想は、国家の効率的な行・財政運営の実現のためという論理に刷り変えられてしまっている。これでは、いくら制度や法律が地方分権型になったとしても、所詮は中央政府によって制御される地方自治にとどまってしまう。自律・自立し、公に尽くす者という意味での「市民」によって担われる地方分権型国家でなければ、日本の地方自治は幻想のままに終わってしまうのだ。

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