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1 post from July 2005

July 04, 2005

地方自治とマニュフェスト

 マニュフェストという英語で示されると何もかも新しい印象を与える。日本語で「政策綱領」としておけば良いものだ。日本語で示せば当たり前のことで特段目新しいものではない。マニュフェストでも政策綱領でも、要は、選挙戦に立候補した際の「選挙公約」だ。では、これまでの選挙公約と異なるのは何だろうか。それは、政策の実現可能性が求められること、策定プロセスが重要であること、そして事後に評価が加えられることだ。

英国で始められたマニュフェスト

英国で始められたマニュフェストは、与野党問わず政権をとったときに具体的に実現させるべき政策目標のことを言う。したがって、具体的な数値目標(例えば、保育園を何年度までにいくつ作る)といったものが盛り込まれている。日本の候補者が示す曖昧な選挙公約、例えば、緑豊かな安らぎの街を作ります、といったものとこの点が全く異なる。税金を削減するなら具体的にどの税金で何パーセント削減するのか、そして緑を豊かにするためには、具体的に何年間で何本の樹を植え、公園を何箇所増やすのか、といった具合だ。
その具体的な数値目標は、単に候補者とその取り巻きだけで策定するのとも異なる。英国の国会議員選挙の場合、党大会でマニュフェストが採択されるが、それまでのプロセスは極めて長い。地方党支部の段階から議論を積み上げ、最終的に党の中央大会で決定される。つまり、政権を取ったときに具体的に実行される政策が、全国的な議論を経て決定されるのだ。日本の自民党や民主党などでもマニュフェストばやりだが、どちらの政党も、中央にある政策部署で作成・決定し、それをあたかも全党的な議論を経た政策のように謳っているのとは全く策定プロセスが異なる。
さらに、政権を取ったときに実現が義務付けられる政策目標であるから、その政策が政権奪取後に評価に曝される。具体的な数値目標として政策に掲げられるのだから、極めて判りやすい。客観的かつ第三者的に政権の政策が評価されるわけだ。もちろん、政策評価の方法論や判断基準は未発達の分野であるが、経験的な積み重ねによってそれらが逐次整備されていくことになるだろう。

日本の地方自治体選挙でもマニュフェストを

さて、こうしたマニュフェストだが、日本の地方自治体選挙でも今後広く取り上げられることになるだろう。いずれの候補者もマニュフェストを何らかの形で作っていくことが求められるだろう。その際に、上記の三つのポイントをはずして、単純に今までの「選挙公約」の焼き直しに終わったのではほとんど意味をなさない。
難しいのは、首長の場合は政策の執行権があるので、そうしたマニュフェストが馴染みやすい。しかし、日本の地方議員の場合には、執行権を持たないのであるから、自分のマニュフェストにどれだけの実現可能性があるかを判断しにくい。野党議員の場合にはなおさらだ。具体的な数値目標を掲げれば掲げるほど、自分で自分の首を縛りかねない。事後の政策評価ではほとんど評価されない場合もありえるからだ。また、策定プロセスに関しても、結局のところ、個々の議員の場合には候補者とその周辺で議論して、マニュフェストという「かたち」を借りて発表するということになりかねない。
このような問題があるにせよ、選挙自体を、「地盤、看板、カバン」に頼るものから、「政策本位」のものにしていくためには、マニュフェストをどのような「かたち」にせよ、各候補者が策定して発表し、有権者の批判に曝すことは大切なことだ。これまでも当たり前のように作られていた「選挙公約」に、より具体性を持たせ、かつより多くの有権者との討論の機会を持った上で、最終的なマニュフェストとして纏め上げていくことが良い。そして、大切なことは、任期が終了する際に、そのマニュフェストを多くの有権者に「評価」してもらうことだろう。その批判に答えて、新たなマニュフェストを次期の選挙に作り上げていく、という循環性を持たせていくことが理想的なマニュフェストだ。このプロセスは当たり前のことだが、その当たり前のことが欠落してきたのが日本の選挙だ。それを少しでも改善していく方向に結びつけてもらいたいものだ。

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