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31 posts from June 2007

June 30, 2007

北朝鮮の核施設閉鎖

 ハイノネン氏を団長とするIAEAの調査団が、28日から30日の日程で北朝鮮を訪問した。同氏は、「具体的な各施設停止・封印の作業は六カ国協議に委ねられる」という見解を示したと本日の読売新聞夕刊が報じている。
 今回の訪問は、寧辺だけだったようだが、北朝鮮の核施設は、寧辺以外にも数多くある。さらに、秘密施設や地下施設等を加えると実態は不明だ。この点は、恵谷治氏の著書に詳しいので、そちらに譲りたい。
 6月25日、中央日報にそれらが記述されている。

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2007.6. 25 中央日報

 ヒル次官補も述べているように、核施設閉鎖をめぐる双方の隔たりはそれほど大きくないものと見られる。閉鎖対象は、94年のジュネーブ枠組み合意当時に凍結した5の核施設のうち、寧辺の4カ所が含まれる見込みだ。また、寧辺核施設にある使い済み核燃料を保存中の水槽も含まれるものとされる。敷地を工事中だった泰川(テチョン)の原子炉(200メガワット)は除かれる模様だ。
外交通商部当局者は「核物質がこれ以上生産されないよう遮断するとのレベルから、寧辺の5の施設は必ず閉鎖されるべき」と強調した。この当局者は、封印対象となる施設・装備がジュネーブ枠組み合意当時とほぼ同じ規模の800個にのぼるだろう、と見込んだ。監視カメラは約20カ所に設けられるものとされる。
しかし、韓国軍当局が把握している同位元素生産研究所と3カ所の廃棄物施設は、未申告の施設であることから、閉鎖の範囲をめぐってIAEAと北朝鮮側が対立することも考えられる。IAEA代表団が今回寧辺の核団地を視察するかどうかも注目される。

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 ここの記述の中にある泰川の原子炉について、恵谷治氏の調査によれば、近くの地下にトンネルがあり秘密の核施設が存在するという。北朝鮮の未申告の核施設が一体どこに、どれだけあるのかは、まだ全貌は解明されていないのである。
 さて、問題は今回の北朝鮮側の「軟化」は、バンコ・デルタ・アジアの凍結資金が北朝鮮に渡ったことを受けてのことだと報道されていることである。しかし、それだけではないことにも留意しておくべきだろう。
 今回、北朝鮮が「軟化」した最大の要因は、寧辺をはじめとする明らかにされている核施設は老朽化し、北朝鮮にとってそれらが停止・封印されたとしても、痛くも痒くもないということだろう。それらを表向きの交渉事項に挙げておいて、関係国から追加支援をもぎ取ることが「軟化」の目的である。そして、裏では地下に存在する秘密の核施設の温存を図るのである。
 気になるのは、こうしたことを重々承知しているはずの米国をはじめとする関係国が、このIAEAの調査を受けて、再び北朝鮮に対する姿勢を「軟化」させていることである。 一昨日の「金正日の拉致調査指令」に対する麻生外務大臣の見解をみても、日本政府も「調査」ということで「軟化」していく可能性を示唆している。
 どうも、六カ国協議という場所は、各国とも表向きは核開発で「強硬」な姿勢を見せながら、裏では北朝鮮金正日政権を延命させていくことに力を注いでいるように見える。一連の動きを眺めると、表には出ていない何かがあるような気がしてならない。それは、どうも中国政府の北朝鮮政策、すなわち北朝鮮金正日政権の「自然死待ち」と、「ターミナル・ケア」が反映しているような気がする。

北朝鮮向け短波ラジオ放送

政府の「ふるさとの風」は1億3000万円。民間の「しおかぜ」は1000万円

 政府による北朝鮮向け短波ラジオ放送「ふるさとの風」が、7月9日から始まる。
 ラジオ放送自体は大いに結構である。どんどんやってもらいたい。
 詳細を政府は全く公開していないので、曖昧だが、年間予算は1億3000万円ぐらいで、毎日1時間、そして内容は「政府認定の拉致被害者」の情報発信とのことである。
 ここで、疑問がわく。
 なぜ、1億3000万円もの巨費がかかるのか?
 なぜ、情報発信だけで、情報収集に活かそうとしないのか?
 そして、一番大切なことは、なぜ「政府認定の拉致被害者」だけの情報発信なのか?
 放送内容は、特定失踪者問題調査会の短波ラジオ放送「しおかぜ」と変わりはないようである。つまり、拉致被害者家族のメッセージとニュースである。放送言語も、日本語、英語、ハングルのようである。使用するラジオ放送局は、「しおかぜ」と同じ英国の会社である。
 ところが、それにはいわゆる「特定失踪者」の問題も「特定失踪者のご家族のメッセージ」は含まれないとのことである。
 本当にこれで良いのだろうか。
 民間の「しおかぜ」は、諸経費込みで年間1000万円程度である。録音・編集は、調査会の村尾理事一人の手作業である。外国語のアナウンスや翻訳は、全てボランティアである。方や、政府の方は、社団法人海外広報協会に委託させて、またそこがどこかの会社に編集などを孫請けさせて、録音、アナウンス(多分プロ?)、翻訳をやるのだろう。経費がその分かかるとしても1億3000万円もかかるものだろうか。
 先に政府が実施した、日本国内向けのテレビコマーシャルにもほぼ同額の予算が使われた。内容は、横田さんの家族らしき人物たちが海岸に表れて、後ろから黒い影がでてくる、というものである。15秒ぐらいだったか。それを2週間全国のテレビ会社が配信した。
 効果はどうだっのか。私は全く目にすることはなかった。色んな人に聞いてみたが「そういえばそんなのあったな。でも私は見ていない」あるいは「一度見たけれど、あれ?という感じだった」で終わりである。
 おそらくは、政府の短波ラジオ放送も、テレビコマーシャルと同じような効果だろう。だとしたら、そんなに巨費を投入して政府の主催事業としないで、民間NGOにその分を委託したら、10倍の放送量を実施することができるのである。北朝鮮向け短波ラジオ放送は、私の知る限りで、韓国で2団体、日本で1団体、米国でも2団体が行なっている。さらに、今度、「救う会」の支援で、自由北韓放送の日本支局ができたとのことだ。それらに、補助金という形で、放送の委託をすれば、もっと効果が挙がるのではないだろうか。
 実際、米国政府は、金額はわからないが、北朝鮮人権基金から、民間のNGOに対して、そうした事業への補助金を流す仕組みができている。もちろん「カネは出すが、クチは出さない」。日本でもできないことではないだろう。
 私が昔市議会議員をしていた時、中学校に初めてパソコンを導入するということがあった。その数は10台である。その予算がなんと1000万円だった。パソコン1台につき、100万円である。もちろん、部屋の改装費用は別である。私は「なんでそんなにかかるのか」と質問をしたが、「ああでもない。こうでもない」と全く要領が得ないまま、予算は可決である。
 政府の事業とは、中央も地方も全く同じである。「予算がない」と口癖のように言うのだが、イザとなると、民間では考えられないような金額と内容で予算が執行される。このパソコン購入も、文部省の補助金で行なったものだったと記憶している。
 その時は、某パソコンメーカーからの購入であったが、仕様は、普通のパソコンをネットワークでつないでいるだけのものだった。いいようにメーカーにやられたのである。
 今話題の社会保険庁の1兆円ものコンピューター管理経費も同じである。契約書もなしで、KDDにいいようにやられていたのである。
 ついでに言うと、その市では、文化会館新設の際に、誰も存在を認識しないモニュメントに、2000万円の巨費を投じた(文化会館の前にある黒い石の物体である)。クラシック・コンサート専用ホールと名乗っておきながら、緞帳(クラシック・コンサートで絶対に使わないシロモノ)に3億円近い巨費を投じた。
 こうしたことを下世話な言葉で言えば、政府の事業は業者にとって「いいカモ」だということである。業者にとっては、絶対に喰いっぱぐれしない。政府も税金を使うのだから、自分たちの財布は痛まない。
 今度、「ふるさとの風」を受託した社団法人海外広報協会のホームページを是非見て欲しい。なかなか立派な事業を展開していると感じられる。ところが、北朝鮮問題について記述は全くない。いわんや拉致問題など一言も記述がない。さらに、役員は高級官僚の天下りであることがわかる。「天下り」が問題になっている最中のことでもある。
 拉致問題という重要な政策課題の執行にあたって、政府の事業が高級官僚の「天下り先」の「いいカモ」になってしまったら、本当に良いのだろうか。そもそも、この社団法人の役員たちは、北朝鮮の人権問題をどのように考えているのだろうか。脱北者の支援を一回でもしたことがある人たちなのだろうか。それこそ、拉致問題の集会への参加や、カンパなど、何でも良いが、一度でも関わった事がある人たちなのだろうか(この役員の中に、私が「しおかぜ」への支援を要請しにいって、やんわりと断られた団体と会社の役員もいる)。
 なにより、特定失踪者の問題や、その家族の人たちの苦しみや悲しみを、どれだけ理解した上で、短波ラジオ放送を進めていくのだろうか。せめて、それぐらいのメッセージを始める前に、キチンと出してもらいたいものである。

社団法人海外広報協会

理事長  秋富公正 常勤 元総理府 総務副長官
専務理事 山崎敏子 常勤
常務理事兼事務局長 福山博幸 常勤
理事 石原信雄 財団法人地方自治研究機構 理事長 元内閣官房副長官
同  大竹美喜 アメリカンファミリー生命保険会社創業者・最高顧問
同  小長啓一 AOCホールディングス株式会社相談役 元通商産業事務次官
同  張富士夫 トヨタ自動車株式会社 会長社団法人日本経済団体連合会 副会長
同  寺田輝介 財団法人フォーリンプレスセンター理事長 元駐韓国 特命全権大使
同  長岡實 財団法人資本市場研究会理事長 元大蔵事務次官
同  山本鎭彦 元警察庁 長官 元駐ベルギ- 特命全権大使
監事 本間美邦 税理士、本間会計事務所 所長
同 武藤春光 弁護士、元広島高等裁判所長官

http://home.jcic.or.jp/jp/index-j.html

 ちなみに、本件について、調査会村尾理事による「しおかぜ通信」にも同様のコメントがあるので、ご覧いただきたい。

http://senryaku-jouhou.jp/tayori.html

June 29, 2007

金正日の拉致調査指令?

 昨日の、ロイター通信北京発の「北朝鮮が日本人拉致被害者の再調査」という記事について、日本国内でも色んな憶測が流れている。どれも憶測なので、ここでは憶測の内容には触れないようにしておきたい。
 ただし、ロイター通信を報道した日本のメディアでは割愛されていた部分について、記しておきたい。(筆者訳)

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 北朝鮮の関係者によれば、金正日は、拉致について「遅滞することなく、また隠すことなく(調査するように)」と伝えた。さらに「証拠は(拉致被害者は)死んでいるということを示している。DNA鑑定も行われる」と関係者は述べた。さらに、「家族たち(注:拉致被害者の北朝鮮にいる家族のことと思われる)は表に出て、状況を述べることが認められる」「もし、生きていて、日本に戻りたくないというのであれば、彼らは表れてそのように言うことである」「しかし、実際に、彼らが北朝鮮に入境しているという記録はない」と、北朝鮮の関係者は述べた。
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 この北朝鮮関係者が誰で、どのような地位にあるのかは、全く触れられていない。ロイター通信でも匿名を条件にしている。
 この発言のように、北朝鮮という恐怖政治国家で、果たして拉致された被害者が自ら名乗り出るだろうか。あのジェンキンス氏も、小泉純一郎元首相との病院の面会時にさえ「私は北朝鮮にいたい」と、ウソを述べたのである。その時に、ウソを言わず「私は日本に行きたい」といえば、日本に行けることはなかっただろう。
 こうした情報が、中国から曖昧な形で発信されるということは、日本側の態度の軟化をもたらそうとする何らかの工作意図が込められているのではないだろうか。

June 28, 2007

大和撫子の皆さんへお願い

 大和撫子の皆さんへ、心からのお願いです。
 電車の中での化粧だけはお止めください。
 欧州では、公共の場所で化粧をする女性は、売春婦と思われます。
 日本語で「化粧室」のことはトイレです。
 すなわち、電車の中で化粧をすることは、電車をトイレだと思っていることと同じです。
 電車は、もちろんトイレではありません。

 どういうわけか、数年前から、電車の中で堂々と化粧をする若い女性をみかけるようになった。
 OLなどは、忙しくて化粧をしている暇がなくてやむを得ずしているのだろう、と思っていたのだが。
 どう見ても高校生のような若い女性が、口紅は出すは、アイシャト゜ウは塗るは、パウダーをパタパタするは、果てはマスカラは出すに至っては「もう止めてくれ!!」と言いたくなる。
 世の男性も、半ば諦めているのか、知らんぷりである。私も同じ。下手に声をかけて「セクハラ」と思われては、実も蓋もないからである。クワバラクワバラ、という情けない状態である。
 世の大和撫子の皆さんは、どのように感じておられるのだろうか。
 JRや私鉄各社に呼びかけて「電車内でのお化粧はご遠慮ください」という放送でもしていただけないものかと思う。
 でも、まさか、私の娘もそんなことになっているのではないかと心配する日々である。

 このブログをお読みの方は、どのように思っておられますか。ご意見をお寄せください。
 つまらないことで、恐縮です。
 


 

金正日が拉致調査を指令?

 本日、6月28日午後、突然下記のようなロイター通信北京発で報道された。
 真偽の程は不明である。今後、調査をするつもりである。

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[北京 28日 ロイター] 北朝鮮政府は、日本人拉致問題について調査を行う方針。北朝鮮に近いある関係者が28日に明らかにした。関係者は、ロイターに対して「金正日総書記が、この問題について徹底的な調査を行うよう指示した。問題を解決する意向だ」と述べた。
 北朝鮮政府はまだ、この決定について、日本政府に通知していない。

新たな拉致被害者情報

 新たな拉致被害者目撃情報が、韓国の中央日報で報じられた。
 下記が、その記事である。
 詳細は判明していないが、当該の韓国の支援団体と調査会とは連携を密にしており、今後、より詳細な情報を求めて行きたい。


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「拉北日本人、政治犯収容所で働く」元北朝鮮保衛部要員証言

北朝鮮のミサイルと在来式武器の輸出関連の秘密情報を持つ国家安全保衛部核心要員が北朝鮮を脱出して韓国行きを希望していると伝えられた。
また「拉致された日本人たちが政治犯収容所で労役をしている」と述べ、韓日情報当局が事実関係の把握に乗り出した。
27日、情報消息筋と支援団体によるとパク・ミョンチョル(39)という北朝鮮保衛部幹部は今年の1月、中国に脱出した後、今月、東南アジアのある国家に到着し、韓国入国のための手続きを踏んでいる。パク氏は保衛部の対外保安を担当する部署で少佐として働いていた。
朴さんは被拉北朝鮮脱出人権連帯ト・ヒユン代表との面談で「北朝鮮に1、4、5、8、18、22という6つの政治犯収容所がある」と述べた。また「2つの収容所では特殊兵器の生産が行われている」とし「(核開発のための)ウラン鉱山での採取作業にも彼らを動員している」と主張した。
パク氏は2003年ごろ、仕事で北部両江道(リャンガンド)にある政治犯収容所を訪問したとき、ボイラー工として強制労動をさせられていた日本人を目撃したと述べた。パク氏は「親しい収容所管理者から日本人拉致被害者が3~4人収容されているという話を聞いた」と伝えた。
パク氏は昨年7月まで北朝鮮興南港(フンナム、咸南咸興市)で船舶の出入りを統制する責任者となった。パク氏は「武器輸出は機械部品で偽装し、行われた」とし「主に中東・アフリカ国家との取り引きだった」と言った。また「ミサイルの輸出は午前1~2時ごろ、一般労動者を帰してから護衛司令部(金正日警護部隊)所属の労動者たちが船積作業をした」とし「厳しい警戒をしたのはもちろん、人工衛星やカメラに露出するのを防ぐために電波妨害車まで配置した」と説明した。
孤児出身であるパク氏は17歳のとき、保衛部養成候補者に選ばれ、保衛部傘下訓練所と大学を終えた後で実務に配置された。彼は昨年7月、自分の部隊と別の特殊部隊間の武力衝突が起こった後、平壌に送られて調査を受け、11月に転役した。
パク氏は18日に書いた自筆の書信(写真)で「保衛部服務を終えて故郷の清津(チョンジン)で人民たちの悲惨な生活を見て希望がないことを悟った」とし「1日も早く大韓民国に行きたい」と書いている。

イ・ヨンジョン記者


2007.06.28 11:14:28

脱北女性の北朝鮮への帰国の背景

下記は、脱北女性が北朝鮮に戻っていったことについて記した、本日付Daily N.K の日本語版報道である。ここに、脱北女性が脱北し、再び北朝鮮に戻った経過が記されている。
本件は、先日のブログでも触れたことなので、ここでは記事の紹介だけにとどめておきたい。
  ただし、北朝鮮が主張するように、もしこの女性が「日本によって拉致された被害者」だとすれば、「無事に日本から北朝鮮に帰国できた」ということになる。そうすれば、北朝鮮にいる拉致被害者も無事に帰国できなくてはならないはずである。つまり、墓穴を掘っているのである。
北朝鮮金正日政権は、欺瞞と謀略ばかり繰り返すのだが、それによって墓穴を掘ることになるのである。事実、世界で最も貧しい国に堕したではないか。それが、何よりも謀略国家の顛末であることを証明している。
このまま最貧国の道を歩むのか、それとも「普通の国」になれるのかは、欺瞞と謀略を止めるか、止めないかの選択次第である。欺瞞と謀略を繰り返す限り、自らをあやめていくことになるのである。
日本には良い諺がある。「うそつきは泥棒の始まり」。北朝鮮の場合は、とっくに始まっているのだから、そろそろ終わりにしてもらいたい。

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The Daily Nk 2007.6.27.

“脱北女性ト・チュジは拉致されていなかった”

日本のNGO “ト氏自身が日本行きを希望”…“北の家族 '帰って来て'


日本に強制的に拉致されたと主張して、北朝鮮に帰ったト・チュジさん(59)は、自らの主張と異なり、実の兄とともに自ら日本に帰国したと、日本の脱北者支援団体が明らかにした。
 またトさんは日本で暮らしていた時、北朝鮮にいる家族から帰って来るようにという懐柔を受け続けていたことが分かった。
 中国の北朝鮮大使館は26日午前、北京市内の北朝鮮大使館で、トさんを参加させて内外信の合同記者会見を持ち、"日本が去る2003年10月18日に、北朝鮮の女性ト・チュジさんを強制的に拉致した"と主張した。
 日本の脱北者支援団体の関係者は27日、デイリーNKとの通話で"日本に先に入国した兄が妹のトさんを連れてくるため2003年10月に直接国境地域に行った"と述べ"トさんは自ら日本に来たのであって、北朝鮮が主張する強制的な拉致を日本はしていない"と語った。
 トさんは1949年10月28日に日本の神奈川県川崎市で、ト・サンタルさんの三女として生まれたが、1960年に両親と一緒に第48次帰国船に乗って北朝鮮に入国した。
 その後、1990年代末に兄が先に北朝鮮を脱出して日本に渡り、北朝鮮にいる妹のトさんと連絡を続けた。トさんは2003年10月に豆満江の近くで兄に会い、瀋陽の日本総領事館の保護を受け、11月に日本に渡った。
 トさんは豆満江を越えた時は、兄と会うことが目的だったが、兄と会った後、日本に行くことを決心したという。
 トさんは日本に入国した後、千葉県で生活していた。日本の脱北者支援団体の関係者は、"トさんは日本に来た後、兄との仲が悪くなった"と述べ、"家族がすべて北朝鮮に残っている状況で、かなり寂しく感じていたのだろう"と伝えた。
 この団体の関係者は"北朝鮮政府は残っている家族を通じて、トさんに連絡を取り続け、帰国をしょうようした"と述べ、"家族に会うために北朝鮮に再び帰る決心をするようになったようだ"と語った。.
 北朝鮮政府は残っている家族を利用して、日本に定着した脱北者を懐柔する作業を続けているという。
 この関係者は"日本政府は脱北者を受け入れるだけで、韓国政府のように、彼らが社会に適応できるシステムが用意できていない"と述べ、"日本は自国に定着した脱北者と対話するために努力しなければならない"と明らかにした。
 日本に定着した脱北者が北朝鮮に再び帰ったのは、2005年4月のアン・ピルファ(平島筆子)さんに次いで2人目だ。アンさんは北朝鮮に帰った後、日本を誹謗して、北朝鮮体制を宣伝する大衆講演に出ている。
 トさんは26日、平壌の順安空港に到着し、北朝鮮に入国した。トさんの子供たちは綺麗に装って出迎えた。

June 27, 2007

戦争を知らない子どもたち

 先日、ある知人に連れられ、現在まで残っているのが奇跡かと思われるような「歌声喫茶(といっても飲み屋だが)」に行った。そこでは、懐かしい名曲の数々が、ピアノ伴奏によって客の全員で合唱されていた。40年前にタイム・スリップしたような不思議な感触だった。
 さて、その「歌声喫茶」で懐かしの名曲として「戦争を知らない子どもたち」も歌われていた。この曲は、言わずと知れた北山修作詞、杉田二郎作曲の「反戦歌」である。実は、ついこの前まで、恥ずかしながらこの曲が大阪万国博覧会での歌だったとは知らなかった。あるテレビ番組での紹介で知った。もちろん、私の中学、高校時代には知っていたし、学園祭やらなんやら色んな場所で歌ってもいた。私の大学時代の親友が、杉田二郎の曲を歌わせれば天下一品だったので、よく聴かされてもいた。
 私が東京に移り住んだ時は、大阪万国博覧会が真っ最中のころだった。広島から汽車で東京に向う途中で大阪に一泊し、家族で万国博覧会に行ったことを覚えている。お目当てはもちろん米国館の「月の石」を見ることだったが、長蛇の列に圧倒されて断念。オーストラリア館にやっとこさ入館できた。その展示物が何だったのかは全く覚えていない。それから、東京に移り住んで、早や40年近い日々である。
 北山修は加藤和彦と一緒に、ザ・フォーク・クルセーダーズを結成し、あの「イムジン河」で、物議を醸した当事者の一人ではある。この「イムジン河」も、私が高校時代に初めて耳にしたものだった。最初に耳にした時の印象は、とにかく心に染み入るメロディだということだった。しかも、それが何がなんだかわからないが、朝鮮総連やら東芝やら韓国政府やらが場外乱闘を起こして、結局のところ放送禁止になり、発禁処分になった。私はそうしたことに訳もわからず憤慨していた。
 さて、北山修は、淡路島の出身とのことである。
 私は、調査で淡路島には何度か行った。きっかけは、2005年に起きた謎の高圧電線塔のボルトはずし事件である。淡路島福良にある高圧電線塔のボルトが6本も抜かれ、26本が緩められて浮いていたというものである。当時、その原因について様ざまな憶測がなされたが、結局のところ真相はやぶの中である。素人の私が調査したとしても、結局のところ何も出なかった。ボルト事件では何もでなかったのだが、淡路島にも不思議な失踪事件がある。詳細は記述できないが、文字通りの「神隠し」事件である。この「神隠し」事件の調査のために、何度か淡路島を訪れたわけである。残念ながら、その「神隠し」事件の真相は今でも謎である。
 こうして眺めると、淡路島「神隠し」―淡路島「ボルトはずし事件」―北山修の出身地―「イムジン河」-北朝鮮、というなんとも奇妙な繋がりがある。無理矢理繋がったからといって、どうということはない。だが、私の東京への初めての道のりでも耳にしたはずの「戦争を知らない子どもたち」と「イムジン河」という名曲は、現在の私が置かれている状況(北朝鮮問題に足を突っ込んでいること)を考えると、何か私との間で因果応報があるような気がしてならない。
 

ある脱北女性とNGOメンバーの話

今年に入って、ある女性脱北者がタイに脱出した。その女性を保護したのは、タイに拠点を置く韓国キリスト教会の韓国人牧師である。
 その女性は、北朝鮮に帰国した在日朝鮮人の娘で、多少の日本語を話すことができる。その女性は、まだ幼児の一人娘と一緒に脱北しようとしたが、中朝国境でまさに河を渡ろうとするとき、脱北を幇助した人物に「子供連れだと危ないから、子どもを置いていけ。安全なところに匿うから」といわれ、泣く泣く子供を置いて、中国に逃げ込んだ。それから、4年。中国国内で資金を集め、4000キロの逃避行の末、無事にタイに逃げ込んだのだった。
 その女性は、親戚が日本にいるため、まず日本に行こうと考え、その親戚にタイから電話をした。ところが、その電話に出た親戚に自分の名前を伝えただけで、ガチャンと切られてしまった。途方にくれた彼女は、牧師に相談したところ、「米国に行ける可能性があるから、米国大使館に保護を求めてはどうか」と言われて、それに従った。
 その米国行きの手続きをしている最中、私と脱北者支援のNGOメンバーのKさんとたまたまタイで会うことになったのである。
 牧師の仲介で面接した時、彼女は「北朝鮮に残した娘を何とか探したい。八方手を尽くしたが、どうしてよいか判らない」と涙ながらに訴えたのだった。それを聞いた、NGOのKさんも、涙ながらに「なんとかしましょう」と答えた。
 それから、数ヶ月後、彼女は米国行きを許された。Kさんは、米国に渡ったその女性と何度も連絡を取り合いながら、調査をしていった結果、Kさんはその娘さんの保護に成功した。
 Kさんは、この娘さんの保護にあたっては全く無報酬である。それどころか、娘さんの保護の経費もほとんど自弁である。この話がマスコミに流れたことも、他の人にも知られたことはない。Kさんただ一人の思いで実行したものである。
 この事例から、私たちは何を学ぶべきだろうか。目の前に困った人が表れたとき、それを「何とかしましょう」と、約束することはとても大変である。多くの場合、「それは政府がやるべきことでしょう。そのために、国民から税金を取り上げているのだから」とか言って、お終いにするだろう。しかし、Kさんは違う。自分の力でやり遂げたのである。
この女性は、自らの意思によって、北朝鮮に渡ったのではない。そして、Kさんは、ただ好き好んで命がけの保護活動をしているのではない。悩みながら、苦しみながら、ただ、目の前に表れる困っている人を助ける、という人間ならば誰でも沸き起こる思いから、当たり前のことをしているのである。
Kさんに「どうして、そこまでやるのか」と聞いても、彼は「日本人にいろんなことを教えてもらった。武士の情けです」と冗談交じりに話すだけだ。Kさんは日本人ではない。しかし、彼は脱北してきた日本人を何人も保護してきた功労者の一人である。
 さて、われわれ日本人は、脱北してきた日本人のみならず朝鮮人をどれだけ支援しているのだろうか。どれだけ、困った人を助けよう、という当たり前のことを実践しているのだろうか。

June 26, 2007

脱北女性の「離反」

 やるせない思いとはこんなことを言うのだろう。2003年に脱北し、日本に居住していた女性が、再び北朝鮮に戻るという。その理由が、本人の弁だと「日本は親も殺す恐ろしい国」とのことだし、北朝鮮当局にとっては「日本がこの女性を拉致した」ということだそうだ。
 今更、北朝鮮当局のウソや欺瞞に驚くこともない。ただ、やるせないのは、この女性をを含めて、命がけで脱北に協力している人たちのことを思ってのことである。御馴染みの北朝鮮人権問題に関わるNGOの人たちにとって、一人を脱北させるために、どれだけの苦労と、危険と、そして経済的負担をしていることか。
 彼らは、それで何ら経済的利益を受けるわけでもない。社会的な知名度が上がるわけでもない。裏舞台での活動だけに、表立って活動を喧伝することもできない。ただひたすら、人道的な問題として、脱北者の保護に取組んでいるのである。
 彼らにとって、こうした脱北者の「離反」も折込済みのことである。脱北者のすべてが善意の持ち主で、日本社会で密やかに暮らしているわけではない。ウソもつくし、人を騙したりもする。しかし、それらをすべてひっくるめて、人道問題として、この脱北者の保護にあたっているのである。
 今更ながら、脱北者の保護を、日本政府が真剣に取組んでいない状況をうらんでも仕方がないことだろうか。日本に戻った脱北者に対して、政府による生活支援、語学支援そして就職支援をし、何よりも孤独な存在としないことが大切なのだが、それらは全てNGOまかせである。「厄介な存在」としての脱北者の保護・支援という、余計な負荷を負いたくないというのが日本政府のみえみえの本音である。
 こうした脱北者の「離反」は、平島筆子さんの北朝鮮への帰国で、再び起こることが予想されていた。だからこそ、NGOのメンバーは口をそろえて、脱北者への支援を政府に要請してきたのだが、全く実現していない。その結果が、今回の「離反」の背景にあるだろう。
 この事件で、「やはり、脱北者保護なんて必要ない」というように思わないでもらいたい。脱北者の中には、真剣に物事を考え、悩み、苦しんでいる人も大勢いるのである。そして、何よりも、程度の差はあれ、脱北者が北朝鮮に関する多くの情報をもたらしてくれるのである。彼ら保護し、支援をしておくことは、彼らのためでもあるし、日本のためでもあるのである。
 いずれにせよ、北朝鮮金正日政権というのは、どこまで狡猾で、厚顔無恥なのだろうか。脱北者を「拉致被害者」というように定義するのであれば、日本に帰国したよど号犯人やその妻子でさえ「拉致被害者」とでも定義するつもりなのだろうか。そしてまた、この調子で、「口先だけの核開発計画の凍結」で、世界中から食糧、金品そしてエネルギーを巻き上げるつもりなのだろう。

政府と民間NPOの協働


 下記は、本日の共同通信の配信記事である。
 自殺について、政府と民間団体が合同して調査し、遺族への支援対策を進めるという。大いに結構なことである。政府だけができるものでもなく、そして民間団体だけでもできるものではない。両者が協働してはじめて、こうした社会的深層から発生する悲惨な「事件」の解決と事後対策を進めることができるだろう。
 ところで、なぜ、失踪という問題に、こうした取り組みができないのだろうか。自殺かどうかもわからない、事故かもしれない、そして拉致の被害者かもしれないという、ご家族にとっては二重三重の苦しみを強いる「失踪」という問題の調査や家族の支援に、政府が本腰を入れたことはない。自殺された方のご遺族には申し訳ないが、「自殺」として結論が出ていることは、まだご遺族にとっては何らかの「心の整理」ができることだろう。ところが、「失踪」という、何がなんだか判らない状況にあるご家族は、その「心の整理」ができないままの状態が強いられるのである。それだけに、政府による支援が必要不可欠なのである。
 もちろん、私たちも「失踪」という社会問題の重要性に気付いたのは、わずか4年前だから偉そうなことは言えない。しかし、私たち以外にも「失踪」の問題に取組んでいた家族の会や民間団体も存在するが、政府からの支援をほとんど受けていないという。
 失踪者の問題は政府の政策の中に明確には取り入れられてはいない。ご家族は行政的にも社会的にも疎外された状況が今でも続いている。放置したままでは許されない、重要な社会的問題である。
 こうしたことを、この4年間、政府に訴えてきたが、あまり聞く耳を持ってくれていない。仮に聞く耳を持ってくれたとしても、具体的な政策として表れることはない。よくある「たらい回し」である。もちろん、失踪者が「拉致の被害者」である可能性があれば内閣府拉致対策本部が対応をしてくれる。しかし、失踪の理由が全くわからない場合には、何も政府の支援を受けることはないのである。この極端な対応の違いに戸惑っているのは、われわれ民間団体はもとより、失踪者を抱えているご家族なのである。
 
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自殺者1千人、実態調査 民間団体、社会的要因探る

 年間自殺者が9年連続で3万人を超える中、NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」(東京、清水康之代表)など自殺問題にかかわる民間団体は26日までに、自殺者1000人を対象に、社会的な背景、原因などについて初めての本格的な実態調査を行うことを決めた。早ければ7月にも始める。
 政府が6月にまとめた自殺総合対策大綱は、自殺の社会的背景を含め、実態把握を対策の柱の1つに掲げており、ライフリンクなどは調査を通じ有効な自殺対策や遺族支援につなげたい考え。
 内閣府も民間団体と7月から合同でスタートさせる遺族支援の「全国キャラバン」で、調査への協力を呼び掛ける。
 調査に取り組むのは、自殺対策を支援する民間団体や各地の遺族団体のほか、多重債務、過労自殺、いじめなどに精通した弁護士ら専門家のグループで、2008年3月までに分析結果をまとめる。

2007/06/26 06:29 【共同通信】

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中山恭子首相補佐官の参議院選立候補について

 中山恭子首相補佐官が参議院に立候補することについて、マスコミや関係者から「マナベはどう思うのか」という問い合わせがボチボチとある。基本的には、民主主義の時代であり、誰が、どのような選挙に立候補しても自由だし、権利がある。だから、私は、中山補佐官が、どこから、どのように立候補されようともそれは自由である、と認識している。「家族会」や「救う会」も、概ね中山補佐官の立候補について、支持を表明し、すでに具体的な事前運動も展開されているようだ。
 そもそも私が所属していた旧民社党は、常に候補者不足で泣いていた。官僚に声をかけても、小党の悲哀で、ことごとく断られていた。候補者不足を解消するためか、春日一幸元委員長は、「人を見たら候補者と思え」とよく口にしていた。ある日、春日元委員長が、私に何気なく声をかけてきたことがある。多分、候補者としての品定めだったのだろう。その時の春日元委員長の言葉が「枯れ木も山の賑わいじゃ」だった。若かった私は、さすがにムカッときたことを今でも覚えている。
 こんな政党に所属していた手前、中山補佐官が立候補すること自体について、つべこべ言う気は持っていない。
 ただしである。
 候補者になる以上、立候補にいたる経過の説明と、当選後の議員としての公約を示してもらいたいと思う。これは何も中山補佐官だけではなく、どの候補者も聞かれることだし、明らかにしておくべきものだろう。
 立候補の経過については、「なぜ補佐官にまでなって、参議院議員に立候補する必要があるのか」という点の説明が必要であろう。なぜ、バッチをつけなくてはならないのか、その点を明らかにしてもらいたい。今のままでは、何か拉致対策本部の中で、具合が悪いことでもあるのだろうか。
 さらに、公約については、「拉致問題の解決に努力します」といったスローガン的なものではなく、具体的に実行可能性のある政策を示してもらいたいと思う。内容について、ここで細かく述べるつもりはないが、要は拉致問題の解決のために実施すべきこと、実施すべきでないことを明確に示してもらいたいということである。特に、特定失踪者の問題や脱北者保護の問題を、今までのような曖昧なものとはせず、明確な方針を示してもらいたい。よくあるような「口先だけの公約」「スローガンだけの公約」だけでは、候補者としての資格が問われる。
 今回の参議院選挙も「知名度の高い候補者」のオン・パレードである。誰がどうということは控えるにしても、知名度さえあれば、中味は何でも良いのか、と首を傾げたくなるような人も候補者として名前があがっている。集票能力の高い人を候補者にしていく、政党による国民の人気取り戦術である。いつもながらの風景ではあるが、そろそろ国民の方も、さすがに学習を積み重ねてきている。ある意味では「もう、いいかげんにしてくれ」という感じさえある。参議院が『良識の府』であることは、いわば「幻想」に近くなった。とはいえ、やはり衆議院議員とは異なり、大所高所から眺めて日本の戦略・戦術を描くことのできる人物に参議院議員なってもらいたいと思う。
 中山補佐官についての私の気持ちは、私の場合のような「枯れ木も山の賑わい」という数合わせのための候補者や、タレント候補のように集票能力だけを期待される候補者で終わらないようにしてもらいたい、というただそれだけである。

June 25, 2007

なぜ、歴史を客観的に検証できないのか

 今年も沖縄での「慰霊の日」が行われた。沖縄戦の悲惨な状況を考え合わせると、だれでも胸が痛むことだ。私も広島出身であり、中学生の時に「原爆慰霊祭」に参列したことを記憶している。どちらも、戦争の悲惨な歴史である。
 さて、再び歴史問題が取り上げられるようになった。それが、沖縄戦での「集団自決の日本軍による強制性」である。日本軍によって、沖縄の住民が強制的に集団自決においやられた、という問題である。ややこしいことに、歴史教科書に記述されていたものが変更された、ということが絡んで、再び「強制性」論争が起こっている。
 論争が起きることは一向に構わない。歴史はあくまでも「物語」である限り、それが「事実」かどうかの検証をしていかなくてはならないものだからである。歴史は「神話」として固定化されたものではない。よって、常に様々な観点から検証され、書き直しが蓄積されていくべきものなのである。論争はその作業に不可欠なものである。
 ところが、日本の近代史、とりわけ戦争が絡んだ歴史については、こうした客観的でなおかつ学術的な検証すらも、「厄介なこと」として遠ざけられてしまってきた。その作業に取り組んだ研究者、ジャーナリストなどは、本人の立場がどうあれ、「歴史修正主義者」「右翼ナショナリスト」など、あらん限りのレッテル張りがなされて、糾弾の対象となった。論争の対象ではなく、糾弾の対象となったのである。
 日本の近代史を、政治的イデオロギーの「色眼鏡」をつけて眺めるのではなく、事実かどうかの検証を客観的に行っていくことは、知識人としての任務であろう。よって、その知識人による作業そのものを、政治的イデオロギーの「色眼鏡」で見て、糾弾してはならないはずである。
 今日の日本のイデオロギーは、マルクス主義とか社会主義、あるいは保守主義といった19世紀的な政治的イデオロギーではなくなりつつある。むしろ、政治的なものというよりも、科学認識におけるイデオロギーである。現在のイデオロギーは、「自分たちの歴史認識は正しい。よって、私と歴史認識が異なっているあなたの認識は間違っている」という、自己の正当化と他者の脱正当化への「信仰」である。この偏狭なイデオロギーを持つ立場は、頑迷固陋な自己の認識に拘泥し続けることが「正しい道」だとひたすら信じ込んでいるものである。彼らの「正しい道」は、過ちを犯す人間ができる所作ではなく、神のみぞ成しうる業であろう。
 偏狭な科学認識のイデオロギーを持つ彼らは、自己の認識の誤謬性を全く考慮しない。また、このイデオロギーは、かつての左翼や右翼といった政治的な立場の違いによって生まれるものではない。かつての、五一五事件での犬養毅に対する青年将校の「問答無用」とか、土井孝子女史が「ダメなものはダメ」といった姿勢と相通ずるものである。歴史を様々な立場の者が集まって、互いに客観的に検証しあおうという、科学者ならば当然のように実践すべき姿勢そのものを否定してしまうものである。
 今日では、さすがにそうした頑迷固陋なイデオロギーが表に出ることは少なくなってきた。しかし、6月23日付けで「集団自決」を取り上げた「朝日新聞社説」での見解のように、依然として、「自分たちの認識が正しい」と頑迷固陋に主張をしているものもある。「朝日新聞」も、一歩下がって、歴史を「自分たちの認識が正しい。他者は間違えている」という見方から、「自分たちの認識も誤る可能性がある」という自然な姿勢へと、戦争の時代の歴史を眺める姿勢を改めることはできないものなのだろうか。
 沖縄戦で亡くなった方のみが知る真実かもしれないが、まだ存命の方がおられる。少なくとも、研究者やジャーナリストたるものは、存命されている方から、虚心坦懐の姿勢で誠実に事実を聞き取り、検証していってもらいたいものである。

June 24, 2007

本物の知識人

 7月4日、調査会事務所で川人博弁護士による「金正日と知識人」と題した講演が開催される。講演での主たるテーマは、近著で記された姜尚中東大教授への批判ということなるだろう。しかし、川人博弁護士の射程は、単なる一人の「知識人」への批判にとどまらない。この日本にいるもっと多くの「知識人」に向けられている。
 それは、日本において、「知識人」が己の権威と利害のみに固執し、本来行なうべき知識人としての任務をおざなりにしている実態への批判である。「知識人」の役割りとは、自らの専門的知識を社会をより良きものにしていくために使い、闘うことである。それは、私的利益の追求のためではないのである。ところが、日本にも「主張と行動が伴わない知識人」「自らを安全な場所において他者の批判のみ実践する知識人」「自己の主張に拘泥し、他者からの意見を拒絶する知識人」「世論に迎合し、真実への探求の格闘を捨て去る知識人」があまりにも多い。最悪なものは、「権力(国家権力だけではなく、数多の権力)に擦り寄る知識人」である。
 川人弁護士の批判は、過去、先生が自ら所属する弁護士会へも向けられた。下記は、その時の顛末を特定失踪者問題調査会のニュースで流したものである。今度の講演会で「本物の知識人」である川人先生の主張を理解する上での参考にしてもらいたい。

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川人弁護士を東京弁護士会が懲罰?(調査会ニュース)
[調査会NEWS 317](17.12.16)

■川人弁護士を東京弁護士会が懲罰?

 12月14日午後2時、東京弁護士会において、川人博弁護士(法律家の会幹事・調査会常任理事)が「公益活動」に参加していないことを理由とする同弁護士会による懲罰に関する聴聞会が開催されました。この東京弁護士会による川人博弁護士への懲罰は、下記の真鍋専務理事のコメントのように、まったく不可解なものです。また、この聴聞会について、川人博弁護士は、公開の上、真鍋専務理事などの意見表明の機会を持つことを東京弁護士会側に求めましたが、真鍋の出席はおろか、傍聴も許可されませんでした。その理由を川人博弁護士が求めましたが明らかにされませんでした。
 この東京弁護士会の一連の判断は、川人博弁護士の名誉に関わるとともに、拉致問題に関する弁護士の先生方のご協力に大きな足かせをはめるものです。そこで、調査会としましても、この間の経過と真鍋専務理事のコメントを皆様にお知らせするものです。
 尚、本件については、朝日新聞の12月15日朝刊に詳細に掲載されていますので、参考にしてください。

●おかしな国のおかしな東京弁護士会による川人博弁護士への「おかしな懲罰」

              特定失踪者問題調査会 専務理事 真鍋貞樹

 拉致問題や北朝鮮人権問題に率先して取り組んでおられる川人博弁護士が、所属する東京弁護士会のおかしな会規によって、懲罰を受けようとしている。そのおかしな会規とは「公益活動等に関する会規」といい平成10年5月28日に制定されたものである。
 そのおかしな懲罰の内容は、同会規第二条に規定されている「公益活動」に、川人博弁護士が参加しておらず、罰金と「公益活動不履行者」として氏名を公表するというものである。
 東京弁護士会が規定した「公益活動」とは、東京弁護士会が主催する各種委員会や相談事業への参加という意味だそうである。つまり、東京弁護士会の「公益活動」とは、東京弁護士会が行う事業のことだけを指している。したがって、川人博弁護士をはじめとする弁護士の先生方が、手弁当で行っている拉致問題や北朝鮮問題あるいは過労死問題への活動などは、東京弁護士会では「公益活動」ではないと判断している。ゆえに、東京弁護士会として、東京弁護士会の特定した「公益活動」に参加しない川人弁護士を処分するとのことである。
 そもそも「公益活動」とは何であろうか。公益とは、公共すなわちあまねく国民全般の利益に資する活動である。あらゆる国民を対象とした利益をもたらす活動である。つまり、東京弁護士会が特定した活動だけが「公益活動」ではないことは明らかである。日本の最高学府を卒業し、司法権の一翼を担っている弁護士が集まる弁護士会が、「公益活動」を弁護士会の利益のみに限定し、あまねく国民の人権に関する利益のために、所属する弁護士が活動することの重要性を一切無視するというのは、一体どのような認識から生まれるのだろうか。
 自分たちで「公益」を定義し、それ以外の「公益」を排除するという姿勢は、しばしばこのおかしな国の官僚機構に見られる現象である。東京弁護士会もそれと全く同じ構造を持っているのであろう。これは、拉致問題のように日本の官僚機構から永年排除されていた人権問題について、東京弁護士会も今までの官僚機構と全く同じ認識を持っていることの証明である。このおかしな国の官僚機構の問題を改善するために立ち上がるべき存在が、弁護士会ではないのだろうか。
 では、これまでの川人博弁護士の活動はどのようなものであろうか。それは、文字通り「公共の利益」のためのものである。拉致問題、北朝鮮人権問題そして過労死問題というように、人権問題という普遍的でなおかつ国民的な課題への取り組みである。この困難な諸課題の解決にまい進することは「公共の利益」をもたらすものに他ならない。しかも、川人弁護士をはじめとする「法律家の会」の弁護士の先生方は、多くの特定失踪者に関する刑事告発や古川裁判にも全く無償かつ自弁で活動していただいている。全く私的利益を追求していない活動である。
 このように、誰が考えても「公益活動」をしている川人弁護士が処罰の対象となったのは、東京弁護士会が特定の活動のみを公益と定義したことによって発生した問題である。公益の定義を、「国民全般の利益」とすれば、川人弁護士は処罰の対象とはならないはずである。
 こうした一連の東京弁護士会の判断は、川人博弁護士の名誉にかかわるものであるばかりか、拉致問題を解決していく上でも大きな障害である。なぜなら、川人弁護士をはじめとする多くの弁護士の先生方の手弁当の協力に対して、冷や水をかけるどころか、足かせにもなりかねないものだからある。さらに、東京弁護士会という法曹界で権威のある団体が、拉致問題の解決に取り組む弁護士の活動を「公益」として認めない、という認識を公言することに他ならないからである。
 弁護士という職業は、まさに「公共の利益」すなわち国民全般の利益のために存在するものである。一つの権威団体あるいは政府・国家機関のために存在するものではないはずである。川人弁護士たちが、無償でなおかつ手弁当で活動しているのは、まさに「公共の利益」のためである。
この度の、東京弁護士会の判断は、「公益」の定義を自分たちの活動だけに限定し、本来の職業的倫理から思考すべき「公共の利益」を見失っている結果である。
 東京弁護士会は、速やかにこうしたおかしな定義に基づいた「公益活動等に関する会規」を改め、おかしな懲罰を止めるとともに、拉致問題という国民的課題に組織を挙げて取り組んでいってもらいたい。それが、本来の東京弁護士会の「公益活動」であろう。


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東京弁護士会 公益活動しないと「罰金」に異論

 「弁護士の公的な責任とは何か」をめぐる対立が東京弁護士会(東弁)で起きている。法律相談など5項目の仕事を公益活動と定め、担わない弁護士に負担金という名の「罰金」を科したところ、一部の会員が「それ以外の公益活動をたくさんしている」と支払いを拒否。14日には聴聞が開かれ、「お金が免罪符になるなんて、市民に対して恥ずかしい」といった反対論も出た。
 東弁が公益活動と定めたのは(1)法律相談(2)国選弁護(3)当番弁護(4)法律扶助(5)弁護士会の委員会活動への参加。いずれも重要だが、採算が合わないため敬遠され、負担が一部の弁護士に偏りがちだ。そこで04年から5項目のどれかをこなすように義務づけ、5万円の負担金を支払わなければ名前を公表する、とした。
 今年10月に04年度の実績をまとめたところ、会員4756人のうち、義務を果たしたのは約6割。高齢などで免除された会員を除いた636人のうち、5万円を支払ったのは487人で、当初支払いに応じなかったのが169人。現在も28人が未納だ。
 そのため東弁は、名前を公表する前に必要な聴聞を開き、14日は2人が意見を述べた。
 その一人、川人博(かわひと・ひろし)弁護士は「過労死110番」など労働者の人権問題への取り組みで知られる。昨年度は5項目の活動はできなかったが、北朝鮮拉致疑惑対象者の人権救済を申し立てたり、自らカンパを集めてシンポを開いたりした。
 14日は「弁護士会絡みの活動以外は公益とみなされず、制裁金を科されたのでは、社会的に重要なほかの人権救済活動などに支障をきたす」との意見を述べた。
 東弁執行部は「何が公益活動かを議論しても明確な線引きはできない。総会で決まった会規に従ってもらうしかない」との立場だ。
 公益活動の推進は全国の弁護士会共通の課題だ。第二東京弁護士会も義務化を導入しており、大阪や愛知などでも検討の動きがある。各会が、騒動の行方を見守っている。(朝日新聞12/15)


June 22, 2007

拉致救出運動の原点とは何か

 下記は、救う会福岡の代表で、なおかつ、特定失踪者問題調査会の理事、さらに私真鍋と荒木代表の長年の友人である青木英実氏の「提言」である。ちなみに、「民社協会」とは、旧民社党が解党後に結成した団体であり、私も2年ほどそこで事務局長をしていたことがある。さらに、杉野調査会常務理事も、かつて事務局次長をしていた。

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民社協会発行「月刊民社」第150号
コラム時評事評138
中村学園大学教授 青木 英実

拉致救出運動は原点に返れ

 最近北朝鮮による日本人拉致の救出運動が内紛で揺れている。事の発端は、救う会の代表が北海道の篤志家、実際は在日のパチンコ業者から1000万円の寄付をもらったことから始まる。この1000万円の使途について疑義があるとして、救う会の一部主要メンバーが、代表を横領の罪で告発するという事態に至った。
 救う会内部での特別監査によれば、代表がこの金を私的に流用したとする確たる証拠は見いだされず、警察検察も告発に対して不起訴処分にしている。
 だが、この問題は後を引き、最近、一部の地方組織のグループが改めて業務上横領で刑事告発している。これも嫌疑不十分で不起訴となった。当然、救う会執行部は刑事告発に踏み切った地方組織に対して、救う会の運動の社会的信用を失墜させるものとして、除名などの厳しい手段に打って出たのである。
 実はこれ以前にも、複数の地方組織が、右翼団体との関係等を理由に除名処分を受けている。しかし、考えてみれば、救う会執行部が処分を受けた組織の背景を知らなかったはずはなく、知りながらこれまで利用してきたというのが実情ではないのか。
 また、ある地方組織は金銭上の問題で分裂し、ひとつの県に二つの救出組織が存在するという事態も生じている。
 また、救う会全国協議会と特定失踪者問題調査会との関係もギクシャクしている。6ヶ国協議の評価をめぐって見解が対立し、相互に相手方に送り込んでいた役員を引き上げ、組織上完全に絶縁状態になっている。
 いずれにしても当事者にはそれぞれ言い分があろうが、ここは大同団結して被害者救出に一丸となって取り組まなければ、結局北朝鮮に利用されるだけではないだろうか。 
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 「民社協会」の関係者は、現在ではあまり拉致問題で表立ってはいないが、拉致問題の当初、多くの民社協会の関係者が参加していた。例えば、初めて署名活動をした時に、10万人ぐらいの署名を集めたのも、「民社協会」とその友好組織である友愛連絡会傘下の労働組合だった。有楽町駅前で、最初に駅頭署名活動をした時のメンバーの多くは、民社協会の若手メンバーだった。他に参加していたのは、今は運動から去っていった人の友人関係だった。さらに、関心がある方は、チェックしてもらいたいが、最初の国民集会の告知ポスターに、民社協会関係者や労働組合関係者の名前が挙がっている。また、戦略情報研究所の講演会をUIゼンセン同盟本部の会館を利用させていただいているのも、拉致運動当初からの同本部の全面的な協力のおかげである。
 このように、拉致運動というのは、「救う会」だけではなく、当然のことながら多くの関係者によって担われてきたのである。しかし、残念ながら多くの関係者が、「救う会」から去っていった。彼らは、それぞれの思いがあって、拉致運動に参加したのだが、それぞれの思いから、去っていった。
 なぜだろうか。
 青木氏のいう「大同団結」という意味が、青木氏の思いとは異なり、今日の拉致運動において別の意味を持ってしまっているからではないだろうか。今日の拉致運動の「大同団結」という意味が、安倍首相、「家族会」そして「救う会」をヒエラルキーの頂点として、すべての国民を、このヒエラルキーの下に集めてしまうことになっているからではないだろうか。安倍首相は確かに歴代首相の中では、最も拉致問題に真剣に取組んでいる。このことは評価すべきである。しかし、だからといって、すべての国民を、その安倍首相のヒエラルキーの下に「大同団結」することを、「家族会」「救う会」が求めていくといったことになったとしたら、それはどうだろうか。
 それは無理なことであろう。一つの目標に、一致団結し、その問題解決のために力を結集する、という意味の「大同団結」であるならば結構なことである。しかし、「政治的価値観や方法論が異なる人も、その違いを一切捨てて、一つの旗の下に集まって、同じ政治的価値観と方法論を共有すべき」という意味の「大同団結」では参加することを躊躇してしまう。少なくとも、旧民社党の関係者ならば、最も嫌う方法論であろう。
 拉致救出運動は、新潟の小島さんの自宅から始まった。何人かのボランティアで、細々とだが、世論の冷たさにも耐えながら、コツコツと始められたのである。この細々ながらコツコツと運動をしていた時の苦しさや思いこそ、「大同団結」した時に共有すべき価値観なのではないだろうか。それを捨て去って、安倍首相、「家族会」そして「救う会」というヒエラルキーの下で、「全員集まれ」といった「大同団結」は、無理である。

June 21, 2007

整理回収機構は、北朝鮮から債権回収せよ!

私は、金融や経済には全く門外漢であるし、ましてや債権の回収となると、何がなんだかさっぱり判らない。もし、これをお読みの方で、詳しい方は是非ご指導を願いたい。 
 さて、朝鮮総連本部の差し押さえの仮処分が東京地方裁判所で決定された以降、マスコミの関心はここから遠のいているようだ。とりあえず、これで一件落着のような印象だ。
 素人としての私の疑問は、朝銀の破綻に1兆4000億円もの公的資金が投入されたのだから、その分の回収も当然されるべきだろうに、なぜ、それをしないのだろうか、あるいはちゃんとしているのだろうか、ということである。朝鮮総連本部の600億円ばかりがクローズ・アップされているが、似たような話は、他にないのだろうか。たまたま今回の「事件」に、元公安調査庁長官の名前が浮上したために、大きな話題を提供したことになるのだろうが、それだけでお終いではないはずである。
 お終いにしてはならないは、何よりも朝銀の資金が北朝鮮本国に送金されたことについての疑惑の解明である。誰が、いつ、どこで、どのように北朝鮮に送金したのか、これが解明されていない。現金で直接運んだとか、第三者を通じてとか、あるいはマカオやスイスの銀行を通じてだとか言われるが、さっぱり明るみに出ない。
兵庫県に在住の金正日氏(かの首領様と同姓同名だが、全く別人の立派な方である)が、以前から一人でコツコツと、この朝銀の不正融資の問題に取り組んでこられた。そのことが、朝銀問題を明るみに出す端緒となったのである。彼は、朝銀が北朝鮮に不正融資の形で送金していた事実を調べ上げたのだ。
ならば、この一人の努力に報いるためにも、「国家的取立屋」としての整理回収機構が、事実の解明を行い、北朝鮮に対して債権の回収の請求をしていくべきではないのだろうか。
もちろん、北朝鮮がそれに易々と応じるわけでもなく、事実の解明には壁があるだろう。しかし、日本で真面目にコツコツ働いている中小企業の親父さんたちからは、鬼のように債権の回収に励んでいるのだから、金正日政権に対しても、その鬼の力を存分に発揮してもらいたいものである。
北朝鮮に対しては、政治家や官僚が行って交渉してくるよりも、こうした債権回収のプロが尋ねて行って、交渉してくるほうがより効果的なのではないか。日朝友好だとか、外交問題だとかという変な色がつかなくて良い。ただ単純に「貸した金を返せ」というだけである。そして、現金での回収が難しければ、金正日が大好きな高級ブランデーとか、ベンツのような高級車、あるいはミサイルでも良い。金目のものは全部債権回収として持ち帰ってもらいたいものだ。日本国内でやっていることをそのままやれば良いのである。
何といっても、私たち国民から搾り取った税金を1兆4000億円も投入したのである。政府の責任において、北朝鮮に渡ったはずの公的資金を回収してもらいたい。
ついでに、整理回収機構が北朝鮮での「企業再生」の指導をしてくるというのはいかがだろうか。資本主義における厳しい企業再生の手法をきちんと指導して、破綻している企業の再生をしてくれば、北朝鮮も喜ぶはずである。

難病患者や拉致被害者の認定における知識の専制

 私は膠原病という難病の一種と一生お付き合いをしなくてはならないハメにある。膠原病というのは、細胞の中にある膠原体という細胞の一つが悪さを始めて起こるもののようである。その原因は不明である。症状も、膠原病の一種であるベーチェット病のように、失明に至るようなものから、リューマチと似たもので比較的軽症なものまで様々である。私の場合は、まだはっきりとは判らないが、とりあえずのところ比較的軽症のリューマチに似たものである。
 膠原病を患っている人はかなり多いと聞いている。膠原病は、難病とはいえ、症例の少ない特異なものとは異なり、どこでも、誰でも発症する可能性がある一般的なものである。
 膠原病は難病であるから、症状が重くなると、東京都や厚生労働省の「認定」を受けて、難病患者として手厚い支援政策を受けることができる。しかし、もちろんのこと軽症だとそうした支援政策とは全く無縁である。私のような場合は、今のところ政府からの支援を受ける可能性は全くない。
 さて、難病患者を厚生労働省が「認定」する場合には、それこそ大変な手続きと、医師による診断の結果の審査が行なわれる。その審査の基準を誰が決めるかといえば、厚生労働省である。厚生労働省は、難病患者を支援するための役所であるが、一方で審査基準を設けて、厳しく「認定」する審査機関でもある。だから、おいそれと簡単には「認定」しない。膠原病患者で難病患者として「認定」されている比率がどのくらいかはわからないが、私の身近な患者で、相当症状が進んでいる人も「認定」されていないので、全体の割合からすると「認定」された人は少数なのではないかと思う。
 ここまで難病の「認定」について考え及ぶと、拉致被害者の「認定」の問題と瓜二つのような状況が浮き彫りになってくる。特定失踪者の中でも、拉致された可能性が濃厚だとしても、政府は拉致被害者として「認定」をしようとしない。「証拠が不十分である」というのがその理由である。ではその「証拠」の基準は何かといえば、警察庁が定めた「三つの外形的事実」というものだそうだ。いくら、警察庁が内々に拉致されたことが濃厚だと判断していても、その「外形的事実」の三つを満足させない限り、絶対に「認定」しないという。しかも、その「三つの外形的事実」を集められるのは、事実上警察だけという厄介な問題である。
 難病という「事実」、あるいは拉致されたという「事実」が明らかになったとしても、難病患者認定の場合も拉致被害者認定の場合も、お役所が決定した基準に満たなければ絶対に「認定」しないのである。厚生労働省も警察庁も、本来の任務として、病人や犯罪被害者の救済があるはずなのに、一方で、「認定の審査機関」になっているのである。
 これはどこかおかしい。難病患者にせよ、拉致被害者にせよ、もっと異なる審査機関を設けて、救済あるいは救出することを趣旨とした「認定機関」を設置しなければ、救える人も救えなくなってしまうと思う。もっとも、第三者的機関による審査といっても、よくあるようにお役所が提出した書類の審査で終わり、結局のところお役所の意図にしたがった結論を出しがちである。これが、日本の審査機関の特徴でもある。そんな機関に命を預けなくてはならないとしたら、難病患者や拉致被害者は浮かばれない。
 では、どうすれば良いのだろうか。少なくとも、役所がもうける認定基準というものの設定について、役所が役所の論理だけで作るのではなく、難病患者や拉致被害者の可能性がある人の家族といった、当事者を交えた議論の経過を踏まえたものにしていくべきではないだろうか。それに対しては、専門的知識を持たない人の意見は客観的ではなく、非科学的であるという批判が必ず起こる。確かにそうかもしれない。しかし、大切なことは、お役所に集まる専門家あるいは技術者といったいわゆる知識人、有識者と呼ばれる人だけで、物事を決定しないような仕組みを作っていくことである。そうでなければ、ブラック・ボックスが堅固に作られ、私たちのような専門的知識を全く持たない人たちの利害が、その利害関係者とは無縁の場所で決まっていくことになるからである。これを知識による専制、あるいはテクノクラシーと呼ぶ。知識を持っている人だけで物事を決めていけば、当然のように専門的な知識を持たない人たちは、その場所から退却せざるを得ないのである。そして、恐ろしいことは、知識人や技術者はそれをむしろ好ましいと思い、自分の知識の力を誇り、楽しんでいるのである。専門家が易しい言葉で知識を持たない人に懇切丁寧に説明するということは稀であろう。逆に、知識を持たない人を嘲笑し蔑むという、猟奇的な雰囲気が、この知識の専制に表れてくるのである。
 この専門的知識による専制といかに闘ってくか、これは難病問題にせよ、拉致問題にせよ、あるいは労災認定にせよ、政府によって「認定」されるという制度には、必ずつきまとう重大な問題である。

June 20, 2007

Christian Solidarity Worldwideによる北朝鮮人権問題の報告書

 英国に本部のある国際NGOのChristian Solidarity Worldwideが、北朝鮮人権状況に関する膨大な報告書を刊行した。この件について6月19日ロンドンで同団体が記者会見した際の模様を、TBSが報道している。
以下は、電脳補完録からの転載である。

 北朝鮮にある強制収容所では、これまでに少なくとも50万人が死亡し、現在も公開処刑が日常的に行われているとして、イギリスのNGO団体は、国連調査団の早急な派遣が必要だと訴えました。
 7年間にわたって北朝鮮の人権侵害について調査してきた、イギリスのNGO団体「クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイド」は、およそ80人の脱北者の証言をもとに、19日、報告書をまとめました。それによると、現在、北朝鮮に6か所あると見られる政治犯収容所に、およそ20万人が収容され、拷問や見せしめの公開処刑が日常的に行われていると指摘。これまでに、処刑や強制労働などで少なくとも50万人、最大で100万人が死亡したとしています。
 また、強制収容所で生まれ育ち、2年前に脱北したシン・ドンヒョクさんも会見に臨み、収容所から脱走を図った母と兄の公開処刑に立ち会いを強いられたことや、罰として中指を切断されたことなど、過酷な体験を、脱北後初めてメディアを前に語りました。
 「北朝鮮の核問題の脅威を確認している間にも、数え切れない命が奪われています。核問題を理由に国際社会が北朝鮮の人権侵害を放置してはいけないと思います」(NGO団体「クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイド」の会見)
 NGOは、深刻な人権侵害を止めるために、国連調査団の早急な派遣を求めました。
http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3589939.html

 報道では以上のようなものだが、この報告書には、日本人をはじめとした世界の拉致被害者の状況についても報告がされている。120ページにも及ぶ膨大な報告書なので、見落としてしまいそうだ。
 実は、この報告書の作成にあたっては、同団体の担当者と私との間で何度か情報交換を行い、私からは日本で入手できている世界の拉致情報について、できる限り提供したものである。
 その担当者によれば、拉致問題について強い関心があるものの、ロンドンではほとんど情報が集まらないとのことだった。日本でも英文パンフレットを作成したり、英語版の新聞などでの報道もあるが、やはり詳細にわたっての実情について、把握しにくいのが現状のようである。
 北朝鮮問題の人権問題については、ようやく世界に関心が広まりつつあるというのが現状だろう。例えば、タイに行って驚くのは、北朝鮮と韓国との区別が一般の民衆では全くないような状況がある。アノーチェ・パンジョイさんの拉致についても、一般の民衆の関心は極めて低い。
 私たちは、もっと国際社会に当地の言語での情報発信をしていくことが重要な任務だと反省するものである。
 ちなみに、タイでは、現在タイ語に翻訳したコミック『めぐみ』(双葉社)の刊行が進められている。これは、現地在住の日本人、近藤さんと海老原先生による涙ぐましい努力の成果である。北朝鮮による人権問題の解決には、こうした地道な努力の積み重ねがなんといっても最も大切なことであろう。

June 19, 2007

朝鮮総連よ、最後のチャンスである

 朝鮮総連の資産への差し押さえの仮処分を認める判決が昨日、東京地方裁判所で出された。朝鮮銀行の幾多の不良債権の回収と精算に、一兆円もの国民の税金が投入されたことを思えば、これはもう当然のことである。朝鮮総連関連企業はもとより、日本の企業や個人に対しても同様の措置が採られているのだから、「在日の心のよりどころだから」とか「北朝鮮との窓口だから」といった言い訳は、全く通用しない。この後は、法に従って粛々と債権回収に進んでいってもらいたい。
 さて、今回の朝銀破綻から始まって朝鮮総連本部の差し押さえに至った経過については、返済のあてが全くない金正日独裁政権に対する事実上の「献金」にあったことは言うまでもないことだ。このことは、誰よりも朝鮮総連の幹部は知り尽くしているものである。その幹部の命ずるままに、「祖国のために」と多額の「献金」を続けてきた在日朝鮮商工人も、一連の事件の「被害者」である。
 その「被害者」である在日朝鮮人たちは、今回の事件を通じて、何をこの日本で行なうべきかをはっきりと知ったのではないだろうか。それは、彼らこそ北朝鮮の金正日独裁政権の犯罪を「弾劾」「告発」できる存在ということである。北朝鮮に渡った親族を「人質」にとられて多額の「献金」を強要され、さらに一部の朝鮮総連の幹部たちは、「拉致」という犯罪に関わることを強制された。「北朝鮮はパラダイス」という「幻想」に踊らされ続けてきたのである。
 渡辺秀子さんの夫、高大基もその一人だった。彼は大学を二つも出た優秀な人物で、なおかつ、妻や子どもを大切にした善き「夫」であり「父」だった。朝鮮総連の謀略に巻き込まれなかったとしたら、今ごろ立派な学者か実業家になっていたかもしれない。
 本来、朝鮮総連は在日同胞のための組織であった。それが、金親子独裁政権のためのキャッシュ・カードにされてしまい、挙句は金正日政権からも捨てられる運命にある。もし、捨てられる運命であるのならば、これを最後のチャンスとして、組織の基本に戻って、在日同胞のための組織に生まれ変わるべきだろう。「在日」という日本社会での固有の地位を、むしろ逆に日本社会をより活力あるものへ、そしてもっと自由で民主的な社会へと発展させるため、その立場を生かしていこうとすることが大切ではないだろうか。

 私がかつて某市議会へ「拉致問題解決のための陳情」を提出してきた時に、抗議に来ていた朝鮮総連の皆さん。あの後に「自分たちは民族の誇りのために闘っている」と言われた朝鮮総連幹部のMさん。私に対して誠実に、「在日としてこの日本で生きていくために」と、朝鮮学校の発展を訴えておられたKさん。今回の事件をラスト・チャンスにして、皆さん自身の力を結集して朝鮮総連を生まれ変わらせてください。そして、私たちとともに北朝鮮の独裁政権を転換させ、東アジアを自由で民主的な地域へと生まれ変わらせていこうではありませんか。それが、これからもこの日本で生まれてくる在日同胞の子孫のためにやるべき朝鮮総連の任務ではないでしょうか。

June 18, 2007

海外での失踪事件と拉致

 外務省のホームページで、海外での年別邦人援護の推移が見ることができる。それによると、直近でも2004年には133人、2005年には112人、そして2006年には131人が、海外で行方不明になっている。その中には、海外に長期滞在している方の場合もあれば、旅行中の失踪という場合がある。
 特定失踪者問題調査会でも海外での失踪者の御家族からの相談が数は少ないがある。公開している方だと、1991年に韓国慶州で失踪した大政由美さん、1998年韓国に渡ったとされる中村美奈子さん、2000年にスイスのツェルマットで失踪した佐藤順子さんである。他にも非公開の方で何人かおられる。
 日本国内での失踪者の調査も困難を極めるのだが、海外での失踪となれば、これは本当に難しい。いずれの御家族も失踪した先の国の政府機関や日本外務省に捜査や調査の要請をされた。あるいは、自ら出向いて独自の調査をされたりした。しかし、ほとんど何も失踪者の足跡を見つけることができないままにある。
 そんな中、よど号犯人やその妻たちが、世界中を回って日本人拉致などの工作活動をしていたことの一部が明らかになりつつある。本日のフジテレビでも、よど号犯人が、拉致した石岡さんや松木さんのパスポートを使って世界中を回っていたとの報道があった。ある程度想定していたこととはいえ、実際にそのような事実が明らかになると、慄然とせざるを得ない。それは、松木さんや石岡さんの拉致は、彼らの手にかかった被害者のごく一部にすぎないということである。なぜなら、八尾恵氏の証言の中にも、海外で日本人は20人ほど拉致されたとあるからである。また、自らの意思で北朝鮮に渡っていった赤木邦弥と似たような事例もあったという。しかも、そのうちの何人かはすでに日本に戻ってきているという。
 最初に示したように、毎年100人規模で、日本人が海外で失踪している。もちろん、その人たちの全てが北朝鮮による犯罪行為の被害者であるわけはない。ほとんどは他の要因による何らかの失踪であろう。有名な話ではインドのサイババに取り付かれて、そのまま失踪した日本人もいるとのことだ。しかし、確実にいえることは、その中に必ず拉致被害者が存在するということである。
 かつて、外務省や警察庁の幹部に対して、海外での失踪事件の洗い直しを要請したことがあるが、彼らとしても、手の打ちようがないのが実態ではある。海外での失踪については、当然のようにその国の主権が有り、勝手に日本の外務省や警察庁が出かけていくわけにもいくまい。だが、それでもできる限りのことはやってもらいたいと思う。私たちのような零細民間団体では、海外での失踪を調査することは、あまりにも経済的負担がかかりすぎるのである。資金が潤沢であれば、もちろん調査に出かけたいのだが。
 今後、よど号の関係者の海外での足取りも少しずつ明らかになっている。その足取りと失踪者との関連性を追って、海外での拉致事件を調べていきたいと思う。そのポイントとなる場所は、とりあえずのところ、東南アジア、南米そしてヨーロッパである。

June 17, 2007

民間でできることは民間で

 近代国家と社会における民間と政府との関係性は、どのようなものであることが大切なのだろうか。民間には民間でやるべきことがあり、政府には政府の任務がある。それらは別の世界に存在しているのではなく、一つの国家と社会の中に存在しているものである。すなわち、民間も政府も、自らが存在している国家と社会の中で、自分たちの力を相互に発揮しながら、また相互に影響力を与えながら、一緒に国家と社会の運営を担っているのである。国家や社会を担うのは、政府だけではないし、そして民間だけでもない。両者あいまって、近代国家と社会を活力あるものにしていかなくてはならない。
 民間と政府とは、それそれが相対的に自律性と自立性を保っている。それだけではなく、民間と政府との間には、相互の良い意味での批判的精神に基づいた自由な議論が保障されることによって、互いに影響力を行使しあう。それが、活力のある自由で民主的な国家と社会を生み出す原動力である。
 こうした民間と政府との関係を、卑近なものに例えれば、やじろべえを想定してもらいたい。右側の錘と左側の錘の重さと、それらに伴う力の作用がバランスを保つことで、やじろべえは平衡を保っていることができる。
 国家や社会も同じようなものである。国家や社会というやじろべえは、右側の民間の力と左側の政府の力が、相対的に均衡していることによって安定を保つことができる。両者のうち、どちらかの重さと力が強すぎても弱すぎても、やじろべえという国家と社会はすべり落ちていってしまうのである。
 このやじろべえの原理を、国家や社会での民間と政府と役割というように敷衍すれば、民間は民間でやるべきことをやり、政府は政府でやるべきことをやるけれども、それぞれがバラバラではなく、連携しつつ、相互に力を発揮することが大切だということが判るだろう。
 そして注意すべきことは、やじろべえは、適度な左右の錘の距離感が大切だという点である。左右の距離が近くなればなるほど、力の均衡は狭くなり、安定を失っていく。そして、両者が一体化すれば、やじろべえは立っていることもできなくなる。
 もし、民間が政府に全てを委ね、民間で行なうべきものを怠ったとしたら、それは政府側の力が強まり、やじろべえは、政府側に傾いていき、最終的には倒れてしまうのである。
 民間と政府が、こうした相互に自律しているものの協力関係を持つことで、国家や社会の運営が円滑に成立するのである。
 国家的な課題に対処するうえでも、民間は全面的に政府に依存することなく、そして政府はいたずらに民間に介入することなく、連携し合いながらその課題の解決という同じ目標に向って進んでいかなくてはならないものである。
 したがって、拉致という困難な課題を解決していく上でも、まず念頭においておくべきことは、民間と政府とは、互いに協力しながらも、自律性と自立性を保ちつつ、相互に影響力を与えながら進んでいくことである。もし、その相互の自律性を犯して、片方だけの力が強まりすぎたり、あるいは両者が一体化してしまえば、それは、錘のバランスを失ったやじろべえのように、舞台の上から滑り落ちてしまう事になるのである。
 6月17日付の「和歌山集会」に関しての電脳補完録氏の懸念について、私なりに読み換えるとこのようなものになる。

June 15, 2007

北朝鮮人権法の改正

 北朝鮮人権法(拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律)の一部改正が、今国会中に成立する運びとなった。その改正の中身はとりあえず置くとして、自民党・民主党両党で、拉致問題や北朝鮮人権問題の解決に取り組まれている国会議員の方々の努力には感謝したい。もともと、今国会での同法の改正が実現する見込みについてはあまりなかったのだが、国会が「やればできる」ということを改めて示していただいた上では、評価したい。
 さて、問題はその中身である。
 今回の法改正にあたっては、北朝鮮問題に関する各NPOは、立場は異なるし、求めているものも多少の違いがあるとしても、北朝鮮問題に関する日本政府の戦略を明確にするような法体系を作ってもらいたい、という共通の願いを持っていた。
  具体的には、北朝鮮問題を包括的に取り組む本部を内閣府に設置し、北朝鮮問題に関わるあらゆる問題に対処するための総合的な戦略の策定、個別の政策の立案・計画、そして情報収集にあたるようにしてもらいたい、ということであった。
また、脱北者を支援するNPOからは、「日本版ハナ院」を設立して、北朝鮮から日本に戻った日本人妻とその家族などのために、語学研修、就労支援そして生活支援をしてもらいたいという切実な願いが込められていた。
 それが、民主党の修正案には、こうしたNPOからの要望に基づく改正の趣旨が盛り込まれていたのだが、自民党・民主党との間での協議の結果、北朝鮮への経済的支援などの実施に当たって、「人権侵害状況の改善に資するものとなるよう十分に留意する」という文言に修正することだけに留まった。これだけだと何が修正なのかもよくわからない。関係議員の説明によれば、「拉致問題などに一定の進展がない限り経済支援を行わないということを、改めて宣言的に強調したもの」とのことである。それはそれで、結構なことなのだが、率直な感想は「それだけで終わり?」ということである。
 このブログでも再三指摘してきたように、対北朝鮮政策には総合的な戦略が必要であり、その戦略に則って、個別の政策の実施を進めていかなくてはならない。「出たとこ勝負」のような政策の五月雨的実施では、この困難な課題に対応できない。また、選挙前に「政治的プロパガンダ」をしてもらうだけでは困るのである。もちろん、政治の世界ではプロパガンダはあっても良いが、「それだけでは困る」のである。
 拉致被害者や特定失踪者にしても、そして日本人妻とその家族にしても、人命が関わっている問題である。北方領土問題と異なるのは、領土は時間が経過しても地図から消えることはないが、人命には時間の限りがあることである。このままで行けば、北方領土返還運動のように、世代を超え、解決の兆しが見えないまま、ズルズルと問題解決が先送りになってしまうことを懸念する。民主党の修正案に基づいて、次期国会では更なる改正をしてもらうことを切に希望する。

June 14, 2007

政府を「信頼」して良いのか ―― 社会保険庁は一例に過ぎない ――

 政府と国民との間には「信頼」がなければ、公正で公平な統治を行うことができないことは当たり前である。税金や年金、保険といったものは、個人のポケットから強制的に取り上げるのだから、出すほうが政府を「信頼」しなければ、出そうとしても出す気にはなれないものである。
 ところがこの「信頼」というものは、曖昧で、どこにもその根拠となるものはない。政府の側としても国民に対して「政府を信頼してもらいたい」と口癖のように言明するが、それを担保するものはどこにもない。
一方の国民の側の「信頼」は、一言で現せば「無垢なる信頼」である。疑いを持つことなく、社会保険庁はちゃんと自分の年金を管理してくれているはずだ、という根拠のない「信頼」を置いていた(私もその一人)。社会保険庁に今更ながら自分の年金の調査を求めていることは、逆に言えば、今まで社会保険庁に「無垢なる信頼」を置いていたことの証明である。
 さて、この曖昧な「信頼」というものが、一体どこから発生してくるのだろうか。「政府はウソをつかない」とか、「間違えない」といった、いわゆる「行政の無謬性(むびゅうせい)」への認識から来ているものではないかと思っている。官僚の人たちと話をすれば、「行政の無謬性」を語ることを忘れない。行政は「間違えがあってはならない」と言う。当たり前のことのようだが、その裏返しは、「間違えがあってはならないから、何もしない」という意味である。
 事実、社会保険庁が行ってきたのは、基礎年金の導入に伴っての「名寄せ」の作業において、他人のものと名寄せしたり、振り仮名を適当にしてしまったという過ちを犯したのだが、それは「あってはならないこと」だから、「無かったこと」にして、「何もしなかった」のである。
 私は、こうした政府と国民との間にある曖昧な「信頼」関係を、「無謬性への神話」と呼ぶことにしている。
 今回の事件では、社会保険庁という地味な存在がクローズ・アップされてきているが、どこの省庁でも似たり寄ったりなのである。水俣問題や拉致問題を事件の発生から、数十年も放置していたのが、なによりの証拠である。
また、今回の事件は社会保険庁だけの問題ではない。国会という場が、今回の事件の影の主犯である。基礎年金を導入する際に、こうした名寄せの作業が行われることは想定済みだった。しかし、現在のシステムでは名寄せの作業に限界があることを、当然のように国会議員は知っていたのである。過去、こうした名寄せを必要とする作業を進めるために、「国民背番号」という制度の導入を行政の側が国会に求めたのだが、それを拒否し続けていたのは、国民世論の反発を恐れた国会の側だったのである。一つの例が、悪名高い「グリーン・カード」である。
 それは、国民の貯蓄の分散を一元的に把握するために、各銀行に預金されている口座管理に「グリーン・カード」を導入し、個人に「背番号」を付けて一括して把握できるようにしよう、というものだった。それは、脱税の温床としての銀行口座を一網打尽にして、個人の自由な経済活動を、政府が一括して監視しようとするシステムだったのである。
 政府は、そのシステムの導入を目論んだ前提として、国民に対して「信頼」をしていないことを示したものだったのである。脱税をしないような国民ばかりであれば、政府も「信頼」して、そうした監視機能を持つことも論理的には必要ないものだろう。しかし、そうは問屋は卸さない。もともと、政府に対して「無垢なる信頼」を寄せていない立場からの猛反発によって、「グリーン・カード」の導入は、寸前のところで頓挫したのだった。
 もともと、国民を統治する側の政府が、国民に対して「信頼」をしていることはあり得ない。こうした善意なるものを前提としては、警察も軍隊も、国税局の査察官も必要ないのである。だとすれば、国民の側も、政府に対して「無垢なる信頼」を置くことは控えたほうが賢明である。政府が言う「行政の無謬性」を頭から信じきってはならない。
 また、政治家の公約なるものが、選挙の度に出されるが、恐らくその公約を読んで投票を行う人は少ないだろう。国民は一体何を根拠に、その政治家に投票するのだろうか。それは、曖昧な形での「信頼」というものだろう。その政治家に対して何らかの「信頼」を寄せない限り、貴重な一票を投じないはずである。だとすれば、その曖昧な「信頼」が「無垢なる信頼」で終わらないように、国民の側も、しっかりと政治家を監視していかなくてはならないだろう。
 政府や政治家が「信頼してください」と言ったときには、「ちょっと待った。何を根拠に信頼せよと言うのか」というぐらいは、言い返しておかないと、後が大変である。国民が政府や政治家の監視を怠って、不利益を被るのは、国民自身だからである。
 尚、もしこの雑論を読まれて「信頼」という問題に関心をもたれたら、ニクラス・ルーマン著の『信頼』を御一読されたい。難解だが、近代社会の複雑な状況を、「信頼」という概念を紐解くなかで、分析を進めているものである。
 

南米での拉致問題


 日本では、北朝鮮が行った日本人を含めた世界12カ国での拉致が「有名」である。この北朝鮮による外国人拉致というのは、もちろん、許されるべきものではないし、全面的な解決を目指していくのは当然のことである。
 では、世界中に「拉致問題」が他にないかといえば、当然のごとく、「数え切れないほど存在する」のである。国連人権委員会に強制失踪部会が設立されているのは、その証明である。
 本日、6月14日のHerald Tribuneをご覧になった方はご存知のことだろうが、Roger Cohen氏(人道的グローバリズムの主唱者と私は理解している)が、南米での拉致問題を解説している。その解説記事を読んで改めて認識したのは、日本の拉致被害者家族あるいは特定失踪者のご家族の状況と、全く同じ環境が南米での失踪者の家族に存在するということである。拉致した側は、南米の軍事政権であり、その被害者と家族の悲惨さは、いずれの国も全く同じである。
 こうして眺めると、近代社会においても「拉致」という犯罪は継続して世界中で起こっているのであり、人道上最も許されざるべき犯罪の一つとして、この世界から根絶していくべきものであることが改めて明らかになる。それは、Cohen氏の指摘のように、残された家族にとっては、なす術もなく、そして、失踪後の環境そのものを悲惨なままにしておくからである。拉致された被害者が笑顔で写っている写真が、私たちにこの問題を問いかけているのである。
 私自身も拉致問題に関わって知ったことは、日本のみならず世界中に同種の人権問題が繰り返されているということであり、こうした状況も含めて、拉致問題の解決を考えていかなくてはならないということである。一言で言えば、拉致問題といった人権蹂躙は、北朝鮮と日本や他の11カ国との間だけの問題ではない、ということであろう。
 さて、『宿命』の著者の高沢晧司氏は、かねてから、「南米でも日本人が拉致されている可能性がある」と指摘されている。拉致した側は、南米のテロ組織であり、それが北朝鮮と繋がっている可能性があるとのことである。それが本当かどうかを調査しなくてはならないのであるが、調査をどのように進めていくかは雲を摑むような話である。もし、これをお読みの方で、南米で失踪された方を御存知の方は、特定失踪者問題調査会までお知らせいただければ幸いである。

June 10, 2007

自衛隊の監視活動

 国家権力の実行力を独占する政府とは、国民を監視する機構である。われわれは、政府が国民を監視することに対して、「好き嫌い」といったものではなく、それを前提条件としてまず渋々でも認めておかなくてはならない。政府が持つ監視機能を全否定するのは、政府そのものの存在を否定することになるのである。そうでなければ、税金、年金、医療、防犯あるいは国防という政府の機能は成り立たないのである。
 その政府を監視する者は誰か。それは、国民代表である議会であり、マスコミである。そして、その国民代表とマスコミを監視する者は誰か。それが国民である。このように、近代国家の「宿命」として、政府という国家権力の代行者と、その国家権力の源泉である国民との間では、相互に監視する社会が創造されたのである。
 この窮屈な監視社会をルーズなものにすればすべては解決できるのか。すべてとは、自由で民主的な社会の創造を阻害する課題である。自由で民主的な社会の創造ではなく、むしろ暴力的に破壊させることを目論む輩や団体の活動に対して、政府による監視を緩めることが、その解決に至るのだろうか。
 近代以降、政府という国家権力の代行者の役割りは、自由で民主的な社会の保護者となることである(もちろん、こうした理想的な政府が現実にある例は少ないが)。とすれば、国民がこうした政府の役割りと監視機能を否定すれば、国民は自らが自由で民主的な社会と国家の破壊者となる。この国家権力そのものの廃止を謳い、究極の目的としているのが19世紀から続いている共産主義である。
 今回の「事件」でも、志位和夫委員長の記者会見での共産党の古臭い「国家権力による監視をやめよ」という主張に易々と同調し得ないのは、彼らこそが自由で民主的な国家の破壊者であるからに他ならない。共産主義の歴史的な「ウソ」や「欺瞞」は、人民を抑圧する権力は国家にのみ存在し、その国家を労働者・人民の革命によって消滅させたあかつきには、国民を抑圧する存在のない自由な社会が生まれるという幻想をばら撒いたことである。その「幻想」による被害者は、旧ソ連、中国、カンボジアそして北朝鮮でのジェノサイトで明らかである。未だにこの「幻想」を振りまかれて、「はい。そうですね」と単純に同意することなど土台無理な話である。
 一方、国家権力の監視機能について、これも「はい。そうですね」と単純に全面同意もできない。国家には統治は必要であり、統治を担うのが政府である。しかし、政府による統治は、決してやりすぎてはならないのである。自由と民主主義を守るために政府による統治は必要だが、政府が統治しすぎて、監視社会が強まれば、自由と民主主義どころの騒ぎではなくなる。この政府による統治の必要性と、政府による統治の過剰性の回避という、二つの矛盾する要請を調和させていく作業は、おそらく永遠に求められていくものであろう。
 では、今回の自衛隊による監視行為は、統治の過剰性の部類に入るのだろうか。それは否である。統治の過剰性に入るのは、無用な身体的拘束、言論活動の抑制、あるいは集会・デモなどの規制を伴ったものかどうかである。それらがあれば、もちろん違法である。今回問題となった監視活動には、そのような違法な行為は伴っていない。
 「監視している行為そのものが違法である」という共産党の主張は、当然の如く、彼らの思想の根幹部分である、国家の消滅という前世紀の遺物のイデオロギーから出ているものである。
 この共産党のイデオロギーに基づく欺瞞性を知ったうえで、自衛隊の監視行為を批判するならば、その主張には耳を貸す価値もあろう。なぜなら、それは共産主義ではない別の思想に基づくものであろうから、それを批判的に検証する意味が大いにあるというものだ。
 しかし、テレビなどでのコメンテイター(というよりもタレント?)のように、ただ単純に、「国家権力に監視されていることが気味悪い」という感情から批判をするのであるならば、その人には、「国家の枠組みからお逃げなさい。南国の離れ島にお一人でどうぞ」というほかはないだろう。
 今回の問題の核心は、国民を監視するような政府の枠組みを取りはずす、あるいはそこから国民が逃避すればよい、というものではない。国家の権力機構の存在意義を「統治」のためのみに留めるのではなく、いかに国民自身が、自由と民主主義による統治を「自己のもの」にすることができるのか、という近代国家における最大の政治課題にどのように立ち向かうか、ということなのである。

June 08, 2007

魏京生氏の根性

下記は、中国出身の著名な民主化運動家、魏京生氏の動向を伝えた共同通信の配信である。

魏京生氏が都内で診察へ 法務省、人道的な配慮

 法務省は6日、ビザがないため入国を拒否していた中国民主化運動のシンボル魏京生氏(57)に対し、持病の糖尿病の悪化を理由に一時的に東京都内で診察を受けることを許可した。
 魏氏は2日昼に米国から成田空港に到着。到着から72時間以内の指定地区の観光などで一時的に入国が認められる寄港地上陸許可を申請したが、これは認められていない。
 関係者によると、魏氏は数日前から糖尿病の悪化を訴え、東京都内の病院で診察を受けることを求めたため、法務省は人道的な配慮から許可したという。
 魏氏は寄港地上陸を利用して入国し、5日のグアム行きの便に乗り継ぐ予定だった。本来認められていない集会参加が分かったため入国を拒否され、成田空港内のホテルで待機を続けている。
2007/06/06 23:01 【共同通信】

 法務省の「人道的措置」は良いにしても、もともと魏京生氏を、「ビザがない」という理由で成田に留め置いた措置そのものが、おかしい。入国を拒否した理由は、明らかに共産主義国家である中国への深謀遠慮である。李登輝氏の訪日とのダブルで、中国を刺激したくない、という意思の現れである。
 日本は自由で民主的な国ではないのだろうか。外国人の政治活動が制限されているといっても、それは、選挙権・被選挙権の行使、選挙活動への参加あるいは寄付金の制限といった範疇のものである。シンポジウムや講演、集会などに参加して発言する自由まで制限しているものでは決してない。
 私自身、ヨーロッパやアメリカなどに「政治的目的」でビザなし渡航(観光目的)をしたことが随分とある。ビザなし渡航でデモにも参加した。どの政府も「入国拒否」どころか、全く相手にもしてくれなかった。もちろん、私などのような小物に構っているヒマな政府はないのだろうが、自由で民主的な国ならではのことではないか。
 しかしながら、大物であったとしても、自由と民主主義を標榜する国で、いったいどこに、ビザなし渡航を「政治的目的」だと言って入国を拒否する国があるのだろうか。あるのだったら教えてもらいたい。あるとすれば、日本と韓国といったところだろう(中国と北朝鮮は論外である)。台湾だって、私は堂々とビザなしで渡航し、友人の選挙運動に参加したことすらある(街頭で、私は日本から来た者だ。この友人の応援に来た、と叫びまわった)。
 魏京生氏は、調査会の事務所に立ち寄り、「こうしたことをする日本政府は、自由と民主主義を守ろうとする価値を持ち合わせていないのではないか」と語った。その通りであると思う。日本の政府の価値とは、自由と民主主義を守り通すというよりも、法と秩序を維持するだけが彼らの目的なのだろう。本末転倒とはこのことを言う。法と秩序は大切である。しかし、法と秩序だけを盾にして、自由な政治活動を禁止するのは、自由で民主的な国ではない。それを厳密に実践しているのは共産主義国や全体主義国といった自由も民主主義もない国である。何のための法と秩序かといえば、自由と民主主義を守るために他ならない。法と秩序が自由と民主主義を侵してはならないのである。
 魏京生氏は、私たちに「様々な政治問題の解決のため、民間でやるべきものは多く、重要である。その時、民間団体は政府とは一体とならず、常に独立した精神と活動を最後まで貫けば、その運動は必ず成功する」と述べた。私たちは、この「根性」こそ見習うべきだと思う。


June 07, 2007

「拉致問題の解決だけ」を国際社会に訴えても、国際社会は動かない

 安倍政権は拉致問題の解決を政権の最重要課題の一つとして位置づけている。それを最も支持するのが、当事者である家族会や支援団体としての救う会である。拉致問題の解決を国際社会に訴えることは当然であるし、拉致問題の解決が国政の最大課題の一つであることは指摘するまでもない。
 しかし、拉致問題の解決のために国際社会に協力を要請する限りは、日本としての戦略を組み立てておく必要があることは論を待たない。その戦略を描く上で、前提となる認識をしておかなくてはならない。それは、「拉致問題の解決だけ」をワン・イシュー(One Issue)として国際社会に協力を訴えても、国際社会は動かないということである。

ワン・イシュー主義

 北朝鮮の抱えている人権問題とは、拉致問題の他に、脱北者問題、強制収容所問題そして飢餓あるいは圧制という課題である。根本的には独裁体制下での、自由と民主主義の欠落である。それらを称して、「普遍的な人権問題」というように定義できる。
 こうした北朝鮮の「普遍的人権問題」を総体的に取り組むのではなく、ある一つの問題だけを取り上げて、その問題の解決のみを集中的に実践しようとすることを、ワン・イシュー主義と定義できよう。このワン・イシュー主義というのは、小泉内閣における郵政民営化問題による衆議院解散総選挙の時に使われたものであり、その時の選挙での成功が最も端的な事例であろう。
 ワン・イシュー主義の効果としては、衆目を一点に集め、国民の関心を高めることが期待できる。しかし、それ以外の重要な政治課題については、逆に関心をそらしていく作用がある。政治家をはじめとする政策決定者にとっては、自己の都合の良い問題だけを取り上げ、都合の悪い政治課題を隠蔽させようとする戦術としても効果がある。事実、小泉前首相は、それで郵政民営化を成功に導かせた。
 この方法論の問題は、一つの政治課題を解決するためには、その課題だけを解決すれば事足りるものではなく、周縁にリンクして存在する課題の解決もしていかなくてはならない、という認識が決定的に欠落してしまうことである。事実、郵政民営化でも、根本的な問題であった財政投融資の問題への議論は、どこかにすっ飛んでしまった。「郵政民営化で町の郵便局がなくなってしまう」というような瑣末な話ばかりが飛び交ってしまった。
 家族会が「北朝鮮における普遍的人権問題の解決」というものへの言及を避けて、このワン・イシュー主義を貫いているのには理由がある。それは、拉致問題が他の課題によって相対的に埋没することへの懸念である。「北朝鮮における普遍的人権問題」という幅の広い議論を始めてしまうと、拉致問題が埋没する、というステイク・ホルダー(利害関係者)ならではの懸念である。このステイク・ホルダーとしての家族会の懸念が、安倍政権・日本政府をはじめとするワン・イシュー主義を推し進める原動力となっている。
 また、日本政府にもワン・イシュー主義を貫く理由がある。それは、「北朝鮮の普遍的人権問題」まで議論を広げると、その人権問題が、日本の国内にある人権問題へと跳ね返ってくることになるからである。日本国内の人権問題とは、一つには難民保護を含めた脱北者の保護である。日本政府は、普遍的人権の擁護の観点から難民条約を批准したとはいえ、基本的に難民を「歓迎しない存在」としてとらえている。「普遍的人権」に首を突っ込めば、「歓迎しない存在」としての、難民や脱北者の保護にまでも政策の幅を広げなくてはならないのである。それを避けたいのが、日本政府の「本音」である。この「普遍的人権を擁護する」という「建前」と、脱北者を受け入れたくないという「本音」の軋轢の結果生まれているのが、「拉致問題だけの解決」の協力を国際社会に求めていくというワン・イシュー主義である。

ワン・イシュー主義によってもたらされるもの

 日本政府は、このワン・イシュー主義に基づいた対米国、対中国外交を進めた。具体的には、5月の中山恭子首相補佐官の訪中・訪米である。その際には、ワン・イシューとしての拉致問題の解決への協力を両国政府に訴え、とりあえず両国政府からの支持を取り付けてくることができたという。
 ところが、こうした日本政府のワン・イシュー主義は、人権問題に敏感な米国国民にとっては、「日本政府は、自国民だけの人権侵害すなわち拉致問題を解決することにのみ関心があり、普遍的な北朝鮮の人権問題には関心がない」と写る。もちろん、自国民保護は、国家の最大の任務であり、それを米国国民が否定するものではない。しかし、このワン・イシュー主義で米国政府や国民に訴えると「日本政府が自国民保護のみを訴えるなら、米国に訴えるのではなく、自分たちで解決せよ」という反応が返ってくることになる。
 米国政府は、米国国民のそうした反応を対外政策に反映する一方で、日本政府の立場を理解せざるを得ないため、両者の要請を満足させようと、とりあえず日本政府に対して「口先だけの支援」を約束することになる。
 一方、もともと人権問題に関心がなく、むしろ人権問題が取り上げられることを迷惑と認識する中国政府にとっては、「普遍的な人権問題の解決」ではなく、「個別的な犯罪への解決への協力」という趣旨であれば、「口先だけの支援」を表明することで、事足りると認識する。中国政府としても、下手すれば自国の人権問題とリンクすることを懸念するし、一方で日本政府の面子もたてねばならないのだから、精一杯のリップ・サービスに余念がないのである。

今後の課題

 「拉致問題だけ」での政府間の交渉だと、政府首脳間の「口先だけの支援」を取り付けるだけで終わる。国際社会の「口先だけの支援」に終わらせないためには、日本政府も日本国民も相当の覚悟が必要である。
 米国政府を実質的に動かしていくには、普遍的な人権問題の一つとして拉致問題を取り上げ、日本政府ならびに日本国民は、北朝鮮での普遍的な人権問題の解決のために自ら努力する、ということを名実ともに示す必要がある。つまり、「日本は人権問題に本気である」ことを示すことである。そうなれば、米国国民も動く可能性がある。米国国民が動けば、米国政府も「口先だけの支援」でお終いにすることができなくなる。
 一方、中国政府に対しては、「普遍的な人権問題の解決」を訴えても埒は明かない。あるいは「個別的な犯罪への解決」を訴えても、「口先だけの支援」で終わる。中国政府を動かす要因は、青木直人氏が指摘するように、「人権擁護」や「犯罪解決」ではなく、「利益」と「面子」である。中国政府に対して、どのような「利益」を提供できるかが、日本政府ならびに国民の判断すべきポイントである。その際、「利益」とは経済的なものだけを意味するものではない。中国にとっての最大の「利益」は、北朝鮮という国をどのように、またどのような体制転換をしていくかについて、日本政府が同意を示すことである。すなわち、北朝鮮をとりあえず中国的な国へと転換することを、国際社会(最も難しいのは韓国であろう)が合意をするように、米国や日本が働きかけることである(この点は、北朝鮮元書記の黄ジャンヨプ氏の提言であり、私も賛同する)。中国にとっての実益と、面子の両方を満足させない限り、中国は動かないのである。
 迂遠のようだが、国際社会へ「自国の問題としての拉致問題」の解決への協力を求めていくのならば、ワン・イシューの解決のための協力を要請するだけではなく、それなりに、国際社会が「イエス。それでやろう」と言わざるを得ないような戦略を持って進めていかなくてはならないだろう。もし、そうでなければ、国際社会の冷徹な現実(日本も含めて自国のことが最も大切という価値)の中で、成果として得られるのは「口先だけの支援」であろう。
 もちろん、国際社会が日本に対して「口先だけの支援」をしてくれるだけでも、マシなのではあるが。

June 06, 2007

北朝鮮からの脱北者保護の問題

 6月2日に青森県深浦に漂着した四人の脱北者の存在は、日本にとって「平成の黒舟」になるかもしれない。
 というのも、日本国内では、脱北者の保護を巡って、積極論や消極論あるいは慎重論が展開されているからである。ナショナリズム的に脱北者の受け入れに「絶対反対」という「攘夷派」勢力も存在するし、部分的(日本に関わる脱北者)な保護だけは進めるべきだという勢力もある。また、脱北者を受け入れるべきとする「開国派」でも、積極論もあれば慎重論もある。規模や趣旨は異なるものの、江戸末期の「開国か攘夷か」に揺れた構造と、似たようなものになっている。
 この北朝鮮からの「黒舟」は、日本が、今後も増え続けるであろう「北朝鮮難民」に対して、門戸を広げるかどうかを問うているのであるし、それは、日本が普遍的な人権概念を、名実ともに具現化しようとする意思を持つ国であるかどうかを問うているのである。
 近代国家における「難民問題」は、国家の領域が明確にされるとともに、「国家概念」と「普遍的人権概念」がせめぎあいを続けてきた問題である。難民保護条約を巡っても、現在においても国際社会が完全に「合意」をしているわけではない。また、仮に「合意」をしているとしても、難民条約を批准した中国を眺めれば歴然とするように、脱北者を拘束し、北朝鮮に強制送還している。「難民保護」については、近代社会の根本的な価値の一つである普遍的人権という概念の前に、国家は「口先だけの合意」をするしかないし、実態はいずれの国も「歓迎しない」のである。
 この「歓迎しない存在」としての「難民」を、口先だけではなく、実態的に保護するかどうかが、その国の自由と民主主義の成熟度を表すバロメーターとも言える。他国における圧制や飢餓から逃げてきた「難民」を、自由社会が排除することは、その国が自由な社会ではないことを証明するのである。
 麻生外務大臣がいみじくも語ったように「難民はかわいそう、というだけの問題ではない」のである。「難民」を保護することは、その受入国に相当の付加がかかるのであるが、その付加を超えられるかどうかが、世界に冠たる自由で民主的な国であるかの分水嶺になるのである。「かわいそうだから保護せよ」ではなく、自らの国を自由で民主的なものへと推し進めていくために、この「歓迎しない存在」としての「難民」あるいは「脱北者」を保護しなくてはならないのである。   


June 04, 2007

ザ・サンクチュアリ 拉致被害者家族会

 「ザ・サンクチュアリ 拉致被害者家族会」と題した記事が、『選択』2007年6月号に掲載された。内容について、ここで詳細に触れることは避けるが、その記事が言わんとしているのは「金正日政権打倒といったファナティックな(狂信的な)政治的言動は避けて、北朝鮮との対話のパイプを作っていくべきである。そうでなければ、拉致問題は置き去りにされてしまう」ということだろう。
 「拉致問題の解決のためには金正日政権打倒が必要だ」というとファナティックな発言になると言うのであれば、「金正日政権のレジーム・チェンジあるいはトランス・フォーメーション」と言えば穏便に聞こえるかもしれない。ただし、言っていることは同じだ。つまり、拉致問題の解決すなわち拉致被害者の全員の救出は、金正日独裁政権が転換しなければ達成できない、ということである。その後に残る議論は、北朝鮮自らが転換を図るように仕向けるのか、国際社会が平和的に打倒するのか、あるいは軍事的に打倒するのか、といった方法論の選択の違いである。
 それぞれの方法論にはもちろん大きな違いはあれども、言わんとするところは「早いところ北朝鮮の独裁体制を終わらせて、2000万人の北朝鮮人民を圧制から解放させ、そして拉致被害者の救出をそれとリンクさせていかなくてはならない」ということである。
 同誌の「金正日政権の打倒というファナティックな言葉を使うな」という趣旨の主張の裏側には、「拉致問題は交渉で解決すべきだ」というものがあるのだろう。もちろん、それで解決するなら結構なことだ。しかし、金正日独裁政権が、そんなヤワなことで、「ハイハイ、判りました。拉致被害者の全員を帰します」ということがないことは、これまでの歴史が如実に証明している。それで解決するならとっくに解決しているだろう。
 こうした冷厳とした事実は、日本にいる北朝鮮問題ウォッチャーよりも、北朝鮮から脱出した脱北者や、あるいは拉致に関わった工作員なら、「そんなことは当たり前だ」と、身をもって感じていることだろう。事実、黄ジャンヨプ元書記が「もし、米国に導かれた国際社会が、中国に対して、中国的な国家へと北朝鮮の体制を転換させることを保証すれば、中国は金正日を助ける要因はなくなる」との発言が、Daily NK(6月2日)に掲載されている。慧眼である。黄元書記のこの主張は、とてもファナティックなものとは感じない。北朝鮮の独裁体制を目の当たりにしてきた人物だからこその説得力である。
 拉致問題や核開発問題の解決を思うとき、極東アジアに前世紀の遺物のような独裁国家が存在すること自体を、国際社会が何とかしなくてはならない、という思考が前提に立たなくてはならないのではないだろうか。「独裁国家の打倒」というのは、歴史的にも、自由や民主主義を標榜する者なら、必ず思考することではないのだろうか。それを行動に移せるかどうかはともかく、思考し、苦慮し、発言するぐらいの道徳的な感性は持っているはずではないだろうか。自分たちの国は、自由と民主主義を謳歌しつつ、隣国の圧制には口を閉ざすというのは、どう考えても道徳的な態度ではない。それは、自分の国に自由も民主主義もいらない、と考える者だけが採りえる態度だろう。
 『選択』の評論に隠された狙いと、前述の黄ジャンヨプ元書記の思考と、どちらが大局的な視点から朝鮮問題を眺めているかは、比べるまでもないことだろう。


June 01, 2007

学校教育と競争原理

 教育再生会議が、教育現場でも競争原理の導入を提言したという。これまでも散々議論されてきたことではある。
 確かに、教育現場の疲弊した状況から考えると、そういったカンフル剤を打つことも、もはや仕方がないのかもしれない。しかし、やはり、学校教育と競争原理というものは根本的な面で馴染まないものと思う。
 もし、どうしても競争原理を導入するのであれば、学校教育で必要な競争とは、他校との比較考量ではなく、自分たちの学校の中味を、自分の学校の「過去」と比較することだと思う。昨日よりも、今日。今日よりも、明日がもっと良い内容になるように、自分たちが自分たち自身と競争をするという意味だと思う。
 おそらく、教育再生会議の議論でもそういった趣旨のものがあったのかもしれない。それはわからない。しかし、出された結論だけから眺めると、他校との学力テストの成績競争という面が全面に出ていると感じざるを得ない。要は「テストの成績が良いか、悪いか」ということだけで個人の評価がされ、学校での教育内容の価値判断がされるということだろう。
 そして、他校との学力テストの成績競争は、また再び東京大学を頂点とした大学や高校の、偏差値という学力別ヒエラルキーを強めることになるだろう。
 別に今に始まったわけではない、この偏差値という学力別ヒエラルキーについて、それを壊せといっても無理なことだろう。誰もがトップを目指して、「頑張る」という意味での競争は、それはそれで勉学の励みにもなるものだろう。
 しかし、これも毎度のことではあるが、学力テストの成績と、優れた人格とは比例しない、ということを十分に認識しないといけない。
 政治家の汚職や、一流会社や行政機関の不祥事やらなんやらを起こすこの国の指導層の多くが、東京大学を頂点とした一流大学を卒業していることに、多くの国民はとっくに気付いている。そして、この国の法制度のほとんど全ては、日本で最も「テストの成績が良い」東京大学法学部の卒業生たちが作ってきたものであることも。行政組織の文化もしかり。
 その結果、何らかの救済が必要な人たちを前にして、一流大学を卒業した官僚たちが異口同音に最初に語るのは「法律に規定がない。因果関係がない。前例がない。予算がない。万一過ちがあってはならないから、何もしない」といった言葉だ。人の生き死にを前にしても、同じ言葉を繰り返すことができるかどうかが、「テストの成績が良い、失敗をしない、何もしない優れた官僚」の証明になっている。
 国民は誰一人として、そんな機械のような「テストの成績の良い」官僚を期待しているわけではないだろう。「テストの成績がいくら悪くとも、人格に優れた人物」を官僚として、あるいは政治家として、自分たちの指導者として期待してはいないだろうか。もちろん、理想的なことは「テストの成績が良くて、人格が優れている指導者」であることは当たり前だが。
 国民の側も、そろそろ、こうした「テストの成績が良い官僚」に、この国の運命の全てをお任せすることを止めたいと思っているのではないだろうか。もしそれに同意されるとしたら、学校教育に競争原理が導入された折には、「自分の子どもは偏差値○○だ」と一喜一憂することを止めなくてはならないだろう。「自分の息子は成績が良いから、将来は東大に行かせよう」といった淡い期待を持ってはならないだろう。
 しかし、どの親も、子どもの成績が気にならないことはない。できれば、自分の子どもにはトップクラスの大学に行ってもらいたいと思うのが人情である。「親ばか」が世の親の共通の性質なのだが、それを変に歪んだ形で助長してしまうような、「学力別ヒエラルキー」の学校教育を作ってはならないと思う。
 「親ばか」を変な形に歪ませて、子ども達を「学力別ヒエラルキー」の中に放り込んでしまい、機械のような「テストの成績が良い」だけの優秀な子どもを作ってしまう競争原理の導入は、やはり止めてもらいたい。

米国国務省 北朝鮮人権法報告書

特定失踪者問題調査会の「調査会ニュース」より転載


[調査会NEWS 510](19.6.1)

■米国務省による「北朝鮮人権法」報告書に「『しおかぜ』を評価する」と記載

                                    専務理事 真鍋貞樹

 米国国務省による「北朝鮮人権法」に基づく議会への報告書に関して、下記のように、YOMIURI Online News(5月31日)にて報道された。
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 【ワシントン=坂元隆】米国務省は30日、ジェイ・レフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使の活動状況についての年次報告書を発表し、北朝鮮が人権状況改善のために「意味ある措置を何も取っていない」と厳しく批判した。報告書は、北朝鮮国内の強制収容所に推定15万~20万人の政治犯が収容されていると指摘し、基本的人権である表現、信教、集会などの自由や公正な裁判を受ける権利などがいずれも無視されていると述べた。
 日本人拉致事件についての直接の言及はないが、「過去に拉致した外国人について十分な説明をしていない」と批判している。報告書は一方で、レフコウィッツ特使が北朝鮮からの脱出住民(脱北者)の米国への受け入れに努力したとし、昨年5月に6人を受け入れたのをはじめ、現在までに合計30人が米国に再定住し、さらに受け入れ数が増える見込みであると述べている。
 年次報告書は北朝鮮人権法に基づくもので、議会に送付される。
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 この報道では触れられていないが、レフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使の報告書には、特定失踪者問題調査会が実施している「しおかぜ」に対する評価が記載されている。 原文は下記の通りである。

A Japanese group also conducts approximately one hour of shortwave broadcasts to North Korea each day. The Special Envoy has welcomed and supported the increase in this activity.

 直訳すると、「ある日本の民間団体も、1日1時間ほど、北朝鮮向けに短波ラジオ放送を実施している。レフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使は、この活動を歓迎するとともに、支持するものである」となる。
 同報告書では、米国のボイス・オブ・アメリカと自由アジア放送が同様の活動を進めていることにも触れ、彼らへの財政支援の経過と、北朝鮮の体制転換のために民間団体が行うこうした事業は非常に有効であると、高く評価した内容を盛り込んでいる。
 ちなみに、同法に基づいて、ブッシュ政権として、ボイス・オブ・アメリカと自由アジア放送などの北朝鮮向け放送事業の支援のために、年間460万ドル(約5億5200万円)から800万ドル(9億6000万円)の支援を支出することを、議会に求めている。
 この報告書の作成にあたっては、米国国務省の担当者が、直接調査会に調査に訪れたことがあった。その際に調査会からは、一連の調査会としての活動と、「しおかぜ」について説明を行った。それが、今度の「レフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使の報告書」に盛り込まれたのであろう。その調査官は「こうした事業は、政府が実施するよりも、民間団体が行うことがより効果的でしょう」と話していた。
 かたや、日本政府は、ほとんど誰もその存在に気づかなかった拉致問題の「国内向けの啓蒙」のためのテレビ・コマーシャルを1週間ほど実施した。それには1億500万円を拠出した。さらに1億5000万円で、日本政府による短波ラジオ放送を今年度から実施するという。
 日本政府の拉致対策本部では、こうした米国国務省の報告書における民間団体の役割の評価に対して、どのような評価をしているのだろうか。

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