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18 posts from August 2007

August 31, 2007

”中国, 金正男を支援し‘金正日以後’を準備”

下記は、おなじみのDaily NKの配信。
金正男の北朝鮮の帰国や幹部への昇進が報道されたり、万景峰号が元山に停泊しているのがAP通信で報道されたりと、色々な動きがあるようです。
金正男の動きがこれからの日朝問題にも大きなポイントになるような予感です。

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黄長ヨプ秘話公開 "中国共産党, 90年から隠密作業"

最近、平壌帰国説が飛び交っている金正日の長男、正男(36)は、次男のジョンチョル(26)が後継者として浮上するまで、パーティーなどを通じて自分の側近を管理し、張成沢と権力競争をする程、権勢を振るっていたと、黄長ヨプ前北朝鮮労働党国際書記が28日公開した。

黄前書記は最近、”金正男は90年代初頭から、中国共産党の後援を得て、中国に出入りして、外貨稼ぎ事業をしていた”と述べ、“当時正男は事実上、ナンバーツーであった金正日の妹の夫、張成沢と競争関係にあり、仲があまりよくなかった”と語った。

更に、"もし正南が平壌帰国後、組職指導部で活動しているという主張が事実ならば、これは中国の勧誘と北朝鮮国内に残っている親金正男勢力が、重要な役割を果たした可能性がある"と解釈した。

黄前書記は“中国共産党は'金正日以後'を準備するために、90年代から後継者として浮上した正男との関係を築くために努力した”と述べ、“中国と金正男を連結したのは、金平日北朝鮮大使で、上部には‘中国と金正男が親しくなることが、外貨稼ぎに大きく役に立つ’と報告し、後腐れを無くした”と語った。

中国はこの時期に金正男だけでなく、その親戚を利用して、ヨン・ヒョンムクやオ・クンニョルなどの高位幹部との接触も試みたが、これに気づいた金正日が中国との関係を遮断し、中国の対北朝鮮政治作業は中断したと説明した。

黄前書記は中国の高位関係者の言葉を引用し、“次男のジョンチョルが成長し、(2002年-2003年頃と推定)高英姫をバックにして組職指導部で働き始めたが、この時から張成沢と仲違いし始めた”と述べ、“当時、張成沢との仲が悪かったイ・ジェガン幹部担当副部長が、ジョンチョルをバックにして、張成沢を追い出したと聞いている”と語った。

張成沢は2003年頃、革命化教育を受けて謹身したという説が有力で、2006年1月頃、勤労団体及び首都建設部第1副部長として党に復帰した。ジョンチョルとの仲が極度に悪化したこの時期に、張成沢は正男と親しくなったということだ。

これに関して、東アジアのある国家の情報機関が、2005年初めから中国の北京と平壌の間で、頻繁に行われた正男と金正日の妹、金キョンヒの国際電話を盗聴するのに成功し、2人は互いの境遇を慰め合い、金正日に対する不満を吐露したという内容がメデイアによって公開されたこともある。

張成沢の失脚と、正男の海外事件(2001年日本密入国など)で、ジョンチョルに傾きかけていた後継者構図だったが、2004年5月の高英姫の死亡が反転のきっかけになったという。

張成沢が復権し、金正日の機密費と外貨稼ぎを担当して、金正日の信頼を回復し、中国共産党の力強い後援をバックにして、正男が本格的な後継者争いに跳びこんだという解釈が可能だ。

対北情報の消息筋によれば、現在、北朝鮮には正男を支持する勢力がかなり多くいるという。この消息筋は“正男の支持者たちが、‘高英姫は亡くなったのに、どうして長男を差し置いて次男が後継者になるのか’という論理を立てている”と語った。

また、正男の再起はあまり楽観視できないという見方もある。彼が北朝鮮の住民に公開し辛い、後妻の成恵琳の子供であるうえ、海外のメデイアに恥をさらし、指導者としては欠陷が多いというのだ。何年間も北朝鮮に入国できずに海外を放浪したのが、その証拠ということだ。

これに対して黄前書記は、“後継者について、様々な話が出ているが、結局、金正日が決心すれば、すべてが終わる”と述べ、“金正日が自身と正男の出生の背景などについて口を閉ざすよう指示して、偶像化事業を始めれば問題はない”と語った。

The Daily NK, the Hub of North Korean News
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August 24, 2007

にせ学位問題 続報

下記は、中央日報の報道。
隣の韓国の話ではありますが...日本ではどうなのでしょうか。

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米博士号取得者の6.6%、非認証大学で取得

この5年間米国で博士号を取ったと学術振興財団に申告した人のうち6.6%が非認証大学で学位を取っていることが、調査により分かった。学術振興財団が23日に伝えた。

同財団がこの日、国会・教育委員会の柳基洪(ユ・キホン、ウリ)議員に提出した資料によると、03年1月から先月まで、米国で博士号を取得したと申告した4199人(324大学)のうち276人が米教育省が認めない学校で学位を取っているとのこと。同財団が「米教育省が認める大学」を確認できるオフィシャルサイト(http://ope.ed.gov/accreditation/Search.asp)で確認し、分かったもの。

柳議員によると、非認証大学の博士のうち少なくとも2人は韓国内の4年制大学の教授に任用され、現在在職中だ。博士276人が学位を取った非認証大学は計23校で、アメリカワールドユニバーシティー(AWU)とミッドウエスト神学大学がそれぞれ39人で最も多く、コアン神学大学38人、バーナディアン大学28人、ヘンダーソンクルスチャン大学27人などだ。

非認証大学出身の博士のうち、牧会学科などキリスト教関連の学位を取った人が140人で、半分を越える。米国の非認証大学とは▽学位の乱発で関係当局に摘発されたり▽州政府の認可を受けていなかったり▽州政府から営業許可だけを受けて学校を運営している大学のこと。米国内の非認証大学は731校にのぼるものとされる。

裵魯泌(ぺ・ノピル)記者


2007.08.23 17:04:16

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August 23, 2007

封印される拉致6:「何かあったら責任をとってくれるのか」と言った母親

 ある日突然、若い男性の母親と名乗る人物から抗議の電話を受けたことがある。その男性は拉致問題に関心を持ち、拉致問題の集会に参加したことを知った母親からの電話であった。
 母親からの電話は「そんな集会に出て、万一自分の息子に何かあったとき、あなたは責任をとってくれるのか。北朝鮮の工作員に自分の息子が狙われたら、あなたは息子を助けてくれるのか」という趣旨だった。その母親としては自分の息子の身を案じてのこととはいえ、いささか気の重くなるような話であった。
 母親は続けた。「横田さんたちは助けて欲しいと言っているが、自分たちの子どものことなら自分たちで助ければよいのよ。人を巻き込むことはやめて」。
つまり、自分の子どもが何かあったとしたら、責任をもって助けて欲しい、と懇願していながら、一方では他人の子どもと母親については全く憐憫の情を示さないということである。
 この種の抗議の電話は、実は結構あった。小泉元首相の第二回の訪朝の後に集中して起こった「家族会バッシング」の時である。「北朝鮮がミサイルを撃ち込んできたら、おまえたちの責任だ」「たった十人ぐらいの被害者のことで、一億人を犠牲にさせるのか」・・・。
 確かに、それなりの主張ではあるが、背後にあるのは、「自己のみの生存を維持できれば、他者のことはどうなっても構わない」という自己中心的な意識である。
私は「たった十人の拉致被害者も救出することができないこの国が、果たして一億人もの人々を助けることができるのだろうか」と言い返したが無駄だった。
 全てが他人事であり、自己に関わることの責任すらも他者へと転嫁するこの日本社会の現象といやらしい利己意識が、この数十年にわたり拉致問題を隠蔽させ、解決を遅らせてきた根本的な社会的要因の一つであろう。
 この母親のように「自分の家族を救って欲しい」という思いは当然である。しかし、「そのためには他人のことはどうなっても構わない」という言葉は、実に気の重くなる救いのないものである。救われたのは、横田ご夫妻の「自分の子どもを救ってほしい」という主張と「だからこそ、他の被害者も救って欲しい」という言葉だった。

August 22, 2007

広陵高校の思い出

 今年も広陵高校は準優勝で終わった。8回までは優勝を確信していたのだが。。。
 私が広島市に住んでいたとき、自宅の近くの高校が広陵高校だった。草野球少年だった私は、広陵高校のグラウンドの塀を乗り越えて、野球部の練習を見学したことを覚えている。
 私が10歳の時、つまり今から40年前、あの「小さな大投手」の宇根選手が表れた。160センチ代の小さな体を、片足で浮き上がらせて、そして沈み込むような投球フォームで、素晴らしいストレートを投げる姿は、まさに芸術品だった。
 当時の私の自宅は、風呂を焚きで沸かせていたので、風呂炊きしながら、ラジオで広陵高校の応援をしていた。姿は見えないけれど、ラジオの解説を聞きながら、宇根投手の素晴らしいビッチングを想像して、草野球少年の胸を躍らせていた。つまり「ボクも高校は広陵高校に行くぞ!」
 宇根投手の甲子園は、習志野商業との決勝戦が最後だった。連投を重ねていた宇根投手も最後は力尽きて、大量失点で終わった。それで準優勝。そして、プロ野球入りが期待されたが、あまりにも小柄だったために、プロ入りを果たせなかったとのことだった。その後の彼の動向はわからない。もし、プロ入りしていたら、あの名投手の津田選手のようになったかもしれない。
 私の方は、広島から東京に引っ越して、広陵高校への進学の夢はもちろん過去のものになった。
 私は野球とは無縁の人生になっているが、今回の甲子園で40年前の草野球少年の熱い思いが蘇った。よくやった!広陵高校。来年もがんばれ。しかし、ホンマに残念だった。
 それにしても、広島カープは情けない。晩酌のビールがまずい毎日である。

  

August 20, 2007

封印される拉致5:消えた拉致被害者のリスト


 2003年ころ、マスコミ関係者からある情報が調査会に知らされた。それは、「米国にいる脱北者の一人が、拉致被害者のリストを持っている」というものだった。もちろん、私たちでそのようなリストの存在があることは知らなかった。その数は100人ぐらいにものほるものだという。持ち出したのは、北朝鮮人科学者で北朝鮮国内において何らかの重要な役職についていた人物だということだった。
 その情報の信憑性について、現在では確かめようがない。その情報がもたらされた当時としても、それ以上に調べようにも調べられなかったのであった。
 この情報が日本政府にもたらされたのは確かであろう。なぜなら、当時の政府幹部との議論の中で、類似した内容があったのである。もちろん、その政府幹部はその情報の存在に言及することはなかったが。
 その政府幹部の話を総合すると次のようなものになる。

 私たちとしても、拉致被害者が現在の政府認定者以外にも存在する可能性があると思っている。調査会に届けられている方以上に、警察には多くの失踪者のご家族からの相談がきている。その中でも、拉致の被害者である可能性が排除できない人が多くいる。その人たちと、調査会が拉致濃厚と言っている失踪者と重なる人もあれば、重ならない人もいる。

 何を根拠にそのような見解を持っているのかは明らかにされなかった。しかし、当時の状況を今振り返ってみれば、かなり確度の高い拉致被害者情報が日本政府にもたらされていたことは間違いないということである。
 私はその幹部に「全部明らかにして下さいよ。ご家族はそれでどれだけ喜ぶことか」と言ったのだが、その幹部は、それ以上言及することはなかった。その理由は、もちろん「捜査上の秘密」である。
 100人にものぼる拉致被害者リストの所在も、その内容も封印されてしまった。
米国には、おそらくは日本人拉致被害者の情報のみならず、他の北朝鮮に絡む事件の情報が集まっているはずである。マカオにある北朝鮮のバンコ・デルタ・アジアの違法資金ルートを摘発し、経済制裁を行った背景には、それだけの情報網が存在することを証明している。
その米国も拉致問題と決して無縁ではない。朝鮮戦争における脱走兵のジェンキンス氏やドレスノク氏が、拉致された日本人(曽我ひとみさん)やルーマニア人女性(ドイナ・ブンベアさん)と結婚していたという事実がある。彼らの存在が、拉致問題を引き起こした原因の一つであるというのは気の毒かもしれないが、彼らの結婚相手が拉致されたのは事実である。
そして、米国にも失踪者が存在する。もちろん、拉致事件と無縁の失踪がほとんどである。しかし、1990年代に発生したある失踪事件は、拉致とは無縁だと結論付けられないものがある。それは、ワシントンの造幣局に勤務していた二人の技術者が、相次いで謎の失踪をとげたという事件である。詳細は不明であるが、彼らの仕事の内容は、紙幣の原版を作るものだったという。北朝鮮が精巧なニセドルを作るだけの技術をどのように入手したのかはまだ不明だが、この二人の失踪がもし拉致だとすれば、その謎が一気に解けるだろう。
この情報は、日本の偽札鑑定の専門家から聞いたものである。彼は、その情報を米国政府関係者から入手したという。私は、2006年に米国に出張した際、米国政府関係者にこの情報の真偽の確認を求めた。しかし、残念ながら、その回答は未だに得られていない。米国としても、自国の国民が北朝鮮に拉致されていたとなると、看過するわけにはいかないだろうが、微妙な国際関係に影響を与えることを懸念しているのか、一切明らかにしていない。

August 19, 2007

中国の国際戦略「孔子学院」

 中国が始めた「孔子学院」は、2007年中に世界で200校に達するという。表向きは、世界に中国語を広め、中国文化をPRすることだという。日本でも桜美林大学や立命館大学などに「孔子学院」が設立され、中国語教育の一端を担っている。
 例えば、タイのチェンマイの近郊にも「孔子学院」が設立されている。その規模は、後楽園球場ぐらいの敷地で、大学並の大きさである。これは、全て中国政府の資金提供によって建設されたものだとのことだ。その影響もあってか、タイ北東部の道路沿いの看板は、どんどん中国語に塗り替えられている。流通している物資もほとんど中国製である。日本の姿は、車ぐらいしか映らない。
 中国政府の孔子学院の戦略は、ただ中国語の教育機関を世界に建設し、中国文化の普及に努めるということではない。その語学学校を卒業していく学生との関係性を持つことによって、中国とその国との外交を有利に進めていくことを考えてのことである。孔子学院を卒業した面々が、政府の要人や企業の幹部になっていくのであるから、彼らとの人間関係を若いうちから培養しておくのである。彼らを使って情報を集め、そして情報を発信するのである。
 外交は外交官だけではなく、ビジネスマンや学者あるいは学生などが実践していくという、国際関係論でも正当性を持ちつつある「トラック2、3」を、現在の世界で最も戦略的に、かつ強力に実践しているのである。かつての英国のブリティッシュ・カウンシルのようなものだが、その規模と迫力が違っている。
 さて、前述のタイの場合、目の前に「孔子学院」をまざまざと見せ付けられた日本の関係者は地団太踏むわけである。「なぜ日本政府はこうした戦略を実践しないのか」と。「このままだと、タイは完全に経済的にも政治的にも、中国の影響下に入ってしまう。日本のプレゼンスは相対的に低くなっている」と懸念するわけである。日本政府に孔子学院とまではいかなくとも、「日本文化交流センター(孔子に対抗して聖徳太子学院ではどうか)」といったものを、チェンマイにも設立できないかという話を持っていくのだが、「予算がない」ということで却下である。
 今の、日本政府の外交戦略は、麻生外務大臣の肝いりで実施されている「日本アニメの普及」である。もちろん「アニメ戦略」が悪いというわけではない。日本のアニメ文化の水準の高さは世界的にも認められており、それを普及していくことが日本文化の普及に一役買うことは間違いない。
 だが、「孔子学院」と「アニメ戦略」では、当該国と日本との間での、トラック2、3の関係性の構築にどれだけの違いが発生するかは、明らかである。タイのように日本にとって戦略的に重要な国には、国費でもって「日本文化交流センター:聖徳太子学院」を設置し、日本語の普及、そして経済交流や文化交流を強めていかなくてはならない。そして、当該国の政府や企業の将来のトップと、日本の関係者と「電話一本で話すことができる関係」を作っていくことが重要である。この東アジアを眺めても、中国を含めて、また中国を包囲するような形で、そうしたセンターを作っていくことは、日本の長期的な国家戦略として当然持っていなくてはならないものである。

August 18, 2007

韓国でも「北朝鮮問題の責任は韓国にある」という見方


 昨日のブログで、野中元自民党幹事長の発言を紹介した。発言の趣旨は「北朝鮮問題の責任は日本にある」というものだった。本日付の朝鮮日報にも、同じような見方が韓国政府要人にもあることを紹介している。
 こうした日韓の政治家・高級官僚の北朝鮮に対する見方、すなわち「責任は北朝鮮にあるのではなく、自分たちにある」と、殊勝なまでに「反省」を示すのは偶然なのだろうか。
 こうした北朝鮮に対する「反省」の見方は、偶然ではないにしろ、何らかの形で北朝鮮と関係をもつ政治家、官僚そして学者たちに見られる傾向であることは確かである。
 日本の場合には、こうした傾向が「朝鮮半島の占領という歴史問題への反省」から由来するものと考えがちだが、どうもそれだけではなさそうである。
 「北朝鮮問題の責任は我々にある」と自省的な見方は、古典的な左翼思想運動の典型的な方法論からきているものである。つまり「自己総括」という名のもとの「洗脳」である。日本赤軍が「総括」と称して、身内の仲間を次々に粛清した。彼らにとっての「総括」とは、リーダーによる仲間の「洗脳」だったのであり、「洗脳」されない人物は粛清されたのであった。朝鮮総連の闇組織の学習組で採用されたのも、「総括」という名のもとの「洗脳」であった。北朝鮮の強制収容所でも、毎日のように「思想学習」という名のもとの「総括」が強制されることによって、国民を「洗脳」していく。
 つまり、野中元自民党幹事長も、「総括」という名の下での「洗脳教育」を実践しているというわけである。彼が京都府副知事の時に、毎朝のように幹部に対して「総括」を求めていたのは有名な話である。「総括」を強制される京都府の幹部たちは、権力者によって「洗脳」されたわけである。
 『論語』の教えに「吾れ日に吾が身を三省す」とある。日々の行いに常に反省の気持ちを持って、仕事や学問に励め、ということである。その教えは正しい。だが、その「反省」が、「総括」という名の、権力者による強制的なものであっては、「洗脳」の道具となってしまうのである。
 『論語』の「反省」の教えはその後が大切である。
「朋友と交わりて信ならざりしか。習わざるを伝えしか」
 この意味は、「人から相談を受けた時、誠意を尽くさないことがありはしなかったか。朋友と交際する場合に、うそをつくことがありはしなかったか。自分でも十分にわかっていないことを、人に教えたことがあったのではあるまいか」である。(引用: 三省堂 故事ことわざ・慣用句辞典)
 日韓両国の国民にとって、正しい意味での「反省」を求める相手は、「総括」という名の「洗脳」を実践している時の権力者たちなのである。

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【社説】西海交戦の殉死者を冒とくした統一相の問題発言

 サッカー・ワールドカップ韓日大会で韓国とトルコによる3位決定戦が行われようとしていた2002年6月29日午前10時25分、西海(黄海)の延坪島西方沖の海上で、北朝鮮の警備艇2隻が北方限界線(NLL)を越え、5.5キロメートル地点まで南下してきた。すぐに韓国の警備艇2隻が、NLLのそとに出るよう北朝鮮側に警告を行った。すると北朝鮮の警備艇は突然、韓国の警備艇に向かって砲撃を開始した。韓国海軍の高速艇チャムスリ(オオワシ)号」の操舵(そうだ)室にはみるみるうちに火の手が上がった。韓国側の兵士たちは火に包まれながら機関銃を握って応射を行った。10時43分、北朝鮮の警備艇1隻も出火し、他の1隻とともに退却を開始した。
 この武力衝突により韓国海軍は尹永夏(ユン・ヨンハ)少領(少佐に相当)、韓相国(ハン・サングク)中士(下士官で旧日本軍の軍曹に相当)、趙天衡(チョ・チョンヒョン)中士、黄道顯(ファン・ドヒョン)中士、徐厚源(ソ・フウォン)中士、朴東赫(パク・ドンヒョク)兵長の6人が戦死し、18人が負傷した。
 李在禎(イ・ジェジョン)統一部長官は16日、この「西海交戦」について、「安全保障をどう維持するかという方法論において、韓国があらためて反省すべき課題になったのではないかと思う」と語った。この発言は「NLLは領土ではなく、安全保障のための線という位置づけ」とした李長官の以前の発言について野党議員から「(西海交戦で)NLLを守るために兵士6人が戦死したが、NLLが領土でないというならば、命を懸けて守る必要はなかったということか」との質問に答える形で飛び出した。
 西海交戦の戦死者の家族たちはこの5年間、合同葬や追悼式にすら無関心な政府の対応に心を痛め、また怒りを覚えてきた。ところが李長官は、6人の韓国軍兵士が殉死し、負傷者18人の多くが身体に障害を抱えることになったこの事件について、韓国が反省すべきだというとんでもない発言をおこなった。李長官のNLLに関する問題発言はこれだけではない。李長官は17日には「海上に不可侵の警戒線を確定させるために協議するという取り決めが南北間で交わされている」と語った。南北首脳会談でNLLの再調整問題を議題とする姿勢を示した発言だ。
 李長官は就任前の人事聴聞会で「韓国戦争(朝鮮戦争)が南侵(北朝鮮による韓国への侵略)だったと考えるか」という質問に、「ここで規定して発言するのは適切ではない」と答えていた。また今年の年頭記者会見では「北朝鮮の貧困問題に対し、韓国は責任を負うべきだ。貧困問題も核問題の原因の一つだ」と語った。さらに今年5月には「国民は平和のためにどれだけ努力してきたか、深く反省すべき」と発言した。
 李在禎氏のような人物を大韓民国統一部の長官に任命し、先のような発言にも一切とがめ立てしない盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領はいったいどういう腹づもりなのか、驚きを通り越してあきれるばかりだ。

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

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August 17, 2007

野中広務元自民党幹事長の「北朝鮮を信用しない日本の責任」発言

下記は、Live Door ニュース 2007.8.17の配信。

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【PJ 2007年08月17日】- 終戦記念日の15日、「第21回アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」が、大阪市内で開催された。集会で、「私の戦争体験」と題して自身の戦争体験を語った元自民党幹事長、野中広務氏(81歳)は、混迷する北朝鮮問題に言及した。
 野中氏は、「わたしは90年代、8回にわたり北朝鮮を訪問しました。努力しましたが、わたしの訪問で、功を奏することができませんでした。99年を最後に、それ以後、北朝鮮を訪問することはありませんでした。その後、小泉首相が、2回にわたり訪問しました。これは、勇気のあることだと思います。拉致被害者を5人取り戻したことは評価します」と、当時の小泉首相の行動を支持する考えを示した。
 その上で野中氏は、「北朝鮮は儒教に裏付けられた国です。訪朝の際、泊まらない、水も飲まない、食べない。こういう条件で、訪朝したことが、後でわかってまいりました。私どもの経験から言うと、何かを出さない限り、向こうが条件をのんでくれることはない国です。北朝鮮がこれ以上動かないのは、あのあと、日本がその時の約束を果たさないからだと思います。水も飲まない、食べないという相手を信用しないやり方をしたことが、相手が約束を履行しないことの原因ではないかと思います。わたしは、こういうところに、北朝鮮問題が動かない原因があるのではないかと思っています」と、北朝鮮問題がなかなか解決の道を辿らない理由について自身の考え方を言及した。
 最後に「戦争の傷跡を62年も引きずっています。わたしは、一人の政治家として、20年間国会議員をやっていたものとして、人生、どれだけ残っているかわかりませんが、戦争の傷跡を残した犠牲者の修復を行わない限り、その時代に生きた人間としての責任を果たすことができないと考えています」と話した。【了】
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野中元幹事長の北朝鮮問題とくに拉致問題に関係する行動と発言については、これまでも疑問に思うことが多々あった。この記事によれば「拉致問題が膠着した原因は、日本側にあり、北朝鮮を信用しないことである」と述べている。こうした見方は、何も野中元幹事長だけではない。「悪いのは全て日本だ」という自虐的とも言える姿勢は、巷に溢れている。
戦争責任はおいておくとして、拉致問題に関して、一体何が日本側の問題なのだか、私には理解できない。もちろん、過去の歴代自民党政権が、社会党と一緒になって拉致問題を隠蔽してきた事実、北朝鮮の工作員を野放しにしてきた事実については、日本側とくに野中元幹事長をはじめとする歴代の自民党幹部の責任であろう。
だが、拉致された日本側の責任と、拉致した当事者である北朝鮮の金親子政権の責任と、どちらが重大であるかは、小学生でも判ることだ。野中元幹事長の発言を聞いていると、何だか「拉致された方が悪い」といっているように思える。これは、「詐欺師や泥棒の論理」である。詐欺師や泥棒は、しばしば「易々と盗まれるようにしている方が悪い。易々と騙される方が悪い」と、自己の犯罪を正当化させる。
金親子政権が、自らの歴史を改ざんし、他国へ泥棒まがいの行動をしてきたのであるから、この「詐欺師と泥棒の論理」を振りまいて、自分たちを正当化してきたことはよくわかる。しかし、その論理を一国の政権政党の幹事長を務めた大物政治家が、全く同じように日本で展開しているのは、どうも解せない。
「北朝鮮が儒教の国」なら、仁義に則ってとっくに自分たちで拉致被害者を帰国させているだろう。「北朝鮮を信用しろ」というのは、「詐欺師や泥棒を信用しろ」というのと同じである。
野中元幹事長の発言の趣旨は、要は「日朝国交正常化交渉を始めて、ODAを実施しろ」ということなのだろう。「お土産をたくさん北朝鮮に与えれば、拉致問題も解決する」というわけなのだろう。だとすれば、はっきりとそれを言えばよい。そして、それを政策として早いところ実施してみればよい。その結果、騙された時の責任を執るのが、「時代を生きてきた人間」としての野中元幹事長ということになるのだから。

August 15, 2007

金正日は本当に多忙か?

Daily NK(2007.8.14)によれば、「金正日は多忙」とのことだ。
下記は、そのニュースの抜粋。

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労働新聞は13日、“偉大なる指導者金正日同志が、咸興の木材製品工場と精鉱社で現地指導をなさった”と報道した。
この媒体によれば、去る7月29日に咸鏡南道咸州郡のチュサン協同農場の地方選挙の投票を皮切りに公開された金正日の現地視察は、北朝鮮軍第4318軍部隊(8.1)、第264連合部隊(8.2)、第136軍部隊(8.3)、第273軍部隊(8.4)、ラナム炭坑機械連合企業所(8.5)、咸境道人民病院(8.6)、金策製鉄連合企業所(8.7)、ソンジン製鋼連合企業所(8.8)、2.8ビナロン連合企業所、ヨンソン機械連合企業所、第156軍部隊(8.11)、興南肥料連合企業所(8.12)、咸興木製品工場、精鉱社(8.13)訪問などと続いている。
7月29日から8月13日まで、金正日は軍の部隊を5ヶ所、産業の現場10ヶ所以上を含めた、15ヶ所を訪問している。これは、今年6月まで29回に過ぎなかった金正日の対外活動に比べれば、破格の活動だ。
金正日の今回の現地視察の報道の特徴は、1日に3ヶ所訪問するなど、'不眠不休’の苦労を捧げているという点と、訪問先から数百里離れた他の訪問先を視察するなど、'一行千里'の歩みもみられるという点だ。
労働新聞が11日に報道した視察の対象は、2.8ビナロン連合企業所を始めとした3ヶ所だ。
また、13日の報道どおり、咸興木材工場を訪問した後、数百里離れたイウオン郡の精鉱社を1日コースで回ったのであれば、咸鏡南道地域の劣悪な道路と鉄道事情を考えると、並々ならぬ機動力を見せたことになる。

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まさに千里馬(チョンリマ)のような視察であるが、これが本当かどうかは、Daily NKのコメントのように、怪しいものである。
金正日がすでに重病になっているという一部の報道もある。車椅子にのっていて、一日数時間しか執務ができないという情報もある。
千里馬と車椅子では180度違う状況なのだが、どちらが本当かわかる由も無い。
ただ、この千里馬の報道が「ウソ」だとすれば、かなりの重病であることになる。そうなれば、後継者の問題や指導体制の問題などが噴出し、かなり体制に動揺が走ることになろう。
後継者の問題は、体制問題とリンクしており、仮に金正男といった親族が後継するとなると、中国側が最も嫌う封建体制を今後も続けていくことになり、中国側との隠れた軋轢が繰り返されることになる。中国側は、金正男が後継者として指名されたとしても、実質的な権力の集中を避けさせ、徐々に集団指導体制に移行させるように圧力を加えるだろう。それも、来年の北京オリンピック以後の動きになるだろう。当面はおとなしくしておいてもらいたいのが中国側の本音である。
いずれにせよ、金正日の動向というよりも健康問題からは目を離せない。今月の南北首脳会談で、何時間ぐらい表に姿を出すのかがその判断のポイントになろう。韓国側に対して、空路ではなく、車での来朝を要請したのは、空路だと空港まで金正日が出迎えに行かなくてはならないのだが、それができないぐらいに体調が悪いという観測もあるのだ。

August 14, 2007

封印される拉致4:日高信夫さんの事件


 1967年9月ごろ、東京都内の印刷会社に勤めていた日高信夫さんは、「大阪に良い仕事がみつかった」と同僚に言い残して旅立ったまま失踪したという。その同僚とは誰なのか、未だに判っていない。しかも、会社にも退職手続きをとっていた形跡はなく、会社の関係者によれば「いつの間にかいなくなっていたと感じた」という不思議な失踪である。
 2006年9月、某テレビ局から「北朝鮮からの脱北者が、日高さんと思われる男性を、ピョンヤン市内で目撃したと言っている」という情報がもたらされた。私は、テレビ局のスタッフとソウルにむかい、当該の男性と面会した。当該の男性の証言は実に詳細であり、本人の特徴を全て矛盾なく語ったのだった。
 証言の決め手は、脱北者から「日高さんと思われる男性は、歩く時のクセに特徴が有り、腕を組んで肩を揺らすように歩いていた」というものだった。彼はその姿のマネをして、実際に私たちの前でやってくれた。その証言をすぐに電話でご家族のところに確認したところ「間違いない」という返事だったのだ。
 その後の10月13日、特定失踪者問題調査会は日高信夫さんについて「拉致濃厚」と判断した記者会見を開催した。日高信夫さんで合計35人の特定失踪者が「拉致濃厚」とされた。
 これらの「拉致濃厚」の特定失踪者については、2007年6月現在で、松本京子さんと高敬美、高剛さんを除いて、日本政府は拉致被害者としての認定を行なっていない。日高さんについても同様に日本政府が拉致被害者として認定することの見込みは立っていない。
 日高さんについての記者会見を私たちが行ったその日、警察庁の漆間長官は「日高さんについての情報は重要だが、警察としてそれだけで認定はできない」というコメントを出した。確かに目撃証言だけでは被害者としての認定は難しいかと思う。しかし、ではそれ以外に一体どのような方法があるというのだろうか。藤田進さん、加瀬テル子さんそして国井えり子さんのように、北朝鮮から本人の写真が出てきても認定を行わない。目撃証言でも駄目だ。とすれば、本人が「私は拉致された日本人です」と名乗り出るしか認定の道はないということなのだろうか。要は、見殺しになるのではないだろうか。
 なぜ日本政府は「拉致濃厚」とされる失踪者について拉致被害者の認定を行なわないのだろうか。それにはいくつかの理由があるが、その一つは、拉致被害者の認定は内閣総理大臣が行なうことになっているものの、実質的には警察が被害者として推認できるだけの「証拠」を入手して、はじめて被害者として認定するという手続き上の問題である。警察の判断が、内閣総理大臣の判断を決定付けるのである。内閣府には独自の情報収集する術がないのであるから、内閣総理大臣の「認定」の根拠を示すことができるのは警察しかないというのが実態である。
 この厳格とも言える手続きは、法治国家としては正しい厳格性であるかもしれない。しかし、問題はその次をどうするかということなのである。
 指摘するまでもなく、拉致という犯罪は「証拠」を残さない犯罪である。横田めぐみさんにいたっても、現在まで、その「証拠」は一切残っていない。仮に「証拠」と呼べるものは、当時の北朝鮮の不審船の電波受信記録だけであろうが、それは公開されていないので全くわからない。
 要するに、「証拠」がなければ「認定」しないという方針では、いつまでたっても拉致被害者として「認定」されることはないということだ。北朝鮮が自ら認めるか、あるいは本人が脱北し、「私が拉致被害者です」と名乗りをあげてはじめて日本政府は拉致被害者として「認定」することになるだろう。
 警察は「法と証拠」に基づいて捜査を公正かつ適切に行なうという。それはそれで大切なことだろう。警察が恣意的に法律を犯して犯罪捜査をすることは、それこそ犯罪行為だからだ。しかし、「法と証拠」とはなによりも犯罪被害者を助けるためのものであろう。「法と証拠」が及ばない範疇での犯罪の被害者を助けるために「法と証拠」があるはずだ。しかし、「法と証拠」に基づくというその論理は、拉致被害者を認定し、救出しようとする上では全く無力である。

August 13, 2007

封印される拉致3:国井えり子さんの事件


 国井えり子さんは、北朝鮮から写真がもたらされた三人の特定失踪者のうちの一人である。この写真も某テレビ局のスタッフが入手したものだった。法医学の専門家である橋本正次教授の鑑定結果も「当該の写真の女性は、国井えり子さん本人と考えても矛盾はない」との見解であった。
 国井えり子さんは、1968年12月12日、学校の試験日に網走市内の家を出たままの失踪である。以来、40年にわたって何ら消息がなかったものである。
 国井えり子さんの失踪には、ある関係者の存在を抜きには考えられないものである。その関係者とは、国井えり子さんの文通をしていた男性である。本人の失踪後にその男性に家族が面会をしたのだが、はっきりとした情報も得られないままだった。しかし、その男性にはある噂があった。その噂とは「彼は人身売買に手を出している」というものだった。噂の類を信じることはできないが、一方で火のないところに煙はたたない。
 現在でもその男性の所在地を調査しているものの、その男性の居所は判らないままにある。国井えり子さんについては、マスコミでも度々取り上げられた。おそらくはその男性も報道を見ているであろう。未だに何らの消息がつかめないのも不自然なことである。
 国井えり子さんの一枚の写真には重要なデータがある。それは、国井えり子さんが写っている写真の場所の背景と、加瀬テル子さんの夫が写っている写真の背景が同一なのである。それは、どこかレストランでの食事中の風景である。つまり、加瀬テル子さんと国井えり子さんは、一緒に何らかの活動をしていると考えられるのである。しかも、その男性は、拉致被害者でなおかつ拉致被害者を管理する責任者だったという情報が付随している。帰国した五人の拉致被害者も可能性としてその男性を知っているかもしれない。しかしながら、彼らからは何らの情報ももたらされていない。
 こうした状況を記者会見で再三にわたって報告したものの、国井えり子さんの事件が大きな注目を得ることはなかった。いつしか、国井えり子さん、加瀬テル子さん、そして加瀬テル子さんの夫と言われる男性の事件については、ほとんどマスコミで扱われることがなくなってしまった。
 国井さんの実家がある北海道の北見市でも拉致問題の集会が開かれ、そこに横田ご夫妻が出席され、多くの住民の参加を得たにもかかわらず、国井さんの拉致事件について、具体的な支援の輪が広がるでもない。拉致問題は横田めぐみさんの問題に集約されてしまった結果、国井えり子さんらの重要な拉致事件の真相究明と救出は、放置されたままなのである。
 その放置は、ある事件で予感することができた。それは、国井えり子さんの事件を北海道警察に告発した時のことだった。告発するにあたり事前に北海道警察との折衝を担当していただいた藤野弁護士(現在は調査会顧問、救う会全国協議会副会長、救う会北海道会長)の事務所に再三にわたって、北海道警の担当者がやってきた。そこまで一生懸命ならば、告発をすぐにでも受理をしてもらえるのだろうと考えていた。しかし、その結果は、「国井えり子さんの告発は受理できないが、不受理ではない」という極めて矛盾した回答を北海道警が出してきたのであった。子どもでもわかる論理矛盾を出してくる北海道警の意図はわからない。要は、面倒な告発を受けることはしたくない、告発の受理というのは警察にとって不名誉なことだ、という古臭い感覚が依然として道警の中に残っていたのかもしれない。
 事前の折衝でそうした論理矛盾を出す道警に郷を煮やした私たちは、ご家族と共に正式に受理の要請に道警本部を訪れた。その際に出てきた道警本部の担当者の苦虫を潰したような顔を忘れることはできない。その担当者はおそらくは一生懸命に道警内部で根回しをしてくれたのだろう。その結論が「受理できないが、不受理ではない」というものだったのだ。それを伝えなくてはならない立場の苦悩がにじみ出ているような顔だった。彼は、一生懸命に説明をするのだが、元々論理矛盾の内容を説明しようにも説明にはならない。
 いいかげんに痺れを切らした私は「北海道警の名誉にかかわることではないか。こんな曖昧な結論を出して、家族や世論が納得するわけはない。明確な姿勢をだしてもらいたい」と声を荒げてしまった。
 こんなことをしているうちに、しばらくして北海道警から藤野弁護士に「告発を受理する」という連絡がきたのであった。しかし、受理をしたものの、捜査というものが行なわれている形跡は今のところ全くない。前述の怪しい男性に関する情報を家族が求めているにもかかわらず、ご家族に対する報告もなく、ナシのツブテである。

August 12, 2007

封印される拉致2:常に「幕引き」という封印が狙われる拉致問題

 拉致問題の解決とは、拉致された被害者の全員の救出であることに異論はないだろう。拉致された被害者とは、日本人のみならず、現在の時点で判明しているだけでも世界の12カ国にも及んでいる外国人も含まれている。そして、なによりも、拉致されたどうか判明しない特定失踪者のうち、実際に拉致された方々の全員、そして私たちが誰も知らない拉致被害者全員の救出が、拉致問題の解決であり、正しい意味での「幕引き」である。
 ところが、実際に、どこの、誰が拉致被害者なのかという最も重要で、最も基本的な情報は、北朝鮮だけが持っているのであり、日本を含めた関係国は明確に数や人名を特定できるまでに至っていないのである。
 ポーカー・ゲームをやっている関係国のうち、手の内がわかっているのは北朝鮮だけという状況では、ゲームとしては勝ち目はない。拉致問題とは、勝ち目がなくとも、絶対に勝たなくてはならないゲームである。しかし、勝ち目がないとみた政治家や官僚が、拉致問題の部分的な解決による「幕引き」というものを画策してきた事実は明らかになっている。
 寺越事件がその最たる事例だ。後でも述べるが、寺越事件は、拉致問題が徐々に明らかになると、北朝鮮側は寺越武志さん本人を登場させ、「私の事件は事故だった。北朝鮮の船に助けられて、その後北朝鮮によって温かく育てられ、感謝している」と述べさせた。その手口で、寺越武志さんの両親を篭絡し、本人の一時帰国と、両親の北朝鮮への訪問の許可という形で「幕引き」したのだった。この寺越方式は、後に続く拉致被害者の問題の「幕引き」のモデルとなったのだった。
 寺越方式を「幕引き」のモデルにするにあたって、重要な役割りを担ったのが旧社会党の嶋崎譲代議士だった。彼は、「拉致問題を正面から北朝鮮に訴えれば、メンツにこだわる北朝鮮を硬化させるだけであり、メンツを立てるような解決方法が望ましい」と、彼なりの論理と方法論を採用して、寺越方式のモデル化を「成功」させたのだった。
 この曖昧な解決方法は、後の横田めぐみさんの娘であるキム・ヘギョンさんが登場した時にも顔を出したものであった。横田ご夫妻の、「孫を一目みたい」という肉親ならではの感情を利用して、寺越方式による「横田めぐみ事件」の「幕引き」を狙ったのだった。その時に、一役買ったのが、降って沸いたように突如現れたレインボー・ブリッジ代表の小坂浩彰氏だった。だが、この横田めぐみ事件の寺越方式による「幕引き」は、横田家の決断によって失敗に終わった。
 その後も、再び横田めぐみさんに関して、寺越方式による解決が意図された。それが、横田めぐみさんの夫であるキム・ヨンナム氏の登場である。キム・ヨンナム氏の登場は、彼の母親と姉を、北朝鮮に招き、キム・ヨンナムさんの口から、寺越さんと全く同じように「私の事件は拉致ではない。事故だった。北朝鮮に温かく迎えられて、感謝している」と述べさせた。寺越武志さんとカーボン・コピーのように全く一緒の構造が作られたのであった。
 このように、個別の拉致事件の「幕引き」が曖昧な形で進められたのも、北朝鮮と一戦を交えることに躊躇する日本と韓国の政府や国民を、それとなく納得させてしまうような 効果をもたらすからだった。「本人も幸せな暮らしをしているようだし、肉親とも再会できたのだから、それで十分ではないか」という具合である。
 寺越方式と並んで、「幕引き」として考えられた方式が、中山正暉(まさあき)代議士の提案した「気がついたら、本人が家で寝ていた、という形で解決させる」というものである。この方式も、家族に対して動揺を与える効果は絶大だった。日本の国民の多くも、「それで問題が解決するならそれで良いではないか」とそれとなく納得してしまう。家族会はこうした曖昧な形で、個別の事件の終結をもたらすことは、それこそ、それ以外の拉致事件を隠蔽させることになり、拉致問題の全面解決ではなく、部分的な解決で「幕引き」が行われてしまうことに重大な懸念を持ったのだった。結局、この中山方式も頓挫した。
 ことほど左様に、拉致問題の解決については、当初よりそして今日でも尚、曖昧で中途半端な形での「幕引き」が狙われ続いているのである。拉致問題の全面解決ではなく、部分的な解決で終わらせる「幕引き」の意図は、北朝鮮側の利害と日本側の利害が一致しているために起こる。その利害が、拉致問題の「幕引き」に伴う、日朝国交正常化であり、それに伴うODAである。
 日朝国交正常化に伴うODAの金額は、1兆円とも2兆円とも言われている。日本の企業にとっては咽から手が出るほど欲しい巨大プロジェクトである。ODA関係事業を受注するのが、日本の建設・土木会社、施設関係会社などであり、自民党への政治献金と直接結びついている企業群である。ゆえに、自民党の政権中枢にいた大物政治家たちが、拉致問題の解決よりも、「幕引き」による日朝国交正常化を急いだのであった。
 このODAを手にしたい政治家と企業にとっても、頭痛の種が拉致問題である。「拉致問題の解決なくして、日朝国交正常化はあり得ない」という小泉政権下での重大決定は、彼らに、政権政党に対して、例え部分的な解決であったとしても拉致問題の早期解決という「幕引き」を要請する圧力を加えさせることになった。小泉元首相の二回目の訪朝に時期を合わせて、合同北朝鮮調査団を派遣しようとした大手建設会社の動きが、その証明である。二度の小泉訪朝によって、拉致問題が「部分的解決」すると見込んだ大手ゼネコン各社は、平成16年にこぞってODAの実施を期待して、早々と北朝鮮への調査団の派遣を行なおうとした。しかし、それは日本国内の世論の反発によって、断念せざるを得なかった(それでも、彼らのうち代表三社、東亜建設工業、鴻池組、西松建設が訪朝したとされる)。
 五人の拉致被害者とその子どもたちを帰国させることで、拉致問題の「幕引き」を狙った小泉政権と北朝鮮との奇妙なコラボレーションが失敗に終わった原因は、北朝鮮の判断ミスだった。そのミスとは、曽我ひとみさんを帰国させたことだった。日本では誰も拉致被害者だと認識していなかった曽我ひとみさんを、北朝鮮側が帰国させた意図はまだ判らない。多分に日本側へのサービスだったとも思える。あるいは、誰も知らなかった拉致被害者を表に出すことで、これでもう拉致被害者は存在しないということをあえて示そうとしたのかもしれない。
 いずれにせよ、北朝鮮側の「幕引き」の意図は、特定失踪者と呼ばれる人たちの存在が明るみに出たことで崩れてしまったのだ。五人の拉致被害者の帰国以来、北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」という姿勢を一貫して続けているが、その主張には全く根拠がないことを、特定失踪者という存在が示すことになったのである。
横田めぐみさんのニセ遺骨といい、他の拉致被害者のニセ死亡診断書といい、北朝鮮側の出してくる資料や主張は、ことごとく客観的な根拠に欠けている。明白な根拠を示すことができないまま「拉致問題は解決済み」と強弁する理由はただ一つである。拉致の「幕引き」を速やかに行い、日朝の裏舞台に存在する利害の一致の実行を求めているのである。 
したがって、今後拉致問題がどのような展開になろうとも、北朝鮮側はいずれの段階でも「拉致問題は解決済み」であり、「幕引き」を狙ってくるであろう。そして、日本側にも、それに呼応する利害関係者が常に存在するのである。

August 10, 2007

「米の協調路線 背景に金総書記のメッセージ」

 本日の産経新聞一面に出された記事の内容は、もし本当であれば、朝鮮半島を眺める目を大きく変えていくものになるだろう。
 それは、従来より日本においては、中朝関係は蜜月であり、両国は強固な血で結ばれた同盟関係にあると思われていた。表向きはそのように見えるのである。しかし、この表向きの視点は、他の重要な要素を見落としていた。それは、北朝鮮が自国の安全保障上最も脅威としてとらえているのは、米国ではなく、中国であるという点である。中朝関係は表向きとは異なり、ストレスの高い隣人どうしなのである。
 北朝鮮は、中国からの強い圧力から逃れるために、米国を使っているのである。北朝鮮側は、米国が中国と国境を接する北朝鮮の戦略的地位の重要性について認識していることを十分に理解した上で、米国への表向きの「非難」とミサイルや核開発という「牽制」を使って、米国との「パートナーシップ」の構築を狙っていたと考えられるのである。
 この視点から眺めると、過去に流れた金正日の「米国への亡命計画」というものの信憑性があるものになる。事実、金正日の米国のハリウッド映画好きは有名である。「反米」を表向きのプロパガンダにしながら、実は「親米」なのである。とすれば、この金正日のメッセージも、あり得る話である。
 数年前に、私はある国際政治学者から指摘を受けたことがある。それが、前述のような「中国と北朝鮮との間の緊張関係と、それに伴う米朝の利害の一致を見落とすと、国際関係の裏の動きが見えなくなる」というものだった。その国際政治学者の指摘から、この産経新聞の記事の内容を眺めれば、この記事の内容はかなり信憑性があるものになろう。
 さて、こうした米朝の接近が、ここまでに至るとするならば、日本は中国との「戦略的互恵関係の構築」という約束と、「日米同盟」との間に挟まれて、舵取りは非常に難しいものになろう。中国からも、米国からも「どっちを選ぶのかはっきりせよ」と迫られるだろう。答えは簡単だが、その答えを出したときの、中国側からの反発は、今の北朝鮮どころの騒ぎではなくなるだろう。
自民党は内部での「安倍降ろし」に勤しんでいる場合ではないし、民主党も、もし政権をとったなら、この難しい舵取りをどのようにしていくのかという戦略を描いているのだろうか。自民党も民主党も、対外政策の決定では党利党略と無用な足の引っ張り合いをするのではなく、建設的な議論を進めて、日本の舵取りを誤りのない方向に向けてもらいたい。

封印される拉致1:数多くの拉致未遂事件

 このブログで、シリーズとして、「封印される拉致」を紹介していきたい。
 実は、この「封印される拉致」は、私のスケベ根性から出版を試みたものの、日の目を見なかったものである。その原稿を少しずつ、このブログで紹介していき、少しでも拉致問題の真相解明に役立てていきたいと思う。
 今回はその第一弾。

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 北朝鮮による拉致未遂事件で有名なものが、富山県雨晴海岸でのアベック拉致未遂事件である。1978年8月12日、アベックが海岸でたたずんでいると、背後から袋を持った数人の男たちが、彼らを襲った。近くの家の犬が吠え立てたために、男たちは途中で作業を中止した。アベックは、近くの民家に助けを求めた。現場に残されたのは、日本製とは思えない粗悪なゴム製マスクと袋だった。
 蓮池・奥戸事件、地村・浜本事件、市川・増元事件という一連の連続アベック拉致事件と時期や場所などの類似性があるため、北朝鮮によるアベック拉致未遂事件として考えられているものである。
 調査会が発足し、多くの「拉致の可能性を排除できない失踪」を発表した結果、思わぬ効果が現れた。それは、「私も拉致されかけたのではないか」という情報である。その数は、2007年6月現在で、40数件にのぼっている。もちろん、北朝鮮による拉致未遂とは即断できないものも多いが、もしかすればこれは拉致未遂ではないか、と判断できるような未遂事件も報告されている。
 一例をあげてみよう。

(福岡県北九州市の事件)
1970年ころ、若い女性が、夕方用事を済ませて駅から自宅に向かう途中、車に乗った男性に道を尋ねられた。その方向は、自分の家の方向だったので、一緒に車にのって案内をした。ところが、途中で男性は車を海岸の方に向かわせ、空き地に停めた。すると男性は「騒ぐと殺す」といい、車から海に向かってしばらくライトを点滅させていた。ところが何も起こらなかったので、女性は隙をみて車から逃げ出した。その男性は後を追ってこなかった。
(東京都新宿区の事件)
 1973年ころ、仕事帰りのPさん(男性)が東京の中央線の電車に四谷駅方面に乗って、座席でウトウトしていると、目の前に絶世の美女が現れ、「私は追われています。助けてください」という。Pさんは、その女性に付いて四谷駅で下車。その女性は「こっちです」と、Pさんを案内した。すると、暗闇の中から数人の男性が現れ、袋を持って襲い掛かった。Pさんは何とか逃げ切ったが、全く何が起こったのか理解することができなかった。
(三重県の事件)
 1974年夏、車でドライブ中のアベックが、伊勢の海岸に沿った道路を走っていると、突然、後ろからトラックが追い越し、車の前に止まった。そのトラックから数人の男性が降りてきて、袋のようなものを持って襲ってきた。とっさの判断でわき道に入り、民家を見つけて助けを求めたところ、男たちは逃げ去った。
(鹿児島県鹿児島市の事件)
 1975年2月、鹿児島市の当時高校生だったQさん(女性)が、下校途中、男性数人に取囲まれた。そして、「車に乗るように」と言われたが、隙をみて逃げた。
(青森県弘前市の事件)
 1980年3月頃、北海道から弘前大学に入学する準備をしていたRさん(男性)は、弘前駅から大学に向う途中で、数人の男性に囲まれた。彼らは「車に乗れ」といったが、隙をみて逃げた。
(北海道小樽市の事件)
 1990年6月、小樽市の海岸で、当時北海道大学のボート部だったUさん(男性)が、夕方ボート部の練習を終えて、一人で合宿場に帰る途中、麻袋とヒモを持った数人の男に前後を囲まれた。彼らに頭から袋をかぶせられそうになったが、なんとか切り抜けた。彼らは日本語ではない言語を話していた。あやうく難を逃れたUさんが、合宿場に帰ってボート部仲間にその話をしたものの、誰も信じようとはしなかった。

 拉致という犯罪は、証拠を残さない完全犯罪であるが、いくら訓練を積んだ北朝鮮の工作員であっても、百発百中ということは考えられない。いくつか失敗もあれば、試行錯誤を繰り返したことは十分考えられる。
 また、北朝鮮からの工作員だけでは拉致の実行は無理であり、拉致の場所の選定や拉致の対象者の選定、そして一次的な監禁と受け渡し場所への運搬といった作業には、どうしても日本にいる協力者が必要である。
 もちろん、この場合でも別のことは考えられる。安明進氏の証言によれば「北朝鮮から工作員が日本の海岸に上陸した際、たまたまその場所に遭遇した人を、証拠隠滅のために北朝鮮に連れ帰った」こともあるという。
 いずれにせよ、拉致問題の真相究明すなわち、誰が、どこで、どのように、どんな人を拉致しようとしたのかを知るには、この拉致未遂事件を調査することによって、多くの示唆を得ることができる。
 横田めぐみさんの事件が明らかになった当初、拉致被害者は北朝鮮の工作員にたまたま遭遇し、運悪く拉致されたとみられていた。前述のアベック連続事件も、たまたまその場所で北朝鮮の工作員が拉致する対象者を物色していた時に遭遇し、拉致されたという見方が強かった。
 しかし、今日ではそうした見方よりも、事前に拉致をする対象者の人定を進めておき、用意周到に準備を整えてから、拉致する機会を窺う、というものの見方が正しいようである。それは、田口八重子さんの事件や曽我ひとみさんの事件を検証すれば明らかである。 
 田口八重子さんの働いていた東京都豊島区の飲食店に、金世ホや方元正など、北朝鮮の工作員が出入りしていたことが判明している。また、曽我ひとみさんの事件も、ジェンキンス氏の証言によれば「曽我ひとみさんが通っていた看護学校の様子を撮影し、一番背の高かったひとみが拉致の対象者として選定された」という。
 北朝鮮側からすれば、たまたま遭遇した人を拉致していくよりも、あらかじめ人定作業を進め、自分たちの何らかの工作活動に役に立つと思われる対象者を選定するはずである。とするならば、たまたま遭遇して拉致された横田めぐみさんなどは、その前に拉致ざれた男性の結婚相手として「誰でも良いから、若い女性を拉致して来い」という指令だったと推測できる。
 この結婚相手を探すという拉致の目的は、何も人道的に結婚相手を探してくるためではない。先に拉致した人と結婚をさせ、子どもを作らせるためである。その子どもを作らせる意味は、拉致被害者が逃走しないように子どもを人質にするためである。北朝鮮の工作機関は、どこまでも人間を道具的にしか見ない。
 さて、数多くの拉致未遂事件があるものの、その検証を進めていっても、結局のところ、真相はつかめない。だれが、どういう目的でその対象者を拉致しようとしたのかが判明しない。おそらく、拉致しようとする対象者の身近に存在する協力者が人定を進め、その時期を狙っていたのかもしれない。しかし、その身近に存在する協力者を探し出すことは実に困難なことである。捜査当局も、こうした拉致未遂事件の捜査を行なっているようであるが、その実態は明らかにされてはいない。拉致未遂事件の真相も闇の中なのである。

August 09, 2007

しばらくお休みでした

 しばらくお休みしてました。
 静岡県御殿場市にある「富士社会教育センター」での研修会での講師として出張していました。
 同センターでは、地方議員向けの研修会を定期的に開催しており、今回は「猛者」を相手にしての研修でした。
 地方議員の方も、政策研修の場が意外と限られており、「もっと研鑚を積みたい」という志の高い地方議員の方が、19名参加しての研修でした。各自の目的意識に基づいて、個別のテーマを研修していくというものです。来年の今ごろには、参加者の論文を集めた書籍が出版される予定です。今から楽しみです。

 さて、出張のたびに、大きなことが起こるのですが、今回は、南北首脳会談の開催が発表されたことです。読売新聞や産経新聞では「大いなる懸念」の論調でしたが、国際社会では「概ね好評」のようです。この認識のギャップの原因については、「南北問題がどうでもいいとはいえないが、北朝鮮の核開発だけなんとかしてくれればそれでいい」という国際社会の認識から生まれているものだと思います。ここを何とか日本政府には頑張ってもらって、国際社会の世論を、「核開発だけの問題ではない」ということに変えていく必要があるでしょう。もちろん日本政府の努力だけではなく、政治家、研究者、ジャーナリスト、NGOそして国民が、あらゆるチャンネルで訴えていくことが大切だと思います。
 
 前述の地方議員の皆さんは、地方自治のことだけではなく、国際問題にも大いに関心の目を向けています。自治体での国際交流なども、ただたんに「交流」するだけではなく、こうした難しい問題の「公報」の場として使っていくことに努めてもらうと良いのではないでしょうか。

 

August 06, 2007

著書の紹介

 僭越ながら、著書を発刊いたしました。共著です。
 著書名『民力が担う自由な社会』本の風景社
 共著者
   眞鍋貞樹
   岩佐充則
   竹本善次
   竹内雅俊
   小野田敬

 値段 1500円+税
 アマゾンにてお買い求めできます。
 著者にご一報いただければ発送させていただきます。

 民間の力をどのように社会や行政あるいは国家の運営に活かすべきか、という課題について、友人の研究者と議論をしながらまとめたものです。一応学術書ですので、自費出版です。
 私は、コミュニタリアニズムに着目し、現在の日本における新自由主義的な改革路線に対して批判的な立場から「民力」について述べてみました。ご意見など賜れば幸いです。


 

 
 

August 03, 2007

「人権」が国際政治の道具となっている

「人権」という言葉が、安易に政治的道具として使われ始めている。敵対国を非難する場合に、自国の「人権蹂躙」の実態を隠して、ひたすら敵対国の「人権」問題を、国際的にクローズ・アップしている。それがインターネット社会によって、瞬時に世界中にその声明なり談話なりが伝えられていく。そのプロセスでバイアスがかかり、誇張されていく。
いわゆる「従軍慰安婦」の米国議会での決議にしても、10人足らずの出席のもとでの「決議」にもかかわらず、さも議員の全員が出席した上での、日本非難に燃え上がっているかのように報道され、日本での喧騒が始まった。その喧騒を歓び、政治的に活用するのが、日本にいる「日本嫌い」の政治勢力であることはいうまでもない。
北朝鮮も同様に、自国での現在進行形の最悪の人権蹂躙を差し置いて、「従軍慰安婦」の問題と「強制連行」の問題を取り上げ、日本を「人権蹂躙した国」として非難することに忙しい。
こうした状況は、人権蹂躙の実態というものを逆に隠蔽させ、人権が国際政治的な「道具」として使われていることを意味している。
「人権」という概念は、指摘するまでもなく、近代化のプロセスから西欧に生まれた価値概念である。古典的な自由主義的理想主義の立場から「人権概念」を世界中に広め、飢餓、貧困そして紛争を終わらせる手段としてとらえられたものである。その延長線上に、1966年の国連における国際人権規約というものが生まれてきたのである。
ところが、今日の実態というのは、自由主義的理想主義の延長線上に「人権」がとらえられるのではなく、実際の武力の行使に替わった「口げんか」の中で、道具的に「人権概念」が利用されてくるに至っているのである。
こうした国際政治的な「人権蹂躙の非難合戦」とは全く別のレベルで、現実の人権問題が実際に行われているのである。北朝鮮やダルフールなどの実態がそれを如実に示している。
懸念するのは、日本において、この「人権蹂躙の非難合戦」のあおりを受けて、実際に北朝鮮の人権問題に取り組んでいる活動に、齟齬を来たさないかということである。拉致問題しかり。加えて、脱北者問題や強制収容所の問題なども、「人権蹂躙の非難合戦」の影に隠されてしまいそうである。つまり、日本国民が「人権」という概念に対して辟易してしまうことである。それを狙っての、北朝鮮による日本の非難である。だが、易々と日本国民が、そうした策略に引っかかるとは思えない。
ここは、日本国民が「非難合戦」に惑わされず、「人権」という概念の大切さと実態を、冷静にかつ深刻に受け止めて、北朝鮮に関する人権問題の解決に心を砕いてもらいたいものである。

鈴木清江さんの失踪に関わる重要人物の「似顔絵」

 しばらくお休みしていました。静岡に出張でした。
 静岡の出張は、特定失踪者の鈴木清江さんについて、県警本部への訪問と、記者会見でした。訪問と記者会見の目的は、鈴木清江さんの失踪に関わる重要参考人の「似顔絵」を作成したことに伴い、県警本部にさらなる捜査の要請と、マスコミに対して情報提供を呼びかけてもらうことでした。
 鈴木清江さんは、特定失踪者の470名の中でも、失踪に関わる重要な参考人を直接ご家族が目撃している唯一の例です。
 失踪当時に「似顔絵」を作製し、公開していれば良かったのでしょうが、そこまでは至らず、今日まで至っていたというものです。もちろん、その人物が「犯人」だとは、断定できませんが、失踪に関わる重要な人物であることだけは間違いないでしょう。
 静岡関連のニュースに掲載されていますので、是非ご覧下さい。もし、心当たりがあれば、ご連絡をお願い致します。

http://www.shizushin.com/local_social/20070801000000000066.htm

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