封印される拉致9: 在日朝鮮人アパート経営者の沈黙
布施範行さんは、東京の亜細亜大学を卒業後、名古屋で就職をした。その名古屋から妹に「これから沖縄に旅に出る。心配しないでくれ」という手紙を送ったのを最後に、忽然と姿を消した。1977年3月のことである。
布施範行さんについては、調査会が発足してまもなく、謎の人物から「布施さんに似た日本人が、ピョンヤンで働いているのを見た。何かを作っている仕事だ。物静かで、関西方面のなまりがあった」という情報がもたらされた。私は布施さんの情報を求めて、山形、東京、愛知そして沖縄と、調査に赴いた。沖縄では関係者の協力を得て、地元新聞で情報提供の呼びかけなどをしていただいたが、何も得ることができなかった。
ところが、その名古屋での下宿先が、朝鮮総連の幹部が経営するアパートだったことが判明した。その幹部のAさんは、若い頃熱心な総連活動家であり、分会長として朝鮮大学校の学生を学習のために受け入れていたほどだった。
そのアパートに布施さんがなぜ住むようになったのかは判らない。名古屋といっても中心部から電車で30分は乗らなくてはならないような場所である。当時そのアパートを斡旋したはずの不動産屋もどこだかは全く判らない。
その幹部の奥さんは、何度となく北朝鮮に帰国したことがあるという。娘さんが在日朝鮮人と結婚し、その男性と一緒に北朝鮮への帰国事業に乗ってしまったのである。それがこの母親の人生最大の後悔となった。当初、その母親は「北朝鮮はすばらしい国だ。一緒に行かないか」と周囲に言って憚らなかった。当然、布施さんを含めてそのアパートの住民にもそのようなことを言っていたことは容易に想像がつく。
ところが、母親が北朝鮮に最後に行ってから、母親の弁は変わっていったという。周囲の人に北朝鮮のことを話すことが次第になくなっていった。
その母親が亡くなる前、周囲の人に漏らした言葉は「私は北朝鮮に騙された」だったという。なぜ、どのように騙されたのか、それは誰にも判らない。しかし、それが娘さんに関係することだったろう。その娘さんの動向は誰も判らない。
さて、A氏は、老後を一人でつつましやかに暮らしている。かつての朝鮮総連の幹部という強面の面影はない。私が布施さんの写真を見せても「覚えていない。私は何も知らない」と繰り返すのみである。その目は沈んでいて、精気を全く感じさせないものだった。奥さんの訪朝のことを尋ねても同様に「知らない」を繰り返すのみだ。ただ「北朝鮮にいる娘さんはお元気ですか」と尋ねたとき、驚いたような反応を一瞬示した。しかし、その後は伏目がちに「私は何も知らない。本当に何も知らないんだ」とつぶやくだけだった。
こうして布施さんの拉致も封印された。
在日朝鮮人で拉致問題に何らかの形で関わった人物は、現在でも多数存在するはずである。彼らは、周りの人に「墓場まで持っていく」といっているとのことである。それは、自分が証言すれば、自分たちの家族に危害が及ぶのを恐れてのことだという。その気持ちはわからないでもない。しかし、墓場まで持っていって成仏するだろうか。自分の意思で関わったかどうかはともかく、拉致被害者とそのご家族が健在のうちに証言をし、一人でも多くの拉致被害者を助け出してこそ成仏できるのではないだろうか。彼らの家族もそれを願ってはいないだろうか。全てを話してもらいたい。


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