木村かほるさんと思われる情報
下記は、本日、記者会見で発表した内容の全文。
1982年、タイ人女性を北朝鮮に騙して連れて行ったのは、北朝鮮の工作員で日本名を「小林」「山田」と名乗った二人組である。そして、その女性たちの世話を北朝鮮でしたのが、日本の対北朝鮮貿易商社だった「日隆商事(既に倒産)。
同会社は、合法的に北朝鮮とのビジネスをしていて、金正日の依頼を受け、北朝鮮のレストラン「安山館」の運営を手伝っていたのである。「安山館」とは、金正日の指令によって作られた、外国人向けのレストランである。そこには、寿司店やてんぷら屋があり、日本から料理人が、これも日隆商事が合法的に世話をして、働いていた。そこで、かの有名な「金正日の料理人藤本氏」も働いていたのである。そして、タイ人女性が働くことになった高級クラブも入っていた。
彼女たちは、日本に行くつもりだったのが、着いてみればピョンヤンだった、というなんともエグイ話である。彼女たちが、ピョンヤンについて、最初に収容されたのが、ピョンヤン郊外にある招待所であった。彼女たちの証言から、それは龍岳山にある招待所と推測される。
その招待所で、木村かほるさんと思われる女性から日本語を教えてもらったということである。
タイ人女性たちは、その後1983年に、無事にタイに送り返された。秘密の工作活動に携わっていたわけではないし、日隆商事も合法的なビジネスとして運営をしていたのであるから、彼女たちの代替要員として新しく香港から連れてこられた女性が安山館に来たことによって、無罪放免ということだった。
北朝鮮問題を調べていると、しばしば頭が変になりそうなことがあるが、この事件もその一つである。しかし、そのへんてこな事件の裏を調べていくと、意外なところで重要な情報を得ることができるという事例の一つでもある。
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平成19年10月31日
木村かほるさんと思われる「タイ人女性の日本語教師」についての報告
特定失踪者問題調査会
10月1日の記者会見で、特定失踪者問題調査会が発表したように、1982年7月にタイから北朝鮮に騙されて連れて行かれ、その後の1982年2月、タイに帰国を果たしたタイ人女性たちより、北朝鮮における彼女たちの「日本語教師」は、日本人である可能性があり、しかも、特定失踪者の木村かほるさんか、荒井セツさんに似ているとの証言を得た。
調査会は、今回のタイにおける調査(10月25日より27日)で、タイ人女性の四人と面会を行った。そのうち三人から別々に証言を受けた。三人のうち二人は、前回に証言をした人たちである。今回は、前回と異なり、多くの特定失踪者の写真と木村かほるさん、荒井セツさんの別の写真を照合してもらった上で、新たに詳細な証言を得た。
その結果、三人の女性は、いずれも特定失踪者の写真のうち「木村かほるさんが、最も似ている」と指摘した。
また、三人のいずれの証言でも「日本語教師」の人物像は、木村かほるさんとほぼ一致し、矛盾点はない。唯一、異なるのが「日本語の教師はメガネをしていた」という点だが、木村かほるさんの家系の状況や、本人の加齢を考慮しても、別人であるという証明にはならない。
以上のことから、今回の証言だけでは断定はできないものの、タイ人女性に日本語を教えた女性は、木村かほるさんの可能性が高いと判断できる。
尚、荒井セツさんである可能性については、今回、三人のタイ人女性に新たな別の荒井セツさんの写真をみせたところ、いずれも「似ているが、木村かおるさんの方が似ている」と証言をし、人物像についても類似性が少ないことから、可能性は低いと判断する。
ついては、日本政府に対して、木村かほるさんの失踪について、これまで以上に失踪の真相究明を鋭意行い、拉致被害者である可能性が高い失踪者であることから、北朝鮮当局に対して、強く帰国を求めることを要請する。
<日本語の先生についての三人の証言>
Aさんの証言 2007.10.25
先生の名前は記憶がない。
先生の夫や子どもの数、性別もわからない。
先生は、毎日キャンディを配っていた。一人に五、六個ずつ配っていた。
キャンディは、梅干、チョコ、コーヒー味、ナッツといったものだった。
キャンディは、ビニール袋にくるまれていた。
ビニール袋に、何語かわからないが、大きな赤い文字が書かれていたものがあった。
(注:梅干のキャンディということから、日本製のものと推測される)
先生は、毎日「おはようございます。お元気ですか」と声をかけてくれた。
(注:看護師という職業を推測させる)
先生は、毎日運転手つきの、黒い車で招待所に来ていた。
(注:招待所は、ピョンヤンからほど近いところにあると推測される)
先生は、いつもにこにこしていて、怒った顔をみたことがない。
ヒラガナとカタカナを教えてくれた。
言葉としては「いらっしゃいませ」とか「何を飲みますか」といったものだった。
(注:安山館でのホステスのためだったと推測される)
授業は、ノートだけで、教科書はなかった。
別のタイ人女性が最初は、日本語とタイ語の通訳をしていた。
日本の会社(注:日隆商事)から、給料、服、化粧品を送ってもらった。ママさん(注:日隆商事が派遣した女性)が、一ヶ月に一度来ていたので、彼女に頼んだ。キャンディを頼んだ覚えはない。
先生の特徴は、次のようなもの。
顔は丸い。髪の毛は短い。背は小さい。鼻が高くない。目が細い。色が白い。ホクロはない。
細い声で、優しく語り掛けるような感じだった。
先生は、大きなハンカチ(注:風呂敷と思われる)に教材を包み、小脇に抱えて、持って歩いていた。
(注:当時の北朝鮮で風呂敷が使われたかどうかは定かではないが、日本人の特徴と一致する)
Bさんの証言 2007.10.26
先生は、キャンディの袋をゴミとしないように回収していた。
(注:木村かほるさんの几帳面な性格を物語る)
先生は、たまにメガネをかけていた。
(注:木村かほるさんは、若いうちはかけていなかったが、家系的に乱視がある)
先生は、化粧をしていなかった。
(注:天内さんによれば、化粧は好きではなかった)
普通の服装だった。
服を着た全体の感じはこの人(木村かほるさん)に似ている。
(注:天内さんによれば、服装のおしゃれに気遣うようなことはなかった)
鼻の形がこの女性(木村かほるさん)に似ている。
いつもニコニコしていた。
(天内さんの写真を見て)笑顔がよく似ている。顔の形や、太り具合も似ている。
先生は英語が上手だったので、英語でよく話をした。
(注:天内さんによれば、英語の能力は記憶がない)
キャンディやクッキーを配っていた。たまに、砂糖でできた小さなパン(四角や丸)も配ってくれた。キャンディは甘かった。(「梅干のキャンディがあった?」と聞かれたら)、あった。
キャンディは赤や黄色のプラスティック(ビニールの間違い?)でくるまれていた。
私が「チョコレートを欲しい」と頼んだら、チョコレートをくれた。そのチョコの箱をまだ持っている。
(注:チョコレートの箱はブリキで、中国の「幸福(Lucky)製)
先生は「お元気ですか。ご飯を食べましたか。お父さん、お母さんに会いたいですか。料理は食べられますか。何か欲しいものはありますか」とよく言っていた。
笑うと少し歯が出た。
155センチぐらいの身長だった。
(注:木村かほるさんの身長は、失踪当時150センチを少し越えるぐらいだった)
腰と太ももにかけてのあたりが太かった。
足も、腕も太かった。
(注:天内さんによれば、家系的には、若いときは全体的にはスラッとした感じだが、中年になると腰が張ってくるような、がっしりとした感じになる)
「乾杯」という言葉を教えてくれた。
「外に出ないで下さい。道に迷うと危ないです」といわれた。
日本語のテキストのようなものもあった。プリントして配っていた。そのプリントには男女の写真が載ってあり、その横に「おとこ」「おんな」と書かれていた。
先生は絵を描いて、教えてくれた。
一日に一時間の授業だった。
子どもは「(17歳か18歳の)女の子がいる」と言っていた。複数なのかどうかはわからない。
「皆さんは私の娘よりも少し大きいから、私の娘みたいなものです」と言っていた。
夫の話は出なかった。
先生は「ずっと日本語の先生をしている」と言っていた。
(注:木村かほるさんの家系では、母が国語の教師、兄、姉も教師である)
「北朝鮮のえらい人に知り合いがいないとピョンヤンに住めない。私は偉い人を知っている」と言っていたので、ピョンヤンに住んでいるのだと思う。
先生から北朝鮮の言葉は聴いたことがない。日本語と英語だった。
日本の童謡を2、3曲教えてくれた。私たちが居眠りをしていた時などだ。曲名は覚えていない。(真鍋がいくつか歌うと)「さくら」だと思う。
(注:天内さんによれば、子どもの頃、母親や姉から童謡を聴かされて育った。本人も童謡が好きだったとのこと)
Cさんの証言 2007.10.27
日本語の先生は、あまりよく覚えていない。
背は高くない。
太り気味で、肌が白かった。
笑顔が、この人(木村かほるさん)によく似ている。
(注:荒井セツさんや他の女性については、ほとんど反応はなかった)
40歳を超えるぐらいの人だった。
ニコニコしていた。
日本人女性が和服を着たときの特有の歩き方のような、タッタッタッという感じで歩いていた。
(注:AさんもBさんも同様に「手を膝にあてて、腰を少し曲げ、内股で歩いていた」と証言。天内さんによれば、本人の友人は、「木村かほるさんは内股で歩いていた」とのこと)
おしゃれな感じではなかった。
化粧もしていなかった。
髪型がこの人(木村かほるさん)に似ている。
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