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38 posts from November 2007

November 30, 2007

踊る大総理線 2

 不謹慎な小話。

某月某日 総理官邸にて

総理秘書官 「総理。ついに、米国が北朝鮮へのテロ支援国家指定を解除しました!!」
福田総理  「なに。本当か? それなら、わが国が独自に指定しなければならないな」
総理秘書官 「はい。では、すぐに北朝鮮をわが国が指定するように手配します」
福田総理  「ばかもん。米国をテロ支援国に指定するのだ!!」

November 29, 2007

東京大学黒住真教授のインタビュー

 下記は、中央日報によるインタビューに答えた東京大学黒住教授の発言。
 まあ、日本の知識人の認識というものはこんなものであろう。一言で言えば、めちゃくちゃである。
 数年前、国際政治が専門の某名門大学の某教授と会った時に「拉致問題はでっちあげだ。韓国のKCIAの謀略である」と言っていた。その方は、今でもテレビや新聞でコメントしている。その偉大な先生が「私の認識は間違っていました。謝罪します」といった記憶はない。黒住教授が求める正直どころか、倫理的にも道徳的にも最悪ではないか。

*****
中央日報 2007.11.28

--最近南北首脳会談はどう見るか。

「北朝鮮がデポドンミサイルを飛ばしたことをもって日本の武力化の言い訳にしようと安倍、麻生氏のような指導者たちがしゃしゃり出た。ところで実はデポドンミサイルは隣の海にどぼんと落としたおもちゃのようなものだ。そんなおもちゃに全世界が動揺するというのはまったくコミックショーだ。福田首相まで北朝鮮の日本人拉致を言い訳にしゃしゃり出ているが、人を挙げて言えないけれども、むしろ日本人たちが東アジアの罪のない人民たちを数千数万人拉致してきたと思う知性人もいる。朝鮮の慰安婦は拉致ではなくて何か。一言でもうそんな冷戦時代の偽装されたショーから互いに脱却しなければならないというのだ。幼稚な国際言語を高級化させなければならないときが来たのだ。北朝鮮を悪の枢軸だというが実は私は倫理学者の1人として、北朝鮮社会は一方的に規定することができないと思う。理念的硬直性を外部で非倫理的に規定しなければならない理由はない。米国や中国、日本のような強大国が実際に国際社会でしでかしてきた罪悪に比べたら北朝鮮は単なる貧しい国、ちょっときばってみた国にすぎなかっただけだ。北朝鮮が悪いことをしたとしたら、どれだけ悪いことをしたというのか。冷静に考えてみよ。ただ韓国の人々に北朝鮮が否定的に映るのは6.25戦争を通じてあまりにも多くの憎しみを残したからだ。しかしそういう巨視的問題は南北だけではなく全世界が責任を負わなければならない。6.25戦争で日本はどれだけ多くの金を儲け、どれだけ早く戦後の傷を復旧させることができたのか。もう人類は倫理的に正直にならなければならない」

◆黒住真=1950年、岡山生まれ広島で育つ。東京大学倫理学科に入学して同大学院から博士課程まで終え、現在、東京大学倫理思想史教授として在職している。丸山眞男以後の日本思想史研究で大成した思想家で、思想そのものの論理構造よりは人間の生と社会、そして制度の中での思想を幅広く研究してきた。日本思想のアジア全体の歴史的脈絡を重視した「近世日本社会と儒教」(2003)は画期的著書として評価されている。

*****

踊る大総理線

下記は、昨日の調査会のメールニュースより転記したもの。
 メールニュースの内容は、先日10月31日に、総理大臣宛に要請文書を提出したことを受けて、昨日11月28日に、内閣府よりその回答があったものについて報告したものである。
 読んでいただければお分かりのように、「政府は一生懸命やっています。あまり邪魔をしないで下さい」というようなものである。やれやれ。

 さて、そこでいささか不謹慎ながら「踊る大総理線」と題した小話を一つ。

某月某日 飯倉公館にて

総理秘書官

「総理。官邸の外で、特定失踪者問題調査会の連中が『特定失踪者を拉致認定せよ』と騒いでいます」

福田総理

「では、中山補佐官に『政府は皆さんと一緒に一体となって頑張っています。どうか、あまり騒がないで下さい。特定失踪者の方は、拉致かどうか北朝鮮が調べてくれます』と伝えてもらうようにいいなさい」

総理秘書官

「総理。それでは荒木や真鍋は納得するどころか余計に騒ぎます」

福田総理

「では、私が『おだまりなさい。特定失踪者の方は、皆んな北朝鮮で生きているのですよ』と言ったと伝えなさい」


 
*****

[調査会NEWS 579](19.11.28)

■「総理は特定失踪者家族に会わない」ーー要請書への政府回答

 ニュース577号でお知らせした10月31日付要請書への政府回答が本日17:30、河内隆・拉致問題対策
本部事務局総合調整室室長より調査会代表荒木に手渡されました。

 要請書と回答の対比は次の通りです。
---------------------------------------------------------------------
(要請文書)
                                             
   平成19年10月31日
内閣総理大臣・拉致問題対策本部長
            福田康夫殿
                                    特定失踪者問題調査
会代表    荒木和博
                                    特定失踪者家族支援
委員会委員長 真鍋貞樹

                          特定失踪者問題への対応について
拝啓

 ご就任以来の積極的な拉致問題への取り組みに心より敬意を表します。特に先日は家族会・救う会
の皆様との懇談の場を持たれ、解決への決意を表明していただいたこと、大変心強く思っております

 さて、その総理との面会の場で松本京子さんのお兄さんである松本孟さんが「(昨年に認定される
)までは特定失踪者だった。妹の後に特定失踪者が460人いる。『この手で解決』して下さる人の中
に、特定失踪者も加えてほしい」と言っておられるように、拉致問題の解決は政府認定の有無に関係
なく、拉致被害者全員の救出によってこそ実現することは言うまでもありません。

 しかし、一方で報道によれば総理は去る10月26日に「拉致問題が進展したかどうかの判断基準につ
いて『全員だ。こちらが向こうにいると言っている方々が全員帰ってくるということだ』と述べ、政
府が認定する拉致被害者全員の帰国が必要との認識を強調した」(共同電)と発言されたと言われて
います。今、特定失踪者のご家族の中には取り残されていくことへの不安感を持っている方が少なく
ありません。その懸念を払拭するためにぜひ総理の積極的な対応をお願いし、以下の要請を致す次第
です。


1、特定失踪者家族との面会について
 すでに古川了子さんの拉致認定を求める訴訟の折、政府は「認定未認定で差別することはない」と
繰り返し言ってきました。しかし、現実には10月26日の面会にも特定失踪者については何の対応もと
られていません。このことは極めて残念です。
 私たちは北朝鮮人権週間中の12月16日に東京と大阪で集会を行い、政府への要望書を採択する予定
です。総理にはお忙しいところ誠に恐縮ですが、ぜひその要望書を直接受け取っていただきたく、お
願い申しあげる次第です。

(政府回答)-----------------------------------------
1について、
 拉致問題対策本部の発足以降、拉致問題に係る外交上の動きについて調査会を通じた情報提供に努
めてきているほか、ご家族からの個別の相談等に対しても誠実に応じるなど、出来る限りきめ細かい
対応に努力している点について、ご理解をいただきたいと思います。
 なお、古川了子さんの拉致認定を求める訴訟で、内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室長兼
内閣府拉致被害者等支援担当室長が平成19年4月26日付の表明書で表明した8つの施策について
は、関係省庁・関係機関が連携してその実施に努めているところです。
 拉致問題に関する政府へのご要望につきましては、基本的には、内閣官房拉致問題対策本部事務局
を窓口としてお受け取りすることとしており、今回のご要望につきましても、同様に対応させて頂き
ます。

(調査会要請文書)-----------------------------------------
2、前述の報道について
 政府が言っている「生存者全員の帰国」というのが認定被害者だけを指すものであれば私たちは到
底容認できるものではありません。総理の言葉の真意がどこにあるのか、また、そもそも「生存者全
員」というのはどうやって確認するのか。北朝鮮が「死亡」と言ったらそれで納得するということな
のか。寺越昭二さん、外雄さんについてはどうするのか、調査会のリストにも、警察が拉致の可能性
ありと考えている人のリストにもない拉致被害者についてはどうやって見つけ出すのか、ぜひ明らか
にしていただきたく、お願い申しあげます。

(政府回答)-----------------------------------------
2について、
 政府としましては、認定被害者に限らず、現実に拉致されているすべての拉致被害者の安全確保と
速やかな帰国を強く求めているところです。
 また、政府としては、認定被害者以外にも北朝鮮による拉致の可能性を排除できない人が存在して
いるとの認識の下、関係省庁等が緊密に連携を図りつつ、全力で真相究明に努めているところです。
 ただし、具体的な手段・方法等を明らかにすることは、今後の情報収集活動等を困難にするおそれ
があることなどから、お答えを差し控えさせていただきます。

(調査会要請文書)-----------------------------------------
3、北朝鮮における調査について
 北朝鮮側に再調査を求めていても、まともな対応をしないことは明らかです。また、形式だけ再調
査をしたということにして、実際は時間を引き延ばされるだけです。私たちは北朝鮮に直接入って関
係者の話を聞き、関係した地域の調査を早急に行う必要があると考えます。民間団体の調査活動を認
めるよう、北朝鮮当局に強く要求していただくことはできないでしょうか。

(政府回答)-----------------------------------------
3について、
 政府は、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現すべく最大限努力をしています。10月3日
の六者会合成果文書においても、日朝双方が精力的な協議を通じて具体的行動を実施していくことが
確認されたところであり、政府としては、北朝鮮自身が拉致問題の解決に向けて具体的な行動を取る
よう求めていく考えです。

*****

November 26, 2007

シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 4

釧路―帯広―網走―雄武―東京

 渡辺秀子さんは1941年6月5日、釧路市にて生まれた。父親は旧国鉄マンで、釧路市で停年を前に退職した。中学校時代に両親は帯広に移り住んで、中華料理店を市内で経営した。
 1950年の後半から60年代当時の帯広市内は、全国的にも同様だったが、在日朝鮮人の帰国運動が盛り上がっていた。渡辺秀子さんの高校の校長にも、在日朝鮮人の友人がおり、帰国事業で帰っていった。その後の行方は判らないままになったという。さらに、渡辺秀子さんの実家があった地区では、ちょっとした在日朝鮮人による暴動事件のようなものも発生したという。
 渡辺秀子さんは地元の公立中学校に転入し、そこを卒業した。そして、帯広の私立高校を2年で中退した。高校には修学旅行で札幌市に行ったと思われる時計台の前で写った集合写真に、少しほほえんだ渡辺秀子さんの姿が残っている。
 「姉は、おっとりとした性格でした。姉はスポーツが得意で、学校の運動会ではいつもリレーの選手に選ばれていたようです」と妹の鳥海けい子さんは語る。しかし、残されているおっとりとした感じの写真からは、スポーツが得意だと感じさせるものはない。実際はどうだったのか、当時の渡辺秀子さんを知る人は少ない。
 今となっては、高校を中退した理由はわからない。妹の鳥海けい子さんの記憶だと、ほとんど家出に近い形で、中学校時代の友人のいる網走に行ったという。そして、友人を頼って、網走市のスナック「茜」に勤務した。その「茜」はもうない。
 さらに、渡辺秀子さんは、友人を頼って、雄武町の割烹「日の出」に勤務するようになった。割烹「日の出」の建物は町内に現存しているが、全く当時の賑わいを感じさせるようなものではなく、廃屋に近い。
 割烹「日の出」は、当時雄武町では有名な料理屋だった。一階がホールになっているバーで、二階が料亭だった。女性も20人近く雇い、芸者もいたという。渡辺秀子さんの源氏名は「ヒロコ」だった。
 当時バーで働いていた同僚男性の弁だと、渡辺秀子さんは「おとなしい人だった。でもそれなりに稼いでいた」とのことらしい。
 そして、高大基と結婚する前、雄武町商工会の主催する「ミス・花形」に当選した。その頃、「日の出」に通ってきた高大基と出会ったと想像される。当時の女将の話によれば、高大基は、何度となく「日の出」に通い、渡辺秀子さんを指名していたという。
 渡辺秀子さんが、雄武町で働いていた頃の雄武町は現在とは全く異なる様相を呈していた。北方漁業で湧いた雄武町は、漁から帰ってきた漁師たちが、懐に札束を詰め込んで、夜の街を闊歩していたという。人通りは深夜まで絶えることがなかった。
 例えば、拓洋水産という地元の大きな会社は、船を4隻所有し、100人ぐらいの漁師をやとっていた。それ以外にも、釧路方面からもサンマ漁の船が雄武にまで来ていたのだった。地元の人によれば、そんな状況だったから、オホーツク沿岸の町としては、雄武町は最も華やいでいたという。
 1967年3月1日、結婚。しかし、その結婚の日付も家族に「報告」した日という意味だけだったようである。結婚式を挙げた形跡もなく、入籍したものでもなかった。今で言う事実婚であり、結婚の了承を求めるために帯広の実家を訪ねたと思われる。
その後、高大基とともに東京へと転居した。


早坂勝男さんの集会報告

 特定失踪者の早坂勝男さんの故郷、宮城県加美町(合併)で、24日午前10時より、加美町図書館にて集会が開催された。主催は、「加美町特定失踪者を救う会」と「救う会宮城」である。当日は、加美町町長、加美町議会議長、色麻町長、宮城県議会議員などをお迎えし、私が、基調講演を行った。参加者は、約100名ほど。
 特定失踪者の方の故郷で、こうした集会が開催されることは意義深いものがある。特定失踪者という非常に難しい問題への理解を、まずは故郷の人たちに理解してもらい、そして支援をお願いできるからである。
 早坂さんの失踪も、怪しい失踪であるし、なによりも同時期に印刷工が連続失踪しているわけである。北朝鮮の偽札作りとの関係性を疑ってみる必要がある事例である。
 印刷工で気になる情報がある。その一つは、韓国人女優で、北朝鮮に拉致された崔銀姫さんの著書『闇からのこだま』(下巻118ページ)の中にある、金正日の肉声の記録である。そこには次のように記載されている。

「わたしの意図は、えー、誰にもいわず、なんとしても西方世界から、西方の技術を持ってこのように自由自在に活動した人々を獲得してきてわれわれがそれを土台にしてわれわれのものと合わせて西方に浸透しなければならないと思った」

 この肉声の録音は、1983年10月頃だと思われる。早坂さんたち印刷工が連続失踪したのが、1960年代から1970年代である。少々、この発言の時期と、失踪の時期がずれるのであるが、当時、金正日が、西方(日本を含む)の技術を北朝鮮に導入するために、技術者を獲得(つまり拉致)していたことをうかがわせるものである。
 残念ながら、早坂勝男さんついての具体的な情報はない。しかし、こうした観点から調査をしていくことで、何らかの情報が得られると思っている。

November 23, 2007

日本負担分は米が肩代わり=対北朝鮮重油支援-韓国通信社

 下記は、ソウルの時事の配信で、元ネタはワシントンからとのこと。
 そんなこともあるだろうと想像はしていたが、本当なのだろうか。もし本当なら、米国がタダで重油を提供するわけでもないし、その負担金は別の形で日本に請求されることになるのだろう。
 それにしても、米朝日の間のこうしたやりとりが、全て「秘密のヴェール」の中で行われている。外交上の秘密ということになるのだろうが、それが国民にとって利益となることなのかどうか、検証されないまま進められている。
 今更嘆いても仕方がないが、外交というものを一部の政治家や外務省の高級官僚だけに任せておいて良いのだろうか。あらゆる問題が「外交上の秘密」とされ、国民の前には一切開示されないで進められていることに対して、国民はただ任せておくだけで良いのだろうか。
 政治や外交というのは結果が全てなのだが、良い結果を生むのなら、彼らは国民的英雄になる。しかし、もし悪い結果の時には、キチンと責任をとってくれるのだろうか。外交上の失敗で、責任を自ら明確にした政治家なり高級官僚を私は知らないのだが、どなたかそれだけの傑物がいたかどうか教えてもらえないだろうか。より具体的には、拉致問題で自らの責任を自覚し、責任をとった政治家や高級官僚は日本に存在するのだろうか。
 カール・ポパーは、「民主主義国家の大原則は、政策に失敗した為政者を解任することである」と述べていた。為政者を解任する手続きとは、政治家の場合の選挙だけなのだが、日本ではそれも曖昧である。ましてや、高級官僚が政策に失敗したからとしても「解任」されることはない。日本はポパーの定義からすれば、民主主義国家ではないことになる。
 重油の「肩代わり」という問題から、日本の民主主義の問題へと話が広がってしまったが、要は、こうした重要な政策の決定にわれわれ国民が全く関与できないという事態をどうするべきなのか、ということを問いたいのである。

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2007/11/23-11:42 日本負担分は米が肩代わり=対北朝鮮重油支援-韓国通信社

 【ソウル23日時事】韓国の聯合ニュースは23日、北朝鮮に核施設無能力化などの見返りとして与えられる重油支援と関連し、日本が負担する順番となっている12月の重油5万トンについて、米国が肩代わりする方針だと報じた。米消息筋の話としてワシントン発で伝えた。
 北朝鮮に対する重油支援をめぐっては、既に韓国、中国、米国が5万トンずつ負担し、11月分の支援を担当したロシアの重油輸送作業も近く完了する見通しという。このため、本来12月には日本の順番となるが、日本は拉致問題が進展しない状況では支援に参加しない立場を明確にしている。

*****

中国 拉致問題へ協力

下記は、電脳補完録からの転記。
 福田首相になって、中国が、やたらと日本に対して拉致問題への協力姿勢を明らかにするようになってきた。これまでも、下記の読売新聞にも掲載されているように、「協力する」といった話が散見されてはきたが、それがどういうものなのかは判然としなかった。中国としても日本や米国の動向を眺めていたのだろう。
 もちろん、拉致問題の解決に中国が全面的に協力してもらうことはありがたいことである。しかし、それは外交戦略に長けた中国である。それを文字通り読み取って「前向きに評価」することには、躊躇せざるを得ない。裏には、多くの取引が隠されているのである。中国が拉致問題の解決に一肌脱いだ後には、日本政府に対してアレコレ注文をつけてくることが当然あると認識しておいたほうが良い。その注文が合理的なものか、妥当なものなのか、それはわからないが。
 そして、中国から流れ出てくる様々な「拉致情報」には、日本政府関係者もマスコミも、そして私も振り回されているのが実態である。本当かどうか判然としないような「怪情報」の類は数多くある。もちろん、正しい情報もその中にまぎれているだろうから、とりあえず全ての情報を集めて、それが本当かどうかの検証作業をしていくことになる。それは、実に気の遠くなるような作業である。
 いずれにせよ、中国が北京オリンピックを直前に控えて、東アジアがゴタゴタすることを好ましく思っていないのは確かである。その大きなゴタコダである日朝関係での、最も大きな課題である「拉致問題」を、中国が「本気で」解決に乗り出してくれるのならそれは歓迎したい。しかし、要注意であることも忘れてはならないことである。
 
*****

拉致問題に「同情の気持ち」=習氏、与党訪中団と会談

【北京22日時事】自民党の谷垣禎一政調会長を団長とする与党訪中団は22日午後、北京の人民大会堂で中国共産党の習近平政治局常務委員(中央書記局書記)と会談した。習氏は北朝鮮の拉致問題に関し、「日本国民の関心は十分理解し、同情の気持ちを持っている」と語った。
 習氏が先の党大会で政治局常務委員に昇格して以来、日本の要人と会談したのは初めて。この会談は、23日に開かれる中国共産党との日中与党交流協議会に先立って行われ、谷垣氏のほか、公明党の斉藤鉄夫政調会長らが参加した。
 会談では、斉藤氏が「拉致問題の解決なくして日朝関係の進展はなく、こうした日本の姿勢に中国の理解をいただきたい」と発言。これに答える形で、習氏は「日朝関係に効果的なやり方で適切に対応していくことを期待している。中国も一緒になって適切に対応したい」と述べたという。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071123-00000002-jij-int


今年の5月、読売新聞が下記のような報道をした。

【北京=佐伯聡士】北朝鮮による日本人拉致問題の進展に向けて、中国が独自の情報ネットワークを使って拉致被害者や失踪(しっそう)者に関する情報を収集するなど、日本側への協力を検討していることが27日、分かった。日中関係筋が明らかにした。
 拉致被害者の情報収集については、特定失踪者の一部(数十人規模)にも調査範囲を広げ、まとまった段階で日本に提供する考えだという。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070528i101.htm?from=main1

この報道に対して5/28付けの「救う会ニュース」は

 本日5月28日の報道によると、中国政府が拉致問題で日本への協力を検討しているという。これまで同国は、拉致問題は日朝2国間で解決して欲しいとしてきたことからすると、前向きな姿勢と評価できよう。日本の政府と国民が一丸となって拉致解決を最優先課題としている姿を見て、中国政府としても北朝鮮核問題解決のために日本の負担を求める場合、拉致問題が現状のままでは不可能なことが分かってきたのだろう。

とコメントしている。

訪中団の国会議員も「5月に情報収集すると言っていたが、その後どうなったのか?」くらい、言い返して欲しいものではある。救う会は昨年から何度か訪中して、「中国の協力」を取り付けるとしていたが、その後、どうなったのだろうか。とんと話を聞かなくなったが。「前向きな姿勢」と評価したのならその後の総括はどうなっているのだろうか。

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November 22, 2007

よど号犯追放、条件とせず 北朝鮮のテロ指定解除

下記は、共同通信の配信。
 これでは、何のための「テロ支援国指定解除」なのがさっぱり分からない。米国がテロ支援国の指定に北朝鮮を入れたのは、核兵器開発だけの問題ではない。北朝鮮が、核兵器を開発する資金を得るために、麻薬や偽札などの製造・販売したこと、各関連技術をイランなどと交換していたことなどがあった。そして、そのルート上に、「よど号」の関係者が関わっていることも入っていたはずである。だからこそ、北朝鮮テロ支援国指定解除の要件に、「よど号犯」の日本への引渡しが俎上にのぼっていたのではなかったのか。
 その「よど号犯追放」が、テロ支援国指定解除とは関係がないと、今頃になって米国務省の高官が言い始めるのには、余程北朝鮮の譲歩を引き出したいためであろうか。とすれば、北朝鮮としては「よど号」という「御用済み」の存在を、また取引の材料にしているのだろう。
 あるいは、北朝鮮が「よど号」の関係者を日本に引き渡すことで、「拉致は日本人の犯罪である」ということを示そうとしていることに対して、米国・日本側が拒否しているという構造なのだろうか。それはないだろうと思う。
 いずれにせよ、判りにくい米国の北朝鮮テロ支援国指定解除の動向である。間違いないのは、その日は近い、ということだけだろう。日本側は「先手」をうっていかなくてはならないときだと思う。

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よど号犯追放、条件とせず 北朝鮮のテロ指定解除

 【ワシントン21日共同】米国務省高官は21日、共同通信に対し、北朝鮮にいるよど号乗っ取り犯について「日本と北朝鮮の間で解決しなければならないことだ」と述べ、メンバーの追放は北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する条件にはならないとの見方を示した。
 日本政府は日本人拉致問題の解決まで指定解除しないよう求めているが、高官は核問題が解決に近づくにつれて拉致問題も進展させなければならないという「より大きな圧力が北朝鮮にかかる」と言及。解除が実施されても、北朝鮮に対して「(解決を促す)影響力が失われるとは思わない」と述べ、拉致問題解決に向けて悪影響は出ないとの見解を示した。
 北朝鮮の核施設無能力化と核計画完全申告が年内に実施されれば、テロ支援国家指定解除に踏み切る方針であることをあらためて強く示唆した発言。米政府が日朝間の2つの懸案を指定解除に向けた「必須条件」ではないとみていることを示しており、日本政府は今後、拉致問題解決に向け戦略の練り直しを迫られそうだ。

2007/11/22 10:18 【共同通信】

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シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 3

高大基の失踪

 高大基がユニバース・トレイディング㈱に勤務していたのは、同社が設立された1971年6月から失踪した1973年の6月ごろまでだと思われる。同社の設立に関与した総連第一副議長である金炳植(キム・ヒショク)の直属の部下として、その指示のもとで任務に当たっていた。
金炳植は、旧制二校(現在の東北大学)を卒業したといわれる。その後1952年10月に朝鮮問題研究所を設立して、初代の所長になっている。そこに高大基が勤務したのである。金炳植は、その後、総連中央本部の組織部長、事務総局長、副議長と、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世していく。副議長時代には、非公然組織の「ふくろう部隊」を作り、身辺の警備や非公然活動を展開した。そして、1971年6月に、ユニバース・トレイディング社を設立するのである。
さて、高大基はユニバース・トレイディング社では何を任務としていたのだろうか。まだ明確なものはわかっていないが、朝鮮問題研究所資料室長の時代と同じ任務、すなわち日本の軍事情報の収集だったと推測されている。
 高大基の突然の失踪は、朝鮮総連内部の権力闘争が背景にあったとされている。当時、高大基の上司だった金炳植は、朝鮮総連議長の韓徳銖(ハン・ドクス)と権力闘争を展開していた。両者は姻戚関係にあり、韓徳銖の従妹婿が金炳植であった。その身内の権力闘争は、激烈をきわめたという。この権力闘争が総連内部の資金流用問題へと発展した。韓徳銖は、金炳植を陥れるために、1972年、金炳植を南北赤十字会談の責任者として北朝鮮本国へと召還される手配をした。そして、金炳植は名誉ある帰国を果たしたものの、そのまま北朝鮮に留め置かれたのだった。金炳植はその以降、1994年、北朝鮮の国家副主席となるものの、たんなる名誉職であり、1999年ピョンヤンで死亡したとされている。
 朝鮮総連内部での権力闘争に敗れた側に立つ高大基も、安閑としていられない状態になった。総連内部の権力闘争で敗れた者が、日本でも本国でもどのような処置を受けるかは明白だった。1974年の夏ごろ、高大基は、渡辺秀子さんに1200万円もの大金の小切手を渡し「これで帯広で暮らすように」と言い渡したまま、北朝鮮へと帰国(密出国)していった。愛する妻と子ども達を残したまま、北朝鮮に戻っていった本当の理由や経過は、今のところ判っていない。
 後に韓国に亡命した北朝鮮工作員、金正敏は「1970年半ば、高大基とピョンヤンで面会した。高大基は、本国に帰国後、一人住まいをしていた」と、取材をした石高健次氏に証言をしている。妻や子どもの姿はその場に現れなかったという。
 そして、今年になって判明したことだが、アムネスティ・インターナショナルが1994年6月に発表した北朝鮮の政治犯収容所についての調査に、1990年に平壌郊外の勝湖収容所に入れられていた政治犯49名のリストの中に、高大基と同姓同名の人物が存在するということがわかった。備考欄には「Former Korean Resident in Japan(元在日朝鮮人)」とあり、年齢から数えても、本人の可能性が高いという。
 その後の高大基の消息は全く消えている。

達川グループを捜査 続

 京都新聞が、達川グループの「脱税容疑」の捜査について、やや詳細に配信していた。
 具体的な企業名としては、「達川商事」と「セークロヴォアール」が掲載されている。達川商事が、グループの中核企業であり、「セークロヴォアール」はパチンコ店を経営しているグループ傘下の企業である。
 「達川グループ」は、そのホームページにも掲載されているように、生コン会社であるとか、建設会社とグループを形成している。中には、名門の「浅見カントリークラブ」や「桜ノ宮ゴルフクラブ」もグループの関係である。あるいは北海道のニセコのスキー場経営にも関連しているようである。
 それぐらい、幅広く事業を展開しているのだが、裏でどのような活動が展開されていたのかは、まだ誰も解明していない。捜査の進展を待ちたい。
 
 ちなみに私が若かりし頃、ゴルフを始めたばかりの時に、先輩に誘われて「桜ノ宮ゴルフクラブ」に行ったことがある。そこで、いきなり「桜ノ宮ゴルフクラブ」名物の「砲台グリーン」に苦しんだ(というかギブアップの連続)記憶がある。もうゴルフはしていないが、楽しい思い出ではある。

*****

京都新聞

総連系商工会幹部らを逮捕
脱税容疑で京都地検

 京都地検特別刑事部は22日、法人税法違反(脱税)の疑いで、在日本朝鮮京都府三丹商工会総務部長の南道純容疑者(38)=舞鶴市=と生コン製造販売会社「達川商事」(福知山市長田)の実質経営者の達川相珍容疑者(72)=福知山市=を逮捕し、同商工会や上部組織の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)京都府三丹支部など16カ所を家宅捜索した。
 調べでは、2人は共謀して、達川商事の2004年度の法人税2363万円と05年度の法人税2119万円、さらに同社関連のパチンコ店経営会社「セークロヴォアール」の04年度の法人税2590万円を脱税した疑い。
 地検によると、達川容疑者が南容疑者に脱税を依頼し、南容疑者が経費を架空計上した決算報告書や確定申告書を作っていた、という。大阪国税局が今年3月に地検に告発していた。
 舞鶴市伊佐津の朝鮮総連府三丹支部では午前11時15分、支部の関係者が鍵を開け、段ボールを抱えた地検係官が家宅捜索に着手した。2階建ての事務所の1階に明かりがともり、窓ガラス越しに係官が白手袋で書類を繰る姿が見えた。

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達川グループを捜査

 京都府舞鶴や福知山を中心に、幅広く事業を展開している「達川グループ」に捜査のメスが入った。下記は、その概要を伝えた共同通信の配信。
 容疑は「脱税」ということであるが、「脱税」だけに終わらせて欲しくない事件である。それは、もちろん北朝鮮の工作活動を暴きだすためである。
 北朝鮮に関わる会社は数多くあり、それらが全て非合法的な工作活動に関与しているわけではない。「濡れ衣」を着せることは避けなければならない。しかし、合法的な会社をフルに使って裏で工作活動を行うのは世界共通の方法論である。
 具体的な工作員との関与が疑われている会社に対しては、しっかりと捜査のメスを入れてもらいたいと思う。そのプロセスで「拉致事件」の全容の解明にも役立つ情報が得られるはずである。
 京都地検には、こうした観点から捜査を進めてもらいたい。

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朝鮮総連支部を捜索 法人税法違反で2人逮捕、京都

 京都地検は22日、法人税法違反の疑いで、京都府舞鶴市の在日本朝鮮京都府三丹商工会の総務部長南道純(38)と同府福知山市の会社役員徐相珍(72)の両容疑者を逮捕。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)三丹支部=舞鶴市=と同商工会を家宅捜索した。
 調べでは、2人は共謀し、会社役員が勤める福知山市の商事会社の2004年度と05年度の法人税計約4500万円を脱税したほか、グループ会社の04年度の法人税約2600万円を脱税した疑い。

2007/11/22 12:30 【共同通信】

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November 21, 2007

シンガポール女性拉致事件

 下記は、ASEANでの会談の際、福田首相に対して、シンガポールのリー首相が、「日本の立場を支持する」という発言をしたことについての時事通信の配信。
 ありがたいことではあるが、シンガポールにとっては北朝鮮による拉致は人ごとではないはずなのに、日本を支持するだけで終わったのだろうか。
 シンガポールの女性、Diana Ng Kum Yim(当時24歳)さんが、シンガポールで他のマレーシア人女性4人一緒に、1978年8月20日に北朝鮮によって拉致されている。日本政府からもこの情報は伝わっているだろうから、シンガポール政府としても看過できないはずである。それともネグレクトだろうか。

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2007/11/21-14:47 対北、日本の立場支持=シンガポール首相

 【シンガポール21日時事】福田康夫首相は21日午前(日本時間同)、東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国であるシンガポールのリー・シェンロン首相と当地のホテルで会談した。北朝鮮問題について、福田首相が「非核化と同時に拉致問題を含む日朝関係の進展を希望し、北朝鮮に具体的行動を求める」と述べたのに対し、リー首相は「引き続き日本の立場を支持する」と応じた。同首相は、インド洋での海上自衛隊の給油活動再開を支持する考えも示した。

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安心して大丈夫なのか

下記は、電脳補完録氏の「憂慮」と、共同通信の配信による「米国大統領のリップサービス」の記事。
 「救う会」や「家族会」による現政権や米国への強い懸念とか危機感が、その後の中山補佐官による「癒し」によって、和らいだような印象を受ける。こうした「癒し」のプロセスは、日本政府や米国を「信頼」しておけば、拉致問題は解決しますという幻想を振りまくことになってはいないだろうか。「そんなに心配することはない」ということになってしまって良いのだろうか。

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憂えることはなかった???

投稿者 trycomp 投稿日時 2007-11-21 1:49:45 (52 ヒット)

訪米団の「訴えが福田首相とブッシュ大統領との会談にも相当反映され」(拉致議連)、「大きな成果」(救う会ニュース)を挙げて、中山補佐官の説明を聞いて「安心した」(増元さん)のなら、我々が何も憂える必要はないってことになっちゃうなあ・・・。

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拉致問題への配慮明言(共同通信)

 【シンガポール21日共同】福田康夫首相は21日午前(日本時間同日午後)、訪問先のシンガポールで同行記者団と懇談し、先の日米首脳会談でブッシュ米大統領が北朝鮮のテロ支援国家指定解除について、拉致問題解決を前提にするよう求める日本側に配慮すると明言したことを明らかにした。首相は「日本の立場を考えてやるとはっきり言った」と説明した。

[共同通信社:2007年11月21日 13時25分]

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November 20, 2007

警察庁による拉致の定義への批判

下記は、漆間厳元警察庁長官への産経新聞のインタビューの抜粋である。
 漆間元長官の功績を否定するわけではないし、むしろ、ご努力には感謝の念すら持っている。それは、警察全体の「拉致」への取り組みの一大転換をしていただいたからである。
 しかし、漆間元長官の耳に届いたかどうかわからないのだが、私たちは警察庁が拉致の三つの要件を定義したことに対して、全面的に承服しかねると再三にわたって要請を行ってきた。しかし、それは既成事実化してしまった。その結果、多くの特定失踪者について拉致されたとの確証を得られたとしても、その三要件に合致しないとして放置されたのであった。
 その端的な例が、日高信夫さんである。脱北者による詳細な目撃証言による北朝鮮での日高さんと思われる人物像は、日高信夫さんが拉致されて、北朝鮮にいることを示したことは明らかである。しかし、漆間元長官は、わざわざ、この情報に対して「その情報は大変貴重であるが、それをもって拉致認定をするわけではない」とコメントされたのだった。その一言によって、結局のところ日高信夫さんの拉致を封印してしまうことになったのである。
 警察庁のいう拉致被害者として認める上での三つの要件とは、
 ・本人の意思に反すること
 ・北朝鮮にいることがわかったこと
 ・北朝鮮の国家機関が関わったこと
である。拉致認定するためには、この三つが全てそろわなければならないのだという。日高さんのように、北朝鮮にいることがわかったとしても、「本人の意思で行ったかもしれない」「北朝鮮の工作員が特定できない」とかなんとかの理由で、拉致被害者として認定しないのである。
 こうした三要件からすれば、日高信夫さんは、本人が脱北して「私は拉致された日高信夫です」とでも言わない限り、拉致認定されない。
 一方、このインタビューでも触れている有本恵子さんは拉致被害者として認定しているが、「本人の意思に反して」という要件は有本さんのケースでは該当しない。有本さんは騙されたとしても、自分で北朝鮮に行ったのである。有本さんが認定されたのは、要は、北朝鮮が認めたからである。また、他の拉致被害者の場合も、「北朝鮮の国家意思」すなわち犯人については、必ずしも全て明確なものにはなっていない。要は、これも北朝鮮が拉致を認めたからであった。寺越さんのケースはもっとヒドイ。明らかに拉致被害者なのに「寺越さん本人が拉致ではないと言っている」ということで拉致被害者として認定していない。
 ということは、日高信夫さんも、自分自身が拉致被害者だと表明し、そして北朝鮮がそれを認めない限り、日本政府としては拉致被害者として考えないということになるのである。考えない、ということは、北朝鮮に対しても「返せ」と要求する該当者にはならない、ということである。これは「見殺し」でなくて、ほかに何を意味するものがあるだろうか。
 なぜ警察庁がわざわざこうした三要件をつくったのかは、その経過すら明らかではなかった。それを、漆間元長官は、今度のインタビューで、さらっと「拉致というのは法律で定められた言葉ではないんです。であれば、警察庁で定義すればいいじゃないか、と考えたんです」と初めて答えている。一体どれだけの拉致被害者が、このさらっとした言葉で封印あるいは「見殺し」されていることか。
 頭のいい一流大学出の高級警察官僚というものはもともとそういう存在なのであろうか。これでは「事件を見て人を見ず」ではないだろうか。日高信夫さんのご家族も病気で苦しんでおられる。他の特定失踪者のご家族も、多かれ少なかれ、同じような状況である。一日も早く拉致された家族と再会したいし、何よりも日本政府が拉致被害者と認めてくれることが救いの道なのである。それを思い起こさず、さらっと切り捨てるようなことを、どうして平気でできるのであろうか。しかも、これでは拉致の捜査に日々明け暮れている末端の警察官の方々のご努力も、この一言で水泡ではないか。


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産経新聞より抜粋

--欧州からの拉致が明確になったわけですね

 漆間 拉致というと、被害者に袋をかぶせて無理やり海岸から連れ去り、工作船に乗せて-というイメージですよね。ところが欧州での拉致はそうではない。これを拉致と呼べるかどうか。だが、拉致というのは法律で定められた言葉ではないんです。であれば、警察庁で定義すればいいじゃないか、と考えたんです。

 《漆間さんは北朝鮮の国家的な意思が推認でき、本人の意思に反し、北朝鮮に連れて行かれた-という拉致事件の3つの要件を提示。警察はよど号犯の魚本(旧姓安部)公博容疑者に対し、拉致で初の逮捕状取得に至った》

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救う会の「成果発表」への懸念

 下記は、本日の「救う会」のニュースに記載された訪米団の報告である。全体のトーンは「訪米の大きな成果があった」ということである。
 訪米した皆さんのご苦労に水を指すわけではないが、本当にそれで「大きな成果」と言ってしまってよいのだろうかと懸念する。何か、旧日本軍の大本営発表のような気がするのは私だけだろうか。「敵艦を駆逐セリ。我が軍の損傷は僅かナリ」といったような感じである。
 このテロ支援国家指定解除の問題は、ライスやヒルといった人物だけが描いたシナリオではなく、基本的な米国の東アジア戦略に則ったものであるというのが私の認識である。したがって、どのように日米同盟が多少ギクシャクしようと、米国は米国の意思と利害でことを進めて行くであろう。
 もともと日米同盟とは「血の盟約」でもなんでもないということは再三ここで書いてきたことである。それは、中国と北朝鮮との間も同じである。北朝鮮は中国の圧力をかわすために米国に接近したのであり、米国はそうした北朝鮮を掌に載せることで、対中国、日本への東アジアのヘゲモニーを握ることができるわけである。
 米国にとっては、日本が自律した動きをすることが一番困るから日米同盟を謳っているのである。米国は、日本が米国の意思に反して自律的な動きをすることを恐れているし、警戒しているし、そしてそれを絶対に容認しないのである。米国の掌にのっている日本であることが、米国にとって最大の利益の一つである。それは、米国の保守とかリベラルとかは関係ない。近代以降の歴史における日米間の軋轢のプロセスを見れば明らかであろう。
 こうした構造にあることを前提として今の米国の動きを眺めれば、日本から大挙して陳情団が行っても、「リップサービス」で終わるのである。日本側でその「リップサービス」を額面どおりに受け取る人はいないだろうが、その「リップサービス」を「大きな成果」として表明することは、逆にこの厳しい状況への認識を緩めてしまうのではないだろうか。
 もちろん、訪米団の皆さんが持っておられる危機感や使命感には共感を持っているし、現実に米国の動きを止めるだけの「成果」が得られたのであれば、拍手喝采である。私のような未熟者がアレコレ言う筋合いのものではないだろう。しかし、少なくとも増元照明さんがご自身のブログで書かれているように、米国の動きへの見極めの甘さや、日本政府の対応の鈍さ、そして、現状の厳しさへの強い懸念を全面に表明すべき「訪米報告」であるべきではないだろうか。

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★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.11.20)

 以下は、拉致議連・家族会・救う会訪米団(11月11日~17日)の総括報告です。超党派の議連が一つのテーマで米国に強い要請を行うため訪米したのは今回が初めてとされます。その効果は大きなものがあったようです。指定解除を強行すれば日米同盟に緊張が生まれるという明確な警告を送ることに成功した、立法府で解除反対の動きを広げることができた、ヒル次官補に日本の強い懸念を直接伝えることができた、など大きな成果をあげてきました。

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たかが鯨、されど鯨

 下記は、日本が大規模な調査捕鯨に乗り出したことの、朝鮮日報論説委員のコメント。全体の文脈としては、日本の食文化を尊重すべしといった内容だが、そこまではっきりと書かれていない。
 私自身、鯨を食べることについては、ただ栄養分を摂取するだけの意味があるのではないと思っている。この朝鮮日報のコメントにあるように、昭和30年代には、ずいぶんと鯨にはお世話になった。小学校の教室には、鯨の絵が掲げてあり、先生からは「鯨はどの部分も人間にとって無駄な部分はない。だから、鯨を食べても大切にしなくてはならない」と教えてもらった記憶がある。「食べ物を大切にせよ。残すな」と、鯨を食べることから教わったのである。
 鯨の食文化がなくなった現在の日本は「飽食の時代」である。食べ物を大切にするどころか、逆に「ダイエットのために残しましょう」とかになっている(実際にメタボ対策のバンフレットにそう記載されているとのことだ)。
 こうした「飽食文化」は、日本の歴史的な固有の文化ではないと思う。欧米の資本主義的食文化の反映だと思っている。実際、貧しかった頃の日本では、「飽食」など考えられなかった。米国資本主義食文化の象徴であるマクドナルドでは、一定の時間が過ぎたハンバーガーは、廃棄処分にされると昔耳にしたことがある。今はどうなのだろうか。廃棄処分にされてしまっては、牛も全く浮かばれない。大切に残さず食べてあげてこそ、牛が牛として人間に食べられるために生まれてきたことに対する、「もうしわけない。ありがたい」という感謝の気持ちを表すことになる。
 欧米の反捕鯨団体のメンバーは、どのような食生活をおくっているのだろうか。まさか、「鯨は食べてはいけないが、牛は健康のために食べ残してもよい」なんてことを言っているわけではないだろう。
 確かに、鯨も含めて地球上のあらゆる生命体が、絶滅してしまうことは食い止めなくてはならないだろう。鯨を保護するのも、当然必要なことである。しかし、だからといって、他の牛や豚などを「飽食」してよいわけではあるまい。鯨を食べることで育った私のような者から眺めれば、鯨を食べることによって食べ物の大切さを教わったことのない人たちが、「鯨を食べてはならない」と言っているように感じる。

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【萬物相】日本人とクジラ

 オーストラリア南部のポートリンカーンは、十数年前までただの寂れた漁村に過ぎなかった。ところが今、ここは住民に占める富裕層の割合がオーストラリアでもっとも高い村となった。その秘密はマグロだ。冬ともなれば、偵察用のヘリコプターを動員して船団を組み、エサを求めてグレートオーストラリア湾にやって来るマグロの群れを巨大な円形の網で捕獲する。
 捕獲されたマグロは網ごとポートリンカーンに運ばれる。その間にダイバーたちは海中で網の中に紛れ込んだサメを追い出し、網に開いた穴をふさぐ作業を行う。マグロの群れは専用の吸引器で養殖場に収容される。20キロに満たないマグロも6カ月後には40キロを超えるほどに成長し、そのまま日本に空輸される。
 大がかりなマグロ養殖場ができたのも、マグロをこよなく愛する日本人がそれを必要としたからだ。缶詰工場に売ればキロ当たり800ウォン(約95円)にもならないマグロでも、新鮮なうちに刺し身やすし用として輸出すれば2万5000ウォン(約3000円)になる。そして日本人は年間57万トンのマグロを食べる。韓国における、サムギョプサル(豚肉の三枚肉)の焼き肉と同じくらいの国民食なのだ。
 日本人が愛着を抱いているもう一つの海の幸が、クジラだ。7世紀に天武天皇が出した「殺生・肉食禁止の詔」が明治維新によって解かれるまで、日本人は1200年にわたって肉食を行わなかった。その間、日本人にとって肉の代わりとなってきたのが魚とクジラだった。鯨肉(げいにく)は特にすき焼き用の肉として好まれてきた。
 また第2次世界大戦後の貧しい状況の中、鯨肉は日本人にとって重要なタンパク源となった。マッカーサー将軍もこれを奨励した。そして鯨肉の消費量は、1962年には22万6000トンに達した。だがその後、捕鯨禁止の議論が高まる中、1988年に日本は商業捕鯨から撤退することを余儀なくされた。
 現在日本は生態系調査目的の捕鯨が認められている点を利用し、年間1000頭の鯨を捕獲している。科学的な研究のためにしては多すぎるが、「年齢を調べる」として耳を切り取っては、堂々と水産市場に流通させている。しかし建前では、余った肉を捨てるわけにはいかないので市場に出しているとしている。数日前には、グリーンピースをはじめとする環境保護団体の反発を押し切って、過去40年間で最大規模という捕鯨船団が日本を出航したという。
 日本では鯨肉が郷愁を誘う食べ物で、日本伝統の食文化だという意見が多い。韓国の犬肉料理と同じく、食べない国から見て野蛮に感じられるという理由だけで、非難される筋合いはないという意見も一理ある。また日本の伝統芸能である人形浄瑠璃で、人形を操るための紐として弾性の強いクジラのひげが使われてきたことまでを例に挙げ、文化としての側面を強調する意見もある。島国だけに、捕獲制限が他の水産物にまで拡大することを恐れていることもあるだろう。
 一方で、敗戦後にコメの代わりに小麦やパンを主食とするよう強要されたつらい経験が、食文化における自尊心を回復したいという思いにつながっているのではないかという指摘もある。日本の捕鯨問題を見ていると、食文化には、ただ食べて栄養を採ること以上に意味や精神が存在することを再確認させられる。

呉太鎮(オ・テジン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

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November 19, 2007

米国の「裏切り」?

 下記は、家族会増元照明事務局長のブログより転記したもの。
 横田早紀江さんが、ブッシュ大統領との面会を果たしたとき、在米の日本人から重大な懸念が示されていた。それは、このブログでも再三記してきたことだった。その趣旨は「米国の意図を見誤ってはならない。ブッシュの面会の時の隠された意図をしっかりと認識せよ」というものだった。残念ながら、その懸念は、ブッシュの「リップサービス」を文字通り受け取っていた家族会や救う会の「信頼」の前で消されてきたのだった。
 米朝の蜜月には、米国の基本的な東アジア戦略が反映していると思っている。その東アジア戦略を冷徹に見定めた上で、日本側は戦略を講じていかなくてはならない。日米同盟とは、「血の盟約」ではなく、日本はもう米国を相手に戦争をしませんよ、ということを意味しているものなのである。ここを見誤ってはならない。
 「米国に裏切られた」と悲憤慷慨しているだけでは、決して拉致問題という難しい課題を解決はできない。北朝鮮に対して先手を打つ方法論を、衆知を集めて実行していかなくてはならない時である。

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増元照明さんのブログより

 谷内事務次官が訪米し、積極的に米国政府に働きかけを行った事実はあるのであるが、それが実を結ばなかったということは残念であると同時に、日本の外交の力のなさを露呈するものだろう。関係者の努力には感謝もするし、ありがたいという気持もあるが、結果が伴わなければ評価をすることは出来ない。
 しかしこれは私たちにも言えることかもしれない。昨年の早紀江さんとブッシュ大統領との会見以降、同盟国である米国は決して裏切らないだろうという安心感を持ちすぎて、親密な連携をしてこなかった結果ではないか?もっと、事前に米国の動きを察知して早い動きをしていくべきであった。

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シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 2

高大基の「宿命」

 渡辺秀子さんの夫、高大基は、1927年9月5日、愛媛県西宇和郡町で、在日朝鮮人の子として生まれた。 日本名は、高山大基、あるいは渡辺大基と名乗っていた。
 愛媛県の西宇和郡は、気候は温暖で、漁業、農業そして繊維産業で生計を立てている地域だ。ミカンはもちろんのこと、ぶどう、蝋燭、紙そして絹織物の産地だった。近代に入れば、綿の一大紡績産業地域へと変身していくことになる。私、眞鍋も祖先の出は愛媛県であり、これも何かの因縁なのだろうか。
 高大基は、九州大学と大阪外語大学ロシア語学科を卒業したとのことである。これは、渡辺秀子さんの友人が「渡辺秀子さんが『私の夫は、二つも大学を出ている』と自慢話をしていた」という話からである。
 高大基が大学を卒業した後の、職歴はまだわかっていない。唯一わかっているのは、新宿区下落合にあった朝鮮問題研究所(朝問研)の資料室長だったという程度である。
 この朝問研の所長が、後にユニバース・トレイディング社を設立する金へい植だった。
 朝問研とは、表向きは朝鮮の歴史、社会、文化そして政治などを研究し、朝鮮総連の政策担当部署として、日本社会に朝鮮民族の伝統を知らしめようとするものである。ところが、それは表向きの看板に過ぎない。裏の本当の顔は、朝鮮労働党の中にある社会文化部に直結し、朝鮮労働党からの指令により、日本の様々な情報を合法的あるいは非合法的に収集する役割りを担っていたのであった。
 合法的な情報収集の方はいたって簡単である。東京神田の書店などを回り、医療、機械、物理などの専門書籍を入手し、それを北朝鮮に送るのである。このこと自体は違法でも何でもない。
 東京にある医療専門図書を扱っていた会社に勤めていた某氏によれば、「1970年代ころ、月に何度か、北朝鮮の組織に関係すると思われる人物が、大量に医療専門書籍を買いに店に来ていた。いつも現金で買っていた。ところが、ある日から突然その人物が来店することはなくなった」という。おそらく、朝問研の関係者も、その会社に通っていたのであろう。
 一方の、違法な情報収集活動は、日本の中にある米軍や自衛隊の戦力に関する軍事機密を入手することであった。高大基はその役割りを任命されたのだった。実際、高大基は北海道の恵庭、千歳あるいは札幌を中心にして、一流料亭やクラブで、夫婦連れあるいは子連れで自衛隊関係者や海上保安庁関係者との懇親の場を設けていたという。
 全国の自衛隊基地の周辺には必ずといってよいほど、繁華街や歓楽街があり、そしてパチンコ店が建ち並んでいる。自衛官の息抜きの場所として、それらは欠くことのできない場所だ。自衛隊員は行きつけの飲み屋で仲間内と懇親を進めていくうちに、どうしても自衛隊内部の話にならざるを得ない。そうした状況を知っている北朝鮮の工作員が巧みにその場所に入り込み、時によっては個人的に親しくなって、生の軍事情報を得る機会を窺ったのであった。
 高大基の当時のこうした諜報活動が、後に、様々な工作活動へと広がっていこうとは、高大基自身が知る由もなかっただろう。
 例えば、よど号犯人柴田泰弘の元妻だった八尾恵は、「佐藤」という名前で、横須賀市の繁華街で「夢見波」というスナックを経営していたことは有名である。その店は、横須賀の陸上自衛隊武山駐屯地から、バスで一本の便利な場所にあった。武山駐屯地は、若い自衛隊を教育させる基地である。横須賀の「夢見波」があった繁華街は、若い自衛隊員たちや米軍兵士たちが外出して息抜きをするには絶好の場所であった。米軍横須賀基地からもほど近い。日米の軍事情報を入手する場所としては最高だろう。
 その八尾恵と柴田泰弘が、後に渡辺秀子の事件とのつながりが出てくるのであった。概略だけ記しておこう。
 八尾恵をよど号の犯人たちとのつながりを作ったのが、Y.I.である。まだ21歳と若く、保育専門学校の一年生だった八尾恵と、よど号との接点だった。Y.I.は、八尾恵の長兄の高校時代の同級生である。Y.I.は主体思想研究会に入り、熱心に活動を進めていた。そして、兄が北朝鮮の映画鑑賞会に八尾恵を誘ったのが、八尾恵の運命を変えていったのだった。
 Y.I.は、朝鮮総連幾野西支部に所属していたK.H.を八尾恵に会わせたのだが、その二人が恋に陥ったことを、八尾恵本人が「告白」している。この経過は八尾恵著の『謝罪します』に詳しく記されている。
 そして、八尾恵の元夫の柴田泰弘が日本に帰国する時に、「中尾晃」の名前を使った。その中尾晃という人物は、ユニバース・トレイディング社に勤めていた夫婦の夫だった。この点は、高沢皓司氏による『宿命』に詳しく記述されている。
 このように、高大基の活動の拠点であったユニバース・トレイディング社は、よど号関係者との密接な連携を図っていたのであった。
 拉致は様々な個別の人物が単独で動いているようで、実は、一本の線でつながっていく犯罪行為である。もちろん、その一本の線は、太い線もあれば不明瞭な線もある。こうした細い糸を手繰ってように調べていくうちに、その線は、太い運命の糸のようなもので結ばれていくのである。


November 18, 2007

古川了子さんの集会報告

 昨日17日、千葉県市原市の辰巳公民館で、古川了子さんをはじめとする千葉県内での特定失踪者のパネル展と、講演会が開催された。この辰巳公民館の所在地は、古川了子さんの地元中の地元である。辰巳公民館でのこうした集会の開催は初めてである。講演会の参加者は、約30人ぐらいで、会場の講座室は満員だった。
 講演は、弁護士の土田先生から、「古川了子さんの拉致認定訴訟」についての報告と、私からの拉致問題についての現状と今後についての報告であった。
 この講演会の模様は、追ってピロンさんからインターネットで配信される予定である。心配なのは、私はついつい口がすべって、余計なことを話していることである。それがそのままインターネットで流れれば、名誉毀損とか色々でてきそうなので、加筆・修正の上、ピロンさんに配信してもらう予定である。
 私がいつも関係者の方にお願いしているのは、こうした30名程度の小さな講演会を、数多く開催していただきたいということである。大ホールで、マイクを使って一方的に話してお終いにするのではなく、肉声でひざ詰めで話をすることのも大切だからである。大学で言えばゼミ方式、選挙で言えば座談会が大切なのと同じである。
 ともすれば一方的な言説の表明やアピールでおわってしまうような大集会よりも、じっくりと内容を懇切丁寧(なかなか難しいが)に話をしていくことが大切だと思っている。もちろん、大集会も大切だが。
 さて、講演会終了後、古川了子さん、遠山常子さんのご家族とミニ家族懇談会を開催。懇談会といっても、デニーズで食事というかわいらしいものである。お二人から、色々なご意見やら心配やらをお聞きした。政府認定拉致被害者のご家族の苦しみや辛さももちろんだが、こうした政府未認定拉致被害者のご家族の苦しみや辛さも、もっと世論に訴えたいと思うのであるが、それがなかなか困難な状況である。世論に訴えるのが基本中の基本とはいえ、政府未認定の場合には、ご家族がどうしても一歩を踏み出すことができないのである。もちろん、その一歩を踏み出せるように支援するのが、私たちの役割なのだが、それはとても荷が重いことなのである。

 

November 16, 2007

米議会, 怠慢で北朝鮮人権予算2400万ドル未執行

表記は、Daily NKの配信。昨日から同種の報道が別のメディアからもあったものである。
 そのまま読むと「米国議会は何をやっているのだ」ということになるのだが、実は、米国特有の法制度の反映でもある。米国議会が議案を提出して可決しても、大統領はその議案への拒否権を持っているために、可決すなわち成立とはならない。これが、日本と根本的に異なるところである。大統領がその議案へサインしてはじめて、実効性を持つものになる。ただし、これまた不思議なところだが、可決した法律に基づく執行権を担保する予算を確保するのも議会側にあり、議会の判断に委ねられるものである。
 この議会の権限と義務の規定は、歴史的な議会と大統領の権限のまさにチェック・アンド・バランスの反映の部分である。歴史的に、米国では、議会は大統領権限を制約しようとし、そして大統領側はそれに抵抗してきた。その対抗関係は、現在でも続いていて、おそらく永遠に変わることもないだろう。
 こうした議会と大統領のパワーバランスを背景にして、大統領側は、自分たちの裁量権の範囲内で予算を支出することになる。それが、この記事で指摘されている「北朝鮮向けラジオ放送への支出」である。大統領側は「議会側が何もしないから、大統領側でやるのだ」という議会批判の対象とすることができるというわけである。要は、共和党側からの民主党への批判キャンペーンの一つとして利用できるというわけである。
 ともあれ、議会側もこの批判を甘受して、北朝鮮の人権問題解決のために、あらゆる財政措置を速やかに実施してもらいたいものである。

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米 人権担当副特使 “北の変化のため継続した努力が必要”
梁貞兒記者
[2007-11-16 10:25 ]

脱北者を助けるために、米政府が割り当てた数百万ドルの予算が、米議会の怠慢により3年間執行されていないと、アメリカ政府の官吏が明らかにした。

クリスチャン・フィットン米国務省北朝鮮人権担当副特使は12日、香港大学での講演で、"アメリカ議会が2004年に政府が北朝鮮の人権改善と脱北者支援などのために、2400万ドルを使えるようにする'北朝鮮人権法案'を通過させたが、その後、議会がこの資金を出費するための承認をせず、使われていない"と明らかにしたとAP通信が伝えた。

2004年11月にアメリカ議会で北朝鮮人権法を通過させたが、関連予算は執行されたことがない。国内のメデイアは2005年12月にソウルで開かれた北朝鮮人権国際大会に、北朝鮮人権法の予算が使われたと報道したが、これは事実と違う。

フィットン副特使はこの日、香港大学の講演で、"アメリカ政府は去年、北朝鮮を対象とするラジオ放送のために400万ドルを使い、国連やその他の機関が北朝鮮を支援するために基金を送った"と述べ、"この基金が脱北者たちに使われたことはそうだが、当初策定された2400万ドルから出たものではない"と説明した。

北朝鮮人権法はブッシュ大統領が推進したもので、脱北者に収容施設の提供や支援をするように規定している。

フィットン副特使は"2006年以後、30~35人の脱北者がアメリカに定着し、アメリカはヨーロッパやアジアの国家とともに、より多くの脱北者が定着できるように積極的に乗り出している"と伝えた。

更に、"今後、400万ドルが追加で'自由アジア放送(Radio Free Asia)'と'ボイス・オブ・アメリカ(Voice of America)'放送などに支援され、北朝鮮の変化を誘導する予定"と言い、"北朝鮮の変化のために、持続的な努力が必要"と強調した。

また、"民主主義と人権の尊重は直ちに現われるだろう"と言い、"北朝鮮にこれ(尊重)はないが、私たちは基礎的な作業をしようと思っている。長期にわたる自生的な人権活動を支援する"と明らかにした。

フィットン副特使は"多くの北朝鮮の人たちが、第3国で隠れ家を求めて、希望を抱いて飢えと経済的政治的圧迫から毎年逃げて来る"と述べ、"だが中国は脱北者を経済難民として扱い、強制的に、見付かった多くの人々を拷問と処刑の脅威がある北朝鮮に送還している"と指摘した。

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November 15, 2007

ソン・イルホ発言を検証

 田原総一朗氏によるインタビューでのソン・イルホの発言は、「日本側が求めてきた人物のうち8人は死んだ。それ以外の人は、自分の意思で北朝鮮に来たのか、拉致されたのかまだわからない」ということであった。この「それ以外の人」というのが、誰を指すのかはもちろん判らないが、「日本側が調査を求めていない拉致されたかどうかわからない日本人」が存在することは認めている。
 その発言の中で「日本側が言っている人で、日本で死んだ人がいる」とも発言している。これは、今までの経過からすれば、石川千佳子さんのケースを指していると思われる。こうしたやりとりで、北朝鮮側が必ず引き合いに出すのが石川千佳子さんの事件である。この事件は、調査会では「拉致された可能性が排除できない」という位置づけにしていた方が、後に不自然な形で殺人事件の被害者だと判明したものである。民間団体がそうした調査をしていた段階の事件を、北朝鮮が殊更に取り上げるのは、逆に、調査会の活動を北朝鮮が気にしていることの証明であろう。要は、調査会が「拉致濃厚」としている失踪者で、拉致被害者として当たっている場合があるということを暗に示しているのである。もちろん、それが何人で、誰だかを断言できるものではないが。
 想像の域をでないが、新しい情報が浮上している「木村かほるさん」のようなケースが当たっているのではないだろうか。もしそうであるならば、木村かほるさんは既に70歳を超える高齢の方である。ソン・イルホもなんだかんだ言わないで、すみやかに帰国させて、家族との再会を果たすべきだろう。そうすれば、「ソン・イルホはよくやった」と、日本で尊敬の対象となるのは間違いない。
 

テロ支援国指定解除の「落としどころ」?

 下記は、米国による北朝鮮へのテロ支援国指定解除についての時事通信の配信。日・米・朝の間で拉致問題の「落としどころ」を模索している、というわけである。
 田原総一朗氏の発言の中にもあったように、北朝鮮側は、数人の日本人の消息を出すことで「進展」とさせ、その「落としどころ」にするようである。そんなもので、「落としどころ」にされてはたまったものではない。
 その「数人の消息」というものがどんなものかは、もちろん判らない。しかし、「よど号犯人の日本への帰国」の問題とテロ支援国指定解除の問題がリンクしているとすれば、「よど号」グループによる拉致被害者である有本さん、石岡さん、そして松木さんに関わる「消息」を出してお終いにするのではないだろうか。その「消息」を出すのは、「北朝鮮の犯罪ではなく、日本人の日本人による犯罪の被害者だ」という理屈を示すことを目的としているのだろう。
 ここは、正念場なのだが、日本の世論の動きも緩慢だし、マスコミも「横田めぐみちゃん」特集を組むのが精一杯のようである。肝心の国会の方も「そんなの関係ない」といった雰囲気である。このままだと、米朝によって組み立てられた「落としどころ」が、日本国内でも既成事実化されていくことは確実であろう。

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北のテロ支援国解除、カウントダウン=来月議会通告か-拉致置き去りへ

 【ワシントン14日時事】米政府による北朝鮮のテロ支援国指定解除問題は15日、大詰め段階に入る。北朝鮮が要請する年内の解除発効を目指す場合、ブッシュ大統領は発効の少なくとも45日前に議会に通告しなければならず、15日が期限となるためだ。一方で、「実際の議会通告は12月のクリスマス休暇前」(米朝関係筋)との見方も多い。
 15日はくしくも、1977年11月15日に発生した横田めぐみさん拉致事件から30周年。拉致被害者の家族会代表と拉致議連の平沼赳夫会長らは同日、核問題をめぐる6カ国協議の米首席代表、ヒル国務次官補(東アジア・太平洋担当)に会い、解除しないよう直談判。福田康夫首相も16日に行われるブッシュ大統領との初会談で解除を思いとどまるよう要請する方針だ。
 しかし、米政府は「指定解除と拉致問題は関連付けられていない」(ケーシー国務省副報道官)との立場を明確にしており、拉致問題は「置き去り」となる可能性が高い。そうなれば、日米関係への打撃は必至で、軟着陸を図るため、北朝鮮側に「進展」と受け取れる措置を講じさせるなど、関係国が落としどころを模索しているもようだ。

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November 12, 2007

シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 1

 シリーズで、渡辺秀子・高姉弟事件を追って行きたいと思います。複雑で悲しい事件ですので、少しでも解明と渡辺秀子さんの消息の判明、そして高姉弟の救出に役立てればと思います。
 このシリーズは、折をみて掲載していきたいと思います。

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雄武時代

 渡辺秀子さんは、1967年、北朝鮮工作員の男性、のちにユニバース・トレイディング社に勤めることになる高大基と、北海道のオホーツク海に面した雄武町(おうむまち)で出会った。14歳も年上の男性だった。出合った経過は、渡辺秀子さんが仲居として勤めていた割烹「日の出」に、客として高大基がやってきたことだった。割烹「日の出」は、当時北洋漁業で興隆を誇っていた雄武町でも、一番の賑いだったという。
 雄武町の南には、雄武原野を通り抜けるように、差ほど大きくもない雄武川が流れている。川幅はせいぜい数十メートルである。その河口の国道には,雄武という地名の由来が書かれた看板が立っている。
 「アイヌ語でオムイ(川尻塞がる処)。暴風時川尻塞がる川なり」
 雄武町という名前は、アイヌ語で河尻が塞がるという意味の「オムイ」に由来するという。雄武川の河口は、冬の嵐の時には河口が塞がってしまう。それは、川から下流に流れる水よりも、海岸からの波が風に煽られて逆流するためである。オホーツクからの風は強く、普段でも川の水が逆流しているように見える。河口からは、遠方に北見山地の美しい山並みを眺めることができる。
 「雄武町の花」はハマナスである。風の強さにも負けないように茎が伸びていくバラ科の低木である。春から夏にかけて、可憐な赤や白い花を、遠慮がちに咲かせてみせる。
 オムイの河口に咲く可憐なハマナスと、オホーツクに吹く強風とは対照的な風景である。
 このオムイと呼ばれた雄武町で最愛の男性と出会い、そして東京で子どもを二人生み、育てていた渡辺秀子さんが歩んだ道は、北朝鮮による工作活動の犠牲者となることだった。まさに出口の塞がれたオムイそのものだったのである。
 雄武町は日の出の美しさが有名である。長い海岸線から浮かんでくる日の出の美しさは例えようがないという。おそらく、渡辺秀子さんもその日の出を見たに違いない。
 渡辺秀子さんが勤めていた雄武町の割烹の名前も、その「日の出」だった。しかし、その割烹「日の出」に北朝鮮の工作員が通っていたとは、渡辺秀子さんはもとより、誰も気付くことはなかっただろう。
 雄武町時代の渡辺秀子さんは、雄武町商工会が主催した「ミス・花形」に選ばれるほどだったから、おそらくは幸せの絶頂だったのかもしれない。帯広の実家を離れ、道北の地を転々としているうちに訪れた、人生で最も輝いた時代だっただろう。オムイに咲いた一輪のハマナスの花だった。
 ところが、「ミス・花形」に選ばれたことが、その後の渡辺秀子さんの人生を大きく狂わせてしまったかもしれない。道北の小さな町のことである。「ミス・花形」としての存在は際立ったことだろう。渡辺秀子さんの勤めていた割烹「日の出」に、後に「夫」となる北朝鮮工作員、高大基が足繁く通っていたのだった。
 高大基は、なぜ雄武町といった道北の小さな町に滞在していたのだろうか。北海道を何度も訪れた高大基の任務は、自衛隊や海上保安庁の動向を探るためだったという。しかし、雄武町には、それほど大きな防衛施設はない。もしかすれば、工作員としての自分の身分を隠すために、日本人女性と偽装結婚をする相手を探していたのではないだろうか。
 北朝鮮工作員による偽装結婚には似たようなケースがいくつかある。その一つは、北朝鮮工作員、辛ガンスである。辛ガンスは、偽装結婚をするために朴春仙という在日朝鮮人の女性に、他人を通して接近した。離婚をし、子連れだった朴春仙も、最初は不審に思ったものの、男前で羽振りの良い辛ガンスに次第に惚れていったのだった。そして、同居生活を送ることになった。工作員である辛ガンスは、最初から最後まで、彼女のことを愛してはいなかったようである。あくまでも偽装のためであり、利用するだけだった。それは、彼女との最後の別れである韓国ソウル市内の隠れ家に、朴春仙が訪ねたときの、彼の冷たいあしらい方が物語っている。
 高大基は、渡辺秀子さんを愛していたのだろうか。
 一枚の写真が残されている。高大基がランニング・シャツというラフな姿で、敬美ちゃんを膝の上に載せている写真だ。ニコリともしていないその顔は、工作員というよりも気難しい若い学者のような顔つきである。だが、写真を残すような男性は、工作員としては失格のはずである。
 まだ、想像の範囲を出ないのであるが、高大基の任務は、日本の自衛隊や海上保安庁の調査だったとのことであれば、拉致といった暴力的な犯罪とは少し異なるものだったのではないだろうかと思う。だとすれば、日本人の女性を内縁の妻とし、そして二人の子どもを設けたということも納得ができる。
彼は渡辺秀子さんを愛していたのだ、とそう思いたい。しかし、そう思えば思うほど、渡辺秀子さんとその子どもたちの数奇な運命は、あまりにも悲しすぎる。
 自分の愛した夫が北朝鮮の工作員であり、夫を愛したがゆえに、その後を追って殺されたかもしれない渡辺秀子さん。そして、まだ6歳の姉・敬美ちゃん、そして3歳の弟・剛ちゃんが、そうした複雑で危ない状況など知る由もない。二人の幼い姉・弟は、運命に導かれるままに、東京から北朝鮮へと、船に閉じ込められて漆黒の日本海を渡って連れ去られていったのである。
 その時に同行した北朝鮮の工作員の証言では、「薬で眠っていたはずの子どもたちが目を覚まし、子どもたちの船良いがひどくて苦労した」という。それはそうだろう。日本海の荒波の中を、小さな工作船で運ばれるのである。その時の幼い二人は、いったいどのような思いをして、何も判らないまま、言葉も理解できない「祖国」へと向ったのだろうか。


November 11, 2007

帯広集会の報告

 10日、午後3時よりも帯広市内にて「渡辺秀子殺害・高姉弟拉致問題」についての、集会があり、私も10分間の報告をさせていただいた。帯広での、拉致問題のイベントは大きなものはこれで二回目である。
 参加者は300名程度だったが、帯広という旧社会党の影響力が根強く残っている帯広市内で、拉致問題の集会を開催したことはとても重要である。この集会のためにボランティアをされてきた方々へ、心から感謝申し上げたい。どんなに、個人個人は小さな活動でも、集まれば大きな力となる。是非とも、帯広市民の皆様にお願いしたいのは、渡辺秀子、高姉弟の事件を風化させないようにして、北朝鮮の拉致問題の解決のために「小さな一歩」を踏みむだしていただきたいということである。
 10日の集会のメイン・スピーカーは、渡辺・高姉弟事件を明るみにした第一人者である石高建次さんであった。今後とも、拉致問題の全容解明と全員の救出のため、皆様のご理解とご協力を切にお願いをしたい。

いわゆる「従軍慰安婦」に拘る北朝鮮と米国の蜜月

 北朝鮮と米国の「蜜月」に、いわゆる「従軍慰安婦問題」が、大きく関わっている。米国議会での「対日批難決議」も、微妙に北朝鮮との「テロ支援国家解除」という問題とも関わっている。米国は、北朝鮮をなだめるために、従軍慰安婦問題についての日本の「譲歩」を要求していたのである。
 そこまで、米国が「従軍慰安婦」の問題に拘ったのは、北朝鮮との米国との国交正常化において、北朝鮮側が「日本との関係改善には、従軍慰安婦の問題を解決し、日本側からの補償を得ることが先決である」という、ゴネでありエゴが背景としてある。一方、米国としては、極東アジアの利権の確保のためには、北朝鮮という対中国政策への地理的な戦略的地位を、中国に替わって得ることが重要だとの判断があったのである。
 いまや、米国は、対中国への戦略的牽制のために、北朝鮮、韓国そして日本を利用している。その戦略的利害のためには、日本の求める「拉致問題の全面的解決」ということに対して、「部分的解決で折り合いをつけろ。従軍慰安婦の問題も補償でケリをつけろ」というスタンスを採っているというわけである。
 明日11日から、増元照明さんをはじめとして家族会・救う会のメンバーが訪米する。それは、そうした米国の戦略に「楔」を指そうという意図であるが、果たしてそうした意図が、現在の米国の基本的な極東アジア戦略と、必ずしも利害は一致しているかどうかは疑問である。もちろん、米国の政府関係者は、家族会に対してリップサービスをするであろう。しかし、米国には米国の利害がある。そうした、裏事情を十分に認識した上での、日本の戦略を描き出さないと、結局のところ、大きな国際政治の枠組みの再編成の中で、拉致問題は埋没していくのである。
下記は、そうした米日朝の裏事情を描いた共同通信の英文ニュースである。

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U.S. got Abe to drop denial over sex slaves
Kyodo News

The United States warned Japan in March that Washington could no longer back Tokyo on the issue of North Korea's past abductions of Japanese unless then Prime Minister Shinzo Abe reversed his contentious claim that there was no proof that the Imperial forces forced women and girls into sexual slavery during the war, sources revealed Thursday.

The warning, delivered by U.S. Ambassador Thomas Schieffer to a senior government official, prompted Abe to change his stance and announce that he stands by Japan's 1993 official statement of apology to the "comfort women," as they are euphemistically known, the sources said.

The 1993 statement, issued by then Chief Cabinet Secretary Yohei Kono, acknowledges and apologizes for the Imperial forces' involvement in forcing women and girls to work in frontline brothels in Japanese-occupied areas in the 1930s and 1940s.

Abe sparked an international outcry when he told a Diet committee on March 5 that there was no proof that the Japanese military was directly involved in forcing females across Asia into sexual servitude during the war.

Schieffer's warning signaled that Japan-U.S. relations had reached a critical stage. Abe's remark came while the U.S. House of Representatives Foreign Affairs Committee was considering passing a resolution since the beginning of the year urging Japan's prime minister to offer an official apology to the comfort women.

Worried by potentially negative developments from Abe's remark, Schieffer met the senior Japanese official and said the U.S. would no longer be able to support Japan on the abduction issue if the current situation were to continue, according to the sources.

Japan is demanding that North Korea reopen or newly investigate 12 of the 17 abductees on Japan's official list ― all except the five who returned to Japan in 2002. North Korea, however, has repeatedly said that it considers the cases closed and that no other abductees remain alive.

Following Schieffer's warning, Abe, then Chief Cabinet Secretary Yasuhisa Shiozaki, then Foreign Minister Taro Aso and other senior administration officials discussed how the government should respond, the sources said.

Abe accepted Aso's proposal to back away from his earlier remark, given the importance of Japan-U.S. relations, they said.

During telephone talks with President George W. Bush on April 3, Abe said Japan will keep its official position on the comfort women based on the 1993 statement.

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20071109a2.html

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November 09, 2007

北朝鮮へのテロ支援国家指定解除は近い?

 北朝鮮へのテロ支援国家指定解除は近いようである。
 ご存知の「海賊事件」も、北朝鮮側にしてみれば「もっけの幸い」ということだろう。テロを間接的に支援してきた北朝鮮の工作船が海賊に襲われ、それを米国海軍が助けたのだから。
 北朝鮮の船長は、海賊を海に放置しようとしたところを、米国海軍の船長から「人道的ではない」と指弾されたとのことである。いくら海賊でも、大海で壊れた船に放置されれば、命は助かるまい。それを助けようとしなかった北朝鮮の船長は、祖国では「英雄」であるとのことだ。おまけに、今回の事件で、「米国と北朝鮮の蜜月」を示す素材を提供したのだから、船長は「共和国勲章」の一つでももらえるだろう。
 さて、もう一つのテロ支援国指定解除の要件である、「よど号犯人の日本への引渡し」も、ボチボチ進むかもしれない。「9月ごろには帰国するかもしれない」という情報が一部で流れていて、そのままになったが、それも時間の問題のようである。彼らは北朝鮮から、「日本人拉致の犯人はよど号メンバーである」という烙印を押されてくることになって戻ってくるかもしれない。よど号のメンバーにしてみれば、不本意な「烙印」であろうが、彼らには選択の余地はないだろう。米朝の蜜月は、よど号メンバーの思惑と次元がはるかに乖離しているのである。

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2007/11/08-20:47 北朝鮮、船救出作戦で米に謝意=「対テロ協力の象徴」と強調

 【ソウル8日時事】朝鮮中央通信は8日、ソマリア沖で先月末、北朝鮮の貨物船が海賊とみられる武装集団に乗っ取られた際、米海軍の駆逐艦が救出作戦を展開したことを初めて報じ、「米国がわが乗組員を助けてくれたことをありがたく思っている」と謝意を表明した。朝鮮通信(東京)などが伝えた。
 朝鮮中央通信はさらに「今回の事件はテロとの戦いで朝米協力の象徴となる」とも強調。事件を報道した背景には、米朝の接近ぶりを内外にアピールするとともに、米国によるテロ支援国指定の解除に向けた動きを念頭に反テロの立場を主張する狙いがあるとみられる。

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November 08, 2007

木村かほるさんのチョコレート?

7日午後1時、秋田県警本部へ、木村かほるさんの姉・天内みどりさんと訪問。1982年、北朝鮮に騙されて連れて行かれたタイ人女性のうちの一人が、当時、木村かほるさんと思われる日本語教師からもらった、チョコレートの缶に、本人の指紋が残っていないかどうかを鑑定してもらうためだった。もし、指紋が出てきたら、そのものズバリである。しかし、もうすでに25年の前の缶だし、色んな人(私も!!)触っているので、鑑定ができるかどうかはわからない。万に一つの可能性を求めてのことである。秋田県警も「できるかぎりのことをする」とのことであり、結果を期待したい。
 缶は、赤色で、中国の「幸福」という銘柄のチョコレート。よくぞ、そのタイ人女性が25年も持っていたと感心する限りである。彼女は、その他にも当時の航空券(高麗航空も!!)などを大切に保存してある。彼女とって、北朝鮮に行ったことは「夢の中の世界で起きたこと」のようなのである。

 さて、時間もあったので、「救う会秋田」の代表と、木村かほるさんの勤め先があった日赤看護学校の跡を回ってきた。今は、県立看護学校に変っている。日赤は郊外に移転している。
 しかし、驚いたのは、木村かほるさんの看護学校と、特定失踪者の松橋恵美子さんが通っていた美容学校は、目と鼻の先だったことである。失踪時期は、30年もの時間差があるが、何かの因縁を感じる。
 松橋恵美子さんの失踪も不思議なものである。どう考えても「拉致」以外は考えにくい。しかし、残念ながら、今のところほとんど確たる情報がない。少しでも情報が出ることを期待したいものである。

下記は、7日の模様を伝えた「デーリー東北新聞」の記事。木村かほるさんの動向については、これまでも熱心に取材を重ねている。ありがたいものである。

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「木村かほるさんがくれた」菓子缶を入手(2007/11/08)

 1960年に秋田市で失踪(しっそう)した青森県八戸市出身の看護学生、木村かほるさん=当時(21)=に似た日本語教師が、北朝鮮内で複数のタイ人女性に目撃されていた問題で、タイ人女性の1人が日本語教師からもらったというチョコレート缶を、特定失踪者問題調査会が入手していたことが分かった。調査会は7日、木村さんの姉、天内みどりさん(74)とともに秋田県警を訪れ、木村さんが使っていた鉛筆などと一緒に缶を提出、指紋の照合を依頼した。
 チョコレート缶は約二十五年前にもらったのもので、指紋が残っているかどうかは不明。だが、仮に指紋が一致すれば、目撃された日本語教師が木村さん本人である決定的証拠となる。
 天内さんが提出したのは鉛筆入りの筆箱、手帳、看護学校のバッジ、消毒綿を入れるケースなど。いずれも、木村さんが失踪時に寮に残していたもので、天内さんが長年保管していた。
 調査会の真鍋貞樹専務理事と天内さんは同日午後一時ごろ、秋田県警第二庁舎を訪れ、これらの品々を提出し指紋の照合を依頼。これに対し、秋田県警の担当者は、真鍋専務理事と天内さんの指紋を採った上で、「しっかり調べたい」と話したという。
 提出後、取材に応じた真鍋専務理事は「県警はできる限りのことをやってくれるとのこと。(チョコレート缶に)指紋が残っていればいいのだが…」と話した。一方、天内さんは「これまでの証言から、絶対妹に違いないと思っている」と心境を語った。
 調査会によると、一九八二年、十人のタイ人女性が北朝鮮にだまされて連れて行かれ、平壌郊外の招待所で約二カ月間、四十―五十歳ぐらいの女性の日本語教師から日本語の教育を受けた。写真照合の結果、証言者の三人のタイ人女性はいずれも、木村さんに似ていることを証言。体形や人物像なども木村さんとほぼ一致した。

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November 06, 2007

高村外務大臣 北朝鮮へ重油支援の負担を表明

 本日の共同ニュース英語版によれば、高村外務大臣が、北朝鮮の核無能力化プロセスで、日本も一定の負担を将来的に行う意向を示したとのことである。前提としては、拉致問題の解決を求めることには変わりないとしているが、六カ国協議での他の関係国が5万トンの重油支援を決定していることから、関係国への配慮を示したものと思われる。
 「外交的孤立を回避する」というのが恐らくは大義名分であろうが、何で「日本は愚か者」だと言っている北朝鮮に、重油をプレゼントしなくてはならないのだろうか。もちろん、外交交渉は表向きのものだけではないので、裏で何が行われているかは知る由もない。

 ところで、共同通信の記事はいつもそうなのだが、「拉致被害者」についての記述の際に、必ず「1970年代から1980年代にかけて」と説明がついている。政府認定の拉致被害者を想定しているのは間違いないのであるが、「そうではない」と言っている私たちの立場からすれば、せめて「1960年代から1990年代も拉致が疑われている」といった具合にならないものだろうかと思う。
 福田総理も「拉致被害者の全員とは、私たちが北朝鮮に帰せと言っている人たち」と言ったように、政府認定の拉致被害者のことしか、もともと念頭にないのである。その認識を正すのがマスコミの役割だと思う。マスコミが政府の言っていることだけに正当性を持たせて報道するというのは、自殺行為になるのではないだろうか。

 
 

November 05, 2007

キム・ケガン 日本を「愚か者」と言う愚か者

 共同通信の英文ニュースによれば、北朝鮮外務次官のキム・ケガンが、日本が米国のテロ支援国家指定解除に慎重な対応を求めていることに対する批判の言葉として、「foolish:愚か者」と使ったとのことである。3日の北京空港での発言のようである。彼が使った原語は何語かわからない。
 いちいち彼らの発言を気にしていたらキリがないのであるが、外交官たるものが使う言葉としてはふさわしいものではあるまい。その言葉をそのままキム・ケガンにプレゼントしたい。そもそも、北朝鮮自身のやっていることが「foolish」なのだから。

 

November 04, 2007

米国防長官 日中韓歴訪

 NHKニュース以外はどこも配信していないようだが、このゲーツ国防長官の歴訪は、北朝鮮問題を見る上で、結構重要な動きである。もちろん拉致問題の対応などを福田総理と意見交換するであろう。

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NHKニュース

アメリカのゲーツ国防長官は、日本、中国、韓国の3か国を歴訪するため、3日、ワシントンを出発しました。ゲーツ長官の東アジア訪問は就任後初めてで、日本では福田総理大臣らと会談し、海上自衛隊のインド洋での給油活動を早期に再開するよう要請する見通しです。

11月4日 14時45分

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November 03, 2007

福田首相:リー・シンガポール首相と電話協議

小さく毎日新聞に掲載された記事である。
 いつも、私は日本政府の悪口ばかりこのブログで書いているので、「たまにはほめないとマズイな」と思っていたところ、発見したもの。
 昨日も、「カンボジアのフン・セン首相が、訪問した北朝鮮のキム・ヨンイル首相に対して、日本人の拉致問題の解決を求めた」という小さな記事があった。
 シンガポールにせよ、カンボジアにせよ、ASEANのメンバーであり、かつ北朝鮮との国交を持っている国々であるから、それなりの影響力を持つ。こうした国々の元首や指導者が、北朝鮮にこうした姿勢を見せてくれることはとても大事である。
 そういえば、来週の11日から家族会・救う会・拉致議連のメンバーによる訪米団が予定されているとのことである。米国はもちろん重要だが、こうしたアジア諸国との関係性を持つことも大切であろう。友達は多いにこしたことはないのである。まぁ、救う会は米国(しかも共和党だけ)一辺倒だから無理はないことだが。
 ということで、カンボジアに続いて、シンガポールという一連の動きは、もちろん外務省や福田総理の働きの成果であろう。外務省もこうした動きをもっと宣伝すればよいのに。

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福田首相:リー・シンガポール首相と電話協議

 福田康夫首相は2日、シンガポールのリー・シェンロン首相と電話で協議、21日に同国で開かれる東アジアサミットで、環境やエネルギー問題について緊密に協力していくことで一致、ミャンマー問題にも両国で連携して対応することを確認した。福田首相は「北朝鮮の拉致、核、ミサイル問題でも理解と協力を得たい」と要請した。

毎日新聞 2007年11月2日 22時05分

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森を見ること、木を見ること、葉を見ることの大切さ

 枝葉末節ばかり気にして、大局を見誤ることを、「木を見て、森を見ず」と言う。戦略家、戦術家と自称する人たちが最も軽蔑する姿勢ということであろう。一国の政治家や官僚といった政策決定者が、常に心がけておかなくてはならない鉄則ではある。事実、大局を見ることを誤り、戦術の細かな成果だけをあげようとして、結果的に戦争に負けたのが旧日本軍である。目の前の事象への処理に終われ、近代の国際社会の枠組みの歴史的な大きな変化を見誤っていた結果であろう。
 そこまで大げさなものではないにしろ、日朝間にある大きな懸案課題である拉致問題を解決しようとする際にも、「木を見て、森を見ず」ということになっては、結果的に解決に至らないことは言うまでもないことではある。
 ただし、政策決定者にとっては大切な、「森」という大局観ばかりに気をとられることによって、見失われていく「木」どころか「葉」がある。「森」だけが大切なのではなく「木」や「葉」も、忘れてはならない大切なものなのである。
 今の米朝・日朝協議の中で、語られている「森」とは、「核問題の解決と国交正常化」である。そのプロセスの中で、「木」である拉致被害者の問題の解決を図ろうというものである。そして「森と木」だけを見ることによって、見失われているのが「特定失踪者」という「葉」である。
 大きな国際社会のフレームワークを作り変えようとしている流れの中で、明らかに、日米朝の政策決定者にとって重要なのは「森」であり、その「森」の解決のための障壁になっている「林」の問題を解決しようと言うわけである。その結果、個々の「葉」の問題は、後回しか、それとも無視されるのである。
 米朝・日朝の大きなフレームワークを作り上げようとする日米朝の政策決定者の、「森」を見ようとする姿勢は大切である。しかし、彼らにとっては、「木」までは気を使うものの、その先にある「葉」などは、見ようとも考えようともしないのである。事実、日本の政府関係者は、「木」である横田めぐみさんら政府認定拉致被害者への認識は深いものの、「葉」である木村かほるさんらの特定失踪者への情報は、ほとんど持ち合わせていない。「木を見て、葉を見ず」という状況なのである。もちろん、個々の警察などの担当者レベルでは、それぞれの特定失踪者あるいは他の失踪者の情報を持っている。しかし、それが外交関係の政策決定者のレベルまで達していないのである。
 この外交問題という「森のレベル」の解決に当たって、「葉のレベル」の個々の問題をどのように絡ませるのか、という課題は、実に深刻な国際政治学上の大問題である。一言で「人権」というものに置き換えられてしまうが、それでは個々のケースの問題解決は後回しになってしまうのである。現在進行形の人権侵害行為に対する処置は、国際関係上は無視されるか、ほどよい程度に「覚書」「声明」「決議」といった文書を作ることが関の山なのである。
 国際関係を見る上で、「森」を見ることは、もちろん大切である。その時に、政策決定者がどこまで「木」や「葉」にまで、目配り、気配りできるかというところが重要になっているのである。たとえ「葉」であっても、瑣末な問題では済まされない。むしろ、政策決定者が心すべき点は、この世の中には「瑣末なもの」として、排除してよい問題や存在はないということなのである。どんな思想的立場であれ、ポジションであれ、「人権」を口にする者は、この点を忘れてはならない。まちがっても、「この人の人権は大切だが、後の人のことは知らない」といった認識を持ってはならないものであろう。

田原総一朗氏が北朝鮮入り

 田原総一朗氏の再訪朝は、一ヶ月ぐらい前に耳にしていた。その時点で、かなり煮詰まっていた話のようだったが、実現の運びのようである。まずは、田原総一朗氏のご奮闘を祈念したい。
 この記事でも、最後に「救う会や家族会の袋叩きにならなければいいが・・・」と、妙なご心配をされているのは、前回の田原氏の訪朝の際の「ヨイショ質問」に対する反発のことを受けてのことだろうか。相手との交渉では、ヨイショだろうが、何だろうが、こちら側を有利な立場に置くための手段としては当然なことである。もちろん、ノ・ムヒョンのようにヨイショだけで終わっては困るが。要は、問題解決のためには、使える手段・方法は全て使うということが大切だというごく当たり前のことである。「あれはダメ、これはダメ」と、交渉の手段・方法を限定しては、交渉にもならないのである。
 ただ、難しいのは、こうした「柔らかな交渉」の基本原則は、相手がそれなりに理性的で、かつ合理的な判断と認識を持っている場合に限定されることである。相手が、ヤクザや詐欺師の場合には、むしろ「脅しやスカシというハードな交渉」が正当なる手段・方法であり、場合によっては包丁、拳銃といったものが問題解決の手段となる。
 北朝鮮の場合は、言うまでもなく後者である。ヤクザや詐欺師と一緒にしては、彼らに失礼になるほどだ。ヤクザや詐欺師に加えて「泣く子と地頭」そして「パルチザンという名の夜盗」という定義が相応しい。
 こうした集団を相手にした時、孤軍奮闘の田原総一朗氏による「ジャーナリストとしての人生をかけた誠意と情熱」が相手を動かすとは思えない。おそらくは、福田総理などとも事前に意思を通じているだろうと推測している。それがなければ、ただのパフォーマンスに終わってしまう。
 いずれにせよ、「進展」を期待している。問題は、とりあえずの中途半端な「進展」で、「一件落着」にしてもらいたくない、ということである。「政府未認定拉致被害者を含めた全員の帰国が拉致問題の解決」という基本的立場をキープしてもらえれば、誰でも何でもやってもらいたい。


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田原総一朗が北朝鮮入り(日刊ゲンダイ)

 かねて噂されていたとおり、ジャーナリストの田原総一朗氏(73)が、テレビ朝日の取材も兼ねて、北朝鮮に向かった。北京経由で31日にも平壌に入る。
 今回の訪朝の目的は何なのか。ある北朝鮮事情通が語る。
「田原氏は2度目の訪朝。今回はジャーナリスト人生の集大成として、一向に進展しない日朝間のパイプ役を買って出る決意のようです」
 金正日は、南北会談で韓国の盧武鉉大統領に対し『拉致日本人はもういない』と発言。先日も高村外相の「何人か帰国すれば進展であることは間違いない」という発言がヒンシュクを買うなど、膠着状態が続くのが日朝交渉の現状だ。
「今回は宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使か、金桂冠・外務次官あたりとの面会を狙っている。で、日本人の帰国問題一本に絞って交渉するようです。残された12人の拉致被害者の帰国は、金正日が否定する以上は無理だとしても、日本人妻や在朝日本人数人の帰国に道筋をつけて、それを日朝交渉の突破口にしたいのでしょう」(事情通=前出)
 ひょっとしたら福田首相にとって思わぬ“切り札”になるかもしれないが、拉致被害者家族会や救う会から袋叩きにあわなければいいが……。

[日刊ゲンダイ:2007年11月03日 10時18分]

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November 02, 2007

防衛省のGPS騒動

 下記の読売新聞は、防衛省幹部にGPS機能つきの携帯電話を持たせるうんぬんの話である。
 同じような記事が、ロイター英語版で全世界に発信された。日本人として誠にお恥ずかしい限りである。ロイター版では、匿名の官僚の言葉として「私たちは子どもではない」と反発している声を記載している。
 そりゃあ、もちろん大の大人に「ドラエフォン」でももたされたら、格好が悪いに決まっている。しかし、そうでもしないと、部下には「業者と飯を食うな」といっておきながら、片方では毎週のようにゴルフ接待では、子どもだってビックリの話である。子どもはゴルフなどにうつつを抜かす暇などない。学校に、塾に、習い事に、サッカーや野球にと忙しい。「私たちは子どもではない」というのは、実に子どもをバカにした表現ではないか。子どものほうが、余程、利権目当ての接待ゴルフに明け暮れる大人たちより、道理をわきまえている。

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ゴルフ接待もうさせぬ…防衛省幹部をGPS管理案

前防衛次官問題

 増田好平防衛次官は1日の記者会見で、防衛省幹部の休日・夜間の行動を把握するため、全地球測位システム(GPS)付き携帯電話を所持させる案を検討していることを明らかにした。
 守屋武昌・前防衛次官が同省に届け出ず、頻繁にゴルフ接待を受けていたことを踏まえたものだ。
 増田氏は「GPS携帯電話を持つことも有力なオプション。効果として(守屋氏のような問題が)なくなる」と述べ、導入に前向きな姿勢を示した。
 省内では「休みの日の詳細な行動まで把握されるのは違和感がある」「プライバシー無視。やりすぎだ」など反発する声が出ている。
 だが、石破防衛相は1日の衆院テロ防止特別委員会で「(防衛省は)危機管理官庁であり、居場所を明らかにするのは当たり前だ。(不満があるなら)私に直接言えばいい。行動が把握されるのが嫌なら、防衛省にいなくて結構だ」と強調した。

(2007年11月1日19時35分 読売新聞)

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November 01, 2007

バンコックの「平壌館」

 バンコック市内の中心部から東側の北朝鮮大使館の近くに、北朝鮮直営レストラン「平壌館」がある。かなり大きな建物で、毎日盛況のようである。
 今年の始め、バンコックに出張した際に、面白半分で夕食に行ってきた。既に席は満席状態だった。見たところ、客層はほとんど韓国からのビジネスマンか観光客だった。私の隣に座っていた韓国のビジネスマンから話し掛けられ、一緒にカラオケを歌うハメにおちいった。歌ったのは「プサン港へ帰れ」であった。ちなみに、カラオケの映像は、プサンとは関係のない、わけのわからないものだった。
 さて、平壌館の模様は、韓国のネチズンたちの関心の的になっており、インターネットで、「あの店のあの子はとてもカワイイ」とかいった話題で持ちきりだそうである。
 実際、バンコックの平壌館で働いていた数人の北朝鮮女性は、みんなとても魅力的な人たちだった。そのうちの一人は、件の韓国人ビジネスマンによれば「あの子はタイに来て、三日目だ」とのよし。
 私が店に来るのが遅かったので、北朝鮮レストランの特徴である、従業員による歌と踊りのショータイムはすでに終わっていた。それを韓国人ビジネスマンに言うと、これが韓国人パワーである。店のマネージャーと思しき人物にかけあってくれ、嫌がる従業員に無理矢理ショータイムを実行せしめたのであった。それでも、彼女たちは、ショーが始まると、いつものように歌と踊りを披露してくれた。
 店を出たのは、もう閉店時間はとっくに過ぎていた頃。韓国人ビジネスマンは、記念写真を彼女らと撮り、上機嫌でアンニョンケセヨだった。
 私は数回、外国で北朝鮮系レストランに入ったことがあるが、「フン!イルボンサラム」とあからさまな従業員の冷たい視線と同時に、別の従業員からは温かい歓迎を受けると言う楽しい二重の感覚を味わった。韓国系レストランの従業員の素っ気無さよりは、はるかに楽しい思い出である。

ある日隆商事の元社員の話

 日隆商事という北朝鮮専門商社は、北朝鮮との合法的ビジネスで一世風靡した会社であった。そのため、かえって総連系貿易会社からライバル視され、疎まれていたという。そういう会社であるから、真っ当な会社であった。元社員の方の話でも「ちゃんとビジネスとして活動していた。安山館の話もビジネスだった」とのことである。
 その元社員の方が、タイ人女性たちを無事にタイに帰国させる一つのきっかけを作られたようである。出張でピョンヤンに行き、安山館のクラブを訪れると、タイ人女性がたくさん働いているのにまず驚き、次に彼女たちが口々に「私たちは日本に行くと騙されて連れてこられた。タイに帰りたい」と泣いて訴えたとのことだ。その元社員も驚き、「彼女たちは帰りたいと言っている。早く返せ」と、安山館の現地責任者に掛け合ったと言う。その働きかけが功を奏したのか、タイ人女性たちは、その後、無事にタイに帰ることができたのであった。
 もっとも、タイ人女性たちの扱いに困ったのか、別に香港の女性たちを調達できたためであろう。その香港の女性たちは、騙されたのではなく、ビジネスとしてピョンヤンにやってきたとのことだ。
 さて、話はもっと複雑になってくる。別の日隆商事の元社員は、日朝貿易会で働いていた。その人物は、北朝鮮への帰国事業に深く携わり、北朝鮮に何度も訪れている。その人物は、1976年の福留貴美子事件とも、後に係わり合いを持つようになる。そして、福留貴美子事件の後の1983年には、ユニバース・トレイディング事件が発生する。福留貴美子さんは、ユニバース・トレイディング社があったビルの受付をしており、高姉・弟を拉致し、母親を殺害した犯人である木下陽子とも当時面識があったとも言われている(まだはっきりしないが)。
 さてさて、またまた話が複雑になってくるのが、安山館の中の一つの店の責任者の話である。その責任者は、大手パチンコ店の子息で日本から派遣されていた人物であり、その妻が在日の帰国者であった。その在日女性は、いったん帰国事業で北朝鮮に行ったものの、再び日本に帰ってきたという(脱北ではない)稀有な存在である。この女性の話は、『金正日の料理人』にも「大金持ちの女性が安山館の私の店にしばしば来ていた」というように記述されている。
 そして、もっと複雑になるのが、その妻の幼馴染が、元ブントの活動家で、田中義三の帰国問題などの際に支援活動をしたH氏である。H氏は、ブント活動から離れて、世界中を旅したユニークな方で、今はタイに滞在している有名な実業家である。とても気さくな人柄で、タイ在住日本人ビジネスマンなら誰でも知っている。ということで、話がまたタイに戻ってくるのである。
 世の中まことに狭いものである。北朝鮮を巡る様々な事件に関わっている人間関係は、複雑であるが、国境を超えて色々とつながっているのである。まだまだ解明しなくてはならないことばかりであるが、この複雑な関係性の中に、拉致被害者が存在しているというわけである。


龍岳山招待所

 タイ人女性が北朝鮮に行って最初に収容されたのが、龍岳山招待所と推測される。その根拠は、彼女たちの証言の「ピョンヤンから車でほど近く、安山館を出て、大きな川を渡って左折し、しばらく行って、右に曲がり、もう一回大きく曲がった先の、山の中にある一軒屋」というものである。「とうもろこし畑を通っていった。二階建ての大きな建物だった」という証言とも一致する。また、龍岳山招待所は、1982年頃の建設であり、タイ人女性たちが北朝鮮に渡った時期と一致する。
 こうしたことから、タイ人女性たちの最初の宿泊場所が龍岳山招待所だったと推測できるのだが、問題は、そこに「木村かほるさん」と思われる女性が、車でピョンヤン市内から通っていたと言うことである。その車は、黒塗りで、運転手がいたという。もちろん、監視要員であろう。
 その女性が木村かほるさんであれば、その招待所でどのような思いをして、タイ人女性たちに日本語を教えたのだろうか。もう日本に帰ることをあきらめていただろうか。その女性は、結婚し、子どももいたということであるから、おそらくは覚悟を決めたのであろう。
 別の脱北者の証言では、北朝鮮工作員の日本語教師になるように命じられた別の日本人拉致被害者女性が、それを拒否したために、収容所に入れられたという。拉致被害者は結局、そうした任務を強制されていたのである。
 木村かほるさんは、ご家族の弁によれば「現実をみて生きるタイプ」だったという。「日本に帰る」という夢をあきらめて、現実として北朝鮮で生きていくしかないという判断をしたのであろうか。そうでなければ、北朝鮮で生きていくことはできない。同じように、外国から連れてこられたタイ人女性たちに対して、優しい気遣いをみせたのは、同じような境遇の人たちへの、せめてもの人間的な思いやりだったのだろう。実にやりきれない思いである。

 さて、もっとやりきれない思いをするのは、こうした情報を日本政府に伝え、救出を訴えても「ああ。そうですか」で終わってしまうことである。横田めぐみさんら政府認定拉致被害者の情報や、家族会のことになると、福田総理は出てくるは、高級官僚がうちそろって出てくるのであるが、木村かほるさんをはじめとする特定失踪者と呼ばれている方の場合は、「ああ。そうですか」である。昨日の、木村かほるさんの救出を求める政府要請でも、安山館や龍岳山招待所には一切の関心を見せることなく、ただ「ああ。そうですか」で終わった。特定失踪者の問題には、ほとんど関心を持たないのである。
 現に、福田総理の口から拉致被害者の全員の救出とは、「こちら(日本側)が向こう(北朝鮮)にいると言っている方々が全員帰ってくるということだ」と言われたとのことだ(共同電)。肝心のこちら側が「ああ。そうですか」で終わっているようでは、「全員の帰国」を望むべくして望めないだろうに。
 昨日、政府へ木村かほるさんの救出の要請のため、お姉さんの天内みどりさんと伺って、そんなことを考えながら家に向かっているうちに、めまいはするわ、動悸が激しくなるわで、しばらく中央線の駅のホームでお休みであった。やれやれ。
 金正日の勝手な思いつきの招待所やレストラン建設のために、どれだけ多くの人が苦しむ結果になったことか、当の、金正日が思い起こすこともないだろう。彼にとっては、自分が犯した犯罪について聞いても「ああ。そうですか」で終わりなのである。そうでなければ、独裁者ではいられないだろうが。ひるがえって、日本でも、権力構造という「顔の見えない集団的独裁者」にとっても「ああ。そうですか」である。そうでなければ、権力構造の中で生きられないのであろう。権力構造を前にしたとき、個人の「優しい気遣いや思いやり」などという感傷などは、「そんなの関係ない」である。


 

安山館

 北朝鮮のレストラン「安山館(安山閣、鞍山館、鞍山閣とも言われる)」は、1982年ごろ金正日が建設を命じたものである。金正日は、父親が建設した外国人向け高級レストラン「玉流館(平壌冷麺で有名)」にならって、自分もそうした接待所を作ろうとしたとされる。
 客層は、日本人ビジネスマン、ロシア人や中東諸国のビジネスマンだったという。中には韓国からのビジネスマンも来ていたという。内部の写真を見ると、普通のレストランであり、クラブである。現在でも、日本人観光客が訪れている施設である。
 その安山館を作り、運営を任されていたのが「日隆商事」であり、その社長(故人)が人を集め、日本から料理人(かの藤本氏)や、クラブのママさん、あるいは日本人ホステスもその仕事に携わっていたのであった。彼らは、合法的に日本から渡り、そして無事日本に戻っているので、それ自体は全く問題がない話である(藤本氏のケースは微妙だが、詳細は藤本氏の著書を参照されたい)。
 ところが、問題は、その日隆商事の合法的ビジネスを利用した北朝鮮の犯罪行為である。日隆商事の社長は、元社員の方の話によれば、豪放磊落な方であり、北朝鮮の発展のためにと、私財を投げ出してのビジネスだったという。その社長の誠意を無にするように、北朝鮮から招いた訪日団の中に、工作員金セホを紛れ込ませ、日本人拉致を実行していったのであった。元社員の方の話によれば、金セホは、帝国ホテルに泊まり、いつもどこか日本の地方に出張していたという。そして、会えば「疲れた。疲れた」と言っていたという。
 そして、一方で安山館のクラブで働くタイ人ホステスを獲得するために、工作員をタイに派遣させ、「日本に仕事がある」と騙して連れて行ったのであった。何も騙して連れて行く必要などないのに、よほど「小林」「山田」という北朝鮮工作員はあせっていたのであろう。安山館の建物はできたものの、その中で働くホステスが確保できないとなれば、金正日の命令で建設された施設だけに、「命がけ」の仕事をしたのだろう。
 ただ、これまた頭がおかしくなる話であるが、「山田」という人物は、あるタイ人女性とねんごろになり、ほとんど内縁関係ともいえるぐらいまで関係が深くなった。「山田」はその女性と北朝鮮で同棲をしていたのである。まぁ、それは個人的な問題だからどうということはないが、問題はその後である。タイ人女性がタイに帰国するあたり、「山田」は、そのタイ人女性を捨てたのだった。
 そのタイ人女性のその後の人生は奈落の底であった。今では、バンコック市内の公園のそばで寝泊りしているホームレスである。アルコール中毒になり、私が面会をしたときも「金をくれ」だった。「山田のことを覚えていますか」と聞くと、「日本で一緒に働いた人だ」と言うだけである。目は虚ろで、周囲に悪臭を放っている。唯一の友は、一緒に寝ている野良犬であろうか。「山田」という人物は、生きていれば70歳ぐらいだろう。せめて、彼女の生活保護程度の資金ぐらいを提供し、アルコール中毒を治療してあげるべきものであろうが。実に哀れなものである。
 さて、安山館を巡っては、こうした人情話ではすまない問題へと発展していくのである。それは、日隆商事をはじめとする日朝貿易をしていた数々の貿易商社が絡んでいくからである。そして、過去のユニバース・トレーディング事件、福留貴美子事件、そして、よど号犯などによる拉致事件へと人的に複雑につながっていくのである。
 今回、その複雑な関係性の中に、「木村かほるさん」が現れてきたのであった。このタイ人の女性たちの証言は、単純に騙されて北朝鮮に行って、日本人を見た、そして帰ってきた、というだけで終わらしてはならない問題なのである。

注:この記事で、タイ人女性とねんごろになった人物について、「小林」と「山田」の記述が、逆になっておりましたので、修正を致しました。あしからず、ご了承下さい。(2007.11.1)

 
 

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