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21 posts from January 2008

January 30, 2008

シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 7

ユニバース・トレイディング社の犯罪


 ユニバース・トレイディングは、昭和46年(1971年)6月30日に、当時の朝鮮総連第一責任副議長の金炳植が実質的に設立した会社である。会社の社長には、彼の大学時代の恩師が「飾り物」として就任した。その恩師を代表取締役にし、木下陽子こと洪寿恵他が取締役になっている。
 社員数は約30名で、在日朝鮮人と日本人が勤務していた。
 事業内容は、定款によれば、鉱石、鉄、非鉄金属、機械、医療器具などの輸出入と販売業となっている。
 同社は、昭和59年(1984年)12月3日に解散の登記がされている。解散した理由は判らないが、実質的な経営者の金炳植が北朝鮮に召還されたまま日本に再入国できず、事実上の朝鮮総連内部の権力闘争に敗れたことが原因であろう。
しかし、同社のような偽装組織が北朝鮮にとっては必要なものであることには変わりはなかった。同社に勤めていた人物であるN.S.が、同年同月、別のユニバース・トレード㈱という似た名前で同種の会社を設立していることから、偽装解散だったとも考えられる。そのユニバース・トレードも、昭和58年(1983年)に解散している。さらに、N.S.は、ユニバース・トレードが解散した同年の5月に設立されたコスモマイクロ㈱に幹部として就職している。
 ユニバース・トレイディング社の内部には、大学を卒業したエリート層を中心として二つの非合法的組織が編成されていたことが、同社に勤めていた関係者の証言からあきらかになった。
 その一つが「ドミトル」である。彼らは、北朝鮮に留学した経験を持つ若い層で編成された留学学生同盟(留学同)である。
 もう一つが「コロナ」と呼ばれる組織である。コロナに所属する工作員は、東京都小平市にある朝鮮大学校を卒業したメンバーである。7名から8名の若い者が選別されて、北朝鮮からの指令に基づいた様々な工作活動に従事していたといわれる。
 これら二つの組織の関係は、コロナが工作の企画をたて、「ドミトル」がそれを実践したとされているが、実態はまだ明らかにされていない。
 もちろん、こうした工作機関はこれらの二つの組織だけではなく、他にも多くの非合法組織が構成されていた。それぞれ縦系列の指示系統で運営され、相互の関係性は遮断されていた。
さて、金炳植は、総連の第一副議長(ただし、こうした役職名は本人がつけたものといわれる)であり、後に朝鮮総連内の激烈な権力闘争の結果、敗れる相手となった韓徳銖議長の姪の夫である。彼の経歴を追ってみよう。
 旧制二高(現在の東北大学)を卒業。
 1952年10月に設立された、朝鮮問題研究所の所長を務めた。
 1963年1月、総連組織部長。
 1963年9月、総連事務総局長
 1971年に総連副議長に就任。対南非公然活動の総責任者となり、「ふくろう部隊」を設立。
 1971年6月に、ユニバース・トレイディングを設立。さらに、東海商事、朝日輸出入商社、朝鮮特産物販売、朝鮮石材といった会社を設立。
 1972年、北朝鮮に召還され、そのまま留め置かれて、失脚。
後に、国家副主席という名誉職を与えられが、実権はなし。
 1999年、死亡。
 渡辺秀子さん殺害の実行犯として指名手配された木下陽子こと洪寿恵は、1947年11月、長野県茅野市の生まれである。在日朝鮮人の両親のもと、二人兄弟の妹である。地元の高校を卒業し、東京の大学の英文科に進学した。
 読売新聞(2007年5月1日)の報道によれば、大学進学時に朝鮮総聯からの奨学金を受け取ったことから、朝鮮総連との「暗い関係」が始まったという。そして、東京の大学生時代から、朝鮮総連の留学同に誘われ、そのまま朝鮮総連傘下の企業へアルバイトするなどして関係していったという。その最後の就職先がユニバース・トレイディングだったのである。彼女は発足当時から取締役として登記されていた。それぐらい金炳植から信頼を得ていたのであろう。
 彼女の性格については、「凶暴」「ヒステリック」「やり手」というのが一般的な見方である。渡辺秀子さんを「アイスピックで殺した」「羽交い絞めにして殺した」「橋の上から落とした」というように、あらん限りの残虐性が物語られているが、本当なのだろうか。
 読売新聞にも記述されているが、洪寿恵は琴で「さくらさくら」を弾くような感性の持ち主だったという。それが、なぜ拉致や殺害を指令するような犯罪をし、そして北朝鮮へと不毛な脱出をしていくようなハメに陥ったのだろうか。朝鮮総連に洗脳されたと見られているが、それ程までに人格が変わるものなのだろうか。
 木下陽子の夫、Nとの出会いがどのようなものだったのかも判明していない。1977年に、在日朝鮮人で日本に帰化したNと結婚。Nもユニバース・トレイディングの社員であった。読売新聞によれば、二人は、事件後の昭和54年(1979年)、長野の実家に戻り、二人して「金を貸してくれ」と両親に頭を下げたという。その二人は、翌日には両親の元を去り、二度と茅野市の土を踏むことはないままに、同年5月、日本を後にしたのだった。
 その後、2000年代になって、木下陽子が再び、日本にいる知人のところに「金を貸して欲しい」と国際電話で連絡をとってきたという。現在では、平壌に住んでいるというがはっきりしない。
 北朝鮮で在日朝鮮人が生きながらえるには、日本の親戚からの仕送りしかないことは歴然としている。しかも、こうした事件の犯人として名指しされている人物である。北朝鮮が彼女をどのように扱っているか、想像するしかない。彼女もまた、北朝鮮の閉鎖社会の中で、生き抜くための算段を繰り返しているのだろうか。

バルーンプロジェクトの報道

* 本記事は、修正が二回加わっています。

 下記は、テレビ朝日、NHK、TBSが報道してくれた、「バルーンプロジェクト」。
 テレビ朝日には、蓮池透氏の訪韓による安明進氏への「詰問?」報道の余波がありますが、とりあえずこの報道で「免責?」ということでしょうか。
 私のミスで当初テレビ朝日だけかと思っていましたが、なんと「天下の国営放送」ならびにTBSもちゃんと報道してくれていました。謹んで、御礼と修正のお詫びを申し上げます。
 

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テレビ朝日ニュース 2007.1.29

失踪者を捜せ!北朝鮮に向けて「風船作戦」

 特定失踪者問題調査会は、情報提供を呼びかけるメッセージを風船につけ、北朝鮮へ向けて飛ばすプロジェクトを家族会と協力して行う方向で調整していることを明らかにしました。
 今年初めて行われた会見で、調査会の荒木和博代表は「拉致被害者や家族は高齢化していて、一刻も早い全員の帰国を実現しなければならない」と訴えました。「そのために、今年は北朝鮮に直接働きかける活動を国内外のNGO団体と連携して行っていきたい」と話しました。調査会は、早ければ来月にも情報提供を呼びかけるメッセージを風船につけ、北朝鮮へ向けて飛ばす「バルーンプロジェクト」を家族会と協力して行いたいとしています。バルーンプロジェクトは、韓国のNGO団体が行ってきた活動で、調査会は、おととしから日本人拉致被害者の情報提供を求めるメッセージを韓国から北朝鮮に向けて飛ばしています。

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北朝鮮へ風船でメッセージ
NHKニュース 2008.1.30


この取り組みは、拉致問題を民間の立場から調査している「特定失踪者問題調査会」が、去年から始めました。風船に付けるビラには、拉致被害者を励ますメッセージや拉致被害者についての情報の提供を呼びかける文章が記されています。去年4月から、韓国の団体と合同で韓国から北朝鮮に向けて風船を飛ばし始め、これまでにビラ10万部以上を付けて飛ばしたということです。調査会によりますと、この取り組みを受けて去年、北朝鮮から脱出した人が似たようなビラを見たと証言したほか、北朝鮮がビラを非難するなどの反響があったということです。このため、調査会はことしもこの取り組みを続けることにしたもので、3月ごろまでに準備を進め、ビラ10万部以上を風船に付けて北朝鮮に飛ばす計画だということです。調査会では「ビラを見て被害者に関する情報が少しでも集まることを期待したい」と話しています。
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特定失踪者調査会、設立5年迎える
TBSニュース

 特定失踪者問題調査会が設立から5年を迎えて会見し、「総理ないし官房長官が特定失踪者家族と面会し、政府認定以外の全ての拉致被害者の救出を明言してもらいたい」と訴えました。
 今月で設立から5年を迎えた調査会の荒木和博代表は、「この5年間で特定失踪者のうち政府の拉致認定を受けたのは松本京子さんだけで、警察が拉致と断定したのも2人にとどまっている」と述べました。
 そのうえで「政府認定者以外にも拉致被害者が多数いることは政府も認めている」と述べ、「総理ないし官房長官が特定失踪者家族と面会し、全ての拉致被害者の救出を明言してもらいたい」と訴えました。
 また、2月ないし3月に北朝鮮に向けて拉致被害者救出のビラを入れた風船を韓国から飛ばす「バルーンプロジェクト」を実施することを明らかにしました。

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January 22, 2008

台湾の残留日本人

 台湾には現在でも、残留日本人がおられる。残留日本人とは、敗戦後に台湾から日本に戻って来れず、そのまま台湾に住み続けた人たちのことである。
 私の友人の女性がまさにその残留日本人の一人である。彼女は子どもの頃、台湾の奥地の霧社で生まれ育った。敗戦のドサクサのときに、日本への帰還指令が台湾の奥地まで届かなかったという。気づいたときには時がすでに遅しということだったし、何よりも両親(父親が台湾人で母親が日本人)が、このまま台湾に残る、という決断をしたため、そのまま彼女も台湾に残ることになったのだった。
 彼女は国籍はもちろん日本人だったが、ドサクサのために、日本の国籍が消失してしまったのであった。日本の戸籍があったことを証明する記録は、かろうじて家系の名前を残している文書のただ一枚である。
 私が何回か彼女と面会しているとき、彼女から相談を受けたのだった。それは「私は死ぬ前に、日本人の戸籍に戻りたい。死ぬときには日本人として死にたい」とのことだった。
 私は日本に帰国後、何人かの法律家の方とか法務省とも相談し、彼女のところに向かった。そして、日本にも来てもらい、本人に法務省とかけあってもらった。その結果、何とか戸籍の復帰のめどがたったので、再び台湾に行き、彼女にその旨を伝えたところ、彼女からは「真鍋さん。ゴメンナサイ。理由があって、日本の戸籍に戻ることは諦めた」と涙ながらに言ったのだった。理由はよくわかったけれども、それ以上彼女を苦しめたくなかったために、結局そのままで終わったのだった。
 彼女はその後、台湾の山のガイドを始めた。だから、日本人の登山の案内をしているはずである。多くの日本人が知らない問題だけれども、今尚、戦争の傷跡を背負っている人たちが、台湾の山奥にもおられるのである。

日本の戦後処理のまずさ

 下記は、中央日報の配信。
 私は日本の戦後処理問題のなかで、こうした韓国人の遺骨の問題とか、旧台湾人日本兵の補償の問題などを放置してしまっていたことが、最も戦後処理で日本政府の「まずさ」を表していると思っている。
 色んな議論はあるが、また感情として納得できない方もおられるだろうが、戦前は朝鮮人も台湾人も日本人だった。日本人として戦争にも動員したのであった。だとすれば、そうした人たちへの戦後補償は十分に行うべきものである。この記事のような遺骨問題は、真っ先に対処すべき問題であった。
 私の知人で台湾人元日本兵がおられる。現在でも台湾のプーリーに住んでおられるし、日本名も自ら語っておられる。その方は、いわゆる軍人恩給欠格者だった。永く日本政府から何らの補償ももらえなかった。私は現役市議会議員の頃やその前の職業の時も、この恩給欠格者問題に少し絡んでいた。その時の日本政府の担当者の言葉は、「政府間で戦争賠償の問題は方がついた。しかも、彼らはもはや日本人ではない。したがって、補償する理由はない」ということだった。その時に感じたのは「そりゃあんまりだろう。彼らは日本兵として戦争にかり出されたのだから、当然日本人と同じぐらいの補償はするべきだろう」というものだった。
 その台湾人は、私と最初にあったときに「ワシは海軍の横須賀の予科練出身だ」と、敬礼をしながら出迎えてくれた。「日本兵だったことを誇りに思う。だが、日本は私のような者を見捨てた」と、憤りを語られていた。そのとき、こういう人たちを見捨てた日本政府を、本当に「まずい」というよりも「アホ」と思った。台湾の奥地で、今尚、かつて日本人であったことを誇りに思っている人たちがいる。その人たちを裏切ることは許されない行為だと思う。

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日本強制動員64年ぶり 遺骨101柱が帰郷

「1944年のある夏の日、 人生の花が咲き始めた20歳の兄は当時9歳だった私に‘すぐに帰ってくる’と言いながら行ってしまった。 あれから64年。 その間、兄は骨になって他国の地で母・父・弟の顔を浮い浮かべながら長い間眠っていた…これからは故郷で安らかに眠ってほしい」。
22日午後1時、東京・目黒区にある祐天寺。 遺族代表の金慶逢(キム・キョンボン)さん(73)が哀痛の声で追悼の辞を述べた。
追悼式には日本外務省・厚生労働省の幹部も出席した。 しかし遺族は「なぜ今まで返還されなかったのか」と悔しさを隠すことができなかった。
強制動員被害真相究明委員会の全基浩(チョン・キホ)委員長は「遺族が1965年の韓日国交正常化から数十年間、日本各地を回りながら父や兄・弟の遺骨を尋ねてきたが、ほとんど成果はなかった」と語った。
苦労して血縁と思われる遺骨を探しても、真偽は確認できなかった。 強圧的な創氏改名で日本式の名前に変わったうえ、日本政府が情報公開を拒否することが多かったからだ。
このように植民地時代に強制動員され、アジア・太平洋各地で死亡し、日本に埋められている韓国人犠牲者の遺骨が、初めて母国に戻ってくる。 遺骨は23日に遺族に抱かれて帰国した後、忠清北道天安(チュンチョンブクド・チョンアン)‘望郷の丘’に安置される。
遺骨返還のきっかけは04年12月に行われた韓日首脳シャトル外交。 九州の指宿で会談し、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が遺骨の返還を要請し、当時の小泉純一郎首相は友好協力のため政府レベルの支援を約束した。
日本政府は3年間の実態把握を通して、強制動員された韓国人軍人・軍属の遺骨を唯一公式安置していた祐天寺で、1135柱の遺骨を確認した。 ここには1945年8月24日に日本から数千人の韓国人徴用者を乗せて玄海灘を渡る途中、原因不明の爆破事故で沈没した浮島丸事件の犠牲者の遺骨も一部含まれていた。
祐天寺の遺骨のうち韓国国籍者は704柱。 この日返還される遺骨は遺族が確認された283柱のうち101柱だ。 遺族が確認された残りの遺骨は年内に順次返還される予定だ。
真相調査委員会によると、犠牲者らは1935-45年に集中的に日本の軍人・軍属となり、アジア・太平洋各地に配置された。 当時犠牲になった韓国人軍人・軍属は日本政府の集計だけで2万2000人にのぼる。
犠牲者らは日本本土や中国・ミャンマー・インドネシア・パプアニューギニア・フィリピンをはじめ、太平洋の名前も知らない島で、銃に撃たれたり病気にかかったりして苦しみながら死亡した。

東京=金東鎬(キム・ドンホ)特派員
2008.01.22 18:29:13

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January 21, 2008

女子ゴルフW杯:中国の圧力で台湾「国旗」使用不可に

 下記はいつものことながら、中国が台湾の国旗を使用しないように南アフリカに圧力をかけたという朝鮮日報の配信。この種の記事を読むと、中国の姿勢に対してムラムラと怒りがわいてくる。その次は、諦めに似たため息である。
 ため息を私がついても仕方がないので、ここはポジティブにこの問題を理解したいと思う。つまり、このように中国が台湾に対して圧力を加える限り、台湾という存在が余計に国際社会でクローズアップされてくるということである。中国がもし何もしなければ、国際社会も台湾の存在をそれほど気にすることはないだろう。しかも、中国が圧力をかけ続ける限り、台湾国内の台湾ナショナリズムが鍛え上げられるということである。
 もともと「一つの中国」という政策が土台無理なものにもかかわらず、世界中にそれを押し付け、そして当該の台湾にも押し付けようとしても適わぬ話である。その「適わぬ話」を中華思想というけったいな思想を背景にしてデ・ファクトとしてごり押ししている。しかし、それは逆に国際社会からは「けったいな話」としてとらえられ、台湾のように表向きは従順にしても、裏では抵抗するという構造を、中国自身が勝手に作り上げているのである。
 中国にとっても、こうしたごり押しは利益にならないことぐらいは頭では少し理解しているだろうに、中華思想という覇権主義の頭が半分以上残っているのである。

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女子ゴルフW杯:中国の圧力で台湾「国旗」使用不可に

 女子ゴルフの国・地域別対抗戦、第4回ワールドカップ(W杯)の主催者側は19日、初出場する中国が出場3回目の台湾の「国旗」(青天白日満地紅旗)を使用しないことを要求したため、使用を取りやめたことを明らかにした。共同通信などが報じた。
 大会は18日から3日間の日程で、南アフリカで開催。中国側は大会直前に、中国国旗と台湾の「国旗」を併用しないよう求めた。
 主催者側は南ア政府と相談した上で、「台湾」の名称は用いるものの「国旗」は使用しないことを決め、台湾側も大会直前に了承したという。大会のスコアボードには出場各国の国旗が表示されているが、台湾の部分は空白となっている。南アフリカは1998年に中国と国交を樹立し、台湾とは断交している。

NEWSIS/朝鮮日報JNS 2008.1.21
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January 18, 2008

マカオでの拉致についての記事

 下記は、マカオにおける三人の女性の失踪について書かれた、当時の「マカオ日報」の記事を日本語に翻訳したもの。記事は1978年7月5日の発行である。
 注目すべき点は、三人の拉致に関わった日本人を名乗る男性が、ロシア人と一緒に行動していた可能性を示唆しているところである。
 尚、文章中に、中国語からの翻訳上の問題の部分(例えば、アノーチャさんがアンロサさんになっている箇所など)もあるので、ご注意の程を。

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マカオ日報 1978.7.5 (原文は中国語)

新馬路の大豊宝石貴金属の若い美人従業員2名と愛都浴室(浴場もしくはサウナ)では一番綺麗なタイ国籍ウエートレス(サービス係り)1名、先日同時に失踪した。日本に転売される為、国際人身販売犯罪グループに誘拐もしくは恐喝され、連れ去れていたと疑わされる。

 この国際犯罪集団の女性誘拐事件発生後、世間に衝撃が走った、警察も重く見ている。
昨日司法警察官が新麗華酒店(ホテル)に入り捜査を行った、さらに港の警察官に注意を呼びかけていた、しかし昨夜まで何の手がかりも見つからなかった。この二名の女性が失踪後、家族が非常に心配され、もし彼女達に関する手がかりがあれば、すぐに大豊宝石貴金属もしくは警察に知らせて欲しい。

 誘拐或いは恐喝されたことで失踪したと疑わされていた二名の大豊宝石貴金属店の従業員、ひとりは孔令罌(字が不明)であり、20才、売草地園18号3階に住んでいた。昨年の夏に聖羅撒女中(日本の高校に当る)を卒業後、7月1日に大豊宝石貴金属に入社、バレーボールが得意で、かつてマカオチームの選手として港澳埠際試合に参加した。もうひとりは蘇妙珍であり、22才、萬里園5号に住んでいた。海星学校で学び、転校後葡京ホテルの日本料理店で4年間ウエートレスとして働いていた。去年11月に大豊宝石貴金属に就職したばかり。もうひとりタイ国籍の華都浴室のウエートレスの名前が安露沙(アンロサANA CHA PANSOY)コードNO.(従業員番号だと思う)が35号であり、華都浴場では一番美人なウエートレスだった。大豊宝石貴金属の従業員や失踪した孔令罌、蘇妙珍二人の家族によると:先週の水曜日(6月28日)の午前11時頃に、日本人観光客風で、年が28、9才くらい、髪が短く、身長が170CM前後、色黒で痩せ気味な男性がまず大豊宝石貴金属の左側のカウンター(ショーケース)で妹の誕生日に翡翠の指輪を送りたいと言い、店員が1,000元(もしかして香港ドル)の指輪を見せたが、この日本人風観光客がもっと高いのが欲しいと言い出したから、店員はまた2,500元のを見せた、この客が値段の交渉はせず、ただこう言った「私はマカオで知り合ったポルトガル人の友達を連れてくればもっと安くなるかもしれません。」そして、この客が真中のショーケースに向かい、そこにはカフスやネクタイピンなどが売られていた、担当は孔令罌、蘇妙珍二人だった。この日本人風観光客は日本円で14,000くらいのカフスを買った、香港ドルにすると約400元で、彼は財布を取り出し、わざと孔令罌、蘇妙珍に見せびらかすように、財布の中に大量な紙幣が入っていた。彼は値段の交渉もせず、額面が500元のポルトガル紙幣一枚を取り出して支払った。お釣りの100元を孔令罌、蘇妙珍二人にチップとしてあげた、お金持ちであることをアピールしようと二人に近づいた。この日本人風観光客は自称日本系アメリカ人、アメリカで大きな商売を経営していて、父親が死んで莫大な財産が残されたとか、日本パスポートを見せ、話の信憑性はあると孔令罌、蘇妙珍に証明しようとした。そうこうしているうちに一時間以上に話しこんでいたので、当時のマネージャーと何人かの男性の従業員が近づいて話の内容を聞こうとしたが、この客が不機嫌になった。大豊宝石貴金属は殆ど観光客を相手に商売していたから、観光客と店員の雑談は日常茶飯事だったから、他の店員も気にしなかった。

 孔令罌、蘇妙珍二人ともドックレースのチケット売り場でアルバイトをしていた、しかしドックレースは水曜日の夜にに開催されるが、二人とも休暇を取った。深夜12頃に孔令罌が帰ってきて、孔令罌の母が問い詰めると日本人観光客が彼女と蘇妙珍を食事に招待したと答えた、食事後彼を回力球場(たぶんビリヤードのこと)に連れてあげた。連日二日間、孔令罌が母親に日本人観光客に食事に招待されたと告げていた、母親も夜10時には帰っていたから気にしなかった。先週末のドックレースにまた孔令罌、蘇妙珍二人が休暇を取り、孔令罌の彼氏郭さんが事前その夜10時ドックレース場で会うという約束で、孔令罌も時間通り来て12時までに、その後彼氏が家まで送った。日曜日(7月2日)になって、午後5時半孔令罌仕事を終え、彼氏に日本人観光客に彼女と蘇妙珍が葡京ホテルに食事の招待された為、孔令罌の彼氏が車でホテルまで送った。日本人観光客は人が良くて、ただ彼女らに適当なところに案内して欲しいだけであって、ほかの意図が無いと思い、孔令罌の彼氏で郭氏も観光客を相手に商売しているから、これも仕事の一環だと思い込み、意に介さなかった為、いつもの通り孔令罌を葡京ホテルまで送り、夜十時にドックレース場で待つと約束した。

 しかし郭氏ドックレース場で深夜十二時頃、ドックレースが終了まで待ってても孔令罌の姿が見えず、がっかりして家に帰った。月曜日(7月3日)の早朝五時二十分頃、孔令罌
の母親と娘が家に帰ってないことに気付き、驚いて急いで郭氏のところに探しにきた為、郭氏はようやく孔令罌が失踪したことを知り、びっくりしてすぐ車で蘇妙珍の家に、蘇妙珍も家に帰ってなかった、両人とも失踪した。

 月曜日の午前になって、孔令罌、蘇妙珍両家の人が大豊宝石貴金属に行き、二人とも店に出てなく、状況が深刻であったことを知り(このあと言葉がない為不明)

 大豊宝石貴金属の話によると、孔令罌、蘇妙珍二人とも人柄がよく、今時の不良ような人ではないと、社会経験まだ浅いがちゃんとした教育を受けていて、社会の複雑性に対する一定の認識があって、よほどのことがない限り、人に騙されたりはしない。だから何かのものに薬あるいは脅かされて失踪したとの可能性が大きい。あの自称日本人観光客が日本パスポートを持っていたが、疑問点が多い、一般の観光客と違って、国際人身販売集団の一員である可能性が強い。

 孔令罌は失踪時はオレンジ色のT-シャツ、黄色なジーンズ、金色な日本風サンダルを履き、手には「新東陽」(多分でデパート名です)のカバンを持っていた。蘇妙珍は水色のT-シャツに黒字の水玉模様のスカート、かかとの高い下駄を履いていた。失踪前日曜日に(7月2日)夜九時頃に二人が日本人観光客と共に新馬路の富利洋行前を通ったと目撃されていた。

 失踪したタイ女性アンロサについては、日曜日に一時に外出、出掛ける際友人にもし六時に彼女の姿が無かったら、三時間後に警察に通報してくれと言った。月曜日になっても姿無く、愛都浴室のマネージャーが警察に通報した。

 話によるとアンロサは失踪前に日本人観光客が頻繁に彼女のサービスを指名、一回目のチップは三百元で、二回目のチップは四百元で、先週末三回目のチップは六百元で、羽振りがよかった。もし彼と外出して食事を共にすると三千元を払うと言った為、彼女は金銭の誘惑に折れて外出にした。

 大豊宝石貴金属店や愛都浴室の職員の話によると、あの日本人観光客対する叙述は、同一グループの犯行であり、しかも国際人身販売集団の犯行の可能性が強まる。目撃の情報によると、この日本人観光客はかつてマカオのロシア白人とよく出入りしていた。このロシア白人は白髪で、少女騙しが専門で、かつてパスポート偽造と少女騙しで警察に拘束されたが、しかし何故か毎回逃れて、今も捕まらないでいる。

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January 17, 2008

韓国から「亡命」する脱北者

 下記は、先日来話題になっている、脱北者の英国への「亡命」に関する中央日報の配信。
 脱北者が韓国社会に馴染めず、英国をはじめとする欧州に居住することを求めるケースが多くなっている。タイには多くの脱北者がいるが、彼らの中でも、韓国に行きたくないとして、欧州を希望する者が多くなっているという。実際に、タイで私が会った脱北者からも、数はそれほど多くはなかったが、「韓国に行くと差別される」とか「日本に行くと朝鮮総連があるので怖い」といった理由で、欧州や米国行きを希望しているとの声があった。
 確かに、韓国に住んでいる脱北者は、全員というわけではないが、韓国社会に適応できず、犯罪に手を染めたり(安明進の例は微妙だが)、希望する職種につけず悩んでいる姿もある。その結果、「韓国社会でどうせ差別されるなら、全く異なる国で差別されるほうがマシ」といった感覚を持つようである。全く言語が理解できない国で、どうやって生活していくのかと心配になるのだが、彼らは「ケンチャナヨ」ということで行ってしまう。
 人権を尊重し、差別のない社会を創るというのは、言葉では簡単だが、本当に難しいことである。その結果、国境を越えた難民とか「亡命」といった国際問題が新たに発生するということなのである。

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中央日報 2008.1.17

英国、脱北者75人の亡命許可…昨年165人申請


英国は昨年1月から9月まで自国に亡命申請をした165人の北朝鮮国籍者の中から100人を審査し、75人に亡命を許可したと自由アジア放送(RFA)が15日、報道した。
亡命の承認率は75%に達する。申請者数165人は配偶者や子女を除外した「主申請人」だけを計算した数値だ。
RFAが入手した英国内務部の統計によると申請者のうちの15人にも亡命承認ではないが、人道的保護などを理由に臨時居住ビザが発給された。一部は安全な第三国経由で来たという理由で承認が拒否された。英国政府から亡命許可を受けて居住している脱北者は、ロンドンのニューモール一帯だけでも40~50人に達し、全国的には100人を超えることがわかっているとRFAは報道した。
このような統計は亡命審査が相対的に難しくないという理由から、多数の脱北者が英国行きを選択しているという主張を後押ししているものと放送は分析した。RFAは亡命申請者の中の一部は北朝鮮脱出後、韓国に定着した後、再び英国へと渡っていったとみられると報道した。
韓国内の脱北者支援団体のスンイン同志会は「亡命申請者の中のかなりの数が北朝鮮からの脱出後、韓国を経由せずに英国へ入国したように装っている」と説明し「10人に1人が韓国へ戻り、残りはそのまま亡命の承認を受けている」と話した。
これにより英国当局はこれまで緩かった審査過程を強化する方針だ。内務部移民局はRFAとのインタビューで「脱北者の亡命と難民申請の推移を詳しく見守っており、難民申請過程を悪用する事例がある場合、適切な措置を行う」と明らかにした。

韓敬煥(ハン・キョンファン)記者

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January 16, 2008

久々の古森義久さんの論文:北朝鮮はやはり「テロ支援国家」

 久しぶりに、古森義久さんの論文をNIKKEI  IBPで拝見。
 気になる米国による北朝鮮の「テロ支援国解除問題」への視点である。
 感想としては「古森さんの分析のようになって欲しいが・・・」ということである。相手が相手だけに、どうなることやら予想はつかない。ヒラリー・クリントンが大統領になって、オルブライトが政権中枢に復活したらまた変わるかもしれないし・・・。

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古森義久:北朝鮮はやはり「テロ支援国家」

2008年1月15日 17時6分

北朝鮮はやはり「テロ支援国家」である――こんな判定が米国議会の調査研究機関によって改めて下された。2007年12月のことである。これでブッシュ政権も北朝鮮の「テロ支援国家」指定解除が、ますます実行しにくくなったといえよう。2008年の日本にとっての北朝鮮問題の行方にも、一つの有力なファクターとなる判定であろう。

北朝鮮による日本人拉致事件の解決は2008年も国民的な悲願として論議の対象となることは間違いない。この拉致問題と密接かつ複雑にからみあっているのが北朝鮮の核兵器開発問題である。その核問題に外部から対処する最大の当事者は一貫して米国だといえる。米国は拉致問題解決にも大きなカギを握る。だから米国の北朝鮮への姿勢は日本の立場をも根底から左右する。

その米国の姿勢はこのところ北朝鮮への軟化や融和のようだったが、そんなアプローチにまた新たな抑制が生じてきた。その抑制の原因の一つこそが、北朝鮮はやはり「テロ支援国家」だという認定だといえよう。

米国と北朝鮮との相互の接近は2007年後半の東アジアを揺さぶる大きな動きとして、日本にも錯綜(さくそう)した波紋を投げ続けた。なかでも米国政府が「テロ支援国家」指定のリストから北朝鮮を核問題での協力と引き換えに外そうとする動きは、日本側に深刻な懸念を生んでいた。その解除は北朝鮮への米国や国際機関からの経済支援を可能にし、日本の北朝鮮への制裁措置を骨抜きにしてしまうからだ。

注:以下は、長いので、原文をお読みください。
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz08q1/557705/

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中朝外交官がカラオケ大会

下記は、中朝カラオケ大会についての時事通信の配信。
 「お暇なのね」と嘲笑することなかれ。「カラオケ」は、いまや世界中の情報機関が活用するヒューミントの最も確実な方法論なのだから。
 まあ、それにしても「タイタニック」を聞いて感激するということは、冷たい海に沈んでいく自らの運命を重ね合わせたのであろう。

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2008/01/15-20:15 中朝外交官がカラオケ大会=「タイタニック」主題歌も

 【北京15日時事】中朝両国の外交官が自慢ののどで友好のエール交換-。北朝鮮外務省は今月7日、劉暁明大使ら中国大使館一行を平壌郊外の招待所に招いてレセプションを開いた。双方の外交官は次々舞台に上がり、バンドの演奏をバックに熱唱。新年会はカラオケ大会と化し、大いに盛り上がった。同大使館のホームページがこのほど写真入りで伝えた。
 レセプションは朴宜春外相が主催。北朝鮮外務省中国局職員が中国の愛国歌などを中国語で歌うと、中国側も朝鮮語で「忠誠の歌」などを披露。感激した北朝鮮側出席者が舞台に駆け上がり、一緒に「高歌放吟」した。
 なかでも北朝鮮女性によるハリウッド映画「タイタニック」の主題歌詠唱は聴衆を感動させたという。

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January 15, 2008

北朝鮮のスーパーノート(偽造ドル)論争再燃か?

 下記は、北朝鮮のスーパーノートに関する「米国の陰謀説」についてのデイリーNKの配信。「陰謀説」の出所が、香港の有力紙「South China Morning Post」ということもあって、論争を呼んでいるとのことである。
 「陰謀説」の真偽のほどはわからないが、先日、同紙の記事をブログに掲載したばかりだし、この記事に出てくる米国のアッシャー博士ともワシントンで情報交換をしたこともある経過から、コメントしておきたい。
 まず、同紙への地元の評価であるが、概して「高級紙」とのことである。香港の新聞だけに中国よりの記事を書くのではないかという疑念に対しては、現地のジャーナリストの方の評価は異なるものだった。英字新聞ということもあって、極めてジャーナリスティックな立場を貫いているとのことだった。それだけに、この「陰謀説」が同紙で取り上げられたのが話題を呼んでいるのだろう。
 さて、一方のアッシャー氏だが、日本にもたびたび来日し、北朝鮮情報を入手していたようだった。日本語も結構理解している。彼は自信をもって、北朝鮮の偽札問題について米国議会の公聴会でも証言をしていた。
 「陰謀説」については、まだまだ検証をしていかなくてはならないように思う。
 さて、昨年末のマカオの調査で、バンコ・デルタ・アジアについても若干の聞き取りをしてきた。現地のジャーナリストの皆さんの話では、当銀行は、日本で言えば信金レベルのものであり、有体に言えば「脇の甘い」銀行だということである。北朝鮮の偽札マネーロンダリングには、現地の他の銀行も絡んでいたとのことである。中国系やスタンレー・ホー系の銀行も絡んでいたが、彼らは政治的に動いて、ウヤムヤにしてしまったとのことである。ところが、バンコ・デルタ・アジアには、そうした政治力がバックにないため、ウヤムヤにすることができず、結局のところ、米国によって「スケープ・ゴート」にされたとのことである。巨悪はいつも隠されて、トロい者が槍玉に上がる、ということである。
 こうした現地の状況から、こうした「陰謀説」というものが出てくるのではないかと推測しているが、もちろん、検証する術はない。

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北朝鮮のスーパーノート(偽造ドル)論争再燃か?

北の偽造紙幤証拠疑惑…米官吏 "法廷に関連証拠を提出"
申周鉉取材部長
[2008-01-15 18:26 ] デイリーNK

バンコ・デルタ・アジア(BDA)問題をめぐるアメリカ政府の主張と異なり、北朝鮮にはドル貨幤の偽造紙幤を製造する能力も、製造した事実もなかったと、香港のサウスチャイナモ―ニングポスト(SCMP)が14日に報道し、波紋が広がっている。

SCMPはアメリカのメクレチャ-トリビューン紙に掲載された北朝鮮のスーパーノート製造疑惑に対する追跡記事を転載し、本物のドル貨幤とほとんど同じ偽造紙幤を製造する能力を、北朝鮮は持つことができなかったと伝えた。

アメリカは相変らず北朝鮮の偽造紙幤の製造容疑を裏付けることができる具体的な証拠を提示できず、アメリカの提示した嫌疑の相当部分は、脱北者によって構成された ‘韓国の専門家’から出たものと述べ、最近のこうした脱北者の証言も疑わしいという。

北朝鮮の偽造紙幤に対する嫌疑は、製造と流通の2つだ。SCMPは北朝鮮の製造能力を疑い、アメリカの証拠の不在を指摘して、むしろCIAなどが偽造紙幤の製作に関与した可能性を持ち出した。

北朝鮮のスーパーノートについては、去年1月にドイツの有力日刊紙、フランクフルト・アルゲマイネ・チャニトンがCIA介入説をあげた時も話題になった。

これに対して、アメリカ国務省の諮問官を歴任したデビッド・アッシャー(David Asher)博士は、“アメリカの偽造ドル貨幤製造陰謀論は、北朝鮮の情報機関が宣伝する内容のように根拠がなく、荒唐な内容”と言い、“アメリカ法務省は北朝鮮政府が‘スーパーノート’を製造したという嫌疑で北朝鮮政府を告発し、非常に具体的な嫌疑の内容を記した証拠文書を大陪審に提出した”と語った。

アメリカ議会調査局は、去年作成した'北朝鮮のアメリカ貨幤偽造'という報告書で、"北朝鮮政府が相変らず100ドルの偽札を作っている"と指摘し、"現在、全世界に4500万ドルの偽札が流通しており、北朝鮮政府はこれにより、年間2500万ドル程度の利益を得ている"と伝えた。

この報告書によると、実際に2005年8月にアメリカの司法当局がニュージャージー州とカリフォルニア州で、中国系の犯罪組職を取り締まった時、北朝鮮産の100ドルの偽札400万ドル相当を押収した。

北朝鮮が偽造紙幤を流通させてきた証拠は、国内外のメデイアを通じて何度も指摘されている。デイリーNKも2006年1月と8月の2回、中国の丹東で北朝鮮の政権機関の貿易事業所の職員から、直接偽造紙幤を購入して公開し、現在もこれを保管している。

当時、偽造紙幤を鑑識した外換銀行本店の偽造紙幤鑑識担当者は、“これ程精巧な偽造紙幤の製造は、一定規模以上の工場と施設が必要であるため、国家レベルで製作している可能性が非常に高い”と語った。

ソウルのヤンチョン区に住む脱北者のチョン某氏(36)は、“北朝鮮では偽造紙幤が非常に沢山出回っているのが現実で、その多くがここで報道されているスーパーノートであるということは、かなり多くの脱北者が知っている事実”と言い、“北朝鮮の官吏の10人に1人は内部で偽造紙幤を製造して外部に売っていると信じている”と語った。

北朝鮮と貿易をしている中国の貿易業者も、北朝鮮の貿易業者から偽造紙幤購入の提案を受けた経験があるという。彼らが語る規模は、数千ドルから数万ドルにのぼる。こうした内容は、中国の丹東や延吉の中朝貿易業者に会えばすぐに確認することができる常識になっている。

アメリカが北朝鮮との偽造紙幤に関する交渉で、どの程度具体的な証拠を提示したのかは知られなかった。だが、北朝鮮政府の役人が、偽造紙幤を流通させて摘発された事件と、北朝鮮の住民や貿易業者の証言、彼らの偽造紙幤の取り引き規模と行動を見る時、北朝鮮政府の偽造紙幤製造の嫌疑も相変らず有力視される。

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January 14, 2008

本物の知識人 2

 下記は、川人博弁護士に対するDaily NKのインタビュー記事。
 コメントは全く必要ないと思います。
 「本物の知識人 2」です。

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“北 人権問題批判の可否が知識人の価値を決定”

[川人弁護士] “北の人権は日韓知識人の共同の課題”
梁貞兒記者 [2008-01-14 17:04 ]


▲ 9日、デイリーNKとインタビューを行った川人博弁護士 c。デイリーNK


“金日成・金正日を称賛するかどうかで判断した時期は過ぎた。北朝鮮の具体的な人権状況に対する批判の可否が知識人の価値を決める”

北朝鮮の人権問題に対する関心は日韓の知識人全ての時代的義務と主張する日本の弁護士がいる。

9日にソウル鐘路のデイリーNKの事務所で会った北朝鮮人権活動家、川人博弁護士が、“北朝鮮の人権問題を放置して、朝鮮半島の平和と統一のみに固執するのは理解できない態度”と語った。

川人弁護士は30年ほど前、北朝鮮の工作員の脅迫により、反強制的に彼らに協力した在日朝鮮人の弁護を引き受け、北朝鮮の問題に関心を持つようになったという。

川人弁護士は去年、『金正日と日本の知識人-アジアに正義ある平和を』(講談社現代新書)という著書で、在日出身の東京大学の姜尚中教授を実名をあげて批判し、話題を集めた。姜教授は在日韓国、朝鮮人の人権問題を積極的に提起し、著書を通じて太陽政策を支持するという立場を明らかにした。

同じ東京大学の教養学部で講義をしている川人弁護士は、“日本の知識人の間には、在日韓国、朝鮮人の知識人を批判することを慎む雰囲気があるが、朝鮮半島の平和を語りながら北朝鮮の人権問題を避けようとすることに納得ができなかった”と語った。

川人弁護士は、姜尚中氏の唱える平和とは“金独裁体制を温存し、朝鮮民衆と日本国民の人権を侵害し、耐えがたい苦痛を強いる秩序である”と批判する。川人弁護士と姜教授は去年3月から日本の雑誌の紙面上で、北朝鮮問題に対する激しい論争を繰り広げた。

川人弁護士は3年前にソウルで開催された国際会議で、北朝鮮の人権問題を憂慮する学者に会ってから、韓国にもこうした動きがあるという事実を知ったという。

川人弁護士は“北朝鮮社会は、人類の歴史上まれで残忍な人権抑圧がおこっている所”と指摘し、“北朝鮮の人権問題はアジアの課題という認識の下、日本でも活発な活動が展開されている”と語った。

川人弁護士は現在、‘北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会’の幹事及び、‘特定失踪者問題調査会’の常務理事を務めている。

[次はインタビューの内容]

- 日本社会では最近、拉致問題から北朝鮮の人権に関心を広げて活動が展開されている。最初に北朝鮮の問題に関心を持つようになったきっかけは何か?

在日韓国、朝鮮人がたくさん住んでいる大阪で生まれたため、小学生や中学生の時も、在日出身の友達が多かった。そのため、朝鮮半島の問題や在日韓国、朝鮮人の問題は幼い頃から身近な問題だった。30年ほど前に弁護士になった時から、北朝鮮の人権問題にも深い関心を持つようになった。

当時、在日韓国、朝鮮人の人たちの中には、北朝鮮の工作員の脅迫を受けて、反強制的に北朝鮮に協力せざるを得なかった人が多かった。北朝鮮にいる家族の写真を見せて、協力しなければ家族が被害を受けると脅かしたのだ。(1959年から始まった北朝鮮と朝鮮総連の組織的な北送事業で、10万人に近い在日の人が北朝鮮に渡った)

密航をして日本に潜伏した工作員が、日本国内で安定した活動をするためには、在日の人の協力が必須だった。こうして、北朝鮮に協力したという罪で日本政府に摘発された在日の弁護だけでも10件以上引き受けた。

このような経験を通じて、北朝鮮の独裁体制を身近に感じるようになった。

- 去年、在日の教授である姜尚中教授を公開の場で批判した本を出版して話題を集めた。実名で批判してまで、この問題を公論化させた理由は?

北朝鮮の人権問題を放置して、朝鮮半島の平和と統一のみを主張する態度を理解することができなかった。朝鮮半島の平和と統一は非常に重要だとは思うが、人権問題を放置することは知識人として、してはいけないことだと思う。

日本の知識人は、かつて朝鮮半島を植民地化した歴史のため、在日韓国、朝鮮人の知識人を批判することを慎む傾向がある。だが、批判しなければならないことは批判しなければならないと思う。

- 姜教授の主張に対して、特に批判している部分は?

金正日総書記を見る観点において、太陽政策と共通の問題を持っていると思う。

姜教授は金日成・金正日を称賛してはいない。しかし、金正日独裁体制が住民に及ぼす害悪に対しても語っていない。姜教授の主張する平和は、 金独裁体制を温存し、朝鮮民衆と日本国民の人権を侵害し、耐えがたい苦痛を強いる秩序だ。

平和を守るために独裁者を刺激してはいけないという論理で、収容所や拉致被害者の問題を放置してはいけないと考える。今は独裁者の金正日総書記を称賛するのかしないのかが問題ではなく、北朝鮮の具体的な人権侵害を批判しているのかいないのかが問題だ。そこに知識人の価値があると思う。

- 朝鮮総連はまだ、北朝鮮社会に対する幻想を抱いているのか?

幹部はまだそうだろう。一般の在日韓国、朝鮮人は北朝鮮政府に対して怒っている。だが、北朝鮮に家族がいる人たちは表立って語ることができない。時間が経ち、北朝鮮の家族が亡くなった後、話始める人もいる。また、今は朝鮮総連から出てきた人が多く、残っている人は極少数だ。拉致問題が出た後から、朝鮮総連の勢力はかなり縮小した。

- 韓国にも北朝鮮の人権問題を認めないという知識人が多いが。

韓国の知識人の発言は、日本でも接することができた。放送などで見たら、姜尚中教授に似ている論理を展開していることが分かった。太陽政策を推進するために、日本と韓国の知識人が協力してきたと思う。

日本で韓国の学者の意見として紹介されるものは、多くが太陽政策を擁護する主張だった。韓国の知識人の中に、太陽政策を批判する人も多いが、そのような意見は日本ではあまり聞けない。

日本で拉致問題の解決のために、北朝鮮を制裁しなければならないというふうに話が出れば、韓国の知識人は平和と統一の重要性を力説する。北朝鮮との対話が重要だということばかり強調する。

3年前にソウルの西江大学で開かれた北朝鮮の人権に関する国際会議に参加した時、韓国にも北朝鮮の人権問題を重視して、北朝鮮政府を批判する学者が多いという事実を知った。

韓国には北朝鮮の体制が崩壊することを恐れる人もたくさんいると思う。例えば、東ドイツとソ連が崩壊した後に、多くの事実が明らかにされたように、北朝鮮が崩壊した後、事実を明かされることを恐れる人もたくさんいるだろう。

- 北朝鮮社会はどのような社会だと思うか。

ナチスドイツやスターリンの旧ソ連、カンボジアのポルポトに匹敵すると思う。むしろそれ以上の、とても残忍な人権抑圧がおこっている。姜哲煥氏などの脱北者の話を聞いたが、人類の歴史上まれな国家体制だと思う。韓国や日本の近くに、未だにそうした所が存在している。アジアの最も重要な課題だと考える。

- 日本社会で拉致問題から北朝鮮の人権問題に関心が広がった背景は何か?

2年ほど前までは、極少数の人だけが北朝鮮の人権問題に対して活動していたが、今は拉致問題以外にも北朝鮮問題全体に対して多くの話が出ている。

特に、北朝鮮人権法が通過した後、毎年12月に北朝鮮人権週間を指定している。行事が開かれる一週間、拉致問題以外に、北朝鮮の人権問題全体に対しても語られている。日本国民全体というわけではないが、北朝鮮問題全般について考えなければならないという雰囲気が生じている。

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January 13, 2008

香港・マカオの調査が現地紙に掲載

 昨年末に、タイ滞在の海老原智治講師とともに香港・マカオでの拉致問題の調査に行ってきた際に面会したSouth China Morning Postの記者が、下記のような記事を書いてくれました。
 同記者は、これまでも香港・マカオでの拉致問題を何度か取材された方です。まだ若いのに精力的、かつ誠実な青年といった感じでした。
 他にも、現地のマカオ日報でも掲載されましたが、また今度ご紹介します。

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Copyright 2008 South China Morning Post Ltd.
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South China Morning Post

January 6, 2008 Sunday

NEWS; Pg. 5

345 words


Two sleuths on the case of womenmissing from Macau, 30 years on

Fox Yi Hu

Thirty years after they disappeared, three missing women were the subject of a search by amateur sleuths following up on decades-old clues in Hong Kong and Macau.

Japanese teacher Sadaki Manabe spent the festive season tracking down old newspaper reports and digging up information on the women, suspected of being snatched and spirited to North Korea in 1978.

The trio comprised one Thai and two Macau residents.

"There is Anocha Panjoy, a Thai woman who disappeared from Macau in 1978," Mr Manabe said, pointing to his hand-drawn "map" suggesting connections among suspected kidnap cases around the world.

Mr Manabe, who heads the Investigation Commission on Missing Japanese Probably Related to North Korea, has spent 10 years looking for people suspected of having been kidnapped and taken to the hermit state.

With him was Tomoharu Ebihara, of the Thailand-based Association for the Rescue of North Korean Abductees.

They estimate that more than 600 abductees have ended up in North Korea, with 485 from South Korea, 100 from Japan and a small number from Lebanon, Romania and eight other nations.

Three young women disappeared from the then Portuguese enclave of Macau on the evening of July 2, 1978. All were last seen with a "Mr Fukoda", a man who claimed to be rich and Japanese.

US army deserter Charles Jenkins said in 2005 that he had seen Ms Panjoy in North Korea.

Mr Jenkins' tale added weight to an earlier account by South Korean actress Choe Eun-hee, who was kidnapped and taken to North Korea and later escaped. Choe said she saw Hong Leng-ieng, another woman from the missing trio, in North Korea in the 1980s.

Mr Manabe said he found it puzzling that Macau residents appeared to be indifferent towards the missing Ms Hong and another Macau girl, So Mio-chun.

"Anocha Panjoy had a lot of friends who once worked with her in Macau, but they did not want to talk about the past," he added.

North Korea has previously confirmed abducting people from Japan and South Korea.

Mr Manabe's mission costs about US $200,000 each year and he relies on donations from Japanese.

January 5, 2008

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県で25億円の交付税返還必要=補正交付税法案未成立なら-通常国会

 下記は、時事通信の配信。
 地方自治体に配分された地方交付税を、次の通常国会での地方交付税法等一部改正案が可決しなければ、地方自治体は返還しなくてはならないというもの。
 こうしたことは私の記憶にないことである。だいいち、地方交付税関係法案で、廃案とか継続になったことはないのではないだろうか(過去どうだったかまだよく調べていないが)。地方自治体側も、すでに「アテ」にしている財源だけに「それはないだろう」というのが率直な気持ちだろう。もちろん、法律的な手続きを厳密に捉えれば、根拠法が可決しないのであれば当然といえば当然のことではある。
 通常では「当たり前」のように思っていた法律的な手続きも、「ねじれ国会」という現象によって、「当たり前」ではなくなったことを示したものであろう。研究の素材としては面白いものではある。
 あるいは、これが民主党に対するプレッシャーの一つとして、与党側が戦略的に描き出されたものであるとすれば、それはそれでたいしたものである。民主党の反対で法案が否決となれば、それだけで地方自治体側の批判は、政権政党に向けられるのではなく、民主党に向けられるからである。
 民主党も、地方交付税制度改革に対する様々な議論はあることを前提にしても、ここは手続き的なものとして流しておく方が得策なものではないだろうか。ことさらに対決姿勢を見せる場面ではないように思う。

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2008/01/11-21:05 県で25億円の交付税返還必要=補正交付税法案未成立なら-通常国会
時事通信

 18日召集の通常国会冒頭に政府が提出を予定する2007年度補正予算関連の地方交付税法等一部改正案(補正交付税法改正案)について、野党が多数を占める参院の反対で成立しない場合、既に配分済みの交付税を標準的な県(人口170万人規模)で約25億円、市(人口10万人規模)で約1億4000万円、それぞれ国に返還しなければならないことが11日分かった。赤字転落する自治体も続出するとみられ、民主党などの対応によっては、自治体側の反発は必至だ。
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January 11, 2008

シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 6

  親子の監禁・殺害・拉致の謎

 渡辺秀子さん親子三人はどのように殺害あるいは拉致されたのか、また渡辺秀子さんの殺害が事実なのか、それは依然として謎の部分が多い。
 渡辺秀子さんは夫がいると思われる北朝鮮へ行くことを願っていたという。その際に、木下陽子との間でトラブルとなり、扱いに困った木下陽子が殺害に及んだとされている。
ユニバース・トレイディングに勤務していた人物で、事件後、日本の公安当局に事件の真相を証言したN.S. がいる。N.S.の証言によって、この複雑な工作活動の実態と犯罪が明らかにされたのであったといわれる。彼は現在も東京都内に居住している。
 N.S.の証言は、「監禁されていた渡辺秀子さんは、主犯である木下陽子の命令により、目黒区の清水谷マンションの一室で、アイス・ピックで殺された。遺体は山形県と秋田県の県境の海岸に埋めた。二人の子どもは北朝鮮に連れて行った」というものである。石高健次論文にその過程が詳細に記されている。当初、その殺害の時期は、1973年12月頃とされていた。
 ところが、今日では、1973年12月には、帯広に住む両親のもとに「今、大阪の友人の家にいる」という電話がかかってきたという情報が明らかにされた。さらに、1974年4月頃には、渡辺秀子の友人のところに、「今、ニイいや福井にいる」という電話があり、しかも、その電話の向こうでは「ポー」という汽笛の音がしたという。
 そして、警察の発表では、1974年6月中旬に、小浜市から二人の子どもが、工作船によって北朝鮮に連れ去られたと発表された。当時、微弱な不審電波が小浜市沖合いに流されていたことが確認されたためという。
 この二通りの証言は辻褄が合わないことになった。1373年12月に目黒区のマンションで殺害されたならば、その後、渡辺秀子さんが大阪や福井にいるはずがない。大阪や福井から東京に戻って殺害となれば、音信が途絶えた時期とずれてしまうのである。
 いずれにせよ、すでに30年以上経過した事件のため、証言者の記憶違いがあるのは当然であろう。しかし、別の関係者であるH.T.の「渡辺秀子さんは殺された。子どもは北朝鮮に連れて行かれた」という証言は、自分が殺害現場にいたわけでもないらしく、はっきりしない。もし伝聞であるならば、渡辺秀子が確実に殺されたかどうかは判断できない。ただし、実際に渡辺秀子さんの殺害現場にいたとされる人物からは、「殺害され死体が埋められた」という証言もあるという。
 しかしながら、渡辺秀子さんの遺体は当時の「山形と秋田の県境の海岸に埋めた」という証言に基づく捜査の結果でも、遺体を発見することができなかった。殺されたことにしておいて、本当は、別の場所から北朝鮮に連れて行かれたのかもしれない。

 ここで、気になるのは、この事件の日本での終着点として名前が挙がっている地名が福井県小浜市と山形・秋田の県境ということである。山形と秋田の県境とは遊佐であろう。
 福井県小浜市は1978年の地村保志、浜本富貴枝拉致事件の現場である。そして、原ただあき事件の犯人の一人である金吉旭が、1978年3月30日に日本を不法に脱出し、そして同年4月29日に、再入国した現場である。しかも、1998年12月25日、1999年1月14日と、相次いで北朝鮮の軍人と思われる遺体が近くの海岸に漂着したという事件の現場でもある。
高姉弟の実際の拉致現場である小浜市の岡津海岸は、小浜湾の中の天然の入江であるのに加え、海岸から1キロ程度のところに国道が走っており、拉致工作の上陸ポイントとしては非常に都合の良い場所である。
 そして、山形県の遊佐海岸は、工作員の上陸ポイントとして指定された個所である。しかも、多くの失踪事件や不審な事件が集中している地域である。
 余談にはなるが、特定失踪者で「拉致濃厚」の山本美保さんの事件でこの遊佐という地名が重要なものとして浮上していた。その事件は、1984年に山梨県甲府市から突然失踪した山本美保さんの遺体と「思われる」漂流死体が発見された場所だった。山梨県警が、その遺体の一部として山形大学医学部法医学研究所に残されていた骨髄と、山本美保さんの家族の血液をDNA鑑定した結果、肉親であることが確認されたという事件である。これで山本美保さんの失踪事件は決着をみたかのようになった。
ところが、この事件は意外な展開をしていった。その遺体と山本美保さんの身体的特徴が全く一致しないのである。身長(座高)が10センチ異なり、胸囲も10センチ近く異なっていた。歯の治療痕も異なっていた。遺体が身に着けていた下着やジーパンに、家族は見覚えがなかった。
しかも、もう一つ奇怪なことがあった。失踪当時、家族が誤解して、「本人は白いネックレスを身に着けていた」と警察への失踪届けに記載していた。その遺体にも「白いネックレス」首に巻かれていたと、遊佐町の記録に残されていた。そこで、山梨県警としては、山本美保さんの遺体である、という判断があった。ところが、前述のように、山本美保さんの身につけていたとされる「白いネックレス」は、自宅に残されたままだったのである。
 これらの矛盾点を家族は山梨県警に質しても「海では身長が伸びる、胸囲も縮まる、歯も変わる」と曖昧な答えを繰り返すばかりだった。
 当然、家族は再鑑定を求めたが、「骨髄は検査のために全て使用したため、一切残っていない」ということが判明した。そのため、結局のところ曖昧なままにされ、警察の捜査のやり方への家族の不審のみが残ったのであった。
 他にも遊佐海岸周辺には不審な事件があった。
 郵便局に勤めていた若い独身男性が、突然仕事の帰りに失踪した事件である。本人の車は、遠く秋田駅前で放置されているのが発見された。仕事振りも真面目で、金銭的なトラブルもなかったという。それ以降、何の消息もない。
 また、若い女性がバスに乗っていたとき、突然、二人の男性から声をかけられ、深夜に某所で待ち合わせをしようと言ってきたことがあった。不審に思った女性は、その場所に行くことはなかったが、二人の男性とは、年配の男と若い男性という不釣合いな感じだった。しかも、年配の男は、冬なのに背広に革靴という、地元では考えられない格好をしていたという。
遊佐海岸を歩くと、長い海岸線に沿って林が茂っており、その林の中に工作員が潜り込んでしまえば、そんなに簡単には発見されないような絶好の工作ポイントであることがわかる。人家もまばらで、夜になるとほとんど人通りがなくなる。
朝鮮総連の元幹部韓グァンヒは、1960年代後半から、そうした上陸ポイントの選定作業を進めたと証言しているが、遊佐海岸は絶好の場所である。しかも、海側からはかなり沖合いからでも月山が目印となって近づいてくることができる。沖には飛鳥島も中継場所として絶好の島である。その先を一直線に向かえば、北朝鮮の工作船の母港である清津(チョンジン)になる。

 話を元に戻そう。渡辺秀子さんの遺体を埋めた場所が、もし遊佐海岸であるならば、北朝鮮の工作員の上陸ポイントで遺体を埋めたことになる。それは、工作員にとっては危険なことである。もしそのような場所に、北朝鮮の工作活動による被害者の遺体が埋められたとしたら、警察による捜査を助けることになりはしないだろうか。しかも、実際の殺害現場が東京あるいは福井だとすれば、かなり長距離の移動を伴うことになる。あまりにも危険な作業ではないだろうか。
 遊佐海岸周辺が、渡辺秀子さんの最後の手がかりとなる場所であると仮定して、私はいくつかのシナリオを描いている。
 一つ目は、関係者の証言のように、殺害後、遊佐周辺まで運ばれたというものである。ただし、遺体が埋められた場所の特定ができていない。
 二つ目は、遊佐海岸周辺から、北朝鮮に連れて行こうとしたことである。その結果、成功して北朝鮮に連れて行かれたのか、何らかの事情から北朝鮮に連れて行かれなかったかもしれない。
 三つ目は、他の場所に埋められたか、あるいは他の場所から拉致されたかである。この点は推測にしか過ぎないが、可能性としては残しておくべきものだろう。
 現在の段階での情報によれば、前述のように1974年3月には渡辺秀子さんから友人に「福井にいる」という電話がかかっていたことは確かなようである。したがって、殺害されたとしても、その後になる。
 そうなると、わざわざ渡辺秀子さんを東京都目黒区のマンションまで戻らせて殺害し、そして再び、遺体を山形・秋田の県境にまで運んだことになる。それはあまりにも乱暴な方法ではないだろうか。
そして、高敬美・剛は、1974年6月中旬に、福井県小浜市岡津(おこづ)の「いつもの場所」から工作船に乗せられたとされている。これは、警察の電波傍受の記録から、工作船から当時電波が発信されていたことが明らかになった。
ということは、数ヶ月にわたり、母親の殺害から拉致まで、小さな子どもをどこかで監禁あるいは軟禁していたことになる。それは、東京都目黒区のマンションからであれば、渡辺秀子さんの殺害と同様に、あまりにも手がかかりすぎていないだろうか。それとも、目黒区のマンションではなく、どこか他の隠れ家だったのだろうか。
警察当局は、渡辺秀子さんと二人の子どもを別々にしたのは、子どもを人質にして、渡辺秀子さんの行動をコントロールするためだったと考えられると言っている。それも十分に考えられる。
 子どもを人質にとられた渡辺秀子さんは、一体、どこで、どのように姿を消したのだろうか。渡辺秀子さんの消息については、殺害された可能性が高いものの、真実はまだ明確にはなっていないのである。

オルブライト氏「金総書記は合理的」

下記は、オルブライト元国務長官の新著についての中央日報のコメント記事。
 本を読んでいないのに内容を批判するのはどうかと思いつつも、この記事の通りの記述があるとすれば、もう「あほちゃいまんねん。パアーでんねん」の状況が、世界中の知識人が集まる米国の政治的リーダーの中にもあるということの証明になるだろう。
 「金正日は合理的」という言葉の意味は、「カネや利に目ざとい」「計算高い」「冷酷」という意味ならば彼女の指摘は当てはまるだろうが、「知的で、情報を熟知している」という意味でオルブライトが使っているとすれば、もはやオルブライトは領導芸術にはまったオバチャンに過ぎないだろう。金正日とご一緒にピョンヤンで老後をおくられたらいかがなものだろうか。
 中央日報の文脈からだけ判断すれば、彼女は北朝鮮を擁護しつつ、一方で米国やら日本の政策を批判している。そこには、よくある倒錯がある。 その倒錯は、北朝鮮や中国の共産主義、専制主義、全体主義を擁護しておいて、自由主義や民主主義を標榜する日本、米国、韓国を批判するという、日本のサヨク陣営の論理構造と全く同じである。
 そのオルブライトが、ヒラリー・クリントンの集会で、ヒラリーの隣に立っていた映像があった。とすれば、オルブライトの影響をヒラリーが受けていないはずはないだろう。領導芸術にはまった米国大統領の登場は願い下げである。

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オルブライト氏「金総書記は合理的」

米クリントン政府で国務相を歴任したマデレーン・オルブライト教授(ジョージタウン大)は「米国の次期大統領は、北朝鮮との交渉を断る場合、米国の安全保障と北朝鮮の人権改善いずれも逃してしまう、との点を肝に銘じるべき」という認識を示した。
同氏は、8日に出版した著書『大統領当選者あてに送るメモ』(原題:『Memo to the President Elect:How to Restore America’s Reputation and Leadership』)で、「北朝鮮・金正日(キム・ジョンイル)国防委員長は合理的かつ知的で、情報を熟知している人」とし、こうした見方を表明した。
来年1月に就任する新しい米大統領に対外政策をアドバイスする同書で、オルブライト氏は「2000年に北朝鮮・平壌(ピョンヤン)を訪問した当時、金委員長と話した結果、北朝鮮の安保と経済支援が保障されれば、金委員長は軍事的に譲歩する準備ができていることが、明白に分かった」と強調。
続いて「金委員長は晩さん会の途中、ワインをつぐウエーターに出て行くよう注文し、酒を競争的に飲む北朝鮮の風俗から私を保護してくれた」とし「思いやりのある人」と評価。
また「ブッシュ政府は北朝鮮との対話を拒否しつづけ、北朝鮮の核実験に衝撃を受けた後、外交を再開し、ようやくクリントン前政府が成し遂げた核凍結に戻ってきた」とし「それ間に北朝鮮は8、9の核兵器を作れるプルトニウムを確保した。こうした負担はそっくりそのまま次期政府に戻るようになった」と批判した。
同氏は「米国には、人命損失の負担を抱えてまで北朝鮮を攻撃できる力がない」とし「結局(交渉を通じ)金委員長を『以前よりは脅迫的でない存在』に作るのが最善」との見方を示した。オルブライト教授は「米国は韓国を解放させたと自慢しているが、韓国は辛未洋擾(しんみようじょう、1871年に米国がジェネラル・シャーマン号事件の報復として朝鮮・江華島を攻撃した事件)と桂・タフト協定など、米国に関連した痛い記憶を忘れずにいる」と指摘。
そして「韓国は依然として韓米同盟を重視しているものの、米国にひき回されるような関係は願っていない」とし「米国は、北東アジアで(中国と)安定したバランスを取るよう努力し、域内に肯定的な印象を与えるべき」と勧めた。
最後に、日本の「普通国家化」に向けた改憲や再武装への試みに触れ「中国の軍備増強と南北(韓国・北朝鮮)の『中国寄り』をもたらすだけに阻止すべき」と強調した。

姜賛昊(カン・チャノ)ワシントン特派員
2008.01.10 16:44

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January 10, 2008

くたびれる話

 下記は、中央日報が配信した記事。
 この中の表現で、いくつか誤りがある。微妙なものだが、重要な問題である。
 この記事では「特定失踪者とは日本政府が認めた拉致被害者とは別に、拉致された疑いがある行方不明者のことをいう」と定義しているが、この表現は、正しくは「拉致の可能性を否定できない方、あるいは拉致された疑いがある方」である。
 また、「調査会はこの男性が北朝鮮によって拉致された可能性があると主張してきた」という一文がある。それは、誤解であり、調査会としては「拉致の可能性が否定できないと主張してきた方」である。
 この微妙な違いを理解してもらうことは大変難しい。私が各地でポスターを色んな人に見せると「こんなにたくさん拉致されているのですか」という反応が普通だ。私は「いえいえ。この人たちが拉致されたかどうかを調べるのです」と言っても、怪訝な顔をされるのがオチである。
 ましてや、外国で同じことをした場合に、説明するのに難儀である。だいたい北朝鮮による拉致ということもわからない外国人に説明するとき、「ああでもない、こうでもない」と言ったところで始まらない。向こうも面倒くさがるし、こちらはくたびれるのである。だから「まぁ、そんなもんです」とつい言ってしまう。それがまた誤解を生むのだろう。
 しかし、せめて中央日報が日本語で配信するぐらいなら、それぐらいの微妙でかつ重要な違いを正しく理解して配信してもらいたいものである(この記事は韓国の聯合ニュースをそのまま配信したもの。聯合ニュースは共同通信からの配信を受けてのもの。共同通信の英語版では、正しく配信されている)。そうでないと、「調査会はいいかげんな謀略団体」というレッテルが貼られ続けることになる。もちろん、私たちはそれを自ら負うべきリスクと覚悟しているのではあるが。実にくたびれる話ではある。
 

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日本団体「北特定失踪者の生存を確認」

北朝鮮による日本人拉致問題について日本の特定失踪者問題調査会が8日、同調査会が以前から「拉致の可能性を否定できない」と公表した48歳の男性が無事であることを確認したと共同通信が報道した。
特定失踪者とは日本政府が認めた拉致被害者とは別に、拉致された疑いがある行方不明者のことをいう。
調査会によるとこの男性は1981年に神奈川県大和市で失踪した。調査会はこの男性が北朝鮮によって拉致された可能性があると主張してきた。しかしこの男性が昨年12月、国内で生存していることが確認され、家族らもこの男性と面会した後、本人であることを確認したと調査会は明らかにした。
これにより調査会が公表した特定失踪者は263人から1人減ったことになる。 調査会はこれら失踪者のうち35人は拉致の可能性が濃厚だと主張している。

東京=YONHAPニュース
2008.01.09 12:59

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議員との接触は原則禁止 公務員改革の報告案

表記の件は、本日各紙で取り上げられている公務員改革案である。
 私はこの案に反対である。その理由は、この改革案ではかえって物事が悪くなるばかりだからである。そして、「あつものに懲りてナマスを吹く」というものだからである。
 議員や公務員の倫理とかの話になると、必ずこうした規制を強化することばかり考える。それでは問題が解決するどころか、かえって全体の議員と公務員との関係性を悪くするばかりである。だいたい、議員と公務員が接触することに問題の元凶があるわけではない。問題は接触の方法が、闇のカネでの接待であったり、度が過ぎたゴルフであったりすることにある。議員と公務員がほど良く付き合うことはむしろ大切なことである。
 逆に、議員と公務員は、その関係性をオープンなものにしながら、今まで以上に接触をしていくべきものなのである。様々な政策をつくり上げていく課程で、政策立案者と政策決定者とのフォーマル、インフォーマルな議論をもっと多く、オープンな形で進めていくべきものである。そうした「綺麗な関係性」は広げていくべきものである。それを、今回の案のように、限定された「特権的官僚」だけに議員と接触をさせるとなれば、その政策の立案、決定過程が今まで以上にブラック・ボックスになってしまう。それは、国民の利益にもつながらない。
 政治の現場では「あつものに懲りてナマスを吹く」ということはしばしば行われる。それは、自分に対する批判の矛先をかわしたり、責任転嫁をするためである。それが今回の改革案である。

 また、議員が「あつものに懲りて」過剰な政策を訴え、それを実現させることで満足するようなこともしばしばある。それを公務員側がとめさせることも大切なことである。
 私が現職の議員の時に、こんなことがあった。ある交差点で子どもの事故が発生した。その事故が議会で取り上げられ、ある有力議員は「子どもの事故が発生するのは、交差点に信号がないからだ」と主張した。その結果、その交差点には信号がつけられた。それどころか、それから以降、「交差点の全てに信号をつけよ」とばかりに、アチコチに信号がつけられた(もちろん予算の関係があるが)。その結果、車もほとんど通らないような場所にも、信号がつけられるようになって、車はしょっちゅう止まらされ、ドライバーのイライラは募るばかりとなった。その状況に、当該の議員は満足し、選挙でもその実績を訴え続けたのだった。
 また、私の住んでいる近所に交通危険箇所の交差点がある。確かに危ない場所である。そこがどうなったかといえば、道路標識がズラリと並び、合計10本を超える交通標識が交差点に立てられた。事故があるたびに増えるのではなく、「危ないから標識をもっと立てろ」という声に対応するたびに増えるのである。

 以上は、少し文脈が異なる二つの話だが、「あつものに懲りてナマスを吹く」という意味で、共通するものだろう。要するに、どちらも問題の解決にはならないし、逆に物事をおかしくしていくことなのである。


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議員との接触は原則禁止 公務員改革の報告案

 政府の有識者会議「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(座長・岡村正東芝会長)は9日、口利きなど癒着防止のため、特定の国家公務員以外に国会議員との接触を原則として禁止したり、人事を一元管理する「内閣人事庁」の創設などを柱にした報告書原案をまとめた。
 10日の会合で意見を聞くなど検討を進め、今月中に福田康夫首相に報告書を提出する予定。政府はこれを受け「国家公務員制度改革基本法案」を策定し、18日召集の通常国会に提出、成立を目指す構えだが、法案化にあたっては官僚や議員側からの反発が必至だ。
 報告書原案では、政治家との窓口的な役割を果たす「政務専門職」を新たに設置。議員対応は閣僚や副大臣、政務官に加えてこの政務専門職に絞り、原則としてそれ以外の職員の接触は禁止する。
 また「内閣人事庁」は、幹部公務員の人事を一元管理して、各省縦割り人事を改める。さらに、内閣の補佐機能強化のため、高度な専門知識を持つ事務次官級の「国家戦略スタッフ」を新設し、民間などから広く公募するとしている。

2008/01/10 00:11 【共同通信】

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January 09, 2008

台湾における中国人妻の選挙権

 本日のHerald Tribuneに「台湾における排斥された中国人配偶者への懸念」というニュースが掲載されていた。
 メインチャイナから台湾に仕事なとで渡り、台湾人と結婚した配偶者(ほとんどが女性)が、今度の台湾総統選挙での選挙権を付与されていないという問題である。
 選挙権が付与されない理由は、もっぱら台湾とメインチャイナとの政治に由来する。そうした女性が、台湾に対して「忠誠心」を持たず、逆に「台湾は中国の一部なのに、どうしてわれわれが選挙権を行使できないのか」という意識を持っているからだという。また、彼らの離婚率が高く、結婚の動機が恋愛というよりも、経済的なものであることがその背景にあるとのことである。
 台湾当局としては、台湾の国内で「角を矯めて牛を殺す」ような存在になりつつあるこうした女性たちの扱いに苦慮しているということである。彼らの存在そのものが台湾国内で「中国は一つである。台湾は中国の一部である」と運動をしているようなものだからである。
 一方、こうした懸念に対して、別の立場からは「彼女たちは最初はそうした意識を持っているかもしれないが、徐々に民主主義とか福祉とかに目覚めてくる」という指摘もあるという。だから「排斥するのではなく、彼女たちに投票権を与えて、台湾人として自由や民主主義を考えさせることが大切」というわけである。
 さて、この問題は台湾独自の問題として扱えないものである。「移民」への参政権付与などの市民権の問題は、世界中で頭を痛めているものである。この「歓迎されない移民」に対して、どのように対処していくことが長期的に自国の利益になるのかは、まだそれぞれの国々の中で合意を得ていないやっかいな問題である。
 頭の痛い問題だが、ただ、排斥していれば問題が解決する、ということではないことだけは言えるだろう。排斥すれば目の前から問題はとりあえずなくなる。しかし、排斥された存在は、そのことでもっとやっかいな「モンスター」に変身するかもしれないのである。とすれば、「モンスター」に変身させるよりは、自由とか民主主義といった価値を共有できる「モグワイ」に変身してもらうほうが、長期的には得策なものではないだろうか。もちろん、そのことによって一時的には軋轢やリスクが生まれるだろう。しかし、その軋轢やリスクを超えない限り、この問題は解決しないままになってしまうだろう。

January 06, 2008

ドラッカーの格言 NPOの落とし穴

 仕事柄、ドラッカーのNPO論『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社 2007)を読みました。彼のスタンスである非営利組織における「成果主義」というのが鼻についてあまり気分は良くなかったのですが、それはそれで重要なことではあると思います。
 さて、その著書の中に、拉致問題の運動に参考にすべき記述がありましたので、ご紹介します。

「非営利組織は内部志向になりがちである。あまりに大義にコミットし、正しいことを行っていると信じるがゆえに、組織自体を目的と錯覚する。それでは単なる官僚主義である。『ミッションに貢献するか』を考えずに、『内規に合っているか』を考える。結果、成果は損なわれビジョンも献身も見失われる」 (126ページ)

 よくある問題事例ではあると思いますが、NPOなりNGOなり、「大義」をかかげる組織が陥る落とし穴だと思います。拉致問題に関わる各個人、各団体は、新年の冒頭にあたり、こうした格言をしばしじっくりと内省してみることが大切かと思います。もちろん最も内省すべきなのは私ですが・・・。

シリーズ渡辺秀子・高姉弟事件 5

親子の別れ 

 高大基と結婚した渡辺秀子さんは、東京都と埼玉県とに居住することになった。現在、判明している居住歴は東京都中野区、埼玉県新座市、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)である。わずか数年間の間に、三箇所の移転である。それが何を意味するのかはわからないが、工作活動に適した場所として居住地を選定したのはまちがいないだろう。
 渡辺秀子さんの実家には多くの親子の写真が残されていた。渡辺秀子さんの父親が撮ったものだと思われる。
 その中には、高大基が、敬美を膝に抱いて写っているものがある。高大基が剛を腕に抱えて埼玉県の西武園と思われる場所で写した写真も残っていた。あるいは、親子三人で帯広の夏祭りに出かけて行ったときの写真もある。公開された敬美と剛の写真は、夏に親子三人が帯広に帰省したときの夏祭りに、渡辺秀子さんの父が写したものである。どこにでもあるような、幸せな一家のひと時を切り取ったスナップである。
 もし、高大基が辛ガンスのような「拉致の工作活動」に従事していたとするならば、自らが家族と写った写真を残すこともなかっただろう。彼の任務は、あくまでも自衛隊や米軍あるいは海上保安庁の調査だったとのではないかと推定している根拠の一つである。
 写真のように、周囲からは一見幸せそうに見えたものの、得体の知れない不安を抱えた渡辺秀子さんの親子に、突然想像もできなかった事態が降りかかった。
 夫であり二人の父親である、高大基の失踪である。渡辺秀子さんは、夫が「工作員」であることを知りながら、その「工作員」とはいったい何をしているのか、何のために存在するのか、当時としては知る由もなかったようである。
1973年6月頃、その工作員である夫が、妻に1200万円もの大金の小切手を渡して、「これで帯広に戻って暮らすように」と言ったのが最後の別れの言葉だった。
その最後に東京を離れるときに、三人を羽田空港まで見送ったのは、夫である高大基ではなく、その後、拉致・殺害の主犯として見られている北朝鮮の工作員、木下陽子だったといわれている。
 帯広の両親の元に帰った渡辺秀子親子は、憔悴しきっていた。愛していた夫が、理由も告げず突然の別れ話を持ち出し、しかも、一切の連絡を絶ったのだから無理もないことだっただろう。
 それでも渡辺秀子さんの両親は、わが娘が実家に戻り、しかもかわいらしい盛りの二人の孫も連れてきたのだから、嬉しくて仕方なかった。
 渡辺秀子さんは迷った。このまま帯広で静かに親子三人で暮らしていくのか、それとも、失踪した夫の手がかりをつかんで、再び元のような暮らしを取り戻すのか。
 誰もがするように、渡辺秀子さんも「神のお告げ」に全てを委ねることにした。帯広にある神明神社の神主に相談した。その神主の「お告げ」は、「どこまでもついていきなさい」だった。
 この「お告げ」が、後に日本での前代未聞の犯罪に結びついていくことになるとは、神主もそして渡辺秀子さんも想像すらできなかっただろう。
 「お告げ」を聞いた渡辺秀子さんは、引き止める両親を説得し、幼い二人の子どもを連れて、再び東京へと向った。当時の交通手段は、帯広から汽車で函館へ、函館で青函連絡船に乗り換え、そして青森から東京まで汽車だと、丸二日はかかる行程だ。あるいは、札幌から飛行機で羽田に向かったのだろうか。それはわからない。
いずれにしても、「失踪した夫を探す。夫の勤めていた会社に聞けば何か手がかりがあるだろう」という切ない思いを胸にして、ユニバース・トレイディング社へと向かっていったのである。
しかし、その旅は、オホーツク海に面した雄武川の河口のように、出口が塞がれたオムイだったのである。

January 01, 2008

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。
 今年も本ブログをご愛好の程、よろしくお願い申し上げます。
 昨年の8月から休眠中だったブログを再起させて、はや6か月が経ちました。すでに、アクセス数が5万件になろうとしており、一日平均200件ほどアクセスしていただいています。北朝鮮問題でさしたる新しい動きが見えない中でも、この問題への関心が継続していることがうかがえます。
 しかし、問題の解決に前進したわけでもなく、むしろ、色んな意味で問題が複雑化し、解決困難な状況が進んでいるような気がします。私自身、今まで見えなかったような部分、あるいはあまり見たくないような部分も垣間見ることによって、ますますこの問題の解決の難しさを実感しています。
 ただ、一言だけ言えるのは「問題の解決を諦めた時点で、問題の解決がなくなる」ということです。これからも諦めず、着実に進んでいくように心がけたいと思います。
 本年もどうぞ、ごひいきに。

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