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7 posts from December 2010

December 24, 2010

平壌の日本人墓地の名簿

 ある友人から、平壌にある日本人墓地に残されている日本人の方々の名簿をいただきました。その人数は、1000人にものぼります。名簿に納められている日本人の方々は、戦後、何らかの理由で北朝鮮に残留し、そして生涯を閉じられた方です。その名簿は、当時、北朝鮮に残留されていた日本人の方が、書き記されていたものが奇跡的に残っていたようです。
 本来であればお名前を公開して、ご家族にお知らせしたいところですが、プライバシー保護に過敏になっている日本社会なので、それは断念したいと思います。せめて、心当たりのご家族がこのプログにアクセスされることを祈って、情報だけでもお知らせしたいと思います。
 私としては、いつの日か北朝鮮に自由往来できるようになったとき、墓参り、慰霊祭、あるいは慰霊塔建設といった慰霊の活動に結び付いていければと思っています。 
 ご家族、知人あるいは心当たりの方がおられましたら、私の大学の研究室まで手紙でお知らせいただければ幸いです。ただし、名簿といいましても、残念ながらお名前だけで、生年月日などの詳細のデータはありません。

December 22, 2010

踊る研究室

<教授と学生の対話>

教授「さて、レポートの提出日だ。テーマはソクラテスの『無知の知』だったな。持ってきたかい?」
学生「もちろん!!持ってきました。これです」
教授「なんだ?・・・。白紙じゃないか」
学生「センセー。下の方をよく見てください。『私は無知の知を深く研究した結果、私は何も知らないことを知りました。その証明がこの白紙のレポートです』とちゃんと書いてますよ」
教授「ばかもん。それは、無知の知ではなく、無恥の知だ。恥を知れ!!」

December 19, 2010

踊る研究室

<教授と学生の対話>

学生「センセー。一杯飲みに行きましょう(お金ないし)」
教授「またか。おとといも飲んだばかりじゃないか(大枚はたかされたし・・・)」
学生「だって、今日のゼミじゃデリダの反復可能性について勉強したじゃないですか。センセーの奢りも反復可能性があると思うんですけど」
教授「確実にパルマコンが学生に浸透している・・・」

December 15, 2010

踊る研究室

<教授と学生の対話>

学生「センセー。ドゥルーズの言っている襞というのはどういうものですか?」
教授「おう。よく勉強してきた。それはだな・・・。西洋における二元的価値観のもとでは、二項対立する外部要因と内部要因に分かれている。その分立した状態をつないでいく折り目だとされるものだ。その折り目とはやわらかく曲線のようなものだとされる」
学生「・・・。ゼンゼンわかりませーん。もっと簡単に言ってください」
教授「そうとしか言えないが・・・。まぁ、有体にいえば、相性の悪い男と女がいてだな。この関係が調和することなく対立した関係だとする。そうした対立した男と女の関係を調和に位相するものとは何かといえば。それは・・・。アレしかないだろう・・・」
学生「そうか。それで襞なんだ!」
教授「・・・。こんないいかげんなことでわかるのか?」

December 14, 2010

政治家の言説

 私が尊敬してやまない政治家はたくさんいた。政党は問わずである。
 今でも若い頃感激しながら演説を聞いていたことを覚えている。
 しかし、現在の政治家の言説とはおよそ以下のようなものである。
 ・自己中心的価値によって、「針小棒大」に自己の成果を語る。
 ・自己中心的価値によって、自己の正当化と他者への責任転嫁を行う。
 ・自己が座った権力のポストを中心に物語る。
 ・自己の知識をひけらかして、「無知の知」への認識は持たない。
 ・「基本的に上目線
 ・言葉を多用するが、言葉の定義は曖昧であり、自己都合である。
 若い頃、涙がでそうになるのを抑えながら聞いていた政治家の演説を、現在の政治家からもぜひとも聞いてみたいものである。
 「今の政治家は小さくなった」とよく言われる。曖昧な印象だから原因はよくわからない。
 だが、政治家の言説に確たる哲学もなく、深みもない内容にとどまって、国民に共感を与えるようなものでなくなっているのがその原因の一つではないだろうか。
 

December 10, 2010

和田一仁先生逝去

 一昨日、元民社党衆議院議員の和田一仁先生が逝去された。昨晩、葬儀前夜式がしめやかに恵比寿の聖徒教会にて執り行われた。
 私が民社党本部に入ったころ、和田先生は当選一回目だった。初対面の印象はとても穏やかな方で紳士だったと記憶している。
 和田先生と私との接点は、二人の「穏やかな性格」が災いしてか、民社党にとってとても難しい政策問題に取り組まされたことだった。和田先生と政策審議会のスタッフとなった私が取り組んだ課題とは、生活協同組合への課税問題だった。当時、生活協同組合が大型スーパーなみの出店を拡大していたころで、地域の中小企業や大型スーパーからも「税制上不公正である」という厳しい批判が起こっていた。それに合わせて、中小企業側からの厳しい批判として、大規模店舗法の改正問題いわゆる大型スーパーの出店規制問題も同時に起こっていた。当時の民社党は、春日一幸先生を中心に「中小企業政策の党」を売りにしていたし、一方で数多くの民社党議員を輩出し、かつ最大の支援組織となっていたのは、大型スーパーの労働組合を束ねていたゼンセン同盟だった。民社党はこの互いに利害を異にする二大勢力の「板挟み」になっていた。その「板挟み」に加えて、生活協同組合への課税問題が加わったのだった。要するに、利害が対立しあう三大勢力の真ん中に、和田先生と私が立たされる羽目になったわけである。「板挟み」にもう一枚加わると、何と言えばいいのだろうか。冷や汗の時代だったが、その辺は和田一仁先生の仁徳のおかげで、なんとか切り抜けていたことを記憶している。
 和田先生には確認できなかったが、和田先生が生活協同組合に関わられたのは、西尾末広先生の秘書をされていたからではないかと想像している。その西尾末広先生は、近代日本の形成期において一貫してキリスト教の立場から労働運動、貧民救済運動そして政治運動に取り組まれた賀川豊彦先生と交流を持っていたからである。
 日本における生活協同組合の生みの親は、賀川豊彦先生である。賀川先生は大正、昭和と貧困時代にあって労働者の権利の拡大を目指した労働組合の「友愛会」にも参画され、さらには庶民の生活向上のための生活協同組合を神戸に立ち上げた。それが、現在の灘・神戸生協である。
ところが、賀川先生は民社党の生みの親である西尾末広先生とも交流があったとされる割には、お二人の著書や伝記などに、二人の交流がほとんど描かれていないのである。賀川豊彦松沢資料館にも尋ねたことがあったが、やはり資料館でもなぜかお二人の交流の記録が見当たらないということだった。大正・昭和と同じように労働運動と政治運動そして社会運動を指導されてきた二人の偉大な人物の交流の記録がないのは、実に大きな謎なのである。
 私はこうした経過から、和田先生もキリスト教に入信され、そして生活協同組合活動にも関わられたのではないかと推測している。この点を、和田先生にお尋ねしたいとかねてから思っていたのだが、残念ながらその機会を得ることはままならなかった。
ご冥福をお祈りしたい。

December 08, 2010

就職活動中の君へ

就職活動に成功するのは、1割の実力と9割の運である。
しばしば「運も実力のうち」といわれる。
確かに、実力がなければ運は来ない。
しかし、実力があれば必ず運が舞い込んでくるというものでもない。
運に恵まれなくとも、実力がないということではないのである。
だから就職に失敗しても、決して自分を否定してはいけない。
この広い世界にはどこかに君を必要としている人がいる。
その人と君との間の接点がまだみつかっていないだけなのだ。
だから、あきらめてはいけない。
運とは、金庫を開ける番号を知らないままに、闇雲に金庫のダイヤルを回しているようなものである。
だから、滅多に開くものではない。
でもいつか必ず、「カチッ」という小さな音がする時がある。
その音が見つかるまで、回し続けていくことが大切である。
ダイヤルを回すことを諦めては、運命という金庫は開かないのである。
そして、運命という金庫が開いたからといって、そこに一生を保障するだけの金塊があると思ってはいけない。
その中には、一枚の紙しか入っていない。
その紙にはこう書かれている。
「よく諦めずに頑張った。おめでとう。これからもこの調子で努力していきなさい」

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