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15 posts from March 2011

March 31, 2011

相馬市松川浦 3月31日の活動

 3月31日の活動。午前、8時、相馬市災害ボランティアセンターに集合。8時30分より、担当場所決め。私は、家財の片付けを選択。他に4名のボランティアとともに、車に分乗して現地へ。そのうちのお二人は、わざわざ静岡県から来られた学校の先生。もう一人のボランティアの方は、このお宅の片付けに来て、もう四日目になるとのこと。
 現地は、松川浦の海岸線に建っている一軒家。かつて、相馬藩の女中方の月見の場所とよばれるぐらい、何事もなければ風光明媚な場所。
当該の家には、お年寄りのご婦人とその娘さんが住んでいる。被害状況は、自宅の一階まで浸水。幸い人的被害はなし。ご婦人のお話だと、「地震の直後、高台に避難しようと車で逃げたが、道路は大混雑だった。そこで、自宅に引き返し、倉庫の二階に逃げた。もし、そのまま高台に避難しようとしていたら、津波に巻き込まれていたかもしれない。家の前の道路に、船がプカプカ浮いていた」とのこと。
 一階の玄関や娘さんの書斎を片付けて、本日の作業は終了。
海の砂が家の床下や周りにあるのを放置していると、そこが腐ってばい菌が発生する。明日は、その処理に精を出すことになるかも(ただし、ボランティアの派遣先は、割り当て制度なので、同じ家に続けていくことになるかどうかはわからない)。
恐縮だったのは、ボランティア先にておにぎりとお味噌汁を昼食にいただいたこと。もちろん、自分で昼食のためのインスタント食品を持参していたが、やはりそこは田舎の話だから、客人へのもてなしということだろう。ありがたく頂戴した。
現地までは、道路から徒歩で200メートルぐらい入るところだった。朝行ったときには、道路はガレキだらけで、途中に船が転がっていたのだが、帰りになると、道路はキレイになっており、船もなくなっていた。復旧が進んでいるという印象を受けた。でも、まだ回りはガレキの山だ・・・。

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写真は、相馬市の災害ボランティアセンターが入っている建物。観光協会も入っており、ボランティアのために宿なども紹介してくれる。

March 30, 2011

相馬市松川浦 3月30日の活動

3月30日の活動。
 午前8時、仙台市を出発。福島県相馬市を目指して、一路、仙台東道路を南下。
 途中、名取市の仙台空港周辺を、車で被災の状況を見てきました。
 名取市内も女川、石巻とまったく同じで、家並みは跡形なく、ガレキの山でした。ガレキどころか、数え切れないほどの漁船や車が、田んぼの中に転がっていました。
 プロパン会社の社員の人が、海水につかったプロパンボンベの回収をしていました。

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写真は、名取市内の道路。いたるところに、こうした船が道路に乗り上げていた。

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写真は、名取市内のビニールハウス・まだ水が引いていない。レスキュー隊が、捜索中だった。


 午後、相馬市に向かう。途中、山元町立山元小学校に、自衛隊による『風呂サービス』が展開していたので、少し見学。地元の人が、タオルなどを持って集まっていました。午前8時から、午後10時までだそうです。ただし、今後は時間が変更されるとのことでした。その校庭にワンコが一匹つながれていたので、持参したドックフードをプレゼント。
 昼食は、国道6号線沿いの気合の入ったお店に入ってとることができました。限定メニューとのことでしたが、「天丼」が500円でした。
 国道6号線沿いのガソリンスタンドは、仙台市内のように長蛇の列という姿はなく、すぐにガソリンを入れることができました。
 午後1時30分、相馬商工会議所の二階にある相馬市災害ボランティアセンターに到着。さっそく登録を済ます。今日の活動は、すでに出回っているので、明日の朝からの活動となりました。
昨日持って行った雄勝の避難所では「ここには赤ん坊は居ない」と受け取り拒否された赤ちゃん用紙おむつとミルクを、相馬市保健センターに提供しました。
 近くの中央公民館の二階が、ボランティアの宿泊施設となっていました。宿泊施設といっても、ただ会議室ということだけでした。ここでの宿泊を覚悟しながら、相馬市内を回って宿泊施設を探していると、幸いなことに、一軒だけ受け入れてくれる旅館があり、そこに泊まることに。福島第二原発の近くです。今日、「第二原発から煙が出た」というニュースがありましたが、どうなのでしょう。
 そして、相馬港の周辺を車で回りました。もう街は全滅で、まだ自衛隊や警察が、行方不明者の捜索を続けていました。「大型機械が入るので、これ以上は通行禁止です」と自衛隊に途中で止められました。
 それにしても、今回の大震災の特徴になるのでしょうが、津波の被害を受けた場所とそうでない場所とのあまりにも極端な違いに戸惑います。同じ町内会で、津波が来た場所は壊滅し、津波の来なかった場所は、家屋の倒壊といった被害もあまりみられないのです。屋根が壊れている家はたくさんありますが。
道一本隔てただけで、「天国と地獄」(もちろん、天国ということはないですが・・・)ほどの差があるのです。相馬市内は、店などはあまり空いてないのですが、もう電気、水道も復旧しています。道もきれいになっています。ところが、相馬港の周辺は、夜になると真っ暗です。道はガレキの山で、ボロボロなのです。

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写真は、松川浦にある造船所の前。ガレキの山になっていた。


 

March 29, 2011

宮城県雄勝町に支援物資を持参しました

 本日、宮城県雄勝町水浜の高台にある避難所に、皆様からいただいた支援物資を届けました。
 そこには、避難所になった保育所に100名ほどの被災者が避難していました。皆さん高齢の方ばかりでした。これから被災者の方に必要になる生活物資は、多様なものになっていくようです。タイミングよく必要な物資が、避難所に届くようなシステムができればと思います。


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写真は、避難所に届けた物資を整理しているところ。


 雄勝までの途中や、雄勝から女川町、石巻市の被災状況は、想像を超えていました。写真やビデオでは伝えきれない悲惨さでした。復興にどれだけかかるのか・・・、ため息しか出ません。

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写真は女川町。コンクリートのビルが倒れていた。

 それにしても、津波の被害を被った場所と、免れた場所が、天と地にも差がある状況であるのには驚きました。もちろん、津波を免れた地域も、断水や停電が続いていて大変ですが、津波を被った地域は文字通り消滅でした。
 石巻市の港周辺の津波は、倉庫街をすべて流し、JRの貨物車や機関車を流していました。もう使いものにならないでしょう・・・。
 それでも、街には子どもたちの少し元気な笑顔が戻っていました。皆でがんばるしかないですよね。


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写真は、雄勝の避難所から見た雄勝町の被災状況。町が完全に消滅している。


March 28, 2011

大震災:ウソのような本当の話

 秋保神社の井出神主から聞いた、震災に関わるウソのような本当の話。

「仙台市若林区の農業園芸センターの近くのたんぼまで海水が来ていて、しかも、イルカが泳いでいた」
「怪しい輩が、ドライバーを持って被災地の無人の家などに入り、夜な夜な金目の物を探して回っている」
「農家の家に放りぱなしになっている車から、ガソリンを抜いている輩がいる。彼らは、ガソリンを抜くために、細いホースを口にくわえ、息で吸い上げてガソリンを抜いているから、口の周りがガソリンだらけだ」
「仙台東部道路が地震で閉鎖されたが、津波から逃げようとして、道路に入ろうとした車が入れず、津波でやられた」
「遺体の捜査は難しい。遺体の発見も全身がみつかるのではなく、手だけ土砂から出ているような状況だ」

 とりあえず、今日はこれぐらいにします。

無事、仙台入りしました

 無事、本日夕方仙台入りをいたしました。東北自動車道は問題なく順調に進めました。東北自動車道の上河内SAのガソリン・スタンドは、多少混雑していましたが、すぐにガソリンを入れることができました。仙台のすぐ手前の菅生PAには、50台ぐらい給油待ちで並んでいました。
 東北自動車道のかなり波打っているところがありましたが、仮補修がほぼ終わっていることに驚きました。途中で見られる東北新幹線では、あちらこちらで架線の補修工事が行われていました。
仙台市内では開いているコンビニもありましたが、売っている物は少ない状態でした。夕食は幸いなことに、開店している中華料理店でとることができました。
 今は、秋保神社の神主のご好意により、同神社に宿泊をさせていただいています。創建1200年で坂上田村麻呂が奥州に来られたときに、作られたとのことです。幸いなことに、今日は、電気、水道、プロパンガス、インターネットが復旧した段階とのことでした。
 神主のお話によれば、震災後五日間は、電気もなく、真っ暗だったとのことです(星がとてもきれいだったとのことです)。震災の三日後には、自転車で仙台市内から、山形経由弘前まで帰ろうとした男性がいたとのことです。あるいは、市内を自転車で回っていたとき、メキシコから来た救助隊に遭遇し、彼らがヒッチハイクで仙台市内に入っていたとのことで、道案内と食料の提供をしたそうです。他にも色々お話を伺っていますが、これぐらいにしておきます。
 明日の朝、宮城野区の避難所に支援物資を渡して、さらに海岸線の被災地域に入る予定です。明日はインターネットが使えるかは不明です。


March 27, 2011

ご協力に感謝いたします

 被災地への支援物資を提供していただいた方々へ。
 この度は、ご協力いただいてまことにありがとうございました。
 お陰さまで、第一陣の荷物は、私のボロ・オデッセイに満載となりました。
 明日、28に現地に入ります。
 現地の情勢が日々変化していますので、配布先は現地に行ってから決まります。いずれにせよ、行政の手がまだ十分に届いていない地区の避難所になる予定です。
 取り急ぎ御礼までにて。


March 26, 2011

被災地からの要望

 宮城県仙台市の被災地から報告と要望がありました。

 「仙台市内は徐々に店も営業を始めているので、生活物資を入手しやすくなりつつある。問題は海岸に近い地域で、まだ生活物資が行き届いていない。今、現地で必要なのは、靴、バックである。被災者が動こうにも、着の身着のままで逃げてきたままなので、靴もボロボロになっている。また、肌身離さず持っていたい大切なものを入れるバックがあるとありがたい」

 28日には、自前で用意したものを、わずかですが持参します。第二陣の運搬の際に、こうした生活支援物資を届けたいと思います。


 

3月28日から宮城県に入ります

 3月28日から宮城県の仙台市に入ります。
 現地の友人によれば、公的機関が指定した避難所には物資が届けられているが、町内会などで任意に作った避難所には物資が十分に届いていないとのことです。
 そのため、仙台市内の友人が支援している任意の避難所にささやかな支援物資を届けてきます。そして、わずかでも被災地での支援活動をしてきます。さらに、地方自治研究者として、まずは現地の状況を自分なりに見ておかなくてはならないと思っております。
 震災直後の人命救助から、これからは復旧・生活支援と、気の遠くなるような長期にわたっての支援を続けていく必要があると思います。政府や自治体では支援の手が十分に届かない人達や場所に対して、私たち民間人が少しずつでも支援をしていく必要があると思います。

 なお、3月28日以降、4月末までの期間限定で、もしよろしければ下記の支援物資を特定失踪者問題調査会までお送りくだされば幸いです。ある程度集まりましたら、第二陣で持っていきたいと思います。
 ただし、何でも良いというわけではなくて、支援物資は仙台の友人から下記のものに限定されて要請されていますので、ご留意ください。

・大人用紙おむつ
・女性用生理用品
・女性用下着
・レトルトの非常用米
・インスタントみそ汁、スープ
・使い捨てカイロ
・ベビー・ミルク

 ともかく一度現地に行って、状況を見てからと思っています。
 宅急便も宅配を始めたようですが、荷物は集配センターに保管されて、各自が取りに行かなくてはならないとのことです。そのための車のガソリンの入手が困難な状態のようです。ガソリンが被災地に十分に供給されるのは、もう少し先のようです。
 あるマスコミの人の話によれば、被災地では車が流されて、そうした個人レベルの支援物資を取りに行こうとしても、ままならない状態だそうです。市外の被災者の方は、軽トラックに鈴なりになって、被災地と市内とを往復しているとのことです。道路は寸断されているものの、被害が免れた林道などを通っているとのことです。

 本当はもっと早く行きたかったのですが、高速道路が使えなかったこと、私の車のガソリンの手配がままならなかったこと(東京も売り切れ続出)、支援物資を買おうにも売り切れだったこと、緊急時では自己完結できないとかえって足手まといになってしまいかねないこと、などから28日に致しました。
 一週間程度滞在する予定です。できれば現地の状況を、私のブログで遂次紹介したいと思います(ネット環境が整えばの話ですが)。


March 25, 2011

大震災:海外からの支援物資が宙に浮いている

下記は、海外から支援物資が日本で拒否されたり、宙に浮いていたりしていることについての産経新聞の記事。
 実は、私も似たような話で、米国の友人から大震災直後に申し出を受けた。それは、「太陽光発電による移動型浄水機を無償で提供したい」というものだ。海水を真水に変えられるもので、時価、数千万円である。海外での災害や紛争地域で、水の確保に役立ったものである。海岸沿いの被災地では、海水から真水を確保できる。被災地での学校プールの浄水にも有効だ。
 これはありがたいと、さっそく、関係機関に働きかけをしたり、相談をしたりしてきたが、結局のところ、現在でも受け入れ先が見つからず、宙に浮いたままだ。
 大型の浄水機の輸入になるため通関手続きなどをクリアしなくてはならない。国内の輸送の問題もある。そして、何よりも水を扱うために、産経新聞の記事であるように水質基準なるものがネックになる。
 通関手続きのためには、日本側の受け入れ先をはっきりさせなくてはならないが、これが決まらない。
 水質基準は、飲料水に使わないで、他の生活用水のために使うとすれば良いことだろう。
 緊急時でありながら、基準や手続きなどが実にやっかいなために、せっかくの海外からの支援の申し込みが宙に浮いたままになっているのは他にも多数あるとのことだ。
 大震災直後の大混乱の中での話だから、こうした話が宙に浮くこともあるだろう。しかし、2週間を経過したのだから、復旧・復興に必要な支援物資を、ありがたく受け入れていくことが大切なのではないだろうか。
 被災地の復旧・復興には飲料水だけではなく、風呂、トイレ、洗濯などの生活用水の確保が重要になると思う。だから、私自身は、被災地では混乱が続いているだろうが、この浄水機について、直接出向いて受け入れ先の自治体を見つけていきたいと思っている。

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「日本に恩返し」の思いが宙に 各国の支援行き届かず

2011年3月25日(金)8時0分配信 産経新聞 

 【シンガポール=青木伸行】日本に対する諸外国からの善意と支援の一部が行き場を失っている。混乱の中で日本側の受け入れ態勢に不備があるのみならず、食品安全基準などが大きな障害になっているようだ。「日本に恩返しをしたい」という各国の思いが宙に浮く格好となっている。
 東南アジアのある国は、毛布を数万枚送ると申し出た。だが、日本政府はサイズ(80センチ×80センチ)を指定し、送られる予定の毛布が20センチほど「規格」に合わないとわかると、受け入れに強い難色を示した。「規格外」の毛布は、すったもんだの末にようやく日本に届けられた。
 日本政府から救助犬の派遣を真っ先に要請され、それに応じて送り出そうとした矢先に「待った」をかけられたケースもある。その際の説明は「空港での検疫に1カ月かかる。1週間に短縮できるが、救助犬をその間管理できない」(支援を申し出た国の高官)だった。結局、この国の救助犬が日本の地を踏むことはなかった。
 コメ数万トンの援助を事実上、断られた例もある。送る予定のコメは日本人の口には合わないだろうと、もち米を交ぜる工夫も施されていた。しかし日本政府は「国内に余剰米がある」と回答。すでに空輸準備が終わっていた一部を除き、日本には届けられなかった。
 食料品を送ろうとして「食品安全基準のチェックがされていない。日本語の表示ラベルもない」と、拒否された例もある。
 日本側には支援を受け入れても保管場所の確保や、被災地への輸送がままならないという事情もある。
 だが、「日本からはいろいろな支援を受けてきたので、その恩返しをしたい。受け入れ側の事情も理解しており、不必要なものを送るつもりもない。それでも日本政府の対応は首をかしげる」(東南アジア筋)という声は小さくない。


March 21, 2011

茨城県神栖町の被災状況

 茨城県神栖町の知人にお見舞いの電話をしたところ、次のような状況だとのこと。茨城県も相当の被害を受けたものの、あまり報道されていないので、申し訳ないが実態をよく知らなかった。

 「自分の家は大丈夫だったが、自分の息子の家が傾いてしまい、息子たちは現在は知り合いの家に避難している。もう使えない状況。停電は3日目で復旧した。幸いガスはプロパンなので止まっていない。困っているのは、上下水道。下水に汚水を流さないでくれと言われている。給水車を自衛隊が巡回させているが、給水場所に行くのにも車が必要で、しかもガソリンがないので取りに行けない。上下水道とも、復旧の見通しはたたないようだ。
 津波は国道まで来た。津波で家が流されるほどではなかったが、国道沿いの大型店舗が浸水して、もう使えない状況。深刻なのは、液状化現象で、道路はボロボロになっている。鹿島臨海工業地帯の企業は、操業停止になっている」
 
 その方は「岩手や宮城などのような被害ではないので、ガマンしていかないと・・・」と付け加えられた。
 水やガソリンを支援に持っていくにしても、東京でもガソリンの入手が困難な状態だからどうにもならず、自分の無力さを改めて感じている。

March 18, 2011

大震災への支援は「自粛」ではないのでは

 下記は本日の産経ニュースの、やくみつるさんのコメント。
 私個人の周りでも行事や会議のキャンセルが相次いでいる。
 大震災の後で、被災者の方々への気遣いと、そして、またもし大震災が発生したら大変だという意識の表れだろう。そうした信条を私も共有するものの、何でもかんでも「自粛」というのでは、かえって経済や社会が縮こまってしまうだけであり、全体として考えるとかえってマイナスになってしまう。
 もちろん、電気や石油などがひっ迫しているときに、むやみやたらに「ばか騒ぎ」をすることは「自粛」すべきだが、普通の会合や電気をそんなに消費しないようなものまで「自粛」することはないのではないか。
 私はアマチュア・オーケストラの団員で、「練習を自粛した方がよいのでは」という意見もあったようだが、指導してくださる指揮者の方の次のような言葉で、練習を普通どおり続けている。
 「音楽は直接被災者の方への支援にはならないかもしれないが、音楽は被災者の方々の心の慰みになるものです。私は音楽を通じて被災者の支援をしたいのです」
 私たち一人ひとりができることを今までとかわらずしっかりとやっていくこと、それが、まわりまわって被災者への支援となるのであって、なんでもかんでも自粛することではないと私も思う。

産経ニュース 2011.3.18 19:54

「何もかも自粛は日本が萎縮してしまう」やくみつるさん
 ■漫画家のやくみつるさんの話

 「何もかも自粛して、日本全体が萎縮してしまうことは、あまりよくない」
 「高校野球が単なる大衆娯楽ではなく、教育の一環だという大義にかえって考えれば、開催もいいのではないかと思う」
 「主催者側が説明しなくても、選手たちはこの状況を見て、プレーで被災者を元気づけるという目的を理解している。プレーができるという意味を、しっかり受け止めているはずだ」

東北関東大震災 道路通行可能マップ

 下記は、(独) 科学技術振興機構 社会技術研究開発センターより送られてきた情報。
 これから震災地に救援で行かれる方には、非常に重要な情報なので、再掲載させていただきます。
 特に、ボランティアで行かれるような方は、ぜひ、参考にしてください。


(本文)
グーグルとホンダの共同作業で、前日の0時~24時の間に通行実績のあった道路を青色、同期間に通
行実績のなかった道路を灰色で示すマップが作成されたとのことでございますので、皆様にお知らせいたします。

なお、以下のリンク先に住所を入力すると、知りたい場所に関する情報を入手することが可能となっ
ております。

http://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_traffic.html

March 15, 2011

石原都知事「天罰発言」 言葉が足りなかったで済むのか 

 「天罰」とはいったい何事だろうか。言葉を命とする作家であり、国民の生命の安全確保を使命とする政治家である都知事が使うような言葉だろうか。「我欲」に満ちた日本人とは、いったい、どこの誰のことを指していると言うのだろうか。「言葉が足りなかった」という弁明で済むようなものではない。
 かつて、石原都知事はフリーターやニートの人たちを「人間のクズ」と呼んだこともあった。おそらくご本人の認識では、「天罰」と「人間のクズ」の文脈がつながっているのであろう。
 同時に、ご本人は政治家のポピュリズムを批判されている。しかし、大震災のような危機を語りながら、一方で自分のイデオロギーを押し出して支持を得ようとすることこそ、典型的なポピュリズムの手法ではないのだろうか。
 私はこんな人に東京都知事になってもらいたくない。


(2011年3月15日06時18分 読売新聞)

東京都の石原慎太郎知事(78)は14日、東日本巨大地震に関連し、「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」などと述べた。
 石原知事は同日午後、都内で「震災に対する日本国民の対応をどう見るか」と報道陣に問われ、「スーパーになだれ込んで強奪するとかそういうバカな現象は、日本人に限って起こらない」などとした。さらに親が亡くなったことを長年隠し年金を不正受給していた高齢者所在不明問題に言及し、「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う」と語り、「被災者の方々はかわいそうですよ」と続けた。
 その後の記者会見で「『天罰』は不謹慎では」と質問が相次いだが、石原知事は「被災した方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、と言葉を添えている」とした。

(2011年3月15日12時48分 朝日新聞)

 東京都の石原慎太郎知事は15日、東日本大震災に関して「やっぱり天罰だと思う」などと発言したことについて、「言葉が足りなかった。撤回し、深くおわびする」と述べ、謝罪した。
 石原知事の「天罰」発言に対しては、被災地・宮城県の村井嘉浩知事がこの日、「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と不快感を示した。同日午前の災害対策本部会議の後、報道陣の質問に答えた。県内では、約31万人が避難生活を送っている。
 石原知事は14日、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。


March 13, 2011

タイで東北地方・太平洋沖大地震への義損金募集

 タイにある日タイ児童開発基金では、タイ人ならびに在タイ日本人関係者向けに、東北地方・太平洋沖大地震への義損金の募集を始めました。添付の資料をご参照ください。


「tjedf__110311_.doc」をダウンロード

March 06, 2011

北朝鮮・金日成像

 ある脱北者から聞いた北朝鮮の金日成像の話。それは、国内各地に建設されている金日成像を、どうやって掃除しているかということである。普通に想像すれば、人間が柱か何かを立てて手で洗うということだろうが、そうではないとのことだ。
 以下は、彼の説明。

 私は若いころ、町の中心にある金日成像が週一回幕で囲まれることを不思議に思った。
 ある日、責任者に頼んで、中を覗かせてもらった。
 すると、金日成像の足元にある大理石の床が、機械式で自動的に二つに割れていった。
 そして、割れたところから、日本の三菱と書かれたロボット・アームがニョキニョキと出てきた。
 そのロボット・アームは二か所が折れるようになっており、それで像の前後左右の四面にアームが届くようになっていた。
 ロボット・アームの先から水が噴き出すようになっていて、シャワーのように像を洗った。
 さらに、アームにはブラシがついていて、そのブラシが自動的に像を磨く仕組みだった。
 最後は人間が手でふき取る。
 こうして週一回の像掃除が完了する。
 責任者の話だと、全国の金日成像は、だいたいこうした機械式で清掃するとのことだった。
 金日成像は毎晩ライトアップされる。停電を絶対に起こすわけにはいかないから、自家用発電機が備わっている。
 進学を控えた子どもたちは、金日成像の明かりで、夜受験勉強をする。

 最後の部分が、何とも切ない。子どもたちは「ホタルの光」ならず、「金日成像の光」で勉強しているのだそうな。
 私は彼に「本当?」と何度も聞いた。彼は「本当の話!」と繰り返していた。


 
 

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