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January 12, 2015

風刺画はユーモアとエスプリが大切だ

 フランスでの凄惨なテロ事件を受けて、300万人もの市民が抗議デモを行った。日本では、ごく一部の在日フランス人を中心に抗議活動が行われたようだ。ネットでは、日本で大きな抗議活動になっていない状況を嘆く意見も見られる。
 私はもちろん表現の自由を尊重するし、テロ行為を容認するつもりはない。ただ、「私はシャルリー」というプラカードを持つつもりはない。なぜなら、シャルリー・エブドの風刺画は、ユーモアやエスプリというよりも、おちょくりや侮蔑あるいは愚弄だからである。ネットでも見られるから、ぜひ見てもらいたい。とても、女性に向かってコメントできるようなものではない。
 文化や価値観の異なる他者を批判するときに、おちょくりや侮蔑あるいは愚弄では、他者との間で起こっている紛争や対立を解消するという方向には進まない。相互不信や怒りを助長するだけである。
 そんなことを考えている時、1月12日付けの読売新聞に、フランスの歴史人類学者であるエマニュエル・ドッドのコメントがあった。彼は次のように記している。

「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。ところが、フランスは今、誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者たちと共にある。私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、「テロリストにくみする」と受けとめられて、袋だだきに逢うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」

 私も同感である。だから、「私はエマニュエル・ドットだ」というプラカードを掲げたいと思う。
 海外の新聞といってもニューヨーク・タイムズぐらいしか読んでいないが、毎日掲載される風刺画にはおちょくりや侮蔑あるいは愚弄は見られない。ユーモアとエスプリである。たった一枚の絵だけで、社会に起こっている状況や問題を鋭く描き出している。同じように風刺画で社会を批判する時に、ユーモアやエスプリと愚弄や侮蔑のどちらが社会を良くして方法かは明らかだろう。
 風刺画一枚が、何万という言説よりも、社会に与える影響は大きい。だから、風刺画はユーモアとエスプリが大切だと思う。ユーモアとエスプリは批判する相手と問題を共有することができるが、おちょくりや侮蔑あるいは愚弄では、相手との問題の共有はできないからである。

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