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August 29, 2017

「忖度政治」の問題

「忖度政治」の問題

 森友学園問題で一躍有名になった言葉が「忖度(そんたく)」である。事案は、安倍首相夫人の奔放な言動を財務官僚などが「忖度」し、森友学園に有利になるように土地譲渡などが進められたのではないかということだ。その真実がいかなるものかは不明だが、「忖度」がまかり通っている政治の世界だけに、実しやかに語られるわけである。
 「忖度」は政治の世界では「当たり前」の行為である。逆に「忖度」がなければ政治は回らない。というのも、政権に就いている政治家たち特に閣僚が、担当する政策のすべてを理解したうえで、決済するわけではない。石原慎太郎がいみじくも語ったように、実態では「司司(つかさつかさ)」で判断し、政策の執行を積み重ねているのが政治の世界である。政治家や閣僚は、その政策が失敗したときに責任をとるために存在するようなものである。その際、政治家や閣僚の部下たち(官僚)は、イチイチすべてを政治家や閣僚に説明し、決済を求めるというよりも、政治家や閣僚の意思を「忖度」し、政治家や閣僚の意に沿うように手続を進めていく。こうした方法論を身に着けている者が、優れた官僚であると、政治家や閣僚によって評価されるのである。もちろん、こうした「忖度政治」が果たして妥当性を持っているかどうかは別問題である。
 「忖度」というものが現実の政治の世界でマイナスに作用しているという事実に関する研究では、政治哲学者のハンナ・アレントの『全体主義の起源』と『エルサレムのアイヒマン』が優れたものの筆頭であろう。彼女は全体主義やナチズムが席巻した背景について、政治家とりわけヒットラーのような独裁的な権力者に対する部下たちの迎合や、無批判的な追従にあることを示したのだった。独裁者はすべての案件について決済をするのではない。部下たちが独裁者に対して反対論を唱えることはないどころか、もっぱら独裁者に気に入られるような政策を「忖度」して、実行に移すわけである。そして、その関係性は部下たちからさらに下級官僚たちへと移行し、国民の末端に至るまでその構造が作られることによって全体主義が完成するのである。
 もちろん「忖度」だけが全体主義を完成させるのではなく、独裁者に楯突く者たちが制裁措置(サンクション)として送り込まれる「強制収用所」が必要である。「強制収用所」に送られたくない部下たちは、独裁者の意に沿うように行動するのである。この部下による「忖度」と「強制収用所」が全体主義を完成させる。一方、民主的国家においても、たとえ「強制収用所」がなくても、権力者の部下たちは、権力者による「処分」(左遷や降格)を恐れて、その意に沿うように「忖度」を実行するのである。
 つまり、「忖度」とは、部下たちにとって自己の立場の保全という最大の目的のために、権力者の利益になるような政策を自らの意思で選択し、実行することである。権力者にとっては、面倒な指示をする必要もなく、また、場合によっては責任をとる必要もないと抗弁できる(「司司で案件を処理したから自分は知らなかった」という石原元都知事の発言がそれを物語る)から、部下に対して暗黙の了解として「忖度」を求めるのである。
 この「忖度政治」の何が問題なのだろうか。手続き的には問題がないように進まれるから、仮に法律違反や倫理違反が問われたとしても、官僚による「忖度」があったかどうかを証明することは困難である。「忖度」した事実は「忖度」した官僚の頭の中にだけに記録があるから、当該の官僚が自白しない限り、不明のままで残される。つまり、「忖度」による政策決定は藪の中に納まるのである。この政策選択と決定の過程に不明瞭さが残ることが問題の第一である。
 第二に、「忖度」は、政治家や閣僚そして官僚たちの自己の利益の保全を最大の目的とする手続であるから、たとえ合法的であっても妥当性に疑問が残る。逆に、合法的な手続さえ踏めば、どのように捻じ曲げられた政策選択と決定であっても、法律違反や倫理違反に問われることはないのである。これが「忖度政治」の一番厄介な点である。
 では、こうした「忖度政治」を防ぐ方法論はあるのだろうか。すべての政策決定過程における官僚の判断や決済を透明化し、第三者による厳しい評価を受けるようにすれば解決するだろうか。理論的には有りえても、現実的には難しいだろう。そもそも何万という膨大な政策に関する判断や決済を透明化したとしても、それらを検証していく術はない。今回の森友事件のように、関係者からの指摘を受けなければ、手続き上合法的であれば、そこに「忖度」があったかどうかを発見し、検証することなど不可能である。
 ハンナ・アレントの分析のように、権力者とその部下との間の権力関係から出される政策決定と執行には、常に、権力によるサンクションとそれを回避しようとする動きが付いて回る。そこに「忖度政治」が生まれる要因がある。したがって、「忖度政治」の回避の術について強いて言うならば、政治家や閣僚たちの部下である官僚が、自己の立場の保全を第一の価値におくのではなく、常に国民全般の利益を優先することに心がけてもらうことだ。場合によっては、政治家や閣僚に対して、追従することなく真っ向から楯突くような「骨のある官僚」になることである。そしてなによりも、政治家や閣僚はそうした「骨のある閣僚」こそ自らの傍らに置き、その意見を尊重することに心がけることである。だが、現実の政治ではそれは簡単なことではないことは指摘するまでもないだろう。

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