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September 08, 2017

町村総会の源流としてのカール・ルードルフ

                    
                                                   拓殖大学政経学部 眞鍋貞樹

 高知県大川村が村議会を廃止して、村民総会(町村総会)に代えることを議論している。地方自治体の関係者にとっては、賛否を含めてその行方が注目されている。
 町村総会は地方自治法第94条で、「町村は、条例で、第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」とされている。実際に、この規定によって町村総会を設けたのは東京都宇津木村(現、八丈町)だけであり、戦後の地方自治法以前の明治憲法下において、神奈川県芦の湯村(現、箱根町)が町民総会を設けていたことも知られている。
 では、明治憲法下においてどのような経過から町村総会が規定されていたのだろうか。明治初期の制定過程で注目すべき点は、町村総会を起草した一人が、当時の明治政府の「お雇い外国人」のカール・ルードルフ(Karl Rudolph)であったことである。同時期に来日していた「お雇い外国人」であるアルベルト・モッセについては、後の地方自治制度関連の整備への貢献度の高さから十分な研究がされてきているが、モッセに先だって地方自治関連法を起草したルードルフについては、地方自治研究者からそれほど強い関心が示されることはないままにある(高校の参考書でもモッセの記述はあるが、ルードルフについてはない)。
税務大学校の牛米努は「カール・ルードルフは1841 年プロシア生まれのドイツ人で、行政官補や郡長として地方行政に携わり、内閣顧問として招聘された。明治17 年から同20 年まで滞在し、帰国後は県参事官や県知事を歴任した。ドイツで人選にあたった公使の青木周蔵は、彼を評して「稍々リベラールにしてoptimistに見え、内政治務的之見込は七独三仏之思想」であると書き送っている(『伊藤博文関係文書』1、63頁)。若干フランス流の思想を有している点が、ややリベラルということなのであろう」(「明治20 年所得税法導入の歴史的考察」p.453:一部筆者修正)と紹介している。
 一方のモッセは、彼の師が当時のドイツにおける国家学の権威者であったルドルフ・フォン・グナイストであったためか、明治政府の関係者たち、特に山県有朋はモッセを重用し、地方自治関連法の草案から制定に至るまで、モッセによる提案を受けながら制定していった。そのモッセはルードルフの案に対して、批判すべき点を批判すると同時に、評価すべき点は評価していた。その評価の中に、ルードルフの「町村総会」が含まれていた。だが、モッセがその後長く日本に滞在し、政権に重用されて地方自治制度の整備に組み込まれた一方、この地方自治制度の起草の後に税制改革案として「収入税」を提案したことを最後に、ルードルフはドイツに帰国した。その後は評価されることもないままである。
ルードルフによる地方自治制度への貢献への評価が消えていった背景は定かではないが、ルードルフは伊藤博文との関係性が強かったようであり、実際に地方自治制度を整備していった責任者は山県有朋が、ルードルフではなくモッセを重用したことがあるかもしれない。また、ルードルフは地方自治制度というよりも、警察制度や税制の整備に重点を置いたからかも知れない。いずれにせよ、ルードルフは明治初期において、日本の地方自治制度の整備に貢献したドイツ人の一人であったことにはかわりはない。
 さて、そのルードルフの草案で注目すべき点が、町村の有権者が20名に満たない場合には、町村会に代えて町村総会とすることができる、とした点である。その後の明治政府内での議論により、20名が15名になったものの、その案は残った。当時の議会や選挙についての議論は、国政も地方も制限選挙を前提としていたため、一定の資産を持つ裕福な住民にしか投票権を与えなかった。そのことからも、町村においてはごく少数の「投票権を有する住民」による「総会」が実施可能と想定されていたのだろう。ただし、こうした制度は当時としては斬新すぎるものである。それが、なぜ近代国家に向けて走り始めたばかりの日本で提案され、しかも採択されたのだろうか。
 ルードルフやモッセたちは、ドイツ人でありながらも、英国型立憲君主制、フランス型共和制に関心を持っていた。それは明治初期に伊藤博文がベルリンやウィーンに留学して憲政の講義を受けたローレンツ・フォン・シュタインやグナイストも同様だった。彼らはプロイセン型立憲君主国を擁護する国家学者であるため、自国の歴史や制度を尊重しながらも、英国やフランスに芽吹いていたキリスト教的人道主義に基づく初期社会主義に思想的な影響を受けていた。それはすなわち、ロバート・オーウェンの「ニューハーモニー村」、サン=シモン、フーリエの「ファランジュ」あるいはルイ=ブランの「作業所」などの、理想主義的な地域における「共同体思想」であるし、住民レベルでの「自治の精神」の発露でもある。
 ルードルフやモッセは近代国家として歩みを始めた日本に対して、プロイセン型の天皇を中心とした立憲国家体制(プロイセン型社会国家)の整備を勧めていたと同時に、国家における統治の最小単位である「町村」においては、議会ではなくとも「町村総会」に代えることができるという「自治の精神」の涵養を目指した理想的な地域社会の創造を期待していた。モッセはその点を明確に記している。その「自治の精神」については、当時の明治の政治家や官僚たちがドイツだけではなく、英国やフランス、そしてアメリカなどへ留学することによって、当時の日本においてはあまりにも過激すぎる思想として警戒する一方で、近代国家の基礎を担う思想としてその重要性を感じ取っていたのだろう。
 だが、日本では残念ながら、そうした期待とは裏腹な歴史を辿っていく。中央集権化にまい進した明治では、ドイツ人たちが勧めた天皇を中心とした立憲体制が、天皇親政体制へと変化していったし、「町村総会」が実施された例は神奈川県芦の湯村だけに終わった。ルードルフやモッセたちが期待した、日本の地域における「自治の精神」の涵養というのは、法令の条文上にのみ残り、政治の現場では忘れ去られてしまったのであった。
 冒頭に触れたように、大川村の問題提起によって、今日、地方自治関係者が大いに関心を寄せているのが、「町村総会」である。これから大川村だけではなく、政府を含めて検討がされていくことになっている。まずは、日本における「町村総会」の源流となったルードルフやモッセが、日本に何を期待していたのかを探ることから検討を始めることが大切ではないだろうか。

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