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October 02, 2017

地方自治は国政の「踏み台」ではない

 これまでも国政への「踏み台」として地方自治を利用してきた政治家は多い。首長選挙に出馬して話題を作り、数年首長を続けるが、そのうち国政へ進出を果たしてきた政治家である。端的な例が、出雲市長を務めた岩国哲人である。彼は、米国のメリルリンチ副社長だった経歴をフルに利用し、「行政は最大のサービス産業」というスローガンを前面に出し、全国的な話題をかっさらうようにして一挙に市長となった。

その当時、全国の地方議会議員たちが出雲市に行政視察に集まった。視察の最大の目的は、「出雲ドーム」である。彼が建設を提唱した全国初の木造ドームということで、全国的な話題となったからである。そして、彼は地方行政革を進める首長のシンボルにもなった。たがその後、彼は2期の途中で市長を辞職し、東京都知事選挙に出馬するも落選した後に、国政に進出して衆議院議員を4期務めることになった。華やかな経歴だが、出雲市に残されたのは、使いにくい中途半端な「出雲ドーム」という財政的な「お荷物」であった。

国会議員を目指すとき、地方自治体の首長や地方議員を経験しておくことは大切である。地方の政治や行政を知らないままで国会議員になられても困るからである。だが、一方で、地方自治を単なる国政への「踏み台」としてだけ考えてもらうのも困る。そのような政治家が地方自治体に残すのは、中途半端に進められた政策による残された者たちへの負担だけだからである。だから、国政に進出しようとする地方自治体の首長や議員に求められるのは、地方自治体の政策などを中途半端に終わらせないで、きれいに片づけてもらうことである。

小池都知事が国政にカムバックするかもしれないと、取りざたされている。「希望の党」の党首にもなり、日本初の女性総理大臣を狙っているわけだから、当然のように国政へのカムバックを、彼女を取り巻く政治家も、またご本人も考えていることだろう。もちろん、ご本人がカムバックされるかどうかは自由である。だが、現在のようなゴチャゴチャになっている東京の状況を無視して、国政へカムバックしていくということは、一言でいうと、あまりにも「無責任」という感を否めない。「都民ファースト」を公約にしていた割には、結局のところ「自分ファースト」だったということになるからだ。

「政界渡り鳥」を繰り返してきた彼女は、選挙に勝つための方法論を見つける千里眼はかなり優れているようである。だが、ご本人の当選のための千里眼は有効であっても、足元にある肝腎要の東京都政を、「自分ファースト」のための「踏み台」にしか考えないようでは困るのである。最低限、都政の最大の「難物」の一つである築地・豊洲問題を奇麗に片づけてから国政にカムバックすることが大切であろう。つまり、「跳ぶ鳥跡を濁さず」ということだ。

 いずれにせよ、地方自治の存在意義は、国政を夢見る政治家のためにあるのではない。地方自治を「踏み台」としか考えず、ないがしろにする政治家ばかりとなっては、国全体の基盤が揺らぐことになるのである。

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